井上靖著「しろばんば」の風景(その2)

夏休みの始まり

今回から物語にそって風景を見ていきます。大正4、5年ころの時代。伊豆の「湯ヶ島小学校」に通っていた洪作の1学期が終了し終業式を迎えます。袴を着て登校した洪作は上級生からのいやがらせを受けますが抵抗できません。一方で、同じいやがらせを受けた同級生が必死に立ち向かっていくのを見て「生まれて初めて、自分の卑屈さを思い知らされ」ます。

現在、その小学校跡地は「市民活動センター」になっていて、その片隅には下に引用させていただいたような洪作とおぬい婆さんの像があります。さまざまな経験を積んで大人になっていく洪作と、彼を見守るおぬい婆さんの姿をイメージできそうです。

門野原の叔父の家への訪問

一学期が終了すると父の兄にあたる小学校校長の石守森乃進(もりのしん)の家に泊まりにいくことになりました。おぬい婆さんと2人だけの生活をしていた洪作にとって一人で泊まりに行くのは初めての経験。迎えにきてくれた森乃進とともに(下に写真を引用させていただいた)嵯峨沢橋を渡ります。

いつも気難しい顔をしている叔父ですが、洪作の父が子供のころ、泳げないのにこの橋かから飛び込んで溺れかかったエピソードを語る場面があります。ここでは、川の流れを見下ろしながら、兄弟の愛情に温かいものを感じる洪作の姿をイメージしてみます。

森乃進の家で冷たくされたと感じた洪作は宿泊せずに一目散に自宅に逃げ帰ります。森乃進が住む門野原から湯ヶ島まで距離は2Km程度。「ばあちゃ」と叫びながら必死に走りました。下に引用させていただいたのは「しろばんば通り」と呼ばれる土蔵近くの街道の写真です。息をはずませながらもほっと一息ついた洪作の顔を想像してみましょう。

豊橋の父母の家への訪問

当時の交通手段は?

なんとか逃げ帰った洪作ですが、今度は父のいる豊橋に行くことになりました。おぬい婆さんも一緒に招待され豊橋への2人旅が始まります。大正時代当時には湯ヶ島から大仁(おおひと)までは乗合馬車。そこから軽便鉄道で沼津まで出て汽車(SL)に乗り、豊橋まで向かうのが一般的でした。

一日での移動は難しく洪作も沼津で一泊しています。下に引用させていただいた最近の大仁駅の写真で、レトロな洗面台が印象的です。大正時代までさかのぼることはありませんが、なつかしい気持ちにさせてくれる風景です。

乗合馬車

「天城(あまぎ)乗合馬車」は定員が6名の小型のトテ馬車でした。下に引用させていただいたのは、塩原温泉で観光用に運行しているトテ馬車です。洪作の時代のトテ馬車は、もう少し小型で色が地味なものを想像してもらえば良いのではないでしょうか?

馬に水を与えるなどの休憩をはさんでやっと大仁駅に到着します。大仁駅前は湯ヶ島では見たことのない映画館や大きな店舗がありました。また、都会風の顔をした少年たちは洪作にはまぶしく感じられました。

軽便鉄道

大仁から沼津までは軽便鉄道を利用。軽便鉄道とは通常より線路の幅が狭いなど名前の通り簡易な鉄道のことです。下に引用させていただいたのは今でも道後温泉周辺を走行する「坊ちゃん列車」で、明治21年に日本発の軽便鉄道としてスタートした列車のレプリカです。

洪作が乗り込んだのもこのような乗り物だったかもしれません。乗合馬車よりは乗り心地もよく快適な旅ができたのではないでしょうか?

沼津の駅や町

沼津の街の子供たちは、大仁の少年たちより更に小ぎれいな服装をしていて、洪作は引け目を感じます。おぬい婆さんと洪作は豊橋に向けて汽車に搭乗。汽車に乗り込んで驚いたのは富士山の大きさです。

「こんなところにも富士があらあ」と叫んだ洪作に周辺から笑い声が起こります。下に引用させていただいた綺麗な富士山の写真を見ながら、ほのぼのとした大正時代末期の風景をイメージしてみましょう。

蒸気機関車(SL)

いよいよ最後の交通手段・汽車は下のようなものだったでしょうか?蒸気機関車は最近では観光列車にもなっているレトロな乗り物ですが、当時は現在の新幹線のような最先端の乗り物でした。下には大正時代に生産を開始したSL8620形の写真を引用させていただきました。

煙草をのんだでくつろぐおぬい婆さんをしり目に、洪作は窓の景色に夢中です。蒸気の煤煙をおぬい婆さんに拭いてもらうシーンがありますが、当時はよく見かける風景でした。

汽車沿線の風景(弁当売り)

静岡駅に着くとホームを行き来する売り子からお弁当とお茶を買う場面があります。駅ナカの売店などは少なかった時代で、駅弁の立ち売りは大忙しでした。「べんと・べんとー」とホームを歩く懐かしい売り子さんの声は今ではほとんど聞くことができません。

汽車沿線の風景(名物グルメ)

洪作はおぬい婆さんから手帳を渡され、汽車内で仕入れた情報を書き込みます。静岡駅では安倍川餅が販売されていて手帳に「アベカワモチ」と書きます。この名物は徳川家康が命名したとも伝えられている古くからのもの。改めて歴史の古さに驚かされます。

下に引用させていただいたのは現在でも販売されている安倍川餅の写真です。プルンプルンとしていて見ているだけでお腹が減ってきそうですね。

汽車沿線の風景(大きな河川)

沼津から豊橋(現在の東海道沿線)の間には湯ヶ島にある狩野川に比べて大きな川がたくさんあります。富士川や安倍川、天竜川などを車窓から見ていた洪作ですがどれも狩野川に比べて小さいと言い張るシーンがあります。

この時期は水流が少なかったのかもしれませんが自分の遊んでいる川を一番と考える気持ちが伺えてほほえましい場面です。そうこうしているうちにいよいよ豊橋に到着。お話は(その3)に続きます。

旅行の情報

湯ヶ島小学校跡地(市民活動センター)

洪作が通った小学校(旧湯ヶ島小学校)の跡地には伊豆市・市民活動センターが2019年4月1日にオープンしmした。館内には下に引用させていただいたような井上靖資料館も併設されています。「しろばんば」の関連資料なども多数展示されているので、是非お出かけください。

[住所]静岡県伊豆市湯ヶ島1650-3
[電話番号]0558-85-1056(伊豆市観光協会天城支部)
[アクセス]修善寺駅から東海バスで30分。湯ヶ島温泉口から徒歩約5分
[参考サイト]http://www.city.izu.shizuoka.jp/gyousei/gyousei_detail008199.html

嵯峨沢館

叔父の家の近くにある嵯峨沢館は、しろばんばの舞台巡りの拠点としてもおすすめです。下に引用させていただいたような野趣あふれる露天風呂が人気。部屋は狩野川に面していて、川のせせらぎを聴きながらリラックスすることができます。

[住所]静岡県伊豆市門野原400-1
[電話番号]0558-85-0115
[アクセス]修善寺駅から東海バスで25分、嵯峨沢温泉で下車
[参考サイト]https://www.sagasawakan.com/