井上靖著「北の海」の風景(その1)
仲間たちとの別れ
「北の海」は井上靖氏の自伝的小説「夏草冬濤」の続編です。「夏草冬濤」の時代から数年後、洪作が旧制沼津中学を卒業した大正15年の3月から始まります。
紺がすり
「卒業と同時に、洪作は袂(たもと)の着物を着た」というのが冒頭の文。「沼津市内に家を持っている少年は四年ぐらいから袂の着物を着始めるのが普通」とありますが洪作は五年間を学生服で過ごします(当時の旧制中学は5年制)。四年終了の時と卒業したこの年に静岡高校(現静岡大学)を二度受験しますが不合格。しばらくは沼津で受験浪人をすることに決めます。洪作の着物は台北に住む母から送られた「紺がすりの袂の着物」でした。下に引用させていただいたのは紺がすりの服を着る作家・梶井基次郎氏(中央)の写真です。このような模様で袖の下が広い着物で歩く19歳になった洪作青年の姿を想像してみます。
お別れ会
金枝や木部は東京の私大の予科、藤尾は京都の私大の予科に進むことになります。四月も下旬になったある日、4人で沼津中のお別れ会を行うことになります。木部はかすりの筒袖に着物、藤尾は金ボタンの大学の制服、金枝は袂のかすりの着物(洪作と似たような服装)でやってきます。下に引用させていただいた写真のように当時の学生の服装は和洋混在だったようです。
メニューは?
中学の後半によく通ったトンカツ屋・清風荘がお別れ会の会場。この日の料理は豪華なコースでした。最初に出てきたスープを鍋から取り分けながら「このスープはコンソメと言うんだ」と金枝がいいます。ついでにポタージュについても「牛乳を味噌汁の中に入れたようなもの」と解説します。芥川龍之介の小説では上野精養軒のポタージュについて触れているとのこと。前作「夏草冬濤 」のなかで磯村家を訪問したときにはあいまいだったスープの説明が詳しくなっているのも面白いところです。ここでは下に引用させていただいたようなコンソメスープの鍋に大きなスプーンを入れながら文学青年・金枝が皆に豆知識をレクチャーしているところを想像してみます。
「スープを飲み、魚のフライとトンカツを食べ、コーヒーを飲んだ」とあります。料理の後にはビールを飲み満足な打ち上げ式になります。下に引用させていただいたのは洪作が食べたのと同様の美味しそうな料理です。今までは普通に一緒に食事をしていた4人の仲間も一時解散となります。ここでは、少ししみじみとしながら食べたり飲んだりしている様子を想像してみます。
夜の海岸
洪作たちは食事が終わって千本浜の海岸にでます。特に洪作以外の三人は小学校からの友人。木部は金枝に向かって「(金枝は)自分にきびしく、いつも貧乏人の味方で、自分が正しいと思うことだけをやっていくだろう」といい、木部の放埓な生き方とは方向性が違うといいます。一方、藤尾に対しては「俺が歌を作り出すと、お前も歌を作る。お前が家の銭をかっぱらうと、俺も真似をする・・・」と。これでお互いに自由になれると決別の言葉をいいます。下に引用させていただいたのは小説で記述のある四人の前に広がる海の様子を想起させる写真です。「浜には晩春の夜の薄明かりが漂っていたが、海面は暗く、その暗い海面に波頭の砕けるのが、何か白い生き物でも居るように不気味に見えている」。この景色に洪作たちの声を重ねてみます。
前作「夏草冬濤」で中心的な仲間だった文学少年(青年)たちと別れ、違う道を歩むことになった洪作。舞台を他の地方に移してさまざまな体験をすることになります。
旅行の情報
千本浜公園
洪作が中学の仲間たちとお別れ会をした後に散策した場所です。下に引用させていただいた写真のように富士の絶景スポットとしても人気があります。ここに行けば海岸や松林の中を思い出話や将来の夢などを語りながら歩く洪作たちの姿をより身近に感じられるかもしれません。
【住所】沼津市本字千本1910-1
【電話】055-934-4795
【アクセス】 JR沼津駅からバスを利用。千本浜公園で下車
【参考サイト】https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/sumai/park/