井上靖「夏草冬濤」の風景(その6)
上級生グループの仲間入り
一ノ瀬少年に誘われて上級生たちの同人雑誌会員になろうと決意した洪作は、藤尾のもとを訪れます。そしてラーメン屋で仲間たちへの紹介を受け、彼らの言動に魅力を感じます。一方、旧友である増田や小林との仲はこじれてきて、大喧嘩をすることに!今回は思春期を迎え、感受性が高くなった少年たちの姿を追ってみます。
思春期と美顔水
正月が明けて湯ヶ島から沼津に戻った洪作は、ふたたび増田や小林との通学を再開。ちょっとしたことでかっとなる洪作に対し小林は「洪作が憤るのは思春期だからなんだ・・・・・・おまえが憤るんではなくて、思春期が憤るんだから仕方がない」といいます。また、「思春期の第一の特徴としてはにきびが出てくる。お前は出ていないが、増田はにきびで苦労している」とのことです。
「にきび」に関連して、下には桃谷順天館「にきびとり美顔水」の昭和初期の広告を引用させていただきました。明治18年から現在も販売している歴史の長い商品です。
出典:『新聞全集』第6巻,新聞之新聞社,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1120962 (参照 2024-01-24、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1120962/1/2
にきびとり美顔水のほか、下の写真(昭和4年の商品一覧)のように「美顔白粉、白色微含水、美顔固煉白粉、美顔粉白粉、肌色微含水」など多彩な商品を扱っていますが、上広告の桃のマークから類推すると、左側の後ろの方にある箱とビンが「にきびとり美顔水」のようです。
出典:御即位紀念誌刊行会 編『昭和之新帝国 : 御即位紀念』,御即位紀念誌刊行会,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1171978 (参照 2024-01-24、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1171978/1/506
下に引用させていただいたように、容器は丸型から角型に変化していますが、上の広告のように「夏草冬濤」の頃は丸型であったようです。カバンの中からこのような「にきびとり美顔水という瓶入りの液体が発見され」てしまった増田は「みなから美顔水、美顔水と呼ばれて、すっかりしょげてしまった」とあります。
同人雑誌
一月の終わりの昼休み、洪作たちの三年の教室に藤尾たち四年生が数人でやってきます。藤尾は教壇に上がり先生のものまねをして笑わせた後、詩の同人雑誌を出すので維持会委員を募集するとの演説をします。金枝もはきはきとした口調で補足し、颯爽と去っていきました。
彼らが中学生時代につくった詩は以前(夏草冬濤の風景その4・参照)、参照した妙覚寺内の文学碑にも刻まれています。以下に一部を抜粋しておきましょう。
井上靖(洪作)「ここちよき 衣のしめりよ霧深き 灯ともし頃の 町をゆきけり」
岐部豪治(木部)「わがふねは みぞれしまける 冬の海を 風にさからい なみだですゝむ」
藤井寿雄(藤尾)「カチリ 石英の音 秋」
露木豊「砂原に伏す 夕暮れの海荒れて かもめ落つなり 大瀬はろばろ」
妙覚寺の文学碑によると、これらの詩は当時の沼津中学校の校友会誌に掲載されているとのこと。下には参考のため、日本大学中学校校友会の同時期(大正十五年)の同人誌の表紙を引用させていただきました。
出典:日本大学中学校校友会 [編]『日本大学中学校校友会誌』第11号,日本大学中学校校友会,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/923459 (参照 2024-01-24、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/923459/1/1
少し脱線しますが、上の校友会誌を覗いてみると、通学路や修学旅行での学生ならではの俳句が並んでいます。興味深いので一部を下に抜粋してみました。
通学の路
野口操「薄もやを分けて下れり八景坂」
渋川三千雄「武蔵野をはてからはてへ春の雨」
修学旅行吟句
伊勢大廟にて 鎌田修「廟見えず遥かに拝す秋の森」
出典:日本大学中学校校友会 [編]『日本大学中学校校友会誌』第11号,日本大学中学校校友会,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/923459 (参照 2024-01-24、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/923459/1/76
中華料理店に誘われて
一ノ瀬洋三に誘われ維持会員になることを決意した洪作は、洋三とともに藤尾の家を訪ねます。藤尾は「精神的維持会員でいいよ。会費を集めることは学校で問題になったからやめたんだ」といい、「ラーメン食いに行くか」と誘いました。
中華料理店の前で「いいのかな、ここへはいって」と躊躇する洪作に対し「俺が見張っててやる。早く入れよ」と藤尾がせきたてます。二階にある部屋は「卓を並べてある部屋と、それとは別に四畳半ぐらいの畳敷きの小部屋があった」とのことです。
下には、そのラーメン屋のモデルになった「ダルマ軒」の昭和初期の写真を引用させていただきました。ここでは、こちらの二階の畳敷きの小部屋に洪作たちの姿を置き、藤尾が「ここのラーメンを食うと頭がよくなるよ。試験の時などはてきめんだ。ここのラーメン食ってりゃあ、落第することはない」といっているところを想像してみましょう。
出典:人文パイプぶろぐ、沼津せんべいは昭和初期ダルマ軒が発売した。「愛楽せんべい」加筆、トオルパイプさん (参照 2024-01-24)
https://jinbunpaipu.blogspot.com/2023/05/41.html
ダルマ軒のラーメンを食べた洪作は「ラーメンはなるほどうまかった」といっています。ラーメンの特徴や味について詳細は語られていませんが、下には伝統的な醤油ラーメンの写真を引用させていただきました。
「もう一杯食うか」という藤尾の質問に対し、洪作は「うん」と即座に答えます。
出典:Lombroso, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shoyu_ramen,_at_Kasukabe_Station_(2014.05.05)_1.jpg
ダルマ軒には「おらくさん」という「肥った女中」さんがいます。また、藤尾たちのあとから、木部や金枝たちも続けてはいってきました。こちらでの会話を抜粋してみましょう。
木部「おや、今日は新顔が居るな。・・・・・・ここのラーメンを食うと、頭が悪くなるよ。あんまり食わん方がいい」
金枝「よお、来ているな。美少年(一ノ瀬のこと)も来ているじゃないか。・・・・・・君(洪作のこと)、転校して来たんだね」
おらくさん「食べちゃったら、いつまでもとぐろを巻いていないで引き上げなさいよ。遊ぶことばかり相談していないで、たまには勉強の話もしなさい」
おらくさんが引き上げていくと「一同は遊ぶ相談を始め」ますが、「藤尾がボートに乗ることを主張すると、木部は香貫山へ行こうと言い、金枝は千本浜がいい」などといってまとまりません。木部は「俺は香貫山へ行って、怒鳴りたいんだ。蓄積したエネルギーの処置に困っているんだ。思い切って怒鳴ったら、すかあっとすると思うんだ」といいます。
下に引用したのは洪作たちの通学路である黒瀬橋のストリートビューです。確かに木部のいうように香貫山(標高193m)に登れば、大きな声で叫んでも迷惑がかかりそうもありません。
ところが木部は「呶鳴るぞ」とことわったあとに、店内で「うわあっ!と、ありったけの声を張り上げて呶鳴った」とのこと。
下にはダルマ軒があった本町通りの大正6年ころの写真を引用しました。奥側が千本浜のある海側、手前が駅側でしょうか。ダルマ軒がこの頃からあったとすれば道路右側の並びになります。
お店では「沼津の一名物、達磨然たる主人(上記・人文パイプぶろぐから引用)」が「真赤な顔をして」怒っていたと思われます。ここでは「おらくさんの声が背後で聞こえ」るのを無視して、洪作たちが「階段を駆け降り」、「戸外へ飛び出した」シーンを想像してみましょう。
出典:静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607 (参照 2024-01-25、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1915607/1/9
その日は一ノ瀬洋三と一緒に三島まで歩いて帰ることになり、途中で三人のうわさをしながら帰ります。
一ノ瀬「驚いたですね。木部さんには。―――いきなり呶鳴りだした。―――でも、いいなあ、あのひと」
洪作「金枝もいいな」
一ノ瀬「あのひと、頭がいいですね、きっと」
洪作「藤尾もいい」
一ノ瀬「藤尾さんって、こんど落第するんですってね」
一年下の洪作は「藤尾たちと一緒になったら、どんなに素晴らしいだろうと思った」、そして「金枝、藤尾、木部といった四年生の連中と、一緒にラーメンを食べたことは、洪作にとって大きな事件だった。洪作は生き生きした少年の群れに初めて接した気持だった」とあります。
英泉の美人画のような・・・
三月の期末試験が終了した日、金枝に誘われ藤尾の家に遊びに行くことになります。藤尾は胸が痛いといって試験をボイコットしたため父親から外出することを止められていました。
家では藤尾のお姉さんがやってきて「金枝さん、連れださないでね」と念を押します。金枝は学校の文集にお姉さんのことを「顎(あご)の張った美人」と書いたため悪い印象を持たれています。一方、木部は「英泉の浮世絵に生き写し」と褒めたため好意を持たれているとのこと。
下にはその英泉(溪斎英泉)の浮世絵の一つを引用しました。金枝も木部も思っていることは同じでしたが、表現の違いが藤尾の姉の印象を変えてしまったようです。
出典:井上和雄 解説 ほか『浮世絵概観』,大鳳閣書房,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240324 (参照 2024-01-24、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1240324/1/17
千本浜での徒競争
洪作たちは藤尾が家から抜け出すのを手伝い、千本浜に向かいます。海岸まで出ると木部がタイムを競うことを提案し、藤尾が腕時計で時間を計ることになりました。
話は少しそれますが、タイム測定に藤尾の時腕時計を使いまわしていることから、この時、腕時計を持っていたのは藤尾だけだったようです。下に引用した大正末の広告によると「日本デ一番安イ」腕時計が10円前後とのこと。当時の公務員初任給が75円程度ということを考えると高級品であったといえるでしょう。
出典:大蔵省印刷局 [編]『官報』1926年07月06日,日本マイクロ写真,大正15年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2956311 (参照 2024-01-26、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2956311/1/17
砂浜に打ち上げられた流木を目印に往復する200mほどのコースを設定し、運動神経のいい木部が最初に走ります。次に金枝も独特のフォームで駆け抜けますが木部よりは三秒遅いタイムでした。最後に藤尾と洪作が一緒に走りますが、藤尾は「駆けるのをやめて、砂浜の上に屈み込んだ」とあり、ちょっとした騒動になります。
下は大正10年ごろの千本浜の写真です。松林の向こうには富士山が見える絶景は、今もあまり変わっていません。「木部の走って行く、すぐ横で波は砕けていた。波が砕ける度に、木部の体は波にさらわれてしまうのではないかと思われるくらいだった」というシーンを、こちらの風景の中に置いてみましょう。
出典:静岡県 編『静岡県史蹟名勝誌』,静岡県,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/980806 (参照 2024-01-27、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/980806/1/55
増田・小林との決別
金枝たちと親しくなるにつれて一緒に通学していた増田や小林との間は疎遠になっていきます。
中学三年の三学期の通知簿を貰いますが「下から数えた方がずっと早かった」とのこと。洪作は校庭で木部に出会います。
木部「どうだった?」
洪作「下がっちゃった」
木部「―――教えておいてやるよ。ひとから成績を訊かれたら、まあ、まあ、だ、と言え。・・・・・・威張っても聞こえないし、泣きごとにも聞こえない」
下には大正時代の沼津中学校の写真を引用させていただきました。こちらの校庭に少し落ち込んでいる洪作と、それを慰めるように声をかける木部を姿を置いてみます。
出典:静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607 (参照 2024-01-25、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1915607/1/11
洪作が校門を出ると、後ろから増田と小林がやってきます。
増田「成績はどうだった」
洪作「まあ、まあ、だ」
小林「俺たち知ってるよ。お前、こんど、ひどく下がった筈だ。この前、橋見先生のところへ遊びに行って聞いたんだ。どうして急にあんなに下がったか、不思議がってた」
そして、増田と小林は洪作に忠告をします。
小林「上級生と遊ぶのはいかんよ。君が付合出した連中は、みんないかんと思うんだ。・・・・・・学校はサボルし、先生には反抗するだろう。朱に交われば赤くなるという諺がある。自分でも知らんうちに不良になってしまう」
など。
他にも洪作にとって不快なことをいわれたため「忠告なんか、ひとつも諾かん。誰が、お前らの忠告なんか諾くもんか」というと、大喧嘩になってしまいました。
けんかの後、一人での帰り道「小林や増田に言わせると、自分はもう不良になりかかっている」と考えた洪作は、黄瀬川の周辺で煙草を購入し、近くの神社(智方神社と思われる)で吸います。
下は現在の智方神社の社殿のストリートビューです。ここでは、初めての煙草に目眩を感じた洪作が、社殿の濡れ縁に横になっているところを想像してみましょう。
旅行の情報
ラーメン安富
洪作が藤尾たちとラーメンを食べた中華料理店・ダルマ軒は残っておらず、当時のラーメンを食べることはできません。ここでは、沼津の駅前で長く営業を続ける「ラーメン安富」さんをご紹介します。
こちらのお店は手打ちの醤油・塩ラーメンを二枚看板としているお店で、もちもちの太麺が人気です。太麺が苦手な場合には細麺の選択肢もある(醤油・塩)ほか、下に引用させていただいたようなワンタンメンやネギラーメンなどもラインナップしています。チャーハンも美味しいと評判なので、お腹をすかせて行ってみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】静岡県沼津市高島町27-2
【アクセス】沼津駅から徒歩約4分
【参考URL】https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220501/22006046/