種田山頭火「行乞記」の風景(その4)
日南市から串間市へ
伊比井(日南市)をあとにした山頭火は(行乞記の風景その3・参照)、鵜の声を聴きながら鵜戸神宮を参拝。飫肥町では一銭を投げられるなど冷たい仕打ちを受けます。目井津(日南市南郷町中村付近)では飲みすぎて野宿しコオロギといっしょに寝ることに!榎原でうまい湧き水を堪能した後、串間までの山路ではこぼれるような萩の花を楽しみました。
主な出典:青空文庫、行乞記(ぎょうこつき)、底本:山頭火全集 第三巻、出版社: 春陽堂書店、入力:「さくらんぼ」氏、校正:小林繁雄氏、門田裕志氏
https://www.aozora.gr.jp/cards/000146/card44913.html
鵜しきりに啼いて・鵜戸
最初に今回の全ルートの概略を以下のマップで示します。目井津までは海沿いのルートをたどり、榎原(よわら)方面の山道を抜けて串間市に至ります。
初日は伊比井から鵜戸までです。
「十月二日 雨、午后は晴、鵜戸、浜田屋(三五・中)
ほんたうによう寝られた、夜が明けると眼がさめて、すぐ起きる、細い雨が降つてゐる、けふもまた濡れて歩く外ない、昨日の草鞋を穿いて出かける、途中、宮ノ浦といふ部落を行乞したが、どの家も中流程度で、富が平均してゐるやうであつた、今は養蚕と稲扱との最中であつた、三里半歩いて鵜戸へ着いたのが二時過ぎ、こゝでも二時間あまり行乞、それから鵜戸神宮へ参拝した、小山の石段を登つて下る足は重かつたが、老杉しんしんとしてよかつた、たゞ民家が散在してゐるのを惜しんだ、社殿は岩窟内にある、大海の波浪がその岩壁へ押し寄せて砕ける、境地としては申分ない、古代の面影がどことなく漂うてゐるやうに感じる。」
下には大正時代の鵜戸神宮の写真を引用いたしました。下でも紹介するとおり平安時代にはすでに創建されていたとされています。写真のように洞窟の中に本殿があるのも珍しく感じられたことでしょう。
出典:宮崎県 編『宮崎県写真帖』,宮崎県,大正9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172191 (参照 2026-02-10、一部抜粋)、鵜戸神宮
https://dl.ndl.go.jp/pid/1172191/1/35
「今夜はボクチンに泊ることが出来た、殊に客は私一人で二階の六畳一室に寝そべつて、電燈の明るさで、旅のたよりを書くことが出来た、寥平、緑平の二君へ、そして吉田、石次、中山の三氏へ神宮絵葉書を出したのでほつとした。
句はだいぶ出来た、旅で出来る句は無理に作つたのでないから、平凡でも、その中に嫌味は少ない。
・お経あげてお米もらうて百舌鳥ないて
露草が露をふくんでさやけくも
・一りん咲けるは浜なでしこ
・鵜しきりに啼いて何を知らせる
・われとわれに声かけてまた歩き出す
・はてしない海を前にして尿する
・吠えつゝ犬が村はづれまで送つてくれた
殺した虫をしみじみ見てゐる
腰をかける岩も私もしつとり濡れて
・けふも濡れて知らない道を行く
穴にかくれる蟹のうつくしさよ
・だるい足を撫でては今日をかへりみる
暗さおしよせる波がしら
交んだ虫で殺された
霽れてはつきりつくつくぼうし」
なお、鵜戸神宮の千代橋付近には「鵜しきりに啼いて・・・」の句碑が建立されています(2015年)。以下に引用させていただいた宮崎県公式観光サイトの動画の(03:50)前後に映っています。
「此附近の風景は土佐海岸によく似てゐる、たゞ石質が異る、土佐では巨巌が立つたり横は(マヽ)つたりしてゐるが、こゝではまるで平石を敷いたやうな岩床である、しかしおしよせ、おしよせて、さつと砕け散る波のとゞろきはどちらも壮快である、絶景であることには誰も異論はなからう。
現在の私には、海の動揺は堪へられないものである、なるたけ早く山路へはいつてゆかう。
私の行乞のあさましさを感じた、感ぜざるをえなかつた、それは今日、宮ノ浦で米一升五合あまり金十銭ばかり戴いたので、それだけでもう今日泊つて食べるには十分である、それだのに私はさらに鵜戸を行乞して米と銭を戴いた、それは酒が飲みたいからである、煙草が吸ひたいからである、報謝がそのまゝアルコールとなりニコチンとなることは何とあさましいではないか!
とにもかくにも、どうしても私は此旅で酒を揚棄しなければならない、酒は飲んでも飲まなくてもいゝ境界へまで達しなければならない、飲まずにはゐられない気分が悪いやうに、飲んではならないといふ心持もよくないと思ふ、好きな酒をやめるには及ばない、酒そのものを味ふがよい、陶然として歩を運び悠然として山を観るのである。
岩に波が、波が岩にもつれてゐる、それをぢつと観てゐると、岩と波とが闘つてゐるやうにもあるし、また、戯れてゐるやうにもある、しかしそれは人間がさう観るので、岩は無心、波も無心、非心非仏、即心即仏である。
猫が鳴きよる、子供が呼びかける、犬がぢやれる、虫が飛びつく、草の実がくつつく、――そしてその反対の場合はどうだらう、――犬に吠えられる、子供に悪口雑言される、猫が驚ろいて逃げる、家の人は隠れる、等、等、等。
袈裟の功徳と技巧!何といふ皮肉な語句だらう、私は恥ぢる、悔ゐる、願はくは、恥のない、悔のない生活に入りたい、行うて悔ゐず、そこに人生の真諦があるのではあるまいか。
同宿の或る老人が話したのだが(実際、彼の作だか何だか解らないけれど)、
一日に鬼と仏に逢ひにけり
仏山にも鬼は住みけり
鬼が出るか蛇が出るか、何にも出やしない、何が出たつてかまはない、かの老人の健康を祈る。
鵜戸神宮では自然石の石だゝみのそばに咲いてゐた薊の花がふかい印象を私の心に刻んだ、今頃、薊は咲くものぢやあるまい、その花は薄紅の小さい姿で、いかにも寂しさうだつた、そして石段を登りつくさうとしたところに、名物『お乳飴』を売つてゐる女子供の群のかしましいには驚かされた、まさかお乳飴を売るからでもあるまいが、まるで、乳房をせがむ子供のやうだつた、残念なことにはその一袋を買はなかつたことだ。」
以下に引用させていただいた鵜戸神宮公式インスタグラムのように、今でもお乳飴は販売していますが、「飴売りの女性・子供の群れ」はいないようです。
「宿の後方の横手(ヨコテ)に老松が一本蟠つてゐる、たしかに三百年以上の樹齢だらう、これを見るだけでも木賃料三十五銭の値打はあるかも知れない、いはんや、その下へは太平洋の波がどうどうとおしよせてゐる、その上になほ、お隣のラヂオは、いや蓄音機は青柳をうたつてゐる、青柳といへば、昔、昔、その昔、KさんやSさんといつしよにムチヤクチヤ遊びをやつた時代が恋ひしくなる。
こゝの枕はめづらしくも坊主枕だ、茣蓙枕には閉口する、あの殺風景な、実用一点張の、堅い枕は旅人をして旅のあはれを感ぜしめずにはおかない、坊主枕はやさしくふつくらとして、あたゝかいねむりをめぐんでくれる。
宮崎の人々は不深切といふよりも無愛想らしい、道のりのことをたづねても、教へてくれるといふよりも知らん顔をしてゐる、頭もよくないらしい(宮崎の人々にかぎらず、だいたい田舎者は数理観念に乏しい)、一里と二里とを同一の言葉で現はしてゐる、腹を立てるよりも苦笑すべきだらう。」
一銭を投げ与へられた・飫肥町
「十月三日 晴、飫肥町、橋本屋(三五・中)
すこし寝苦しかつた、夜の明けきらないうちに眼がさめて読書する、一室一燈占有のおかげである、八時出立、右に山、左に海、昨日の風景のつゞきを鑑賞しつゝ、そしてところどころ行乞しつゝ風田といふ里まで、そこから右折して、小さい峠を二つ越してこゝ飫肥の町へついたのは二時だつた、途中道連れになつた同県の同行といつしよに宿をとつた。」
下には昭和初期の飫肥町の写真を引用いたしました。山頭火が「同県の同行」とともに川を眺めながら橋を渡るシーンを想像してみましょう。
出典:『宮崎県商工人名録』昭和12年版,宮崎商工会議所,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906 (参照 2026-02-11、一部抜粋)、南日向飫肥町市街遠望
https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906/1/180
「此宿の老主人から、米を渡すとき、量りが悪いといふので嫌味をいはれた、さては私もそれほど慾張りになつたのか、反省しなければならない、それにしても宮崎では良すぎるといはれ、こゝではよくないといはれる、世はさまざま人はそれぞれであるかな。
今朝、宿が豆腐屋だつたので、一丁いたゞいたが、何とまづい豆腐だつたことか、いかに豆腐好きの私でも、その堅さ、その臭さには、せつかくの食慾をなくされてしまつた。
朝、まだ明けきらない東の空、眺めてゐるうちに、いつとなく明るくなつて、今日のお天道様がらんらんと昇る、それは私には荘厳すぎる光景であるが、めつたに見られない歓喜であつた、私はおのづから合掌低頭した。
今は障子の張替時である、張り替へて真白な障子がうれしいと同様、剥がしてまだ張らない障子はわびしい、さういふ障子をよせかけたまゝの部屋へ通されて、ひとりぽかんとしてゐるのは、ずゐぶんさびしいものである。
午後は風が出た、顔をあげてゐられないほどの埃だつた、かういふ日には網代笠のありがたさを感じる、雨にも風にも雪にも、また陽にもなくてはならないものである。
休んでゆかう虫のないてゐるこゝで
一椀の茶をのみほして去る
子供ら仲よく遊んでゐる墓の中
大魚籃(ビク)ひきあげられて秋雨のふる
墓が家がごみごみと住んでゐる
すげない女は大きく孕んでゐた
その音は山ひそかなる砂ふりしく
けふのつれは四国の人だつた
暮れの鐘が鳴る足が動かなくなつた
十月四日 曇、飫肥町行乞、宿は同前。
長い一筋街を根気よく歩きつゞけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよいよ生臭坊主になりきつた。
この地方には草鞋がないので困つた、詮方なしに草履にした、草鞋といふものは無論時代おくれで、地下足袋にすつかり征服されてしまつたけれど、此頃はまた多少復活しつゝある、田舎よりも却つて市街で売つてゐる。」
下には新山口駅の新幹口のロータリーに立つ山頭火像の写真を引用いたしました。草鞋を履き、網代笠を持っています。
出典:写真AC、種田山頭火像とD51の車輪
https://www.photo-ac.com/main/detail/26331513&title=%E7%A8%AE%E7%94%B0%E5%B1%B1%E9%A0%AD%E7%81%AB%E5%83%8F%E3%81%A8%EF%BC%A4%EF%BC%95%EF%BC%91%E3%81%AE%E8%BB%8A%E8%BC%AA
なお、「山頭火ふるさと館」の公式サイト(下に引用させていただきました)によると、昭和5年ごろの「行乞記」の旅が草鞋を利用した最後の旅ではないかとのことです。
草鞋に限らず様々に時代遅れを自認する山頭火ですが、時の流れに無理に逆らうことはせず、使い慣れた草鞋を入手することがさらに難しくなってくると、地下足袋を履いて旅をしています。この旅は、草鞋を履いて季節を満喫できた最後頃の旅であったようです。
出典:山頭火ふるさと館公式サイト、誰もゐないでコスモスそよいでゐる|昭和五年十月
https://hofu-santoka.jp/montlyhaiku/2010/
「此宿の老爺は偏屈者だけれど、井戸水は素直だ、夜中二度も腹いつぱい飲んだ、蒲団短かく、夜は長く、腹いつぱい水飲んで来て寝ると前に書いたこともあつたが。
昨日から道連れになつて同宿したお遍路さんは面白い人だ、酒が好きで魚が好きで、無論女好きだ、夜流し専門、口先きがうまくて手足がかろい、誰にも好かれる、女には無論好かれる。
夕方になると里心が出て、ひとりで微苦笑する、家庭といふものは――もう止さう。
この宿の老妻君は中気で動けなくなつてゐる、その妻君に老主人がサジでお粥を食べさせてゐる、それはまことにうつくしいシーンであつた。
わづか二里か三里歩いてこんなに労れるとは私も老いたるかなだ、私は今まであまりに手足を虐待してゐなかつたか、手足をいたはれ、口ばかり可愛がるな。
わざわざお婆さんが後を追うて来て一銭下さつた、床屋で頭を剃る、若い主人は床屋には惜しいほどの人物だつた。
焼酎屋の主人から、焼酎は少し濁つてゐるのが本当だと聞かされた、藷焼酎の臭気はなかなかとれないさうだ、その臭気の多い少いはあるが。
今日は行乞エピソードとして特種が二つあつた、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかつた、私は黙つてその一銭を拾つて、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だつたらう。」
「主婦の友」は、主婦の友社が発行していた女性向け月刊誌で、婦人誌の付録に初めて「家計簿」を付けるなどして大衆層に広まりました(ウィキペディア・主婦の友)。また、講談社が手掛けた「婦人倶楽部」は「女のよろこび 妻のしあわせ」をキャッチコピーとし、大ヒットした映画の原作「愛染かつら」を連載するなど娯楽に力を入れていました(ウィキペディア・婦人倶楽部)。
ここでは山頭火が冷たくあしらわれているシーンを以下のようにイメージ化してみました。お店の女性がうるさい僧を追い払うような表情で銅貨を投げ与えていますが、この後お金を返された彼女はどのような反応を見せたでしょうか。
出典:ChatGPTにより生成された画像、『着物姿の30歳くらいの女性が、地面に投げ与えた一銭銅貨を僧が拾っているシーン』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年2月11日
「・白髪(シラガ)剃りおとすうちに暮れてしまつた
・こゝに白髪を剃りおとして去る
・熟(ウ)れて垂れて稲は刈られるばかり
秋晴れの屋根を葺く
秋風の馬に水を飲ませる
水の味も身にしむ秋となり
・お天気がよすぎる独りぼつち
・秋の土を掘りさげてゆく
誰もゐないでコスモスそよいでゐる
剥(ハ)いでもらつた柿のうまさが一銭」
下に掲載したのは飫肥地区内に建立された山頭火歌碑周辺のストリートビューです。「水の味も・・・」や「こゝに白髪を・・・」、「誰もゐないで・・・」の3つの句がきざまれています。
「行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐた――もう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうやうやしく十銭玉を一つ報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく、彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。」
海はとろとろと碧い・油津町
「十月五日 晴、行程二里、油津町、肥後屋(三五・下)
ぶらりぶらりと歩いて油津で泊る、午前中の行乞相はたいへんよかつたが、午後はいけなかつた。
此宿の人々はみな変人だ、あとで聞いたら変人として有名なさうだ、おかみさんは会話が嫌ひらしい。」
肥後屋の場所については「油津 : 海と光と風と」という書籍に以下のような記載があります。
その夜は、肥後屋に一泊している。肥後屋は追跡調査の結果、材木町の都写真館の隣に現存していることがわかった。当時は材木町に三軒くらい宿があったようだ。
出典:日南市産業活性化協議会 編『油津 : 海と光と風と』,鉱脈社,1993.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13279749 (参照 2026-02-10)、公開範囲
:送信サービスで閲覧可能
https://dl.ndl.go.jp/pid/13279749/1/118
こちらの奥には「運河通り」というアーケード商店街が通っています。
「乞食にも見放された家、さういふ家がある、それは貧富にかゝはらない、人間らしからぬ人間が住んでゐる家だ、私も時々さういふ家に立つたことがある。その一銭をうけて、ほんたうにすまないと思ふ一銭。
秋は収穫のシーズンか、大きな腹をかゝへた女が多い、ある古道具屋に、『御不用品何でも買ひます、但し人間のこかしは買ひません』と書いてあつた、こかしとは此地方で、怠けものを意味する方言ださうな、私なぞは買はれない一人だ。
同宿のエビス爺さん、尺八老人(虚無僧さんのビラがない)、絵具屋さん、どれも特色のある人物だつた。
例のお遍路さんから、肉体のおせつたいといふ話を聞いた、ずゐぶんありがたい、いや、ありがたすぎるおせつたいだらう。
親子三人連れのお遍路さんも面白い人だつた、みんな集つて雑談の花が咲いたとき、これでどなたもブツの道ですなあといつた、ブツは仏に通じ、打つに通じる、打つは勿論、飲む買ふ打つの打つである、またいつた、虱と米の飯とを恐れては世間師は出来ませんよと、虱に食はれ、米の飯を食ふところに世間師の悲喜哀歓がある。
秋暑い乳房にぶらさがつてゐる
よいお天気の言葉かけあつてゆく
旅は気軽い朝から唄つてゐる
ふる郷忘れがたい夕風が出た
子供と人形と猫と添寝して
日向子供と犬と仲よく
秋風の鶏を闘はせてゐる
十月六日 晴、油津町行乞、宿は同前。
九時から三時まで行乞、久しぶりに日本酒を飲んだ、宮崎鹿児島では焼酎ばかりだ、焼酎は安いけれど日本酒は高い、私の住める場所ぢやない。
十五夜の明月も観ないで宵から寝た、酔つぱらつた夢を見た、まだ飲み足らないのだらう。
油津といふ町はこぢんまりとまとまつた港町である、海はとろとろと碧い、山も悪くない、冬もあまり寒くない、人もよろしい、世間師のよく集るところだといふ。」
出典:『宮崎県商工人名録』昭和12年版,宮崎商工会議所,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906 (参照 2026-02-10、一部抜粋)、油津町
https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906/1/138
上には港町として栄えた油津の写真を引用いたしました。また、下には油津についての説明文も引用しておきます。
県南部に於ける重要港港にして港内水深く大船巨舶を入るゝに足り阪神及鹿児島各地間に定期汽船の便あり、近海海産物に富み又遠洋漁業に従事する漁船の碇泊場として常に大小の船舶輻輳し殊に鮪の漁期は港内偉観を呈し漁獲総額二百万円に達す為めに商取引活発にして町内殷賑を極む、尚背後には鬱蒼たる森林を有し林産物の搬出盛にして北郷、油津間の省線鉄道及荷馬車に依りて運輸せられ此の地より京阪、瀬戸内海、関門、朝鮮、沖縄、台湾、満州方面に仕向けらる、近年指定補助港湾として修築完成し且つ更に第二期計画に進みつゝあるを以て将来大なる発展を為すべき気運に満てり。
出典:『宮崎県商工人名録』昭和12年版,宮崎商工会議所,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906 (参照 2026-02-10、一部抜粋)、油津町
https://dl.ndl.go.jp/pid/1023906/1/138
「小鳥いそがしく水浴びる朝日影
・秋が来た雑草にすわる
子供握つてくれるお米がこぼれます
八月十五夜は飫肥、油津、大堂津あたりでは全町総出で綱引をやる、興味ふかい年中行事の一つだと思ふ。
明月の大綱をひつぱりあつてゐる」
こほろぎといつしよに・目井津
「十月七日 晴、行程二里、目井津、末広屋(三五・下)
雨かと心配してゐたのに、すばらしいお天気である、そここゝ行乞して目井津へ、途中、焼酎屋で藷焼酎の生一本をひつかけて、すつかりいゝ気持になる、宿ではまた先日来のお遍路さんといつしよに飲む、今夜は飲みすぎた、とうとう野宿をしてしまつた、その時の句を、嫌々ながら書いておく。
酔中野宿
・酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ
大地に寝て鶏の声したしや
草の中に寝てゐたのか波の音
・酔ひざめの星がまたゝいてゐる
・どなたかかけてくださつた莚あたゝかし
此宿はよくないが、便所だけはきれいだつた、久しぶりに気持よくしやがんでゐることが出来た。
竹を眺めつゝ尿してゐる
ちらほら家が見え出して鵙が鋭く
今日の珍しい話は、船おろしといふので、船頭さんの馴染女を海に追ひ入れてゐるのを見たことだつた、そして嬉しい話は、或る家の主人から草鞋をいたゞいたことだつた、油津で一足買つたことは買つたが。
このあたりの海はまつたく美しい、あまり高くない山、青く澄んで湛へた海、小さい島――南国的情緒だ、吹く風も秋風だか春風だか分らないほどの朗らかさだつた。」
うまい水があふれてゐる・榎原
「十月八日 晴、后曇、行程三里、榎原、栄屋(七〇・上上)
どうも気分がすぐれないので滞在しようかとも思つたが、思ひ返して一時出立、少し行乞してこゝまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。
やうやく海を離れて山へ来た、明日はまた海近くなるが、今夜は十分山気を呼吸しよう。
・こんなにうまい水があふれてゐる
・窓をあけたら月がひよつこり」
上には宮崎の名水21選となっている「榎原湧き水」を敷地内に持つ「井上酒造」が創業120周年を記念して建立した「山頭火句碑」の動画を引用させていただきました(日南テレビ公式youtube)。「こんなにうまい水が・・・」はこちらのお水を飲ませてもらった時の句でしょうか。
「日向の自然はすぐれてゐるが、味覚の日向は駄目だ、日向路で食べもの飲みものゝ印象として残つてゐるのは、焼酎の臭味と豆腐の固さとだけだ、今日もその焼酎を息せずに飲み、その豆腐をやむをえず食べたが。
よく寝た、人生の幸福は何といつたとて、よき睡眠とよき食慾だ、こゝの賄はあまりいゝ方ではないけれど(それでも刺身もあり蒲鉾もあつたが)夜具がよかつた、新モスの新綿でぽかぽかしてゐた、したがつて私の夢もぽかぽかだつた訳だ、私のやうなものには好過ぎて勿躰ないでもなかつた。」
萩がうれしい・上ノ町
「十月九日 曇、時雨、行程三里、上ノ町、古松屋(三五・上)
夜の明けないうちに眼がさめる、雨の音が聞える、朝飯を食べて煙草を吸うて、ゆつくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降つたり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして二三十戸集つてゐるところを三ヶ所ほど行乞する、それでやつと今日の必要だけは頂戴した、何しろ、昨日は朝の別れに例のお遍路さんと飲み、行乞はあまりやらなかつたし、それにヤキがなくてリヨカンに泊つたので、一枚以上の食ひ込みだ(かういふ世間師のテクニツクを覚えて使ふのも、かういふ境涯の善し悪しだ)。
二時過ぎには宿についた、誰もが勧めるほどあつて、気持のよい家と人であつた。
傘を借り足駄を借りて、中ノ町を歩いて見る、港までは行けなかつた、福島町といふのは上ノ町、中ノ町、今町の三つを合せて延長二里に亘る田舎街である。
隣室は世間師坊主の四人組、多分ダフのゴミだらう、真言、神道、男、女、面白い組合だ。
今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。」
下には満開の萩の写真を引用いたしました。「こぼれる」は萩の花などに対する独特な言葉で、満開の状態は「咲きこぼれる」、散ることを「散りこぼれる」または「こぼれる」と表現するそうです。
出典:写真AC、萩の花
https://www.photo-ac.com/main/detail/4267104&title=%E8%90%A9%E3%81%AE%E8%8A%B1
「昨夜の女主人公は楽天家だつた、今夜の女主人公は家政婦らしい、子を背負うて安来節をうたふのもわるくないし、雑巾で丹念に板座を拭くのもよろしい。
一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で藷焼酎の生一本をひつかけて、ほろほろ機嫌で、やつてくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶(?!)であることをたしかめてから、問うて曰く『道とは何でせうか』また曰く『心は何処に在りますか』道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、常済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい――心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか、――あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすつたらいゝでせう――彼はまた丁寧にお辞儀して去つた、私は歩きつゝ微苦笑する外なかつた。
まゝよ法衣は汗で朽ちた
・ゆつくり歩かう萩がこぼれる
訂正二句
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
大地したしう夜を明かしたり波の音
昨夜は榎原神社に参詣し、今日は束間神社に参詣した、前者は県社、後者は郷社に過ぎないが、参拝者はずゐぶんに多いと見えて、そこには二三十軒の宿屋、飲食店、土産物店が並んでゐた、かういふ場所には地方的特色が可なり濃厚に出てゐる。」
下には串間神社の境内前のストリートビューを記載しました。境内前には二三十軒の宿屋が並んでいたとあるので、古松屋もこのあたりにあったのかもしれません。
「同室三人、箒屋といふむつつり爺さん、馬具屋といふきよろきよろ兄さん、彼等にも亦、地方的特色が表現されてゐる。」
旅行などの情報
鵜戸神宮
山頭火が「鵜しきりに啼いて・・・」と詠んだ「鵜戸神宮」は、第十代崇神天皇の御代の創建と伝えられる古社です。本殿は日向灘に面した洞窟内にあり、神秘的な雰囲気に包まれています。洞窟内には豊玉姫命が残していかれたと伝わる「お乳岩」があり、山頭火の記した「乳飴」の由来となっています。また、「亀石」と呼ぶ岩のくぼみに玉が入れば幸運が訪れるという「運玉投げ」もゲーム感覚で楽しめるのでチャレンジしてみてください。
ほかにも、境内には御本殿裏側の「撫でうさぎ」をはじめとして、上に引用させていただいたようなウサギの石像が点在しているので、探してみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】宮崎県日南市宮浦3232
【アクセス】宮崎駅から車で1時間
【参考URL】https://www.udojingu.or.jp/







