種田山頭火「行乞記」の風景(その9・由布岳や耶馬渓の景色を堪能・中津で句会に興じる)
由布岳や耶馬渓の景色を堪能・中津で句会に興じる
湯平温泉では宿の娘が干した洗濯物をにわか雨から守ってくれて、「人のなさけに涙ぐむ」。夕日の由布岳に感動し、由布院では評判の宿に泊まって温泉を満喫します。玖珠町では「乞食坊主」と邪魔者にされますが、森町での行乞ははかどり、造り酒屋をはしご。耶馬渓の絶景に感動し、中津町の句会では俳友たちと楽しいひと時を過ごしました。
主な出典:青空文庫、行乞記(ぎょうこつき)、底本:山頭火全集 第三巻、出版社: 春陽堂書店、入力:「さくらんぼ」氏、校正:小林繁雄氏、門田裕志氏
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しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ・湯ノ平温泉
「十一月十日 雨、晴、曇、行程三里、湯ノ平温泉、大分屋(四〇・中)
夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして『旅人芭蕉』を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ(これで三度読む、六年前、二年前、そして今日)。
冷たい雨が降つてゐるし、腹工合もよくないので、滞在休養して原稿でも書かうと思つてゐたら、だんだん霽れて青空が見えて来た、十時過ぎて濡れた草鞋を穿く、すこし冷たい、山国らしくてよろしい、沿道のところどころを行乞して湯ノ平温泉といふこゝへ着いたのは四時、さつそく一浴一杯、ぶらぶらそこらあたりを歩いたことである。
△秋風の(しぐるゝや)旅人になりきつてゐる」
天神山から湯平温泉へ道の一部は「山頭火しぐれ街道」と記された道標石があり、その脇には「ホイトウといわれる村のしぐれかな(行乞記の風景その8・参照)」という山頭火の句碑が建立されています。
「こゝ湯ノ平といふところは気に入つた、いかにも山の湯の町らしい、石だゝみ、宿屋、万屋(よろづや)、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。」
以下には由布市まちづくり観光局の公式SNSを引用させていただきました。湯平温泉にはこちらのような石畳の坂道が約500mに渡って続き、レトロな街歩きを楽しむことができます。
「ルンペンの第六感、さういふ第六感を、幸か不幸か、私も与へられてゐる、人は誰でも五感を通り越して第六感に到つて、多少話せる。
朝寒夜寒、山の谷の宿はうすら寒い、もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、ハイカシコマリマシタ、呵々。
これは行乞ヱピソードの一つで――嘘を教へる、しかも母が子に嘘を教へる、――さういふ微苦笑劇の一シーンに時々出くわす――今日もさういふことがあつた、――御免、お御免、留守、留守と子供がいふ、子供はさういふけれど母親はゐるのだ、ゐて知らない顔をしてゐるのだ、――子供は正直にいふ、お母さんが留守だといへといつたといふ――多分、いや間違ひなく、彼女は主婦の友か婦女界の愛読者だらう、そして主婦の友乃至婦女界の実現者ではないのだらう。
・いちにち雨ふり一隅を守つてゐた(木賃宿生活)
あんたのことを考へつゞけて歩きつゞけて
・大空の下にして御飯のひかり
・貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)
阿蘇がなつかしいりんだうの花(ひらく)
人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠との賜物である、私はよき――むしろ、よすぎるほどの食慾を恵まれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどゝはまことに横着だと思ふのだが。
此温泉はほんたうに気に入つた、山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だつた。
こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶがぶ飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすつかり浴泉気分になつてしまつた。
十一月十一日 晴、時雨、――初霰、滞在、宿は同前。
山峡は早く暮れて遅く明ける、九時から十一時まで行乞、かなり大きな旅館があるが、こゝは夏さかりの冬がれで、どこにもあまりお客さんはないらしい。
午後は休養、流れにはいつて洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかつたが、日和癖でざつとしぐれてきた、私は読書してゐて何も知らなかつたが(谿声がさうさうと響くので)宿の娘さんが、そこまで走つて行つて持つて帰つて下さつたのは、じつさいありがたかつた。」
上には「大分屋」跡に建立されている山頭火句碑のストリートビューを掲載いたしました。句碑の右下には「大分屋」の写真パネルが取り付けられていますが、より鮮明な写真をご覧になりたい場合は「ゆふいん千年時計の音、大分の文化と自然探険隊・Bahan事業部 [編]、p31(国立国会図書館デジタルコレクション、公開範囲:送信サービスで閲覧可能)」などをチェックしてみてください。
「大分屋」は湯平温泉の石畳通り入口付近にあった宿で、道路を挟んで花合野川が流れています。以下には花合野川が見渡せるストリートビューを掲載いたしました(「大分屋」跡は右側の道路右脇)。
ここでは、にわか雨を確認するや否や、河原に降りて行って、山頭火の干した洗濯物をせっせと取り込む宿の娘さん、そしてその親切に涙する山頭火の姿をイメージしておきましょう。
「こゝの湯は胃腸病に効験いちじるしいさうなが、それを浴びるよりも飲むのださうな、田舎からの入湯客は一日に五升も六升も飲むさうな、土着の人々も茶の代用としてがぶがぶ飲むらしい、私もよく飲んだが、もしこれが酒だつたら!と思ふのも上戸の卑しさからだらう。
今夜は同宿者がある、隣室に支那人三連(マヽ)れ(昨夜は私一人だつた)大人一人子供二人の、例の大道軽業の芸人である、大人は五十才位の、痘痕のある支那人らしい支那人、子供はだいぶ日本化してゐる、草津節をうたつてゐる、私に話しかけては笑ふ。
暮れてから、どしや降りとなつた、初霰が降つたさうな、もう雪がふるだらう、好雪片々別処に落ちず。――
今夜は飲まなかつた、財政難もあるけれど、飲まないでも寝られたほど気分がよかつたのである、それでもよく寝た。
繰り返していふが、こゝは湯もよく宿もよかつた、よい昼でありよい夜であつた(それでも夢を見ることは忘れなかつた!)
枯草山に夕日がいつぱい
しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ
山家の客となり落葉ちりこむ
ずんぶり浸る一日のをはり
・夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
夜半の雨がトタン屋根をたゝいていつた
・しぐるゝや旅の支那さんいつしよに寝てゐる
・支那の子供の軽業も夕寒い
・夜も働らく支那の子供よしぐれるな
ひとりあたゝまつてひとりねる」
夕日を浴びた山を眺めて・由布院湯坪
「十一月十二日 晴、曇、初雪、由布院湯坪、筑後屋(二五・上)
九時近くなつて草鞋をはく、ちよつと冷たい、もう冬だなと感じる、感じるどころぢやない、途中ちらちら小雪が降つた、南由布院、北由布院、この湯の坪までは四里、あまり行乞するやうなところはなかつた、それでも金十四銭、米七合いたゞいた。
湯の平の入口の雑木山もうつくしかつたが、このあたりの山もうつくしい、四方なだらかな山に囲まれて、そして一方はもくもくともりあがつた由布岳――所謂、豊後富士――である、高原らしい空気がたゞようてゐる、由布岳はいい山だ、おごそかさとしたしさとを持つてゐる、中腹までは雑木紅葉(そこへ杉か檜の殖林が割り込んでゐるのは、経済的と芸術的との相剋である、しかしそれはそれとしてよろしい)、中腹から上は枯草、絶頂は雪、登りたいなあと思ふ。」
下には由布市まちづくり観光局の由布岳の投稿を引用させていただきました。2枚目は雪化粧した由布岳、1枚目は冠雪した由布岳が夕日を浴びている写真です。
「此地方は驚くほど湯が湧いてゐる、至るところ湯だ、湯で水車のまはつてゐるところもあるさうな。
由布院といふところは――南由布院、北由布院と分れてゐるが、それは九州としては気持のよい高原であるが、こゝは由布院中の由布院ともいふべく、湯はあふれてゐるし、由布岳は親しく見おろしてゐる、村だから、そここゝにちらほら家があつて、それがかなり大きな旅館であり料理屋である、――とにかく清遊地としては好適であることを疑はない。
山色夕陽時といふ、私は今日幸にして、落日をまともに浴びた由布岳を観たことは、ほんたうにうれしい。」
出典:大分県林務課 編『大分県名勝地』,大分県山林会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688201 (参照 2026-03-04、一部抜粋)、仙郷由布院
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688201/1/34
上に引用した全景写真のように由布院は「気持のよい高原」と温泉を楽しめるスポットとして、当時から人気の旅行先でした。
また、「かなり大きな旅館」の例の一つとして、以下には「千人風呂」でも知られる「日の春旅館」の昭和12年の広告を引用いたしました。千人風呂は混浴から男女別になり規模は縮小しましたが、現在も残っているとのことです。
出典:『大分県商工名鑑』昭和12年版,大分県商工会,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1026080 (参照 2026-03-04、一部抜粋)、旅館日の春(広告)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1026080/1/95
「この宿は評判だけあつて、気安くて、深切で、安くて、よろしい、殊に、ぶくぶく湧き出る内湯は勿体ないほどよろしかつた。
・刺青あざやかな朝湯がこぼれる
洗うてそのまゝ河原の石に干す
寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす
別れるまへの支那の子供と話す
・水音、大声で話しつゞけてゐる
支那人が越えてゆく山の枯すゝき
また逢うた支那のおぢさんのこんにちは
同宿三人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、私も一本のむ、それでほろほろとろとろ天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない)。」
冷たい扱いに憤慨と憐愍を覚えた・玖珠町
「十一月十三日 曇、汽車で四里、徒歩で三里、玖珠町、丸屋(二五・中ノ上)
早く起きて湯にひたる、ありがたい、此地方はすべて朝がおそいから、大急ぎで御飯をしまうて駅へ急ぐ、八時の汽車で中村へ、九時着、二時間あまり行乞、ぼつぼつ歩いて二時玖珠町着、また二時間あまり行乞、しぐれてさむいので、こゝへ泊る、予定の森町はすぐそこだが。」
北由布駅(現・由布院駅)から鉄道を使用して豊後中村駅まで移動します。下には昭和3年築の豊後中村駅・旧駅舎の写真を引用いたしました。
出典:JKT-c, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons、旧駅舎(2008年11月)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyushu_Railway_-_Bungo-Nakamura_Station_-_01.JPG
「山国はやつぱり寒い、もうどの家にも炬燵が開いてある、駅にはストーブが焚いてある、自分の姿の寒げなのが自分にも解る。
北由布から中村までの山越は私の好きな道らしい、前程を急ぐので汽車に乗つたのは残念だつた、雑木山、枯草山、その間を縫うてのぼつたりくだつたりする道、さういふ道をひとり辿るのが私は好きだ、いづれまた機縁があつたら歩かせてもらはう。
今日もべんたうは草の上で食べたが、寒かつた、冷たかつた。
このあたりの山はよい、原もよい、火山型の、歪んだやうな荒涼とした姿である、焼野焼山といつた感じだ。」
下には玖珠町のシンボルともなっている伐株山(きりかぶやま)の写真を引用いたしました。浸食によって形成されたメサ(卓状台地)というユニークな地形のため、大男が巨大な楠を切り倒してできたという伝説が残っています。
出典:写真AC、伐株山
https://www.photo-ac.com/main/detail/25260527/1
「これは今日の行乞に限つたことではないが、非人間的、といふよりも非人情的態度の人々に対すると、多少の憤慨と憐愍とを感じないではゐられない、さういふ場合には私は観音経を読誦しつゞける、今日もさういふ場合が三度あつた、三度は多過ぎる。」
「非人情的態度」について、以下の書籍ではより具体的に記されています。山頭火は「憤慨と憐愍とを感じ」ながら、行乞を続けました。
由布院から西に玖珠町へ出た。玖珠町では何処へ行っても冷たく扱われた。「乞食坊主!早く行け、商売の邪魔になるぞ。」「朝から糞坊主が来る、縁起がわるい、お通り、お通り!」
出典:上田都史 著『俳人山頭火 : その泥酔と流転の生涯』,潮文社,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12464614 (参照 2026-03-04)公開範囲:送信サービスで閲覧可能
https://dl.ndl.go.jp/pid/12464614/1/64
「吊り下げられた鉤にひつかゝる魚、投げ与へられた団子を追うて走る犬、さういふ魚や犬となつてはならない、さうならないための修行である、今日も自から省みて自から恥ぢ自から鞭つた。
寒い、気分が重い、ぼんやりして道を横ぎらうとして、あはや自動車に轢かれんとした、危いことだつた、もつともそのまゝ死んでしまへば却つてよかつたのだが、半死半生では全く以て困り入る。
あふるゝ朝湯のしづけさにひたる(湯口温泉)
・こゝちようねる今宵は由布岳の下
下車客五六人に楓めざましく
雑木紅葉のぼりついてトンネル
尿してゐる朝の山どつしりとすはつてゐる
・自動車に轢かれんとして寒い寒い道
昨日の宿は申分なかつたが、今日の宿もよい、二十五銭でこれだけの待遇をして貰つては何だかすまないやうな気がする、着くと温かい言葉、炭火、お茶、お茶請(それは漬物だけれど)そして何でも気持よくやつて下さる。……
同宿の坊さん、彼は真言宗だといつてゐたが、とにかく一癖ある人間だつた、今は眼が悪く年をとつたのでおとなしいが、ちよいちよい昔の負けじ魂を押へきれないやうだ。」
造り酒屋を三軒はしごしていい気持ちに!・森町
「十一月十四日 霧、霜、曇、――山国の特徴を発揮してゐる、日田屋(三〇・中)
前の小川で顔を洗ふ、寒いので九時近くなつて冷たい草鞋を穿く、河一つ隔てゝ森町、しかしこの河一つが何といふ相違だらう、玖珠町では殆んどすべての家が御免で、森町では殆んどすべての家がいさぎよく報謝して下さる、二時過ぎまで行乞、街はづれの宿へ帰つてまた街へ出かけて、造り酒屋が三軒あるので一杯づゝ飲んでまはる、そしてすつかりいゝ気持になる、三十銭の幸福だ、しかしそれはバベルの塔の幸福よりも確実だ。」
出典:『大分県商工名鑑』昭和12年版,大分県商工会,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1026080 (参照 2026-03-05、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1026080/1/149
昭和12年の「大分県商工名鑑」によると玖珠郡森町には下町、金山町、二葉町の3か所に酒造業の店舗が確認できます。上に「大分県商工名鑑」の一部を引用いたします。また、以下には明治中期に酒造業に転じ、現在も建物が残る登録有形文化財「荒木家住宅主屋・酒蔵・勝手蔵」周辺のストリートビューを掲載いたしました。主屋は1922年築とのことなので、山頭火もこちらに立ち寄っていたかもしれません。
以下のように店先で枡酒を味わっていたでしょうか。
出典:Google Gemini 3により生成された画像、『戦前の造り酒屋の店先でお酒を飲む』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年3月5日
「森町は、絵葉書には谿郷と書いてあるけれど、山郷といつた方がいゝ、末広神社へ詣つて九州アルプスを見渡した風景はよかつた、町の中に森あり原あり、家あり石あり、そこがいゝ。
岩扇山といふはおもしろい姿だ、頂上の平ぺつたい岩が扇を開いたやうな形をしてゐる、耶馬渓の風景のプロローグだ、私は奇勝とか絶景とかいはれるものは好かないが、その山は眺めて悪くない。」
下には末広神社のある末広山周辺のストリートビューを掲載しました。中央に見えるのが「岩扇山」でしょうか。岩扇山も「メサ」の一つで、柱状節理が扇の骨に見えることが名前の由来とのこと。「おもしろい姿だ」と思いながら眺めている山頭火を想像してみましょう。
「此宿も悪くない、広くて静かだ、相当の人が落魄して、かういふ安宿をやつてゐるらしい、漬物がおいしい、お婆さんが深切だ。
今日は雑木山でおべんたうを開いた、よかつた。
朝が冷たかつたほど昼は暖かだつた。
浜口首相狙撃さる――さういふ新聞通信を見た時、私は修証義を読みつゝ行乞してゐた、――無情忽ちに到るときは国王大王親眤従僕助くるなし、たゞ独り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひゆくは善悪業等のみなり。――」
以下に引用した浜口雄幸首相の狙撃現場の記録写真は各新聞に掲載されました。山頭火もこちらの写真を見ていたと思われます。
出典:ウィキメディア・コモンズ、東京駅ホームで銃撃され運ばれる浜口雄幸首相(1930年11月14日)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hamaguchi_Osachi_Assassination_14_Nov_1930.png
「おべんたうをひらく落葉ちりくる
大銀杏散りつくしたる大空
・落葉散りしくまゝで住んでゐる
ゆふべ、片輪の蜘蛛がはいあるく
・また逢うた支那の子供が話しかける
西へ北へ支那の子供は私は去る
歩いても眺めても知らない顔ばかり
鉄鉢、散りくる葉をうけた
水飲んでルンペンのやすけさをたどる
支那人の寝言きいてゐて寒い
・虱よ捻りつぶしたが
明日の事――深耶馬の渓谷美や、昧々さんとの再会や何や彼や――を考へて興奮したからだらう、二時頃まで寝られなかつた、かういふ身心では困るけれど、どうにもしようがない。
今夜も例の支那軽業師と同宿、また同宿の同郷人と話した、言葉の魅力といつたやうなものを感じる。
近来しみじみ感じるのであるが、一路を辿る、愚に返る、本然を守る――それが私に与へられた、いや残された最後の、そして唯一の生き方だ、そこに句がある、酒がある、ともいへやう。
このあたりも菊作りがさかんだ、小屋までかけて観せるべく並べてある、私も観せて貰つた、あまり好きではないが。
一室一人(但し半燈)もよかつた、宿の人々、同宿の人々がやさしいのもうれしかつた。」
笠をかぶらず耶馬渓を観る、友人との句会も楽し・中津
「十一月十五日 晴、行程七里、中津、昧々居(最上々々)
いよいよ深耶馬渓を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、七時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキの洞門まで一里、こゝから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、――深耶馬渓はさすがによかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持がさつさうとした、観賞記は別に『秋ところどころ』の一部として書くつもり」
下には大正時代の深耶馬渓の写真を引用いたしました。こちらの小径に、景色を眺めながらゆっくりと進む山頭火の姿を置いてみましょう。
出典:『大分縣寫真帖』,大分縣,1920.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1900792 (参照 2026-03-05、一部抜粋)、深耶馬渓
https://dl.ndl.go.jp/pid/1900792/1/199
「――三里下つて、柿坂へついたのが一時半、次の耶馬渓駅へ出て汽車に乗る、一路昧々居へ、一年ぶりの対面、いつもかはらない温情、よく飲んでよく話した、極楽気分で寝てしまつた。……
霜をふんであんな方へ
・山を観るけふいちにちは笠をかぶらず
・山の鴉のなきかはす間を下る
・小鳥ないてくれてもう一服
その木は枯れてゐる蔦紅葉
もう逢へまい顔と顔とでほゝゑむ
山の紅葉へ胸いつぱいの声
けふのべんたうは岩のうへにて
・藪で赤いのが烏瓜
・岩にかいてあるはへのへのもへじ
・寝酒したしくおいてありました(昧々居)
・また逢へた山茶花も咲いてゐる(昧々居)
・蒲団長く夜も長く寝せていたゞいて( 〃 )
十一月十六日 曇、句会、今夜も昧々居の厄介になつた。」
「昧々」とは「層雲」の同人・松垣昧々(重敬)氏のことです。「山頭火の宿(大山澄太著)」では以下のように記されています。
松垣重敬さんはのち中津市の教育界で重きをなすに至った小学校の先生で、山頭火との文通は古い。(中略)
出典:大山澄太 著『山頭火の宿』,弥生書房,1984.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12464832 (参照 2026-03-06)、公開範囲:送信サービスで閲覧可能
さて昧々居は中津駅から海の方へ歩いて二十分位の所で、古い士族屋敷の中の一軒で、門の内には去年と同じく山茶花が咲いていた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12464832/1/13
山頭火は福澤諭吉旧居に立ち寄り、句作をしていますが、こちらが中津駅から20分前後の距離です。昧々氏の居宅はこの近くにあったと思われます。
「しぐれ日和である(去年もさうだつた)、去年の印象を新らたにする庭の樹々――山茶花も咲いてゐる、八ツ手も咲いてゐる、津波蕗もサルピヤも、そして柿が二つ三つ残んの実を持つたまゝ枯枝をのばしてゐる。
朝酒、何といふうまさだらう、いゝ機嫌で、昧々さんをひつぱりだして散歩する、そして宇平居へおしかけて昼酒、また散歩、塩風呂にはいり二丘居を訪ね、筑紫亭でみつぐり会の句会、フグチリでさんざん飲んで饒舌つた、句会は遠慮のない親しみふかいものだつた。」
「宇平」とは中津市で眼科医をしていた「層雲」同人の木村宇平氏のこと、「二丘」は内科医の同人・村上二丘氏です。木村宇平居は現在「中津市木村記念美術館」となり、二丘居は「村上医家資料館」として残されています。
下には「村上医家資料館」についての投稿を引用させていただきました。
また、「筑紫亭」は下に引用させていただいたように、明治34年から営業を続ける有名な料亭です。
中庭に「これが河豚かと食べてゐる」の句碑が建立されています。
「晴れてくれさうな八ツ手の花
・朝、万年青の赤さがあつた
しぐるゝや供養されてゐる
・土蔵そのそばの柚の実も(福沢先生旧邸)
・すゝき一株も植ゑてある( 〃 )
座るよりよい石塔を見つけた(宇平居)
これが河豚かと食べてゐる(筑紫亭句会)
・河豚鍋食べつくして別れた( 〃 )
・ならんで尿する空が暗い
世渡りが下手くそな菊が咲きだした(闘牛児からの来信に答へて)
芙蓉実となつたあなたをおもふ( 〃 )
枕許に、水といつしよに酒がおいてあるには恐縮した、有難いよりも勿躰なかつた(昧々さんの人柄を語るに最もふさはしい事実だ)。
春風秋雨 花開草枯
自性自愚 歩々仏土
メイ僧のメンかぶらうとあせるよりも
ホイトウ坊主がホントウなるらん
酔来枕石 谿声不蔵
酒中酒尽 無我無仏
見たまゝ、
聞いたまゝ、
感じたまゝの、
野衲、
山頭火」
「野衲(やのう)」とは僧侶が自分を謙遜した表現とのことです。
出典:ChatGPTにより生成された画像、『3人でフグチリ鍋を囲む句会』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年3月5日
句会は大人数が参加したにぎやかなものだったようです。上では「これが河豚かと食べてゐる」と詠んだ山頭火の姿をイメージしてみました。
旅行などの情報
耶馬渓
「深耶馬渓はさすがによかつた」といっているように「耶馬渓」は嵐山・日光と並んで日本三大紅葉名所とされる絶景スポット。大分県中津市の東西約40㎞・南北約35㎞にまたがっています。本耶馬渓や裏耶馬渓、深耶馬渓、奥耶馬渓のエリアに分かれていますが、中津市街地から観光する場合は本耶馬溪が玄関口となります。
本耶馬溪では山国川沿いの約1kmにわたって連なる絶壁「競秀峰(きょうしゅうほう)」や江戸時代に羅漢寺の和尚がノミ一本で掘りぬいた「青の洞門」トンネルなどが見どころ。さらに奥に進んだ深耶馬渓では海望嶺や仙人ヶ岩などの8つの景色を同時に眺望できる「一目八景」が有名です。
紅葉だけでなく冬の雪景色や春の桜(溪石園)、夏の新緑など季節ごとの魅力もあります。なお、上に引用させていただいた中津耶馬渓観光協会のSNSのように、初夏には各地で「ほたる祭り」が開催されるので、イベントにあわせてお出かけされてみてはいかがでしょうか?
基本情報
【住所】大分県中津市本耶馬渓町曽木(本耶馬渓・青の洞門公共駐車場)
【アクセス】中津駅から車で約25分
【参考URL】https://nakatsuyaba.com/










