種田山頭火「行乞記」の風景(その7・秋雨で濡れたり休んだり、夕暮れの山の景色に感動!)

秋雨で濡れたり休んだり、夕暮れの山の景色に感動!

雨のため行乞ができず懐が寒い山頭火は「自分は大体供養を受ける資格を持つてゐないではないか」などと悲観することも!それでも延岡で受け取った友人たちの手紙に励まされながら「乞食坊主としてのすなほさとほこりとを持ち」行乞を続けます。気持ちのよい山歩きの末に到着した三重町では、一番風呂に入って美味しい水を堪能しました。

主な出典:青空文庫、行乞記(ぎょうこつき)、底本:山頭火全集 第三巻、出版社: 春陽堂書店、入力:「さくらんぼ」氏、校正:小林繁雄氏、門田裕志氏
https://www.aozora.gr.jp/cards/000146/card44913.html

さんざしぐれの山越えて・富高町

 「十月廿八日 曇、雨、行程三里、富高町、成美屋(特二五・上)

おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ!
行乞には早すぎるので(四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいたゞけない、同行が多いから)、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつてゐるのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより親しめる。
八時から十一時まで美々津町行乞、とうとう降りだした、濡れて峠を越える、三度も四度も雨やどりして、此宿についたのが四時、お客さんでいつぱいなので裏の隠宅――といへば名はいゝがその実はバラツク小屋――に泊めてもらう、相客は老遍路さん一人、かへつて遠慮がなくてよろしい。」
下には美々津から富高町(現・日向市の中心部)への旧道に「幸脇峠(さいわきとうげ)」のストリートビューを掲載いたしました。右側には祠が見えます。峠をのぼってほっとした山頭火は、このあたりで雨宿りをしていったかもしれません。

「今日の行乞相は、現在の私としては、まあ満点に近い方だつた、我といふものがなかつたとはいへないが、ないに近い方だつた、そして泊つて食べる(その上に酒一本代)だけは頂戴することが出来た。
・墓がならんでそこまで波がおしよせて
 いざり火ちら/\して旅はやるせない
 やるせない夢のうちから鐘が鳴りだした
 朽ちてまいにち綻びる旅の法衣だ
 眼がさめたら小さくなつて寝ころんでゐた
 覗いてる豚の顔にも秋風
・けふのべんたうも草のうへにて
 波の音しぐれて暗し
 食べてゐるおべんたうもしぐれて
 朝寒夜寒物みななつかし
 しぐるゝやみんな濡れてゐる
 さんざしぐれの山越えてまた山
ずゐぶん降つた、どしや降りだ、雷鳴さへ加はつて電燈も消えてしまつた、幸にして同宿の老遍路さんが好人物だつたので、いろいろの事を話しつゞけた、同行の話といふものは(或る意味に於て)面白い。
夜長ゆうゆうとして煙管をみがく――といふやうなものが出来た、これは句でもない、句でないこともない、事実としては、同行の煙管掃除の金棒を借りて煙管掃除をしたのである。」

いちにち雨ふり・門川

 「十月廿九日 晴、行程二里、富高、門川行乞、坂本屋(三〇・中上)

降つて降つて降つたあとの秋晴だ、午前中富高町行乞、それから門川まで二里弱、行乞一時間。
けふの行乞相もよかつた、しかし一二点はよくなかつた、それは私が悪いといふよりも人間そのものの悪さだらう! 四時近くなつたので此宿に泊る、こゝにはお新婆さんの宿といつて名代の宿があるのだが、わざと此宿に泊つたのである、思つたよりもよい宿だ、いわしのさしみはうまかつた。」

延岡市と日向市の間に位置しており、両市が新産業都市に指定されてからはベッドタウンとして発展している。

日向灘に面しており、漁業・水産加工業がさかんで釣りのメッカでもある。

出典:ウィキペディア・門川町
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E5%B7%9D%E7%94%BA

「いわしのさしみ」や下に記されている「姫鮫のぬた」のように坂本屋では美味しい魚がふるまわれたとのこと。上に引用したように門川湾は今も魚の宝庫となっています。
ここではキャンプ場のある無人島として人気の乙島(画面中央)を望むストリートビューを掲載しておきます。山頭火も行乞中にこちらのような風景を見たでしょうか。

 「あぶないきたない仕舞湯であたゝまる
・からりと晴れた朝の草鞋もしつくり
なかなかよい宿だが、なかなか忙しい宿だ、稲扱(いねこき)も忙しいし、客賄も忙しい、牛がなく猫がなく子供がなく鶏がなく、いやはや賑やかなことだ、そして同宿の同行は喘息持ちで耄碌してゐる、悲喜劇の一駒だ。

 十月三十日 雨、滞在、休養。

また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受取りたい心を抑へつけて、――しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかつた、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたゝりだらう、いや、それにきまつてゐる、自分といふ者について考へさせられる。
今日一日、腹を立てない事
今日一日、嘘をいはない事
今日一日、物を無駄にしない事
これが私の三誓願である、腹を立てない事は或る程度まで実践してゐるが、嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体(カラダ)でも嘘をいはないやうにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。
行乞しつゝ腹を立てるやうなことがあつては所詮救はれない、断られた時は、或は黙過された時は自分自身を省みよ、自分は大体供養を受ける資格を持つてゐないではないか、応供は羅漢果を得てゐるものにして初めてその資格を与へられるのである、私は近来しみじみ物貰ひとも托鉢とも何とも要領を得ない現在の境涯を恥ぢ且つ悲しんでゐる。
そして物を無駄にしない事は一通りはやれないことはない、しかししんじつ物を無駄にしない事、いひかへれば物を活かして使ふことは難中の難だ、酒を飲むのも好きでやめられないなら仕方ないが、さて飲んだ酒がどれだけの功徳(その人にとつては)を発揮するか、酒に飲まれて酒の奴隷となるのでは助からない。……
今日は菊の節句である、家を持たない私には節句も正月もないが、雨のおかげでゆつくり休んだ。
降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知つてゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、こゝに人間味といつたやうなものがある。
・いつも十二時の時計の下で寝かされる
 いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた
 夕闇の猫がからだをすりよせる
 牛がなけば猫もなく遍路宿で
・餓えて鳴きよる猫に与へるものがない
 どうやら霽れるらしい旅空
・尿するそこのみそはぎ花ざかり
けふまでまとまらなかつたものがこれだけまとまつた、これも雨で休んだゝめである、雨を憎んだり愛したり、煩悩即菩提だ、といへないこともあるまいよ。
同宿の老遍路さんが耄碌してゐると思つたのは間違だつた、彼は持病の喘息の薬だといふので、アンポンタン(いが茄子の方語)を飲んだゝめだつた、その非常識、その非常識の効験は気の毒でもあり、また滑稽でもあつた、――いづれにしても悲喜劇の一駒たるを免かれないものだつた。
此宿には猫が三匹ゐる、どれも醜い猫だが、そのうちの一匹はほんたうによく鳴く、いつもミヤアミヤア鳴いてゐる、牝猫ださうなが、まさか、夫を慕ひ子を慕うて鳴くのでもなからう。
今晩のお菜は姫鮫のぬた、おいしかつた、シヨウチユウ一本なかるべからざる次第である。
一日降りつゞけて風さへ加はつた、明日の天候も覚束ない、まゝよどうなるものか、降るだけ降れ、吹くだけ吹け。」

空たかくべんたういたゞく・延岡町

 「十月卅一日 曇后晴、行程四里、延岡町、山蔭屋(三〇・中上)

風で晴れた、八時近くなつて出発、途中土々呂を行乞して三時過ぎには延岡着、郵便局へ駆けつけて留置郵便を受取る、二十通ばかりの手紙と端書、とりどりにうれしいものばかりである(彼女からの小包も受取つた、さつそく袷に着換へる、人の心のあたゝかさが身にしみこむ)。
今日は風が騒々しかつた、少し熱のある身体で行乞するのは少し苦しかつた、これも死ねない人生の一片だらう。
此地方の子供はみんな跣足で学校へゆく(此地方に限らず、田舎はどこでもさうだが)、学校にはチヤンと足洗ひ場がある、ハイカラな服を着てハイカラな靴を穿いた子供よりもなんぼう親しみがあるか知れない、また、此地方にはアンテナを見ることが稀だ、それだけ近代文化は稀薄だともいへやう。」
以下には大正時代の延岡町の写真を引用いたしました。延岡はすでに宮崎県でも有数の都市でしたが、文化面では山頭火が通ってきた県中心部(宮崎市)と比べると遅れていたようです(行乞記の風景その3・参照)。

出典:宮崎県 編『宮崎県写真帖』,宮崎県,大正9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172191 (参照 2026-02-25、一部抜粋)、延岡町
https://dl.ndl.go.jp/pid/1172191/1/95

「此宿も悪くない、二三年前山蔭で同宿したことのある若い世間師に再会した、彼は私をよく覚えてゐた、私も彼をよく覚えてゐた、世の中は広いやうで狭い、お互に悪い事は出来ませんなあ、といつて挨拶をかはしたことだつた。
 ゆき/\て倒れるまでの道の草
・酔ひざめの星がまたゝいてゐる(野宿)
 風が出てうそ寒い朝がやつてきた
・夕寒の豚をひきずりまはし
・すこし熱がある風の中を急ぐ
 跣足の子供らがお辞儀してくれた
三日振に湯に入つて髯を剃つて一杯ひつかけた、今夜はきつといゝ夢をみることだらう!

 十一月一日 曇、少雨、延岡町行乞、宿は同前。

また雨らしい、嫌々で九時から二時まで延岡銀座通を行乞、とうとう降りだした、大したことはないが。」

「延岡銀座通」がどちらを指すかは確認できませんでしたが、ここでは「大師通り商店街」のストリートビューを掲載いたします。延岡市商店会連合会・公式サイトによると大正時代から昭和にかけて鍛冶屋町として栄えたエリアとのこと、戦災にもあわず昔ながらの雰囲気を保っています。ここでは、どちらかの店先で山頭火がお経をとなえているところを想像してみましょう。

「例の再会の人とは今朝別れる、彼は南へ、私は北へ――そして夕方また大分で同宿したことのあるテキヤさんと再会した、逢うたり別れたり、さても人のゆくへはおもしろいものである。
同宿の土方でテキヤさんはイカサマ賽を使ふことがうまい、その実技を見せて貰つて、なるほど人はその道によつて賢しだと感心した。
昨日も今日も行乞相は悪くなかつた、しかしまだまだ境に動かされるところがある、いひかへれば物に拘泥するのである、水の流れるやうな自然さ、風の吹くやうな自由さが十分でない、もつとも、そこまで行けばもう人間的ぢやなくなる、人間は鬼でもなければ仏でもない、同時に鬼でもあれば仏でもある。
隣室の老遍路さんは同郷の人だつた、故郷の言葉を聞くと、故郷が一しほ懐かしくなつて困る。……
空たかくべんたういたゞく
光あまねく御飯しろく
女房に逃げられて睾丸を切り捨てた男――その男が自身の事をしやべりつゞけた、多分、彼はその女房の事で逆上してゐるのだらう、何にしても特種たるを失はなかつた。
Gさんに、――我々は時々『空』になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。
どうやら雨もやんだらしい、明日はお天気に自分できめて寝る、私にもまだ明日だけは残つてゐる、来月はないが、もちろん来年もないが。

 十一月二日 曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前。

九時から一時まで辛うじて行乞、昨夜殆んど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた――アルコールかカルモチンか、どちらにしても弱者の武器、いや保護剤だ。
同宿の同郷の遍路さんとしみじみ語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸福あれ。

 十一月三日 晴、稍寒、延岡町行乞、宿は同前。

だいぶ寒くなつた、朝は曇つてゐたが、だんだん晴れわたつた、八時半から三時半まで行乞する、近来の励精である。
今日の行乞相はたしかに及第だ、乞食坊主としてのすなほさとほこりとを持ちつゞけることが出来た、勿論、さういふものが残つてゐるほど第二義的であることは免れないけれど。
いよいよシヨウチユウとも縁切りだ。
うるかを買はうと思つたがいゝのがなかつた、松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつたゞけぢやない、てんで見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひださずにはゐられない。
新来のお客さん四人、みんな同行だ、話題は相変らず、宿の事、修行の事、そしてヨタ話。
ふる郷の言葉なつかしう話しつゞける
けふも大空の下でべんたうをひらく」

日が落ちかかる峠を降りる・三重町

 「十一月四日 晴、行程十里と八里、三重町、梅木屋(三〇・中上)

早く起きる、茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む、十分に秋の気分である、八時の汽車で重岡まで十里、そこから小野市まで三里、一時間ばかり行乞、そして三重町まで八里の山路を急ぐ、三国峠は此地方では峠らしい峠で、また、山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、急いだので暮れきらうマヽちに宿へ着くことが出来た。」

出典:延岡市 編『延岡市行幸記念録』,延岡市,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1218507 (参照 2026-02-25、一部抜粋)、延岡駅前奉迎門
https://dl.ndl.go.jp/pid/1218507/1/24

上には昭和12年ごろの延岡駅の写真を引用いたしました。天皇陛下行幸のために駅前には奉迎門が設けられています。山頭火はこちらから汽車にのり、重岡駅までの山やトンネルの景色を楽しみました。

「今日の道はほんたうによかつた、汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、いちだなとしげをかとの間は八マイル九分といふ長さだつた、歩いた道はもつとよかつた、どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、どこからともなく聞えてくる水の音、小鳥の声、木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、吹く風も快かつた。
峠を登りきつて、少し下つたところで、ふと前を見渡すと、大きな高い山がどつしりと峙えてゐる、祖母岳だ、西日を浴びた姿は何ともいへない崇美だつた、私は草にすはつてぢつと眺めた、ゆつくり一服やつた(実は一杯やりたかつたのだが)、そこからまた少し下ると、一軒の茶店があつた、さつそく漬物で一杯やつた、その元気でどんどん下つて来た。」
「峠を登りきつて」とあるのは標高664mの「三国峠」のことです。江戸時代に臼杵藩、岡藩、佐伯藩の3藩の境界にあったためこちらの名前が付けられました。下のストリートビューのように三国峠には山頭火の句碑(右側の石柱)も建立されています。

こちらに刻まれている句は「日が落ちかゝるその山は祖母山」。峠から少し進んだ場所からの絶景は以下のようだったでしょうか。

出典:ChatGPTにより生成された画像、『僧が夕日の落ちる山を眺めるシーン』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年2月26日

「汽車賃五十銭は仕方なかつたが、『みのり』はたしかに贅沢だつた、しかしそれが今日は贅沢でなくなつた、それほど急いで山を楽しんだのである、山を前に悠然として一服、いや一杯やる気持は何ともいへない。
小野市といふ村町では、見事な菊を作つて陳列してゐる家が多かつた、菊はやつぱり日本の花、秋の花だと思つた。
山道が二つに分れてゐる、多分右がほんたうだらうとは直感したが、念のために確かめたいと思つて四方を見まはすけれど誰もゐない、たゞ大きな黒い牛が草を食んでゐる、そして時々不審さうに私を見る、私も牛を見る、私はあまり牛といふ動物を好かないが、その牛には好感が持てた、道を教へてくれ、牛よ。
行乞してゐると、人間の一言一行が、どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、うれしい事でも、おもしろくない事でも。
此宿はよくないだらうと予期して泊つたのだが、予期を裏切つて悪くなかつた、何でも見かけにはよらないものだ。
・休む外ない雨のひよろ/\コスモス
・しぐるゝや道は一すぢ(旧作)
・ほがらかさ一家そろうて刈りすゝむ
・秋の山路のおへんろさん夫婦づれ
・秋はいちはやく山の櫨を染め
・崖はコンクリートの蔦紅葉
 いたゞきの枯すゝきしづもるまなし
 旅の人々が汽車の見えなくなるまでも
 山路下りて来てさこんた
 嫌な声の鴉が一羽
・山の一つ家も今日の旗立てゝ(旗日)
・峰のてつぺんの樹は枯れてゐる
・さみしさは松虫草の二つ三つ
 枯草に残る日の色はかなし
 日が落ちかゝるその山は祖母山
 暮れてなほ耕す人の影の濃く
 軒も傾いたまんま住んでゐる
さすがに山村だ、だいぶ冷える、だらけた身心がひきしまるやうである、山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
『空に遊ぶ』といふことを考へる、私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。
台湾蕃婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。

 十一月五日 曇、三重町行乞、宿は同前。

昨夜は蒲団長く夜長くだつた、これからは何よりもカンタン(フトンの隠語)がよい宿でなければかなはない、此宿は主婦が酌婦上りらしいので多少、いやらしいところがないでもないが、悪い方ではない。
山の町の朝はおくれる、九時から二時まで行乞、去年の行乞よりもお賽銭は少なかつたが、それでも食べて飲んで寝るだけは十分に戴いた、袈裟の功徳、人心の信愛をありがたく感じる。
行乞相はだんだんよくなる、おちついてきたからだらう、歩かない日は――行乞しない日は堕落した日である。
此地方ではもう、豆腐も水に入れてある、草鞋も店頭にぶらさげてある、酒も安い、――何だか親しみを覚える。
豪家らしい家で、御免と慳貪にいふ、或はちよんびり米を下さる(与へる方よりも受ける方が恥づかしいほど)、そして貧しい裏長屋でわざわざよびとめて、分不相応の物質を下さる、――何といふ矛盾だらう、――今日も或る大店で嫌々与へられた一銭は受けなかつたが、通りがゝりにわざわざさしだされた茶碗一杯の米はほんたうにありがたく頂戴した。
入浴三銭、酒弐十銭、――これで私は極楽の人となつた。
今日は一句もない、句の出来ないのは気持の最もいゝ時か或は反対に気持の最もよくない時かである。
今日は酒屋で福日と大朝とを読ませて貰つた、新聞も読まないやうになると安楽だけれど、まだそこまではゆけない、新聞によつて現代社会相と接触を保つてゐる訳だ。
今日はまた湯屋で、ほんたうの一番風呂だつた、湯加減もよかつたので、たつたひとり、のびのびと手足を伸ばした気持は何ともいへなかつた、殊にそこの噴井の水はうまかつた、腹いつぱい飲んだことである」

以下は旧三重町(現・豊後大野市)の街中に残る「山頭火の井戸」付近のストリートビューです。ストリートビューでは見られませんが、左の細い路地を入っていくと画面左側の案内板のような井戸が残っています。

一番風呂から出た山頭火は以下のように美味しい水でのどを潤しました。

出典:ChatGPTにより生成された画像、『僧が井戸水を飲むシーン』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年2月26日

「アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、お天気もよいらしい、いゝ気分である、人生の最大幸福はよき食慾とよき睡眠だ。
いつ頃からか、また小さい蜘蛛が網代笠に巣喰うてゐる、何と可愛い生き物だらう、行乞の時、ぶらさがつたりまひあがつたりする、何かおいしいものをやりたいが、さて何をやつたものだらう。」

旅行などの情報

宗太郎駅

「汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、いちだなとしげをかとの間は八マイル九分といふ長さだつた」と記されているように市棚駅と重岡駅との間には「宗太郎越」という難所があります。山頭火が訪れた後の昭和22年にはこの付近に「宗太郎駅」が開業し、現在は観光列車(36ぷらす3)の特別停車駅にもなっています。
ベンチには訪問客のメッセージが書かれた石が並び、イモリの住む池がある素朴な秘境駅です。また、以下のように「日豊線一うまい水」がある(orあった)とのこと、利き水の名人であった山頭火もさぞ飲みたかったことでしょう。

出典:はづき裕一 (Hazuyu1 at Japanese Wikipedia), CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、「日豊線一うまい水」と書かれた井戸(経年経過のため、文字確認できず)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sotaro_Station_5.JPG

通常の旅客列車は早朝6時台に上下1本ずつ、夜の20時台に上り列車が1本のため鉄道でのアクセスはやや不便なため、国道10号などを経由して車でアクセスしてみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】大分県佐伯市宇目大字重岡
【アクセス】JR延岡駅から車で約35分
【参考URL】https://www.visit-saiki.jp/spots/detail/f58d5942-bb19-4e7c-a8b1-4069345b6257