柳田国男「遠野物語」の風景(その1)
遠野の風土・山男山女のお話
「遠野物語」は地方民俗を研究していた柳田国男が、遠野出身の学生・佐々木喜善から聞いた民話をまとめたものです。陸と海とを結ぶ中継地にあり、周辺の出来事が語り伝えられてきた遠野は、民話の宝庫といわれています。今回は目次に沿って、最初に地勢や遠野三山の神話をご紹介し、その後、山男や山女の伝説を中心に物語を追ってみましょう。
一話(遠野の地勢)
「遠野郷(とおのごう)は今の陸中上閉伊かみへい郡の西の半分、山々にて取り囲かこまれたる平地なり。新町村にては、遠野、土淵(つちぶち)、附馬牛(つくもうし)、松崎、青笹(あおざさ)、上郷(かみごう)、小友(おとも)、綾織(あやおり)、鱒沢(ますざわ)、宮守(みやもり)、達曾部(たっそべ)の一町十ヶ村に分かつ。」
下には当時の地名が記されている地図を「青空文庫・遠野物語」から引用させていただきました。
出典:青空文庫、遠野物語
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html
また、以下には柳田国男が遠野を訪問した明治40年ごろの遠野の写真を引用させていただきます。遠野は内陸と海との中間地点にあり、古くから交易品の集積地として栄えました。人々が集まると多彩なエリアの民話が語られ「遠野物語」の原型となっていきます。
「この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿ヶ石川の渓を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。」
なお、遠野に鉄道(岩手軽便鉄道、現・釜石線)が開通するのは数年後(大正3年)のこと。以下に引用させていただいたように、花巻駅から遠野までは人力車での長旅が待っていました。
8月22日(日曜日)午後11時、上野発海岸回り青森行きの列車に乗った柳田は、翌23日に到着した花巻駅で下車。人力車に乗り換え、矢沢村、土沢、宮守、と経て鱒沢の沢田橋のたもとにあった木造三階建ての宿屋で食事と人力車を乗り継ぎ、遠野に到着したのは夜の8時であった[8]。 柳田は遠野では高善旅館に宿をとり、主人の高橋善次郎から馬を借りて伊納嘉矩や佐々木喜善を訪ね、南部家所縁の地などを回った
出典:ウィキペディア・遠野物語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E7%89%A9%E8%AA%9E
柳田国男は遠野の旧高善旅館(柳翁宿)を定宿とし、下に引用させていただいた2階の角部屋に宿泊していたとのことです。ここでは21時間以上の長旅のあと、こちらでくつろぐ姿をイメージしてみましょう。
二話(遠野三山の伝説)
遠野三山とは早池峰山・六角牛山・石上(石神)山のことです。以下は遠野物語から引用していきます。
「四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯(はやちね)という、北の方附馬牛(つくもうし)の奥にあり。東の方には六角牛(ろっこうし)山立てり。石神(いしがみ)という山は附馬牛と達曾部(たっそべ)との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。」
下には雪をかぶった遠野三山の写真を引用させていただきました。「最も秀でたる」とある早池峰山は北上山地の最高峰(標高1917m)で日本百名山のひとつにも数えられています。
「大昔に女神あり、三人の娘を伴ないてこの高原に来たり、今の来内(らいない)村の伊豆権現の社あるところに宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、」
女神とその娘たちの宿泊場所を「来内村の伊豆権現」と具体的に記しているのも興味深いところです。下には現在も残る「来内村の伊豆権現」の写真を引用させていただきました。
「夜深く天より霊華(れいか)降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃(ひそ)かにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。」
このように、したたかな「末の姫」は姉から「霊華」を奪い、早池峯山を手に入れました。下に引用させていただいた「遠野三山女神図」の中央に鎮座しているのがその「末の姫」と思われます。すこしうつむき気味にみえるのは、少し後ろめたさがあるからでしょうか(?)
「若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもう故に、遠野の女どもはその妬みを畏れて今もこの山には遊ばずといえり。」
「妬みを畏れて」かどうかは別として遠野三山は戦前まで女人の立ち入りが禁止されていたとのこと。修験の山として人々から信仰されてきました。
五話(山男山女と出会う峠)
「遠野郷より海岸の田ノ浜はま、吉利吉里(きりきり)などへ越ゆるには、昔より笛吹峠(ふえふきとうげ)という山路あり。」
下には現在の笛吹峠付近のストリートビューを引用いたします。
「山口村より六角牛(ろっこうし)の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢うより、誰もみな怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、ついに別の路を境木峠(さかいげとうげ)という方に開き、和山(わやま)を馬次場(うまつぎば)として今は此方ばかりを越ゆるようになれり。二里以上の迂路(うろ)なり。」
続いて迂回路として開通した「界木峠(境木峠)」付近のストリートビューを引用いたしました。「遠野物語」よりも後になりますが、笛吹峠の整備が進み、別ルートの仙人トンネルが開通すると、界木峠の利用者が激減します。現在ではグーグルカーも立ち入らない未舗装道路となっていて、こちらの方が山男や山女が現れそうな雰囲気です。
六話(長者の娘)
「遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。」
以下には豪農の家の例として重要文化財に指定されている「旧千葉家住宅」の写真を引用いたしました。人の住居と馬を飼育するスペースをL字型に組み合わせた「南部の曲り屋」スタイルが特徴です。
出典:Yoshio Kohara, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons、千葉家住宅 歴史的建造物 南部曲り家
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%8D%83%E8%91%89%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85_%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9_%E5%8D%97%E9%83%A8%E6%9B%B2%E3%82%8A%E5%AE%B6_-_panoramio_(4).jpg
「青笹村大字糠前(ぬかのまえ)の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師、或る日山に入りて一人の女に遭う。」
青笹村(遠野市青笹町)は遠野三山の一つ六角牛山の麓にあり、ストリートビュー(以下に引用)では標高1294mの立派な山容をみることができます。「何某という猟師」が女と出くわしたのはこちらの山中だったでしょうか?
「怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。驚きてよく見れば彼の長者がまな娘なり。何故にこんな処にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。」
山女と思ったのは長者の娘でした。山男にさらわれてしまい今は山中で暮らしているといいます。
「子もあまた生みたれど、すべて夫が食い尽して一人此のごとくあり。おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。人にも言うな。御身も危うければ疾く帰れというままに、その在所をも問い明らめずして遁(に)げ還れりという。」
ここでは山男に見つからないように、あわてて里に下りる「何某という猟師」の姿をイメージしてみましょう。
七話(五葉山の岩窟)
「上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入りたるまま帰り来たらず。家の者は死したるならんと思い、女のしたる枕を形代として葬式を執行(とりおこな)い、さて二三年を過ぎたり。」
上郷村(遠野市上郷町)も青笹村と同じく六角牛山の麓の村です。娘が栗を拾っていたのは六角牛山だったかもしれません。
「しかるにその村の者猟をして五葉山(ごようざん)の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽いかかりて岩窟のようになれるところにて、図(はか)らずこの女に逢いたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の曰く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。遁(に)げて帰らんと思えど些(いささか)の隙(すき)もなしとのことなり。」
下には五葉山の麓にある「関谷洞窟住居跡」の写真を引用させていただきます。こちらは4億年以上前に石灰岩が侵食を受けて造られた洞窟で、縄文早期から古代にかけて住居として利用されていました。「上郷村の民家の娘」が囚われていたのもこのような洞窟だったかもしれません。
出典:三陸ジオパークオフィシャルWeb、88.関谷洞窟住居跡、https://sanriku-geo.com/
村の者と娘は話を続けます。
「その人はいかなる人かと問うに、自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈きわめて高く眼の色少し凄すごしと思わる。子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて食(くら)うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。」
山男や山女の正体については諸説あり、柳田国男は「山人はこの島国に昔、繁栄していた先住民の子孫である」と述べています。ほかにも「原始人類」や「大きな猿」「山の気が人の形をとったもの」(ウィキペディア・山男)、山に住み着いた「外国人」など多彩な意見があります。
ですが、少なくとも遠野物語に登場する山男は、見える人には見えるといった妖精や神様のような存在ではなく、実体のある人間くさい存在に思えます。
八(サムトの婆)
「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸(さむと)というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集りてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。」
「サムトの婆」の姿については、柳田への語り手であった佐々木喜善が「東奥異聞」でさらに詳細に描いています。
岩手県上閉伊郡松崎村字ノボトに茂助という家がある。昔この家の娘、秋ごろでもあったのか裏のナシの木の下にゆき、そこに草履を脱ぎ置きしままに行くえ不明になった。しかしその後、幾年かの年月をたってある大嵐の日にその娘は一人のひどく奇怪な老婆となって家人に会いにやってきた。その態姿はまったく山婆のようで、肌にはコケが生い指の爪は二、三寸に伸びておった。
出典:佐々木喜善、東奥異聞、青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000263/files/53817_53604.html
出身地は「サムト(遠野に実在しない地名)」ではなく「ノボト」となっており、こちらは遠野に実在します。下には登戸(ノボト)橋周辺のストリートビューを引用させていただきました。
「いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。」
一方、「東奥異聞」では「サムトの婆」が来ないように封印してしまったという後日譚が記されています。
そうして一夜泊りでいったがそれからは毎年やってきた。そのたびごとに大風雨あり一郷ひどく難渋するので、ついには村方からの掛合いとなり、なんとかしてその老婆のこないように封ずるようにとの厳談であった。そこでしかたなく茂助の家にては巫子山伏を頼んで、同郡青笹村と自分との村境に一の石塔を建てて、ここより内にはくるなというて封じてしまった。その後はその老婆はこなくなった。その石塔も大正初年の大洪水のときに流失して、いまはないのである。
出典:佐々木喜善、東奥異聞、青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000263/files/53817_53604.html
下に引用したのは登戸橋周辺のストリートビューです。封印の石塔は流れてしまいましたが、川の近くに「サムトの婆」の案内碑が建てられています(上の写真の中央部)。
風雨とともにやってくるところなどは「風の三郎様(風の又三郎の風景その1・参照)」と同じく「風の神様」だったのでしょうか。もしくは風雨の日は外に人が少ないため、里に入りやすかったのかもしれません。また、婆がこなくなった要因については封印の効果なのか、単に実家への風当たりを配慮してのことかは不明ですが、少し気の毒な気もします。
ここでは住み家がばれないように、山の方へ急ぎ足で帰っていく「サムトの婆」の姿をイメージしてみましょう。
旅行などの情報
遠野市立博物館
遠野物語にさまざまな観点から触れられる民俗専門博物館です。マルチスクリーンシアターのある第1展示室では「かっぱ淵」や「まよいが」といったストーリーを大画面で楽しむことができます。また、第2展示室では農耕や輸送に活躍した馬とのかかわりや「オシラサマ」信仰など、暮らしや文化について映像や実物展示により詳しく解説しています。なかでも下に引用させていただいた「山」のコーナーには神秘的な音が流れ、本物の山男が出てきそうな雰囲気です。
第3展示室では遠野物語の作者・柳田国男や語り手・佐々木喜善に関連する定期展示のほか、多彩な企画展を実施しています。詳細は公式サイトや遠野市立博物館公式Xなどでチェックしてからお出かけください。
基本情報
【住所】岩手県遠野市東舘町3番9号
【アクセス】JR遠野駅から徒歩約9分
【参考URL】https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,25002,166,html
とおの物語の館
柳田国男が遠野滞在中に利用した「旧高善旅館(柳翁宿)」が移築されている施設です。以下は上で客室をご紹介した「旧高善旅館」の外観写真を引用いたしました。柳田国男の東京の自宅「旧柳田國男隠居所」も移築され、併せて「柳田國男展示館」として開放されています。
出典:663highland, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、とおの物語の館
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tono-mukashibanashi-mura02s3872.jpg
また、物語の館のメイン施設となる「昔話蔵」では映像ライブラリーを観たり、体を動かしながら遠野物語を体感できます。特に語り部による「遠野物語」は必見!季節によりスケジュールが異なりますのでご注意ください。
基本情報
【住所】岩手県遠野市央通り2-11
【アクセス】JR遠野駅から徒歩で約8分
【参考URL】https://tonokanko04.wixsite.com/my-site
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