井上靖著「夏草冬濤」の風景(その5)
湯ヶ島への帰路
数年ぶりに故郷に帰省する洪作は途中の景色も懐かしく思えました。三島から大仁までは汽車にて移動。大仁から湯ヶ島まではバスに乗って移動します。バスには男が3人、女が4人のっていて「丸顔であろうと、細長い顔であろうと・・・みんな(伊豆の人独特の)同じ顔立ちだった」とあります。下に引用させていただいたのは修善寺駅と修善寺温泉間をイベントなどで走るボンネットバス。ここでは伊豆の人独特の顔立ちや方言をきいてほっとする洪作の姿を想像してみます。
天城の山々
バスがどんどん進み行く手に天城の連山が見えてきます。「山の形も、山肌の色も、その稜線も、みな見覚えのある懐かしいものであった」と述べられています。下に引用させていただいたのは狩野川周辺からの天城の景色です。ここではバスの窓に顔をぴったりとくっつけて「天城が見える!」と感動する洪作をイメージしてみます。
祖父の家へ
故郷の湯ヶ島に到着した洪作は宿泊させてもらう予定の祖父の家に向かいます。「家へはいると、内部は薄暗かった」とあります。「しかし、この暗さが懐かしかった。湯ヶ島は暗い家が多かった」とも。下で引用させていただいたのは実際に井上靖氏の祖父が住んでいた「上の家」と呼ばれる建物です。道路に面したところに見える戸が玄関でしょうか?ここでは家に入った洪作が部屋の暗さに慣れずにしばらく立ち止まる風景をイメージしてみます。
湯ヶ島の朝食メニューは?
帰省した洪作に祖母たねが朝食を作ってくれます。「味噌汁のほかに、金山寺味噌、漬もの、福神漬け、わさび茎の酢漬、そんなものが小さい器にはいってならんでいる」とあります。若干内容は異なりますが下に引用させていただいた写真のようなイメージです。「この部落では、どの家の朝飯も大体似たようなもの」とのこと。懐かしい味に感動しごばんのお替わりをして食べる洪作の姿を想像してみます。
土蔵で思い出にひたる
洪作は祖母から土蔵の鍵を借り小学生のときに住んだ土蔵の中に入ります。ちなみにこの土蔵での生活は以前ご紹介した「しろばんば」なる小説にて詳細が描かれています。曽祖父の妾であった「おぬい婆さん」とともに暮らした場所で思い出にひたります。「北側の窓から見る眺めは、小学校時代と少しも変わっていなかった。窓際にある大きなざくろの木の枝が窓にかかっていることも、以前と同じだった」とあります。引用させていただいたのは某所のお寺さんの土蔵とのこと。バスが珍しかった小学生のころは「バスがきたぞ」と互いに教え合ってこの窓からその速さに目を見張っていたとあります。ここでは洪作に呼ばれ2階の窓に体を近づけるおぬい婆さんの姿をイメージしてみます。
伯父の家を訪問
洪作は祖父から命じられて父の兄である叔父・石守森之進を訪ねます。洪作の小学校の校長だった叔父は近づきがたい存在でしたが色々と話しをするうちに親しみを感じるようになります。一緒に枕を並べてふとんに入った時に祖父は「お前は、大きくなったら、何になりたい?」と質問します。「まだ判りません」と素直に答える洪作。「判らなくて当然だ。今頃から判っていたら変なものだ」と祖父。また、文学を趣味とする叔父から本格的な長い小説を貸してやると言われ閉口します。下に引用させてただいたのは洪作が友達から借りて読んだことのあった数少ない雑誌「日本小説」の抜粋。少年モデルの服装も明治や大正を思わせます。文学について全く興味がなかった少年が後日、有名な作家になるとは誰も想像しなかったかもしれません。
一ノ瀬親子
湯ヶ島に向かう三島駅で一ノ瀬洋三(いちのせようぞう)という沼津中学の一年生と偶然出会いました。同じく三島から沼津まで登校していましたが話したことのない間柄。洋三は母とともに湯ヶ島の「伊豆楼」なる温泉旅館で正月を過ごすとのことでした。正月に訪問するように誘われますが上品な母子に気後れしていました。そんな正月のある日、洪作の留守中に先方から上の家を訪問してくれたとのこと。祖母に勧められて伊豆楼に行くことになります。下は伊豆楼のモデルとされる「落合楼」の一室です。「縁側に机を出し、それに向かっている色白の少年の背後姿(うしろすがた)が見えた」とあります。奥の縁側で洋三が勉強し手前には洪作と洋三の母が座る風景を思い描いてみます。
洪作が最初に驚いたのが洋三の母がだしてくれた羊羹の大きさでした。薄く切って出すものと思っていた羊羹がここでは厚さ3cmほどもあったとの記述があります。下に引用させていただいてのは和菓子の老舗「虎屋」の羊羹の写真です。こちらも美味しそうなカッティングがされています。
正月の湯ヶ島での生活について聞かれた洪作。鵯(ひよどり)の罠を仕掛けにいっていたなどと回答します。一方、洋三の元旦の生活にも洪作は驚かされます。「勉強初めに一時間だけ英語をやり、そのあとお母さんと歌を作りっこしました」。そして「午後、チェーホフの小説を読みました」とも。名前も知らない作家の小説を元旦から読む少年に対し「何もかも及ばないという気がした。向こうの方が何となく上等な人間で、自分の方がその下に位する人間のような気がした」ともいっています。
どんどん焼き
湯ヶ島の正月のしめとなるのがどんどん焼きでした。子供たちが近所の家々のお飾りを集めに廻った後、田んぼの一角に積み重ねて焼く行事です。また、木にさした団子を一緒に焼いて食べるのも子供たちの楽しみ。洪作は木から落ちた団子のおこぼれに預かります。「子供の頃、あんなにうまいと思った団子が、今は少しもうまく感じられなかった」というのが洪作の感想でした。下に引用させていただいたのはこの小説の景色を彷彿とさせるどんどん焼きの景色です。このような風景を見ながら少年時代が過ぎ去っていくのをしみじみと感じる洪作の姿がありました。
旅行の情報
上の家
洪作が帰省した時に宿泊した祖父・祖母の家です。毎月第3土日には「あすなろカフェ」なる交流会が開催され中に入って地元の人から話を伺うことができます。下に引用させていただいた写真では入口から苦虫を嚙み潰したような顔をした祖父や優しくほほえんだ祖母が玄関を開けて出てくる姿をイメージしてみます。
【住所】静岡県伊豆市湯ケ島
【電話】0558-85-1056(伊豆市観光協会天城支部)
【アクセス】湯ヶ島バス停から徒歩約2分
【参考サイト】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=5055
おちあいろう(落合楼)
明治7年に創業した老舗の温泉旅館です。小説では一ノ瀬母子が正月を送った場所として描かれています。露天風呂などの設備も充実。下に引用させていただいた写真のように部屋からの狩野川の清流の眺めも抜群です。こちらに立ち寄られることがあれば一ノ瀬母子と洪作の場面を想像しながら分厚い羊羹を召し上がってはいかがでしょうか?
【住所】静岡県伊豆市湯ケ島1887-1
【電話】0558-85-0014
【アクセス】 伊豆箱根鉄道修善寺駅からタクシー
【参考サイト】 https://www.ochiairo.co.jp/ja-jp