井上靖著「北の海」の風景(その4)

金沢へ

蓮実からの手紙

故郷の湯ヶ島から帰ると蓮実からの手紙が届いていました。「高専大会前の猛練習の最中です。ひどく痩せていますが、元気です。・・・(大会終了後)七月二十日から次年度に備えて夏期練習を始めます・・・もしまだ台北にお立ちでなかったら、稽古を覗きにきませんか」という内容。当時の高専大会は六高(現岡山大学)が連覇中でした。下に引用させていただいたのは高専大会でその六高が優勝した際のパレードとのこと。他の高校ですが蓮実のように(激しい練習で?)痩せている人が多いようにも見えますね。

金沢駅に到着

蓮実の誘いに魅力を感じた洪作は金沢に向かいます。荷物はなくベルトに手拭いを下げた旅人とは思えない姿でした。沼津からは米原駅を経由して北陸線に乗り継ぐルート。日本海側に出ると農家の造りやその散らばり方が変わり、人々の言葉も理解しにくくなってきます。心細い気分になりながらやっと金沢の駅に到着します。下に引用させていただいたのは明治時代の金沢駅の写真です。ホームに迎えにくるといっていた蓮実の姿は見えず、洪作は仕方なく改札をでて周辺を探します。ここではこの駅舎の中で不安そうに立っている洪作の姿を想像してみます。

鳶(とび)永太郎

そこに「頭髪をでたらめに伸ばした、さして長身ではないががっしりした体の男」が近づいてきます。蓮実の代わりに迎えにきた鳶永太郎でした。鳶は「この広場の向こうに、ちくといけるうどん屋がある」と道場に行く前にうどんを食べることを提案。店に入るとすぐに「俺はぜんざい。それからいなりだ」と注文します。迷っている洪作に「俺と同じものにした方がいい。さきにぜんざいを食って、次にいなりうどんを食うんだ。この食い方以上のものはない」といいます。下に引用させていただいたのは京都にある井上靖氏がひいきにした笑福亭なるお店のいなりうどんです。ここでは鳶や洪作が美味しそうにぜんざいやうどんを食べる姿をイメージしてみます。

香林坊(こうりんぼう)周辺で下車

洪作は鳶に連れられて電車に乗り、香林坊なる停留所で降ります。道場に向かって歩く途中には四高の学生たちがたくさんいて洪作は気おくれを感じます。「みんな四高生ですね」と洪作がいうと鳶は「今ごろ(夏休みに)町をほっつき歩いているのにろくな奴はいない。みろ、吹けば飛ぶような体をしている。・・・向こうから本を抱えて来る奴があるだろう。ああいうのは三等品だ」とけなします。「その三等品というのが一番四高生らしく見えた」と思う洪作。下で引用させていただいたのは大正時代の香林坊周辺の写真とのこと。本を抱えた四高生や洪作、鳶はこのような景色の中を歩いていました。

四高校舎

洪作たちは四高の赤レンガの建物を回りこんで道場に向かいます。下に引用させていただいたのは明治時代に建てられた四高の校舎です。金沢大学の校舎などとして利用された後、現在は記念館として一般開放されています。洪作も金沢滞在中はこれと同じ景色を見ていたと考えられます。

道場にて

小説では「建物の内部は柔道と剣道の二つの道場に分かれていて、その間には何のしきりもなかった。片方には畳が敷かれ、片方は板敷になっている」と道場の姿を解説しています。下に引用させていただいた写真の被写体はその四高の道場で今は愛知県の明治村に移築されている「無声堂」です。洪作は「おい、お前、だれだ」と突然小柄な男に声をかけられます。「柔道着がだぶだぶに見えるほど痩せた貧相な男だった。が、目は鋭く、ひどく鼻っ柱の強そうな男だった」。この男は権藤という柔道部のマネージャーでした。また、宿泊先として蓮実が紹介してくれたのは杉戸なる人物。「ひょろひょろと背の伸びた痩せた青年で、顔を見ただけでは、ひどく薄汚い印象をうけた」とあります。後で聞くと四高の理科をトップの成績で合格したとのこと。勉強のアドバイスもさせる意図もあったようです。この道場の場面では、今までの友人たちとは異質の人たちに出会い、戸惑いながらも魅力を感じる洪作の姿を思い描いてみます。

数日間練習を見学するくらいの軽い気持ちで金沢を訪れた洪作ですが、四高生とともに本格的な練習をするという流れになっていきます。次回もお楽しみに。

旅行の情報

四高記念文化交流館

元の四高校舎を記念館として開放したものです。中は井上靖氏関連の資料をはじめ四高の歴史を写真などで紹介する「石川四高記念館」と泉鏡花や徳田秋聲、室生犀星などの石川ゆかりの文豪を紹介する「石川近代文学館」に分かれています。下に引用させていただいたように教室なども残っていて明治や大正時代の建築が好きな方にもおすすめの観光スポットです。
【住所】石川県金沢市広坂2-2-5
【電話】076-262-5464
【アクセス】JR金沢駅からバスを利用。香林坊で下車
【参考サイト】http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/

第四高等学校武術道場「無声堂」

「無声堂」は四高柔道部・剣道部の道場だったところです。愛知県・明治村に移築され当時の姿を残しています。道場内には当時の木の名札が並べられていて、後に四高柔道部で主将を務めた井上靖氏の札も残っているとのこと。観光の際にはぜひお見逃しなく。堂内には練習の勇ましい声が流れて当時の雰囲気に浸ることができます。他にも明治村内には「森鴎外・夏目漱石住宅」や「帝国ホテル中央玄関」などの歴史的建造物がたくさんの移築され見どころ満載です。
【住所】愛知県犬山市内山1
【電話】0568-67-0314
【アクセス】名鉄犬山駅からバスを利用。明治村(終点)で下車
【参考サイト】https://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/4-34.html