井上靖「しろばんば」の風景(その7最終回)

多感な時期を迎えた洪作

小学六年に進級した洪作は女性というものを意識する二つの出来事を体験します。また、新学期から中学受験のために若い教師のところに通い、睡眠時間を削って勉強をしますが、予想もしない事件が待ち受けていました。そして、洪作は湯ヶ島に戻った母たちと暮らすことになり、おぬい婆さんはそのことに反発しますが・・・・・・

女性を意識

参考書を買いに沼津へ

中学の受験が一年先に迫った小学六年生になる年の春休み、洪作は叔父の石森校長から学校に呼び出され、「沼津へでも行って参考書を買って来なさい。教科書だけやっているようじゃ、とてもはいれん!とにかく、もっともっと勉強せい」といわれます。

下は大正時代に静岡師範学校附属小学校が所蔵していた学習参考書のリストの一部です。石森校長は「この前、お前の綴方を見たら、嘘字が三つあった。短い文章の中に、三つも嘘字を書くようでは、とても中学へははいれん」とも言っていました。このリストの中で洪作が購入した本があるとすれば「小学綴方模擬自習室(成象堂)」だったかもしれません。

出典:静岡師範学校附属小学校 編『児童課外読物目録』,静岡師範学校附属小学校,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/941718 (参照 2024-01-09、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/941718/1/18

啄木の歌

沼津では親戚・かみきの家に泊めてもらいました。そして、かみきの娘の蘭子が以前の訪問時(しろばんばの風景その5・参照)と比べ「この前はお侠(きゃん)な意地の悪い少女であったが、いまはすっかりおとなびて、口のきき方まで違っていた」ことに驚きました。

沼津では蘭子に誘われて千本浜に行く場面もあります。そのやりとりを以下に抜粋してみましょう。
蘭子「洪ちゃ。さきに出て、角の八百屋さんのところで待っててね。一緒に家を出ると変に思われるわ」
洪作「どうして変に思われる?」
蘭子「だって、男と女が一緒に出たら、怪しまれるわよ。洪ちゃって、なんにも知らないのね。田舎は平気かも知れないけど、街はうるさいのよ」

下に引用したのは大正時代の千本浜の写真です。こちらの松林のなかに、歩きながら啄木の恋の歌を唄う蘭子と、「(歌という)全く知らなかった高級で甘美な世界があるということを教えられた」という洪作の姿を置いてみます。

出典:静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607 (参照 2024-01-06、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1915607/1/10

混浴ができない年齢に

六年生になると、洪作は部落の下級生たちを連れて共同浴場に通うようになります。それまで混浴ということを気にせずに通っていた洪作ですが、ある時、高等科の女学生から「洪ちゃのスケベエ」といわれて困惑します。

下に引用したペリー提督の遠征記によると、「(下田の)町内には男女混浴の共同浴場があって男も女も赤裸々の裸体を何とも思はず互いに入り乱れて混浴して居るのを見ると此の街の道徳心に疑を挟まざるを得ない」といっているように、江戸時代末期にはまだ混浴の銭湯が多かったようです。

明治になると混浴禁止令などにより徐々に混浴が減っていきますが、洪作の過ごした大正時代は地域や年齢などにより混浴に対する考え方にばらつきがあったのかもしれません。ちなみに近年では銭湯の混浴制限年齢を6歳までとしている自治体が多くなっています。

出典:ペルリ 著 ほか『ペルリ提督日本遠征記』,大同館,1912. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/992335 (参照 2024-01-06、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/992335/1/152


下には前(しろばんばの風景その1・参照)にご紹介したとおり、現在も「河鹿の湯」として営業している当時の共同浴場からみた狩野川の写真を引用させていただきます。こちらの写真の手前側で、女学生たちが「いっせいにきゃあっと悲鳴を上げて・・・・・・憎々しげ」に共同浴場に入ろうとする洪作をにらんでいるところを想像してみましょう。

小学校の最年長となった洪作は「自分がもはや今までのように自由に女性に対して振舞うことのできぬ年齢に達しているのを知った」とあります。

受験勉強開始

新しい家庭教師

一学期の途中、洪作は校長の紹介で犬飼(いぬかい)という小学校高等科の教師のところへ勉強を見てもらいにいくことになりました。最初の日に犬飼は洪作にいくつかの問題を解かせてみて、「やはり大分遅れているな・・・・・・君はこの学校の六年生では一番出来るということになっているが、町の学校へ行くと、到底上位に入れない。まごまごすると中程度以下に落ちるだろう」といいます。

そして、洪作が浜松中学志望だというと「県下の中等学校では一番難しい・・・・・・このままでは到底はいれない」とのことでした。

参考のために、以下に大正時代の浜松中学の受験問題を抜粋しました。試験科目には国語と算術があり、国語の中には習字や作文が含まれています。

出典:中等教育研究会 編『中等程度入学試験問題集』,済美堂,大正2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/909324 (参照 2024-01-06、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/909324/1/26

(下に続く)

出典:中等教育研究会 編『中等程度入学試験問題集』,済美堂,大正2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/909324 (参照 2024-01-06、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/909324/1/27

少し話はそれますが、上の作文の問題には「初メテ汽車二乗リタル時ノコトヲ記ス」とあります。もしこの問題が出ていたら、乗車の際に下駄を脱いでしまったことや通過する川の名前を手帳に記入したことなど、豊橋旅行を思い返しながら答案を埋められたのではないでしょうか。

受験への決意

犬飼は「渓合の旅館に下宿」していますが、こちらの旅館のモデルとなっているのは現在の湯ヶ島「おちあいろう」です。下にはその「おちあいろう」の外観写真を引用させていただきました。

ここでは、こちらの写真のどこかの部屋で、犬飼と洪作が下にような会話をしているところをイメージしてみましょう。
犬飼「でも、君は(浜松中学に)はいらなければ困るんだろう」
洪作「困ります」
犬飼「今日から町の学校の子供の二倍勉強するんだな・・・・・・飯を食べる時も勉強、便所へ行っても勉強。風呂へ入っても勉強―――いいか、それができるか」
洪作「できます」
犬飼「よし。それなら僕もつきあって上げる。本当はあす校長に断るつもりだったんだ。それを断らないで、僕も真剣にやるから君も真剣にやれ」

勉強の合間の楽しみ

犬飼は中等学校の教員資格取得を目指していて、彼もまた自分の勉強をしていました。そして、勉強が終わった後、川縁にある露天風呂に犬飼とともに入るのが、洪作にとっては唯一の安らぎの時間でした。そこで犬飼は石川啄木(たくぼく)の歌をいくつか洪作に教えてくれます。

例えば最初の日には「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という歌を教えてくれますが、それは、千本浜で蘭子が唄ったものと同じでした。

下には落合楼の露天風呂の写真を引用させていただきました。ここでは、こちらの風呂に浸かりながら大きな声で歌を唄う犬飼と洪作の姿を置いてみましょう。

浄蓮の滝にて

夏休み明けに再開した犬飼は「ひどく痩せたように見えた」とあります。そのことを犬飼に告げると「痩せるくらい勉強せんと、なかなかものにならないんだ」とのこと。また、「先生はひと晩中眠れないので、死ばからり考えている」と不穏なことをいいます。

犬飼が神経衰弱になったという噂が立ち始めたある日の夜、洪作は犬飼に「滝に行こう」と誘われます。下に引用したのは洪作たちが向かった浄蓮(じょうれん)の滝の写真です。ここでは滝へ行く途中、犬飼の挙動に異常を感じた洪作が、「先生、帰ろう」と止めようとするところをイメージしてみます。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/27599438&title=%E6%B5%84%E8%93%AE%E3%81%AE%E6%BB%9D%E2%91%A1

母が湯ヶ島へ

父の転勤

五月の初め、母が湯ヶ島に一時的に帰郷し「父はこんど豊橋から浜松へ転任することになったが、当分適当な住宅がないので、その間だけ家族の者はこの湯ヶ島へ帰って住むことになる」ということを告げます。また、それにあたって「村の医者に貸しています母屋の方を空けて貰わねばならぬ」とのことでした。

下は現在、昭和の森文学館に移築されている母屋(井上靖旧邸)の写真です。六月の末になると「母の七重が妹と弟と女中の三人を連れて、豊橋を引き上げて湯ヶ島へ移ってきた」、そして洪作の意思とは関係なく「洪作も土蔵から母屋へ移ることになった」とあります。

出典:Photo by 663highland, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:181124_Showa_no_mori_hall_Izu_Shizuoka_pref_Japan11n.jpg

おぬい婆さんは「小学校を出たら、洪ちゃは町の中学へいかんとならん」ことは理解していますが、その前に引き離されてしまうことに対しては納得がいかない様子です。

そこで、洪作は学校から帰ると「夕方まで土蔵に居て、夕方母屋に帰り、母や弟妹たちと一緒に夕食の膳に向った」という二重の生活をすることにしました。ここでは最初の夜、自室としてあてがわれた母屋の二階に洪作を置き「おぬい婆さんはどうしているかと思うと、そのことが気にかかって眠れなかった」という場面を想像してみましょう。

そばがき

「九月の終り頃からおぬい婆さんは体の調子が悪いといって寝ていることが多くなった」とのこと。そんなある日、洪作がおぬい婆さんにそばがきを作るシーンがあります。「そば粉を茶碗の中に入れ、熱い湯を少しずつその上にかけて行って、それを箸で掻き廻した」洪作に対し、おぬい婆さんは何度も「火傷しなさんな」と注意しました。

ここでは、下に引用させていただいたようなそばがきを、うまそうに食べながら「洪ちゃに、ずいぶんそばがきを作ってやったが、とうとう婆ちゃも、洪ちゃに作って貰うようになった」と声を震わせながらいう場面をイメージしてみましょう。

出典:pelican from Tokyo, Japan, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sobagaki_(8181786884).jpg

湯ヶ島の思い出

「ばあちゃは、毎日、死にたい、死にたいと思うとる。洪ちゃがここに居る間に、何とかして死にたいと思うとる」といっていたおぬい婆さんは、年が明けるとジフテリアという感染症にかかり、亡くなってしまいます。そして二月、洪作は父の転勤地・浜松に行くために湯ヶ島を離れることになりました。

湯ヶ島を出発する前日、洪作は友人の幸夫に「おぬい婆さんの墓詣りに行くから一緒にいってくれないか」と依頼すると、「今日は最後だから、多勢連れて行こうや」といって二十名ほどの子供たちを集めてくれます。

下には熊野山墓地へ向かう道の写真を引用させていただきました。まるでジブリ映画にでも出てきそうな美しい風景ですね。ここでは友人の「幸夫、亀男、芳衛たち上級の友達とひと固まりになって、急な細い坂道を上って行った」、そして墓詣りの意味がまだわからない「下級生たちはわあわあ騒ぎながら、飛んだり、跳ねたりして上って行った」というシーンを想像してみましょう。

旅立ち

「しろばんば」は湯ヶ島から浜松に向かう途中の大仁駅周辺が最後の場面となります。おぬい婆さんと二人で豊橋に向かった時(しろばんばの風景その2・参照)には大都会と感じた大仁(おおひと)ですが、その後に「三島や沼津の町を知るようになってから」今までのような気後れは感じなくなっていました。

駅周辺の商店街を歩いていると、洪作の前を映画広告のための楽隊が通り過ぎていきます。「大太鼓と小太鼓、それにクラリオネットと、楽器も三つであり、楽師も三人であった。そして三人の楽師の前を、大きなのぼりを担いだ二人の老人がのろのろと歩いていた」とのこと。

下にはチンドン屋の定番曲とされる「美しき天然」の動画を引用させていただきました。このような曲を聴いて「侘しい、侘しい」と感じたという洪作の姿を「しろばんばの風景」の最後のシーンとします。

旅行などの情報

おちあいろう

犬飼が下宿していた「落合楼」は明治7年創業の老舗旅館です。建物は昭和初期の面影を残し、国の登録有形文化財にも指定されています。また、近年の水回りなどのリニューアルで更に快適に過ごせるようになりました。

建物は洪作の頃の姿とは変わっていますが、川のせせらぎを聴きながらかけ流しのお湯を満喫できるのは同じです。露天・洞窟風呂の「天狗の湯」と内風呂「月の湯」は男女入れ替え制。ほかにも、下に引用させていただいたような貸し切り露天風呂(星の湯)もあるので、こちらで洪作たちのように啄木の歌を唄ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ヶ島1887-1
【アクセス】修善寺駅から東海バスを利用、湯ヶ島で下車
【参考URL】https://www.ochiairo.co.jp/ja-jp

浄蓮の滝

落差が25m・幅7mの伊豆を代表する滝です。深さが15mのエメラルド色の滝つぼと白く豪快に落ちる滝とのコントラストが美しく、夏は避暑、秋は紅葉などの観光客などでにぎわいます。

滝の入り口には、天城エリアを舞台とした川端康成氏の小説にちなんだ「伊豆の踊り子像」が立ち、写真スポットの一つになっています。周辺には下に引用させていただいた踊子茶屋や浄蓮の滝観光センターなど多くの店舗があり、グルメやお土産探しも楽しめるでしょう。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ケ島892-14
【アクセス】修善寺駅からバスを利用。浄蓮の滝バス停で下車
【参考URL】http://www.j-taki.com/

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