宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」の風景(その3)
新しい世界に飛び出したブドリ
クーボー大博士が紹介してくれた(グスコーブドリの伝記の風景その2・参照)のは一年前にできたばかりのイーハトーヴ火山局でした。ブドリはペンネン技師の下で学びながら働き、二年ほどで一人前の技師になりました。そんなある日、「サンムトリ火山」で噴火の兆候が表れます。ブドリはペンネン技師とともに、噴火の被害を抑えるための命がけの作戦に加わりました。
イーハトーヴ火山局へ
ブドリはクーボー大博士からもらった名刺の住所を訪ねます。
「玄関に上がって呼び鈴を押しますと、すぐ人が出て来て、ブドリの出した名刺を受け取り、一目見ると、すぐブドリを突き当たりの大きな室へ案内しました。」
そして
「その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も川も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走るせぼねのような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海の中に点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現われたり消えたりしているのです。」
出典:国土交通省国土地理院公式サイト、東北地方の地形
https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/degitalelevationmap_tohoku.html
上には国土地理院が公開している東北地方の地形を引用いたしました。イーハトーヴを東北地方全体としてみると「まん中を走るせぼねのような山脈」は奥羽山脈、「海岸に沿って縁をとったようになっている山脈」は北上高(山)地と解釈できます。
案内された部屋には「少し髪の白くなった人のよさそうな立派な人」がいて〔イーハトーヴ火山局技師ペンネンナーム〕という名刺をくれました。
ペンネンナーム(以下ペンネン技師)はこういいます。
「さっきクーボー博士から電話があったのでお待ちしていました。まあこれから、ここで仕事をしながらしっかり勉強してごらんなさい。ここの仕事は、去年はじまったばかりですが、じつに責任のあるもので、それに半分はいつ噴火するかわからない火山の上で仕事するものなのです。それに火山の癖というものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしっかりやらなければならんのです。では今晩はあっちにあなたの泊まるところがありますから、そこでゆっくりお休みなさい。あしたこの建物じゅうをすっかり案内しますから。」
出典:『盛岡高等農林學校要覽』,盛岡高等農林學校,1935. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1083549 (参照 2025-03-05、一部抜粋)、盛岡高等農林学校全景
https://dl.ndl.go.jp/pid/1083549/1/3
上には賢治が学生時代をおくった盛岡高等農林学校の俯瞰図を引用いたしました。同じく「盛岡高等農林學校要覽」の全図(P38右上)によると、左側に二棟並んでいるのが賢治も寝泊まりした寄宿舎と思われます。ここでは、ブドリが期待と不安を感じながら眠りにつく様子を想像してみましょう。
「次の朝、ブドリはペンネン老技師に連れられて、建物のなかを一々つれて歩いてもらい、さまざまの機械やしかけを詳しく教わりました。その建物のなかのすべての器械はみんなイーハトーヴじゅうの三百幾つかの活火山や休火山に続いていて、それらの火山の煙や灰を噴いたり、熔岩を流したりしているようすはもちろん、みかけはじっとしている古い火山でも、その中の熔岩やガスのもようから、山の形の変わりようまで、みんな数字になったり図になったりして、あらわれて来るのでした。そしてはげしい変化のあるたびに、模型はみんな別々の音で鳴るのでした。」
出典:八幡平温泉郷ポータルサイト、イーハトーブ火山局
https://hachimantai-onsenkyo.trip8.jp/
上に引用させていただいたのは「イーハトーブ火山局(岩手山火山防災情報ステーション)」にある岩手山を中心とした地形図の写真です。こちらのコーナーは手動で噴火時の災害の予測を示す仕掛けになっていますが、「グスコーブドリの伝記」では模型から危険を知らせる音が自動で発せられていました。
「ブドリはその日からペンネン老技師について、すべての器械の扱い方や観測のしかたを習い、夜も昼も一心に働いたり勉強したりしました。そして二年ばかりたちますと、ブドリはほかの人たちといっしょにあちこちの火山へ器械を据え付けに出されたり、据え付けてある器械の悪くなったのを修繕にやられたりもするようになりましたので、もうブドリにはイーハトーヴの三百幾つの火山と、その働き具合は掌(たなごころ)の中にあるようにわかって来ました。」
出典:宮沢賢治・花巻市民の会公式サイト、盛岡高等農林学校、化学実験室でのスナップ(後方に小さく写っているのが賢治)
https://ihatovstn.jp/morioka-area/morioka-agricultural-college/
上には盛岡高等農林学校時代、実験室で撮影された宮沢賢治の写真を引用させていただきました。左側の一番奥に小さくうつっているのが賢治、中央では賢治の指導教官であった古川教授が見守っています。こちらを「イーハトーブ火山局」の研究室に見立て、ブドリがペンネン老技師から火山局の業務を学んでいるところをイメージしてみましょう。
サンムトリ火山
「ある日ブドリが老技師とならんで仕事をしておりますと、にわかにサンムトリという南のほうの海岸にある火山が、むくむく器械に感じ出して来ました。」
ペンネン技師「ブドリ君。サンムトリは、けさまで何もなかったね。」
ブドリ「はい、いままでサンムトリのはたらいたのを見たことがありません。」
ペンネン技師「ああ、これはもう噴火が近い。けさの地震が刺激したのだ。この山の北十キロのところにはサンムトリの市がある。今度爆発すれば、たぶん山は三分の一、北側をはねとばして、牛やテーブルぐらいの岩は熱い灰やガスといっしょに、どしどしサンムトリ市におちてくる。どうでも今のうちに、この海に向いたほうへボーリングを入れて傷口をこさえて、ガスを抜くか熔岩を出させるかしなければならない。今すぐ二人で見に行こう。」
福島県にある磐梯山は「グスコーブドリの伝記」のサンムトリ火山のモデルの一つとされていて、賢治が生まれる8年ほど前(1888年)に大噴火を起こしています。下には明治時代から景勝地として知られた猪苗代湖と磐梯山の写真を引用しました。ペンネン老技師は被害を抑えるため、海(猪苗代湖?)に溶岩を流す作戦を考えていました。
出典:西田繁造 編『日本名勝旧蹟産業写真帖 : 国定小学校教科書準拠』天,西田耕雲堂,明45.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/762832 (参照 2025-03-06、一部抜粋)、猪苗代湖畔より磐梯山を望む
https://dl.ndl.go.jp/pid/762832/1/92
「二人はすぐにしたくして、サンムトリ行きの汽車に乗りました。」
そして「二人は次の朝、サンムトリの市に着き、ひるごろサンムトリ火山の頂近く、観測器械を置いてある小屋に登りました。」
下には大正2年に改築された洋風木造の三代目郡山駅舎の写真を引用いたしました。ブドリたちはこちらで磐越西線に乗りかえたのでしょうか?もしくはタクシーを拾って直接磐梯山へ向かったかもしれません。
出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons、1935年の郡山駅(福島県)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fukushima_Koriyama_Station_in_1935.JPG
二人は山頂付近の小屋に到着します。
ペンネン技師「きみはこの山はあと何日ぐらいで噴火すると思うか。」
ブドリ「一月はもたないと思います。」
ペンネン技師「一月はもたない。もう十日ももたない。早く工作してしまわないと、取り返しのつかないことになる。私はこの山の海に向いたほうでは、あすこがいちばん弱いと思う。」
「老技師は山腹の谷の上のうす緑の草地を指さしました。」
そして早速、工作隊の要請を出します。
ペンネン技師「装置には三日、サンムトリ市の発電所から、電線を引いてくるには五日かかるな。」
そういっておいてペンネン老技師はブドリにこういいます。
「とにかくブドリ君。一つ茶をわかして飲もうではないか。あんまりいい景色だから。」
下には磐梯山の山頂からの猪苗代湖の写真を引用いたします。危険と隣り合わせの状態でしたが、こちらのような絶景はブドリたちに一時の安らぎを与えてくれたのではないでしょうか。
出典:写真AC、猪苗代湖を磐梯山頂上からみる
https://www.photo-ac.com/main/detail/27841547&title=%E7%8C%AA%E8%8B%97%E4%BB%A3%E6%B9%96%E3%82%92%E7%A3%90%E6%A2%AF%E5%B1%B1%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%82%8B
お茶を沸かしていると
「ふとブドリはすぐ目の前に、いつか見たことのあるおかしな形の小さな飛行船が飛んでいるのを見つけました。」
火山局を紹介してくれたクーボー大博士が陣中見舞いにやってきたのでした。
クーボー大博士「もうどうしても、来年は潮汐(ちょうせき)発電所を全部作ってしまわなければならない。それができれば今度のような場合にもその日のうちに仕事ができるし、ブドリ君が言っている沼ばたけの肥料も降らせられるんだ。」
ペンネン技師「旱魃(かんばつ)だってちっともこわくなくなるからな。」
激しい揺れのなかで上のような会話をしたあと「そうだ、僕はこれで失敬しよう。」といってクーボー大博士は飛行船で帰っていきます。
「老技師とブドリは、大博士があかりを二三度振って挨拶しながら、山をまわって向こうへ行くのを見送って・・・・・・」
出典:Internet Archive Book Images, No restrictions, via Wikimedia Commons、Santo Dumont circles the Eiffel Tower on 13 July 1901 in Dirigible No. 5
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santos-Dumont_flight_around_the_Eiffel_Tower.jpg
上には前回も登場したアルベルト・サントス・デュモン(グスコーブドリの伝記の風景その2・参照)が飛行船でエッフェル塔を周回する写真を引用しました。ここではエッフェル塔の代わりに磐梯山の周りを飛びながら颯爽と去る場面をイメージしてみましょう。
作戦開始
「明け方ふもとへ工作隊がつきますと、老技師はブドリを一人小屋に残して、きのう指したあの草地まで降りて行きました。みんなの声や、鉄の材料の触れ合う音は、下から風の吹き上げるときは、手にとるように聞こえました。ペンネン技師からはひっきりなしに、向こうの仕事の進み具合も知らせてよこし、ガスの圧力や山の形の変わりようも尋ねて来ました。それから三日の間は、はげしい地震や地鳴りのなかで、ブドリのほうもふもとのほうもほとんど眠るひまさえありませんでした。」
下には2024年2月に起きた桜島の噴火の動画を引用させていただきました。こちらの映像から、サンムトリ火山の地震や地鳴りの凄まじさを想像してみましょう。
「その四日目の午前、老技師からの発信が言って来ました。」
ペンネン技師「ブドリ君だな。すっかりしたくができた。急いで降りてきたまえ。観測の器械は一ぺん調べてそのままにして、表は全部持ってくるのだ。もうその小屋はきょうの午後にはなくなるんだから。」
ブドリが山を降りて草地までいってみると、
「そこにはいままで局の倉庫にあった大きな鉄材が、すっかり櫓に組み立っていて、いろいろな器械はもう電流さえ来ればすぐに働き出すばかりになっていました。ペンネン技師の頬はげっそり落ち、工作隊の人たちも青ざめて目ばかり光らせながら、それでもみんな笑ってブドリに挨拶しました。」
工作の効果
ペンネン技師「では引き上げよう。みんなしたくして車に乗りたまえ。」
「みんなは大急ぎで二十台の自動車に乗りました。車は列になって山のすそを一散にサンムトリの市に走りました。ちょうど山と市とのまん中どこで、技師は自動車をとめさせました。」
ペンネン技師「ここへ天幕(てんと)を張りたまえ。そしてみんなで眠るんだ。」
「みんなは、物をひとことも言えずに、そのとおりにして倒れるようにねむってしまいました。その午後、老技師は受話器を置いて叫びました。」
ペンネン技師「さあ電線は届いたぞ。ブドリ君、始めるよ。」
「老技師はスイッチを入れました。ブドリたちは、天幕の外に出て、サンムトリの中腹を見つめました。野原には、白百合がいちめんに咲き、その向こうにサンムトリが青くひっそり立っていました。」
下には東京ドイツ村の「四季の丘」に咲く百合の写真を引用させていただきます。ピンク色の建物の向こう側にサンムトリ火山があるとしてストーリーをすすめましょう。
「にわかにサンムトリの左のすそがぐらぐらっとゆれ、まっ黒なけむりがぱっと立ったと思うとまっすぐに天までのぼって行って、おかしなきのこの形になり、その足もとから黄金色の熔岩がきらきら流れ出して、見るまにずうっと扇形にひろがりながら海へはいりました。と思うと地面ははげしくぐらぐらゆれ、百合の花もいちめんゆれ、それからごうっというような大きな音が、みんなを倒すくらい強くやってきました。それから風がどうっと吹いて行きました。」
すると
まわりからは「やったやった。」という声が上がります。
ペンネン技師「ブドリ君、うまく行った。危険はもう全くない。市のほうへは灰をすこし降らせるだけだろう。」
出典:2009年刊行、「写真から見る1888年磐梯山噴火」所収の写真, Public domain, via Wikimedia Commons、噴火直後、会津若松から撮影された噴煙を上げる磐梯山。1888年撮影。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bandai-1888-10.jpg
「こいしはだんだん灰にかわりました。それもまもなく薄くなって、みんなはまた天幕の外へ飛び出しました。野原はまるで一めんねずみいろになって、灰は一寸ばかり積もり、百合の花はみんな折れて灰に埋まり、空は変に緑いろでした。そしてサンムトリのすそには小さなこぶができて、そこから灰いろの煙が、まだどんどんのぼっておりました。」
上には甚大な被害をもたらした1888年の磐梯山噴火時の写真を引用いたします。「グスコーブドリの伝記」ではサンムトリ火山の噴火はありましたが、ペンネン技師やブドリたちの活躍により被害は最低限度に抑えられました。
旅行などの情報
磐梯山噴火記念館
サンムトリ火山のモデルの一つとして登場してもらった磐梯山噴火を紹介する火山博物館で、噴火から100年を経た1988(昭和63)年に建てられました。大型の模型と大型スクリーンを使って当時の噴火の様子を再現し、自然の脅威を体感できるようになっています。
出典:福島動画部取材日記、いま火山を学ぶこと:磐梯噴火記念館レポート
https://fukushimamovie.wordpress.com/2015/10/01/015/
上に引用させていただいたような世界初の地震計(中国・漢時代)の模型展示や、周辺エリアの民話の紙芝居映像などもあり幅広い年代が楽しめる施設になっています。また、隣接する磐梯山3Dワールドでは、磐梯山周辺の四季の空撮映像をソニーの全円周立体映像システムで視聴することにより、自分が空を飛んでいるかのようなリアルな体験ができます。
基本情報
【住所】福島県耶麻郡北塩原村桧原字剣ケ峯1093-36
【アクセス】JR猪苗代駅からバスに乗りかえ、磐梯山噴火記念館前で下車
【参考URL】https://www.bandaisan-geo.com/(磐梯山ジオパーク公式サイト)
猪苗代湖周辺観光
磐梯山の麓にある猪苗代湖は琵琶湖や霞ヶ浦・サロマ湖に次ぐ国内で4番目に大きな湖です。夏は湖水浴やマリンスポーツ、キャンプやサイクリングなどのアクティビティは一年中楽しむことができます。また、湖水浴場としても人気の「長浜」は白鳥やカモの飛来地としても有名で冬になるとバードウォッチングでもにぎわうスポットです。
長浜からは上に引用させていただいたような遊覧船も出ています。湖上からしか見ることのできない磐梯山周辺の絶景を堪能してみてはいかがでしょうか。また少し足を延ばして、さまざまな色彩の「五色沼湖沼群」を観光するのもおすすめです。周辺には中ノ沢温泉や沼尻温泉、はやま温泉、天鏡台温泉といった温泉地が点在しているので散策の疲れをいやしてください。
基本情報
【住所】福島県耶麻郡猪苗代町翁沢長浜923-2(猪苗代観光船乗り場)
【アクセス】猪苗代駅からバスに乗りかえ、長浜バス停で下車
【参考URL】https://i-kankousen.co.jp/(猪苗代観光船公式サイト)