井上靖「しろばんば」の風景(その1)

「しろばんば」の舞台へ

「しろばんば」は井上靖氏の自伝的小説で「夏草冬濤(・・・の風景その1・参照)」、「北の海(・・・の風景その1・参照)」へと続く3部作の1作目です。主な舞台となる伊豆・湯ヶ島には当時を偲べる場所も残っているので、SNSの画像やGoogleストリートビューを活用しながら小説の場面を可視化していきます。また、文末には関連する観光施設も掲載しますので、旅行のご参考にしてみてください。

「しろばんば」の舞台は伊豆半島・中央部にある湯ヶ島周辺です。時代は「大正四、五年」から始まり、主人公・洪作少年の小学生時代が描かれています。洪作は「おぬい婆さん」という曽祖父の妾(めかけ)との二人暮らしという特殊な環境にあり、そのことが人格形成に大きな影響を及ぼしました。以下には「しろばんば」の主な登場人物を紹介しておきます。

出典:管理人作成

説明だけでは少しややこしいので、下に家系図にまとめました。
なお、洪作がなぜ、おぬい婆さんと二人で住むきっかけになった理由については以下のように書かれています。
「洪作の母の七重が、洪作のあとに妹の小夜子を生んで、幼児二人を育てるには人手もなく、そんなことから、ごく短期間のつもりで、洪作をおぬい婆さんに預けた」
「五歳から六歳へかけての一年を過ごすうちに、両親よりおぬい婆さんの方になついてしまって、家に帰りたがらなくなってしまった」

おぬい婆さんは「願ってもない宝物」として洪作を実の孫のように可愛がりますが、祖父母や七重たち兄弟からは「孫の洪作まで人質に取り上げてしまっている腹黒い女」と見なされます。

出典:管理人作成

洪作の暮らした土蔵について

洪作の家については「部落では一番庭らしい庭を持った洪作の家の屋敷」であり「母屋の方は東京から来て村医をしている医者に貸し、屋敷の裏手の土蔵の方に、洪作とおぬい婆さんの二人は住んでいた」と記されています。

土蔵での生活については「おぬい婆さんと二人だけの土蔵の中の生活は結構楽しかった。何一つこれといって不満はなかった」とのこと。洪作(井上靖氏)が暮らした土蔵は残されていませんが、母屋跡とともに「井上靖旧邸跡地」として整備されています。

下は、その「井上靖旧邸跡地」の近くにある県道59号線のストリートビューです。「ずっと遠くに玩具のような形のいい小さい富士が見えた」と記しているのはこのような風景だったかもしれません。

土蔵周辺の風景

「井上靖旧邸跡地(左側)」周辺を下のストリートビューで探検してみましょう。道路(旧下田街道)進行方向の四つ辻の右側には、実の祖父母が住む「上の家」(こちらは現存)が見えます。また、こちらのビューでは見えませんが、その先には遊び場となっていた御料局(ごりょうきょく)がありました。

ここでは、土蔵から出てきた洪作が、旧下田街道を走って遊びに出かけるシーンを想像してみましょう。

「しろばんば」とは

「夕方になると、決って村の子供たちは口々に“しろばんば、しろばんば”と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮游している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ」とあります。

タイトルの「しろばんば」は地方によっては雪虫や綿虫などと呼ばれるアブラムシの一種です。冬の到来を告げる虫ともされていて、下に引用させていただいた写真のような姿をしています。

洪作の遊び場からの景色

「しろばんば」は冬の到来だけでなく、帰宅時間を知らせるものでもありました。以下のような記述があります。
「夕方が来るからしろばんばが出て来るのか、しろばんばが現れて来るので夕方になるのか、そうしたことははっきりしていなかった」
「しろばんばが青味を帯んで見えて来る頃になると、帰宅を促すために子供たちの名を呼ぶそれぞれの家の者の声が遠くから聞えてきた」

ちなみに「子供たちの遊び場は、部落の者たちがお役所とか御料局とか呼んでいる帝室林野管理局天城出張所の正門前に決っていた」とあります。下のストリートビューはその跡地に整備された「しろばんばの里公園」周辺から洪作の家方向を見たものです。

ここから洪作の家まではストリービューの進行方向に200mほど、徒歩でも3分程度です。こちらの写真のなかにしろばんばが飛び交う夕暮れをイメージし「友達のたれもが居なくなり、夕闇があたりをすっかり閉じこめてしまってから、自分の家の方へ歩いて行った」という風景に重ねてみましょう。

洪作の祖父の家

御料局から20mほど洪作の家に向かった旧下田街道の左側には、うろこ壁の赤い屋根の建物が見えます。こちらは小説では祖父・文太や祖母・たね、同学年のみつなどが住んでいる洪作の本家筋の「上の家」です。

下のストリートビューの中央には当時の姿をとどめる「上の家」、左後ろには洪作たちの遊び場・御料局(現・しろばんばの里公園)が見えます。遊び場が近いこともあり洪作は上の家に「一日に何度も水を飲みにいかなければならなかったし、珍しいものでも作っていればそれも食べに行かねばならなかった」とあります。

ただ、おぬい婆さんから「洪作は三百六十五日、毎晩のように本家である上の家の悪口を耳にしなければならなかった」とのこと。彼女は仇敵の関係にある上の家に洪作がひんぱんに立ち寄ることを歓迎していませんでした。

さき子が実家に戻る

「洪作が二年になった春、上の家では去年沼津の女学校を卒業して、その後親戚の家で家事の稽古をしていたさき子が家へ帰ってきた」とあります。また、「さき子は他の村の娘とは違って、沼津の女学校に行っていただけあって、身に着けている雰囲気は都会的」、「髪型にしろ、着ている着物にしろ、口のきき方にしろ、そしてその歩き方までが当時の言葉で言えば垢ぬけてハイカラ」というようにあこがれを抱いていました。

下に引用させていただいたのは1962年公開の日活映画「しろばんば」の映画のワンシーンです。こちらの映画では芦川いずみさんがさき子を演じられていました。ここでは「上の家へ日に何回も言った。なんとなくさき子の傍へまといついていたい気持ちがあった」という洪作の姿をイメージしておきます。

洪作たちが通ったお風呂

「さき子が村に帰ってから、洪作は毎日のようにさき子と一緒に渓合に湧き出している西平の湯へ出掛けて行った」とあります。「西平の湯」は現在「河鹿の湯」という日帰り温泉施設になっていますが、当時の様子は以下のようでした。
「浴場といっても、簡単な屋根と、一隅に着物を脱ぐところができているだけのことであったが、湯は豊富で、二つに区切られている大きな浴槽には四六時中湯が溢れていた。二つの浴槽の間には、板の仕切りがしてあり、何となく男湯と女湯の区別ができているわけであったが、どっちが男湯でどっちが女湯か決められていなかったし、そんなことに頓着する入浴者は一人もいなかった」

下には、「河鹿の湯」にも近い湯ヶ島温泉・湯本館の貸し切り露天風呂の写真を引用させていたきました。こちらも狩野川の畔にあり、当時の様子を想像することができます。ここでは、洪作たちが「思い思いに浴槽に飛び込んで、湯の飛沫を上げて暴れた。建物の傍を大川が流れていたので、裸で河原に出て大きな石を運んで来て湯の中に投げ込んだりした」というシーンを想像してみましょう。

さき子が教師に

ある日、西平の湯の「浴槽で暴れ廻っている子供たちにさき子は「あしたからお姉ちゃんは学校の先生になるのよ。みんな言うことをきかないと大変よ。ぴしぴしやっちゃうから」と告げます。

下に引用させていただいたのは昭和初期の尋常小学校(龍谷村立龍谷尋常小学校、現・岡崎市立竜谷小学校)の朝礼時と思われる写真です。朝礼では「学校で朝礼の時、石森校長が三年受持の若い教師が教職を辞すことになったことを告げ」「この学校の卒業生である上の家の伊上さき子が母校で教鞭をとることになったことを発表した」とあります。

ここではこの中のどこかに洪作とみつの姿を置き、「伊上さき子という名が校長の口から出ると、みつと洪作の二人は体を固くして赤い顔になった」というシーンと重ねてみましょう。

出典:樹林舎, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Okazaki-City-Ryugai-Elementary-School-1.jpg

井上靖旧邸跡・上の家

井上靖旧邸跡は、洪作少年が小学生時代を送った「しろばんば」のメインスポットです。土蔵跡には花壇がつくられ、母屋跡の裏には下に引用させていただいたような「しろばんばの文学碑」が立てられています。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/2367788&title=%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%82%93%E3%81%B0%E3%81%AE%E7%A2%91

また、祖父母が住んでいた「上の家」は、2021年に修復が完了し洪作少年のころの姿に戻りました。毎月第1土日、第3土日の10~15時に一般に公開されています。

井上靖旧邸跡や上の家、御料局のあった「しろばんばの里公園」などは徒歩圏にあるので、天城会館の駐車場などを起点にめぐってみましょう。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ケ島189
【アクセス】新東海バス・湯ヶ島バス停から徒歩約2分
【参考URL】https://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=5320

河鹿の湯

河鹿の湯は西平の湯と同じく、今でも周辺の住民の利用する温泉施設です。洪作のころのような開放感はありませんが、窓からは狩野川の清流を眺められ弱アルカリのやさしいお湯は当時と変わっていません。

下に引用させていただいたように、蛇口の上にはかわいいカエルが鎮座しています。なお、アメニティタオルやシャンプーなどは持参しましょう。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ヶ島1650-3
【アクセス】修善寺駅から東海バスで30分。湯ヶ島温泉口から徒歩約5分
【参考URL】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2505

昭和の森会館・井上靖旧邸

洪作が暮らした土蔵は残っていませんが、母屋は湯ヶ島の道の駅・天城越え内の「昭和の森会館」に移築されています。外観は下に引用させていただいたように洪作少年が出入りしていても違和感のない雰囲気です(一階は見学も可)。

また、道の駅内の「伊豆近代文学博物館」には復元された土蔵や井上靖氏の直筆原稿、伊豆に関連する作家の貴重な資料などもあるのでお見逃しなく。「昭和の森会館」にはほかにもわさび田やもみじ林なども備えていて、天城の自然も満喫できます。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ヶ島892-6
【アクセス】東海バス・昭和の森会館で下車すぐ
【参考URL】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2365

井上靖「しろばんば」の風景(その1)” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。