井上靖「夏草冬濤」の風景(その8最終回)

少年たちの旅立ち

中学三年の成績が思わしくなかった洪作は、かねてからの予定通り、寺に下宿させられることになります。木部や藤尾は洪作につきそって寺に行き、食事などについての交渉をしようとしますが、住職の娘・郁子に圧倒されうまくいきません。そして五月の連休になると、洪作たちは前回(夏草冬濤の風景その7・参照)約束した西伊豆への船旅に出ることになります。

寺への引っ越し

祖父の訪問

四年に進級した四月の後半、湯ヶ島から祖父がやってきます。成績が下がる一方の洪作をやはり寺に下宿させるようにと母からの依頼があったとこのことです。引っ越しの準備が必要ですが洪作の所有物といえば下に引用したような行李(こうり)と布団だけでした。

祖父「勉強机が要るだろう。小さいのを買いなさい」
洪作「靴もぼろぼろだ・・・・・・コーモリ傘も要る・・・・・・万年筆も欲しい・・・・・・」
祖父「要る物を書き出して寄越しなさい。・・・・・・それをお母さんの方に送ってやり、いいと言ったら買ってやる」

買物一覧表を作成しながら「洪作は、これで旅に出られると思った。みんな必要な物ではあったが、なければないで、やって行けぬこともなかった」と、悪知恵を働かせます。

出典:Chiba ryo, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E8%A1%8C%E6%9D%8E.jpg

寺に挨拶に

「机などを買って、それを寺に先に運んでおこう」と考えた洪作は木部を誘って家具屋に行くことにします。ところが木部から自分の家の机を貸してやるとの提案され、机用のお金も倹約しておくことになりました。

その足で寺に向かう途中、木部は「先ず机があるかないかを訊く。それから弁当のオカズも毎日卵焼きぐらいはつけて貰ってやる・・・・・・」などと勇ましいことをいいますが・・・・・・。

以下はお寺の庫裡から着物を着て出てきた郁子との会話の抜粋です。
郁子「あんたたち、中学生だね。やたらにひとの家の庭なんか、うろうろするもんじゃないの」
(あみだにかむっている木部の帽子のひさしを下の方に引張りながら)
郁子「帽子はこうかむんなさい」
木部「よせよ」
郁子「帽子ぐらいきちんとかむんなさい。なんだ、にきびなど出しゃあがって!」
木部「うえっ!」
そして、やっと洪作がいることに気付いた郁子は「お師匠さんに会って、来る日をはっきりしておきなさい」といって出かけていきました。

下には、洪作が下宿した妙高寺のモデルとなった妙覚寺の入り口付近の写真を引用させていただきました。ここでは通路の奥の方に二人の少年の姿を置いてみましょう。こちらで木部は洪作に向かって「凄えのがいるな」といい、明日は藤尾を連れてきて「再起を期そう」とくやしがっていました。

再び郁子に挑戦するが

次の日、洪作と木部は藤尾を伴って再度寺に向かいます。「任せておけ。俺がうまく交渉してやる。机を借りることと、朝飯に卵をつけて貰うことと、毎日三時頃風呂を沸かして貰うことだな」と、前日よりも好条件で交渉してやると自信満々の藤尾でしたが・・・・・・。

以下には再度、藤尾たちの会話を抜粋します。
木部(藤尾)「ごめんください」
郁子「すまないけど、あんたたち、本堂の方へ廻って頂戴よ」
(本堂に廻ると)
郁子「お願いがあるの」
藤尾「なんですか」
郁子「あんた、一番力がありそうね。畳、上げられる?」
藤尾「僕はだめだな。畳なんか上げたことはありませんよ」
郁子「・・・・・・三枚だけなの。やってごらんなさい・・・・・・」
郁子「じゃ、藤尾君には畳を上げて戴いて、木部ちゃんの方には水を汲んで戴くわ。・・・・・・洪作さんは自分のはいる部屋の掃除をなさい」
有無をいわせぬ郁子の言葉に、藤尾も従うしかありませんでした。

下に引用させていただいたのは、戦災を逃れて大正時代の姿をとどめる妙覚寺・鐘楼の写真です。ここでは藤尾と畳上げの役を替わった洪作が「鐘楼のところへ持って行って、それを土台の石垣に立てかけた」というシーンを想像してみましょう。

一通り仕事が終わると、次は自分たちの入るお風呂を沸かすことになります。「木部ちゃんも、洪作さんも背戸の方へ廻んなさい。そして、藤尾君は怠け者だから、火を燃やす方を受け持って頂くわ」とのこと。

当時一般に普及していたのは下に引用したような「木桶風呂」で、右側の釜で火を焚いてお湯を温める方式でした。ここでは、郁子の命令で釜に薪を投入する藤尾の姿や、風呂が嫌いな洪作が「一回湯の中に体を沈めただけで、すぐ手拭で体を拭いて」しまうところを想像してみます。

出典:Siriusplot, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Old_furo_003.jpg

西伊豆への旅

御成橋から船に乗り込む

寺のお師匠さんから外泊の許可をもらった洪作は、いよいよ西伊豆への旅に出ることになりました。御成橋のたもとの船着場から伊豆方面に向かう発動機船に乗り込みます。

スケジュールは二泊三日となっていて、一泊目は「重寺」、二泊目は「土肥」という場所で下船。どちらも藤尾の親戚の家に泊めてもらう予定でした。下に引用させていただいたのは昭和初期に御成橋付近にあった汽船発着所の写真です。ここでは、ワクワクした気分で手前の船に乗り込む洪作や藤尾、木部、金枝、餅󠄀田の姿を想像してみます。

出典:『沼津商工案内』昭和3年版,沼津商工会議所,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1025290 (参照 2024-01-31、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1025290/1/20

当時の西伊豆の交通

少年たちが今回の旅で陸路でなく海路を選んだかについていは、下に引用したような交通事情が理由だったと思われます。大正時代には西伊豆の陸路は不便で、観光客は東京(湾)汽船を使って海路で巡るのが一般的だったようです。

交通機関の発達していないことを挙げねばならぬ。東京汽船会社の下田ー沼津航路があるの外、各港相互の間には殆ど陸上交通機関がない

出典:松川二郎 著『療養遊覧新海浜案内』,三進堂書店,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983173 (参照 2024-02-01)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/983173/1/136

下には大正初期に沼津・下田間を走らせていた東京湾汽船の所有船リストを引用しました。「夏草冬濤」の時代は大正末期なのでやや異なりますが、小説のなかの「伊豆通いの発動機船」や「二、三十トンの小さい船である」などの記述に近いのは「第二伊豆浦丸」でしょうか。

沼津、下田間汽船
芙蓉丸九十九噸、豆洋丸七十噸、海運丸六十三噸、第二伊豆浦丸四十二噸、豆州丸九十六噸

出典:静岡県内務部 編『静岡県之産業』 第2巻,静岡県内務部,大正2-4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951172 (参照 2024-02-01)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/951172/1/122

「第二伊豆浦丸」そのものの写真は見つけられませんでしたが、下には、明治から大正時代に琵琶湖にて運用されていた二、三十トン級と思われる汽船の写真を引用しました。ここでは、こちらの汽船を「夏草冬濤」の「土肥丸」に見立て、「甲板に陣取った」少年たちが寝転んだり、景色を眺めたりしている姿を想像してみます。

出典:『滋賀県写真帖』1冊,滋賀県,明43.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765745 (参照 2024-02-01、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/765745/1/45

重寺で宿泊

その晩、藤尾の親戚の家で5人は枕を並べます。餅田はすぐに寝てしまいますが金枝と木部はノートに何かを書きつけていました。また、藤尾は小説を読んでいて「やたらに面白いんだ・・・読み出したら、やめられないんだ」とのこと。洪作は「読み出したらやめられないような、そんな本が本当にあるだろうか」と不思議に思います。

ものを書くノートもなく読む本もない洪作ですが、外の波の音やそれに混じる漁船の発動機の音に「いいなあ」と感激し、なかなか眠れません。下には海辺の波音の動画を引用させていただきました。こちらの音に時折、漁船の発動機の音を混ぜると、洪作の聴いたような音になるでしょうか。

重寺でひと泳ぎ

あまり眠れなかった洪作は次の日、昼近くまで眠りました。藤尾たちは釣船に乗って遊びに行き、海で泳いで帰ってきます。

最近の重寺港付近のストリートビュー(下図)のように、海を挟んだ淡島や富士山の絶景は当時とあまり変わっていません。ここでは、海の中を藤尾たちが「唇を紫色にしながら」泳いでいる姿をイメージしてみましょう。

土肥の風景

再び船に乗り込んだ洪作は甲板にて上着を顔にかぶり、昼寝の続きを始めます。汽笛の音で目を覚ました洪作に「おい、もう、すぐ着くぞ」と金枝が呼びかけました。「土肥の部落らしい民家の固まりと、白い砂と、松林とがインキを流したような青い潮の向こうに見えている」とあります。

下に引用したのは土肥の港付近の写真です。ここでは写真下側のフェリーを当時の発動機船に見立てて、洪作たちが岸の方を眺めているようすを想像してみます。

出店:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/25392302&title=%E5%9C%9F%E8%82%A5%E6%B8%A9%E6%B3%89

到着も間近になってころ、木部が洪作に見せたノートには以下の詩が書きつけられていました。
「長く長く、汽笛は鳴りて、いざ、土肥と、まなこ上げし空に白き雲あり」

「なるほど、綿でもちぎったような白い雲が何片か浮かんでいる・・・・・・」とつぶやいた洪作は甲板の上にひっくり返り「白い雲の浮かんでいる青い空」に見入ります。

下には土肥に向かうフェリーの写真を引用させていただき「何でもないことを、何でもない言い方で綴ってあるが・・・・・・木部の文字を眼で追って行くと、心が爽やかなもので大きく膨らんで来る」と感動を覚える洪作の姿を置いてみましょう。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/23045714&title=%E5%88%9D%E7%A7%8B%E3%83%BB%E9%9D%99%E5%B2%A1%E3%81%AE%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B8%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BC%8A%E8%B1%86%E3%81%AE%E5%9C%9F%E8%82%A5%E6%B8%AF%E3%81%B8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%86%E3%80%8C%E9%A7%BF%E6%B2%B3%E6%B9%BE%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%82%92%E7%9C%BA%E3%82%81%E3%82%8B%EF%BC%88%E8%88%AA%E8%B7%AF%E3%83%BB%E6%B5%B7%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E7%9C%8C%E9%81%93223%E5%8F%B7%E7%B7%9A

未知の土地へ

「夏草冬濤の風景」の最後の写真は昭和初期の土肥海水浴場の写真です。洪作たちは海水浴場の近くにあった「細い木製の桟橋に次々と飛び移った」とあります。こちらの海岸の人たちのように、洪作たちも泳いだり座って休憩したりしたことでしょう。

土肥は当時も温泉や金山で有名でしたが洪作にとっては「未知の部落」でした。小説では上陸していく彼らの姿を「何かきらきらとしたものを採集にでも来た探検家の一員のような、そんな気持ちであり、またそんな足どりでもあった」と結んでいます。

出典:『温泉の伊豆』第3号,静岡県温泉組合聯合会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1036803 (参照 2024-02-02、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1036803/1/78

旅行などの情報

あわしまマリンパーク

洪作たちが立ち寄った重寺はなつかしい雰囲気の残る港町で、港周辺は釣りスポットとしても有名です。目の前の無人島・淡島の水族館には「あわしまマリンパーク」があり、ペンギンの行列やアシカショーなどのイベントも楽しめます。また、下に引用させていただいたような派手なものから怖い顔をしたものまで50種類以上のカエルが展示されるカエル館も必見です。

なお、令和6年の2月12日をもって閉館とのアナウンスがされ連日混雑が続いているようです。公式サイトなどを事前にチェックし、時間に余裕をもってお出かけください。

基本情報

【住所】静岡県沼津市内浦重寺186
【アクセス】 沼津駅からバスを利用。マリンパークで下車
【参考URL】http://www.marinepark.jp/

土肥金山

洪作たちの西伊豆旅行の目的地であった土肥は、当時から温泉地として知られていました。現在も多くの温泉宿が立ち並び、夏には穴場の海水浴場としても人気です。

また、土肥は江戸時代から昭和40年ころまで金山の街としても栄えたところで、その跡地を利用した土肥金山は人気の観光スポットになっています。観光用の坑道が整備され、砂金採り体験をファミリーで楽しむこともできます。また、下に引用した写真の看板のとおり「世界一巨大金塊」も展示されていて、金運アップが期待できるかもしれません。

出典:PHGCOM, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Central_building_at_the_Toi_mine_complex.jpg

基本情報

【住所】静岡県伊豆市土肥2726
【アクセス】 土肥港から徒歩で15分
【参考URL】https://www.toikinzan.com/