宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の風景(その2)

「白鳥の停車場」周辺の風景

いつのまにか空を走る鉄道に乗車していたジョバンニは(銀河鉄道の夜の風景その1・参照)、同乗していたカムパネルラとともに銀河の冒険にでます。天の川や三角標などがきらめく美しい光景を眺めていると「白鳥駅」に到着、停車時間を利用して化石の発掘現場を見学しました。また、白鳥駅で乗車した「鳥を捕る人」は二人に「雁の足」をふるまいます。

銀河鉄道に乗車

「気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天蚕絨(びろうど)を張った腰掛が、まるでがら明きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っているのでした。」

下には天空を駆けるように見える「岩手軽便鉄道」の写真を引用いたしました。

出典:花巻商工会議所公式サイト、当時の瀬川陸橋を渡る岩手軽便鉄道車輛(林風舎)
http://www.harnamukiya.com/ginga/railroad.html

また、下には「岩手軽便鉄道」の遠野駅で停車風景(大正時代)を引用いたしました。こちらに列車の窓から外を見ながら座るジョバンニの姿を置いてみましょう。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons、大正期の遠野駅、国書刊行会「目でみる懐かしの停車場」より。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tono_Station_in_Taisho_era.JPG

「すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。」
後ろ姿が誰かに似ていると思っているとその子がふり向きます。それは親友のカムパネルラでした。彼はいいます。

カムパネルラ「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」
ジョバンニ「どこかで待っていようか」

カムパネルラ「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。」

「カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。」
でも、しばらく窓の外を眺めていると元気を取り戻し、こう言いました。
カムパネルラ「もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。・・・・・・」

車窓からの風景

カムパネルラ「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
「そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。」
ジョバンニ「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」
以下には「銀河鉄道の夜」というプラネタリウム番組(KAGAYAスタジオ制作)の予告編を引用させていただきました。
光るススキや「天の野原」に林立する「燐光の三角標」などが幻想的です。

また、こちらの動画の後半にはジョバンニが口笛を吹く「星めぐり(の歌)」も流れ、「銀河鉄道の夜」の世界観に浸ることができます。
「(ジョバンニは)まるではね上りたいくらい愉快な気持ちになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしました・・・・・・そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光(りんこう)の三角標が、うつくしく立っていたのです。」
ジョバンニ「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」

出典:植田啓次 著『岩手軽便鉄道案内』,成文社,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/948243 (参照 2025-01-28、一部抜粋)、北上川鉄橋列車進行の図
https://dl.ndl.go.jp/pid/948243/1/7

「ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。」
上には「宮沢賢治記念館」にも近い「北上川鉄橋」を通過する岩手軽便鉄道の写真(大正4年頃)を引用いたしました。こちらのような鉄道に乗った賢治が窓から川(天の川)やススキを眺めているところを想像してみます。

白鳥駅

するとカムパネルラは、突然、泣き出しそうな顔でこう言います。
カムパネルラ「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。・・・・・・ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」
ジョバンニ「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」
カムパネルラ「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」

こちらのカムパネルラの発言については、「銀河鉄道の夜」の後半で種明かしされます。

「早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。」

下には「賢治・星めぐりの街活性化協議会」の方がつくられた「白鳥の停車場」付近のストリートビューを引用いたしました。「賢治・星めぐりの街活性化協議会」の公式サイトによると、「銀河鉄道の夜」では停車場が「プリシオン海岸(イギリス海岸のモデルとされる)」の入り口になっていることから、「イギリス海岸バス停」のところに設置したとのこと。こちらの道にはかつて「岩手軽便鉄道」のレールが敷かれていました。

「さわやかな秋の時計の盤面(ダイアル)には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。」
ジョバンニ「ぼくたちも降りて見ようか。」
カムパネルラ「降りよう。」

さきに降りた人たちは一人も見えませんでしたが、二人は汽車から見えたきれいな河原に向かいます。そこから

「川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。・・・・・・その白い岩になった処の入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物のつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干も植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。」
以下には「プリオシン海岸」のモデルとされる「イギリス海岸」の動画を引用させていただきました。

行く途中でカムパネルラは「岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のようなもの」をひろいます。
ジョバンニ「くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」

・・・・・・

「だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴(つるはし)をふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしていました。・・・・・・見ると、その白い柔らかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣の骨が、横に倒れて潰れたという風になって、半分以上掘り出されていました。」

実際に賢治はイギリス海岸でクルミの化石とウシの足跡の化石を発見しています。また、賢治は東北帝国大学助教授の早坂一郎氏を化石の発見場所に案内し、その時の発掘成果は論文としてまとめられました。下には「銀河鉄道の夜」に登場する学者(大学士)のモデルとされる早坂氏の写真を引用いたします。

出典:not sure, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ichir%C5%8D_Hayasaka.jpg

大学士「君たちは参観かね。・・・・・・くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、・・・・・このけものかね、これはボスといってね、・・・・・・いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」

賢治が発掘した「ウシの足跡」は絶滅したプリスクス野牛の一種「ハナイズミモリウシ」のものでした(ウィキペディア・銀河鉄道の夜)。以下には「プリスクス野牛」の頭部の化石を引用いたします。

出典:Ryan Somma, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bison_priscus.jpg

そうこうしているうちに銀河鉄道の出発時間が迫っていました。
カムパネルラ「もう時間だよ。行こう。」
ジョバンニ「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」
大学士「そうですか。いや、さよなら。」
「二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。・・・・・・そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座って、いま行って来た方を、窓から見ていました。」

鳥を捕る人

「白鳥の停車場」を過ぎると新しい乗客が現れます。
「『ここへかけてもようございますか。』
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。」
とのこと。二人が振り返ってみると
「それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。」
とあります。

カムパネルラ「あなたはどこへ行くんです。」
鳥捕り「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」
カムパネルラ「何鳥ですか。」
鳥捕り「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」
カムパネルラ「鶴はたくさんいますか。」
鳥捕り「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。・・・・・・」
鳥を捕まえることを仕事としているこの男は「ウィキペディア・銀河鉄道の夜」などによると、こぎつね座のキツネを意味しているというとのこと。下に引用したようにこぎつね座はきつねが鳥をくわえるという姿で描かれています。

出典:Vulpecula et Anser, constellation art from Uranographia by Johann Elert Bode, 1801.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vulpecula-et-Anser-Bode.jpg

鳥捕りとの会話を続けて抜粋しましょう。
ジョバンニ「どうしてとるんですか。」

鳥捕り「そいつはな、雑作ない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚をこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押えちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
さらに鳥捕りは押し葉になった鳥を二人にふるまいます。
「鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。・・・・・・鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。」

「ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。」

出典:大阪広告協会 編『新聞広告五百案』,大阪広告協会,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971610 (参照 2025-01-28、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/971610/1/249

上には大正11年の森永製菓の広告を引用します。森永製菓は大正6年、日本で初めてチョコレートをカカオ豆からの一貫製造に成功、以後、大衆の手に届くようになっていきました。ここでは「雁の足」と「チョコレート」という単語から、大正6年発売の「森永フィンガーチョコ」のようなものをイメージしておきましょう。

「『こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。』やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋ねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
『そうそう、ここで降りなけぁ。』と云いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。」
鳥捕りがどこに消えたか二人が不思議そうにしていると、乗客の一人(燈台守)は、彼が窓の外にいることを教えてくれました。
「たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。」

出典:写真AC、飛び立つシラサギの群れ
https://www.photo-ac.com/main/detail/30570585&title=%E9%A3%9B%E3%81%B3%E7%AB%8B%E3%81%A4%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%81%AE%E7%BE%A4%E3%82%8C

上には鷺の群れの写真を引用いたしました。こちらの野原を白い「かわらははこぐさ」の花で満たしてみましょう。
「がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端しから押えて、布の袋の中に入れるのでした。」
二人が気付くと鳥捕りは列車内に戻っていました。

鳥捕り「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」
ジョバンニ「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」
鳥捕り「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
ジョバンニと鳥捕りが住む世界の常識は異なるようです。

旅行などの情報

イギリス海岸

宮沢賢治がイギリスのドーバー海峡の海岸にちなんで名付けた北上川西岸のスポットです。夏になると水量が減り、岩が乾いて白亜の海岸のようになることがあります。

ただし近年はダムの整備が上に引用させていただいたように自然に出現することは珍しくなっています。宮沢賢治の命日(9月21日)にはダムの放流量などを調整してイギリス海岸を出現させるイベントを実施していますので、旅のスケジュールを合わせてみてはいかがでしょうか。また、イギリス海岸から南に向かう遊歩道が整備され、桜と川のせせらぎのコラボレーションも堪能できます。

基本情報

【住所】岩手県花巻市上小舟渡
【アクセス】花巻駅から徒歩で約23分
【参考URL】https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=136

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の風景(その2)” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。