内田百閒「贋作吾輩は猫である」の風景(その4)

もう一人の百閒先生が登場

今回、五沙弥家を訪問しているのは風船画伯と鰐果蘭哉(わにはからんや)の2人です。蘭哉君の共産主義の話から始まり、ストライキで得をした話、線香を焚く場所についてなどテーマが転々とします。また、五沙弥以外にも百閒先生をモデルとした人物・蛆田百減を風船画伯の仕事仲間として登場させているのも面白い趣向です。

大手饅頭を囲んで

今回訪ねてきたのはお酒のことで説教していった「馬面マリア」の息子・蘭哉君です。餉台の上には「作久さんが岡山へ帰ってから送ってきた名物の大手饅頭」が鉢に盛り上げておいてあります。大手饅頭は歴史のある岡山名物で、下に引用させていただいた写真のように、あんこが透けて見えるのが特徴。甘すぎない上品な味わいで百閒先生の大好物でした。

少し話は脱線しますが、大手饅頭については同じく百閒先生の第二阿房列車(風景その3・参照)や第三阿房列車(風景その7・参照)でも登場しますので、こちらも覗いてみてください。

絶品の大手饅頭ですが五沙弥家に届いてから「もう余っ程日が経つ」らしく「饅頭の皮が乾いて引っ釣って、皺になった所に黴が一ぱい生えている」とあります。今回の最初の風景は、なかなか食べようとしない蘭哉君に先生は「なぜ食べない」と詰問するところから始めてみましょう。

鰐果蘭哉君の話

鰐果君は共産主義に傾倒していますが「それが本物ではなかったのです。自分でそう思っとリますが、赤い垣根のまわり、うろうろと云う小市民的インテリだったのです」といい、「主として文学」で共産主義を追及していきたいと語ります。具体的には「自然主義文学になりやすいプロレタリア文学を・・・・・・所謂ブルジョア文学等からいい所を取り入れて、もっと芸術化すると云うのです」とのことでした。

先生は「聞いては上げるけれど、丸でわからんよ」とか「くたびれるね」などと応答し、大手饅頭を食べさせて鰐果君の話を終了させようとしますが・・・・・・

ここで鰐果君が頭に描いていたのはプロレタリア文学の代表作の一つとされる「蟹工船」ようなものだったでしょうか。下にはその著者である小林多喜二氏の写真を引用させていただきました。

出典:「国立国会図書館デジタルコレクション近代日本人の肖像」小林多喜二
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6232

風船画伯登場

蘭哉君の話が落ち着いてきたころ、風船画伯が上がってきます。蘭哉君が先日「風船先生をお見掛けしました」というと、画伯は「あすこでお月見をして居りました」と返します。一杯やった後に空をみると春月が出ていて「所所に白い千切れ雲が浮いて居りましてね。それがお月様の表に流れると、雲の端の所が、今まで白かったのが薄紫に見えたり、青くなったりしました。それからお月様をもっと隠すと雲がそんなに厚くないと見えましてね、雲の中にお月様の明かりがあるものだから、その雲の塊りが綺麗で、うまそうで、大きな葬式饅頭の様に見えました」とのことです。

下には雲と月明かりの綺麗なコラボの写真を引用させていただきました。風船画伯の見たのもこのような風景だったかもしれません。

お香の話

雑多な話が続き、お香が話題になったときに風船画伯は「閻魔様が抹香嘗めた様だと申しますね。先生さん見たいだと思う事もありまして」と口をはさみます。ちなみに「閻魔様が抹香嘗めた様」は苦虫をかみつぶしたような難しい顔のたとえで、下に引用させていただいたような百閒先生の表情をイメージすればよいかもしれません。

線香の話は続き、先生は「夏暑い時分に遠く迄汽車に乗る時は、いつでも蚊遣り線香を持っていって座席の下で焚くと、蚊が逃げる」といいます。

関連して下には鶴見線の車両(クモハ12型)の引退を報じる平成8年(1996年)の新聞写真を引用させていただきました。電車の床に蚊取り線香との記述があり、まだ昭和の雰囲気が残っていたことが分かります。

蘭哉君と牧羊神

蘭哉君が「つい赤いマントを脱ぎすてようかという気になります」というと「牧羊神のパンが美少年(=蘭哉君)の肩に手を掛けて居りますね」と風船画伯。パンとは「角を生やして、脚は山羊で」という姿で風船画伯も「(牧羊神については)自分の仕事の意匠で知っているだけ」とのことです。ここで「赤いマント」や「牧羊神のパン」はどちらも共産主義の暗喩となっています。

下には初回(「贋作吾輩は猫である」の風景その1)でも引用させていただいた「佐藤春夫著fou」の別の挿絵(谷中安規作)です。こちらの絵は「黄銅製のハレムランプ。ロココ風の縁のある楕円形の鏡・・・テラコッタの牧羊神」といった主人公の引っ越し荷物を表現しています。中央の角を持った生き物が牧羊神かもしれません。

出典:佐藤春夫 著 ほか『FOU : 絵本』,版画荘,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1207968 (参照 2023-10-25)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1207968/1/32

蛆田百減=内田百閒?

風船画伯は「新聞の連載小説の挿絵を頼まれまして」とあり、その連載小説の作家は「蛆田百減(うじたひゃくげん)」という名前でした。「あまり聞かない名前だな。百減さんと云うのはえらいのですか」という五沙弥先生の質問に対し「水んぶくれの大きな顔をした文士さんで御座いますよ」と回答します。

内田百閒氏が新聞に連載した唯一の小説「居候匇々(いそうろうそうろう)」の写真を下に引用させていただきました。挿絵を担当したのは風船画伯・谷中安規氏です。ここでは画伯が百閒先生の家に詰めきりで、必死にタコの姿を彫っている姿をイメージしてみましょう。

旅行などの情報

とっとり・おかやま新橋館

冒頭に登場した岡山名物・大手饅頭は東京でも購入することが可能です。新橋駅前には下に引用させていただいたようなアンテナショップ(とっとり・おかやま新橋館)があり、定期的に大手饅頭を入荷しています。ほかにも岡山名物・きびだんごや鳥取の新鮮な海産物、梨などの果物類も豊富にあり、旅行気分も楽しめるでしょう。

また、2Fの「ビストロカフェももてなし家」というレストランでは鳥取県産「紅ずわい蟹重」や岡山県産「津山のホルモン焼うどん」といった地元グルメを堪能できます。

基本情報

住所:東京都港区新橋一丁目11番7号新橋センタープレイス1F/2F
アクセス:東京メトロ銀座線・新橋駅から徒歩すぐ
関連URL:https://www.torioka.com/