井上靖著「北の海」の風景(その3)

台北にいく決意

母からの手紙

四高に入って柔道をやりたいと考えた洪作は蓮実から勧められたように金沢で受験生活を送りたいと考えます。そして、親代わりのようにしてくれる宇田教師のところに相談にいきます。「どうせ浪人しているんですから、ここで浪人しているより、金沢で浪人しているほうがいいと思うんです・・・刺激にもありますし」という洪作に対し宇田教師は「君の話を聞いていると、なんとなく臭いところがある。受験勉強しながら、一方で道場でも通う料簡じゃないのかな」と図星をつかれます。宇田教師はまた、洪作を心配し両親に手紙を送ってくれていました。母からは「台北にきて、親許で勉強するように勧めてくれ」と書いてあったとのこと。この後、宇田教師とその夫人によりやや強引に送別会を開催される運びとなります。すき焼きと刺身のご馳走とともにビールを飲む洪作。下に引用させたいただいたのは大正時代のキリンビールのポスターとのこと。ラベルも現在とあまり変わってないように見えます。ここではビールを飲みながら急展開にすこし戸惑う洪作の姿を想像してみます。

台北について

余談になりますが洪作の両親や弟妹がいた台北は台湾の中心都市でこの当時は日本の領土でした。ちなみに洪作の父は台北の病院の院長をしている設定です(実際の井上氏のお父さんも同じでした)。下は台北市内でも有名な台湾台北新公園の写真です。洪作の両親たちもこの周辺をお散歩していたかもしれませんね。

蓮実からの手紙

宇田夫妻から送別会をしてもらった洪作ですが、本当に台北に行こうと決心したのは蓮実からの手紙をもらったからでした。そこには「(金沢で受験勉強することが)最良の方法とは言えないように思う。・・四高生ののんきな生活の影響を受けて、一緒になて遊び暮らしてしまう怖れがある」と書かれていました。さらに「(沼津で)今のような毎日を送っていたのでは、とうてい高校受験に合格するとは思えない。・・・切に台北行きをお勧めする次第である」とも。下に引用させていただいたのは金沢の大正時代ごろの街の風景です。蓮実が生活しているのは陽光輝く沼津に比べ日本海側にある静かな落ち着いた街でした。

大天井からの手紙

蓮実の手紙の中に、もう一つ面識のない人からの手紙が同封されていました。以前、蓮実から聞いた柔道部に入ろうと何年も浪人している猛者だと思い出した洪作。「相棒がひとりできたことを悦んでいる。・・・毎年毎年ろくな問題がでやあがらぬ。・・・だが、俺も来年ははいる。今年は八月一日から勉強を開始するつもりだ。・・・お前さんも沼津あたりでごろごろしないで・・(台北にいって)栄養あるものを食って、そのエネルギーを勉強の方へ廻せ。・・・勉強して四高に入ったら、稽古にはげみ、大方の期待に応えよ」などと書かれていました。洪作は「今までにこれほど不作法な、失礼極まる手紙を貰ったことはない」と驚きます。下に引用させていただいたのは有名な高専柔道の選手(左)の写真です。後の章にて、大天井は浪人中でありながら四高道場にて新入生に稽古をつけていたとあります。このような感じだったでしょうか?

湯ヶ島に帰省

台北行きを決めた洪作は故郷の湯ヶ島の祖父母などにそのことを伝えに行くことにしました。祖父母の家(上の家)に到着するといつもの通り祖父が苦虫を嚙み潰したような顔で出迎えます。そして「中学を卒業したのに、郷里にも帰らんと、・・・先生に心配かけ・・・台北の親にも心配かけ、このわしにも心配かけ・・・」と嫌味たらたらです。

おぬい婆さんの回想

洪作は小学生時代に一緒に暮らした「おぬい婆さん」を偲んで、今はだれも使っていない土蔵に入り、熊野山墓地にお参りをします。土蔵は以前ご紹介した「しろばんば」の主な舞台となった洪作とおぬい婆さんの家。熊野山墓地にはおぬい婆さんはお墓があります。土蔵にて洪作が「婆ちゃ・・高校も四年の時と、卒業した時と、二回受験して、二階とも落第したよ・・・・湯ヶ島のおじいさんにも憤られた」とおぬい婆さんに語り掛けると「ああ、何をやってもしくじってばかりいるじいちゃか。あのじいちゃに褒められるようになっては、人間も、お仕舞じゃ」という声が聞こえてきます。下に引用させていただいたのは熊野山墓地の現在の写真です。おぬい婆さん(本名かの)のお墓とともに井上靖氏ご本人のお墓もこちらにあり、ファンの方のお参りの絶えないところです。ここでは19歳の洪作青年がおぬい婆さんの墓前で台北行きを報告している姿を想像してみます。

故郷・湯ヶ島でも送別会をしてもらった後に沼津に戻った洪作。「ごくらくとんぼ」と周囲から言われるだけあってすぐに台北に向かいません。次回は金沢の蓮実のもとに向かいます。お楽しみに。

旅行の情報

上の家

洪作の祖父母の家です。「しろばんば」や「夏草冬濤」でも登場するおなじみのスポット。定期的に「あすなろ会」なる湯ヶ島エリアの地元の方主催のカフェが開催され中を観光しながら交流を楽しむことができます。また、下に引用させていただいたように「しろばんば」で洪作がおぬい婆さんの葬列を見送った場所もそのまま残っているそうです。
【住所】静岡県伊豆市湯ケ島1786
【電話】 0558-85-1056 (伊豆市観光協会天城支部)
【アクセス】新東海バス・湯ヶ島バス停から徒歩2分
【参考サイト】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=5055

熊野山墓地

洪作が帰郷した際におぬい婆さんのお墓参りをした場所です。上では取り上げませんでしたが小説ではここで「くめさん」なる老人が人生についてに語る場面が印象的です。高台にあり周辺の山々を見渡せる気持ちの良いところです。
【住所】静岡県伊豆市湯ケ島1786
【アクセス】伊豆箱根鉄道・修善寺駅からバスを利用。湯ヶ島入り口で下車
【参考サイト】 https://shirakabe.exblog.jp/tags/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%9D%96/