平山三郎「実歴阿房列車先生」の風景(その3)

鹿児島阿房列車

今回は「実歴阿房列車」から「鹿児島阿房列車(前章)(後章)」の部分を追っていきましょう。広島の宿で酔いがまわった山系君は「山椒魚や海鼠は消極的だ」という名言を残しました。また、博多では紹介された宿が存在しないというピンチに!鹿児島では陛下もご宿泊の旅館でのんびりと過ごし、スイッチバックを楽しみながら八代に向かいます。

魔法瓶と立派な鞄を準備して

「魔法瓶のたっぷりしたやつを二個買っておいてくれと云って先生からお金を預かった。なんのためにそんなものが必要なのかと云うに、と先生が説明された。―――こんどは、廣島、博多を経て鹿児島まで行こうと思うけれど、目あての三七列車筑紫号には食堂車が連結されていない。だから、やむを得ない。お酒をお燗して持って行くのにぜひとも魔法壜が必要なのだ、とご自分の思いつきがいかにも思慮深いことのような口ぶりである。」

「魔法瓶二つと、法政大学の多田基教授から借りた赤皮の立派な旅行鞄を下げて、筑紫号の一等コンパアトに乗り込んだのは六月末である。」

以下には東京都台東区にある世界のカバン博物館の投稿を引用させていただきました。多田基教授から借用したのは左側のような鞄だったでしょうか。

「去年の秋の特別阿房列車の時」貧相や部屋に通された原因は、山系君が持ってきた「死んだ猫に手をつけて下げた様」なボストンバッグにあると考えた先生は、今回は昔の学生(多田基教授)から立派な鞄を借りていました。

鞄についての記述を「阿房列車・鹿児島阿房列車(第一阿房列車の風景その3など・参照)」からも引用しましょう。なお、多田基教授は「交趾君」という名前になっています。
「交趾君は大学の幹部教授で、文部省に関係があって、大変えらい。文部省の委嘱を受けて方方の大学所在地に出張する。だから鞄を持っている。その鞄に目をつけた。洋行用の鞄だそうで、文部省の伝手で買ったと云う話である。それを借りてきた。総体柔らかい皮で光沢があって、手ざわりが良くて、返したくない程立派な鞄である。」

先生の故郷岡山への思い

急行筑紫号のコンパアトで熟睡した先生は岡山の近くになると一等座席の方へやってきます。
「岡山に近いことをわたしも先刻から気がついている。どのくらい長い間、先生はふるさとへ帰らないだろう。」
「実歴阿房列車先生」によると百閒先生が戦前、何度か岡山には行っているが、「親類や旧知に会うと面倒だと思ったので、なるべく外へ出歩かないようにしていた」とのことです。

写真提供:岡山後楽園
https://okayama-korakuen.jp/index.html

また、先生に戦後の岡山の様子を報告したときのことも明かしています。
「わたしが終戦の年の暮、復員列車にすし詰めになってようやく岡山まで来たら、そこで列車が打ち切りになってしまった。仕方なく夜の岡山駅をうろうろした。暗い駅前広場に、ローソクの灯をともして得体の知れない食べ物屋が並んでいる。・・・・・・列車にあぶれた復員兵たちが、その屋台によってたかって、目の色をかえて丼を抱えて食べていました。・・・・・・引き揚げ兵隊の旺盛な食欲を喋ったつもりだったが、先生はそうは聞かれなかったかもしれない。先生が古里の岡山とよんでいるところは先生の記憶だけの町であって、夢寐(むび)にも忘れない、なつかしい町の姿である。先生の記憶をわたしは傷つけたかもしれなかった。―――現在、先生の家の三畳の茶ノ間の壁には、岡山後楽園のカラー写真がピンで貼ってある。十年程前カレンダーから千切ってわたしが持っていったものだが、先生はそれを何時までも捨てようとしないのである。」

なお、「鹿児島阿房列車(前章)」では岡山駅を通過するとき、百閒先生は以下のような感想をもらしています。
「川下の空に烏城の天主閣を探したが無い。ないのは承知しているが、つい見る気になって、矢張り無いのが淋しい。空に締め括りがなくなっている・・・・・・」

上には近年の後楽園の写真を引用いたしました。戦争で天守閣は焼けましたが、戦後に再建され、戦前と同様な風景を見ることができます。

廣島で宿泊

尾道で筑紫号を下車した先生たちは呉線に乗りかえ、海辺の絶景を満喫しました。
「廣島駅は夕四時著。廣島管理局のわたしの知人、鶴濱正一の出迎えを受けることになっている。・・・・・・やがて廣島駅に著き、鶴濱氏の案内で上大河の旅館に落ちついた。」

こちらの宿の説明については「鹿児島阿房列車」にも情報が記されています。広島駅から宇品線(1986年に廃線)に乗りかえた先生たちは上大河という駅に向かいました。
「わびしそうな駅をいくつか過ぎて、上大河と云う所で降りた。宿はすぐその近くの丘の上にあった。」
とのこと。

下には先生が旅行をしてから10年ほど後の上大河駅付近の空中写真を引用いたしました。十字の右側が上大河の駅舎でしょうか。旅館名は明記されていませんが、こちらの写真の中に写っているかもしれません。

出典:国土地理院地図、上大河駅付近(1961年~1969年)
https://maps.gsi.go.jp/

ケイト台風が近づく気配を感じながらも、先生たちは鶴濱氏(鹿児島阿房列車では「甘木君」)とともに晩餐を楽しみます。以下は「実歴」にも引用されている「鹿児島阿房列車」の一説です。
「私も朦朧として来て後先のつながりはよく解らないけれど、少し赤い顔をしてゐる甘木君をつかまへて、山系が頻りに論じてゐた『山椒魚や海鼠は消極的だ』」

博多の宿がない!

廣島から再び「博多行三七列車」に乗った先生たちは「博多へ夜九時に著いた」とあります。
「博多の宿は東京を出るとき、『旅』編集長の戸塚文子さんに紹介されてあるけれど、念のため廣島を発つ前に宿宛の電報を打っておいた。」

下にはJTB発行「旅」の編集長・戸塚文子さんの写真を引用しました。

出典:朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons、戸塚文子、『アサヒグラフ』 1952年4月23日号
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Totsuka_Ayako.jpg

「旅」は鉄道を含めた紀行文や旅を題材にした小説などを扱っていて、松本清張の「点と線」を掲載したのもこちらの雑誌でした(以下に昭和32年2月号の表紙写真を引用)。

出典:日本交通公社, Public domain, via Wikimedia Commons、『旅』1957年2月号表紙
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tabi_February_1957_issue_cover.jpg

話がそれましたが、山系君たちが博多駅の案内所に行ってみると
「そんな場所(たしか中州と云った)そんな宿屋はありませんと云う。電話帳で調べて貰ったが見当たらない。しかし電報を打ってあるんだがと云うと、そんな町名は無いのだから電報は宙に迷ってるだろうと云うのである。」
戸塚文子さんお勧めの宿は廃業してしまっていたのでしょうか。

結局
「案内所と押問答していても使用がないから、改めて旅館を紹介して貰った」
とのことです。

岩谷山荘へ

「鹿児島駅には城川二郎さん(阿房列車の中では状阡君)の義弟さんが迎えに来ている筈だが、お互いに顔を知らないので、先生が著く前から気を遣った。・・・・・・」
その義弟さんは
「鹿児島駅の改札口の出口の方の人ごみの中で、長い棒の席にボール紙を付けて、白い紙に大きな字で『内田百閒先生』と書いたのを捧げ持って立っていた。先生は、挨拶を受けるのもそこそこに、早くその紙切れをどこかに隠してもらいたいと云った」
とあります。

出典:鹿児島県警察部衛生課 編『鹿児島県温泉誌』,鹿児島県警察部衛生課,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1184476 (参照 2024-12-19、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1184476/1/104?keyword=岩崎谷荘

「城山の中腹の岩崎谷荘に案内された。戦後すぐ陛下が巡幸された折りの宿舎になった旅館で、広い豪壮な玄関に、筑紫号で空にした魔法瓶二つと、法政大学の多田教授から借りてきて、中に飲み残しの一合が入っている旅行鞄を下ろした。」

上には昭和14年発行「鹿児島県温泉誌」から岩崎谷荘(写真下)の写真を引用しました。なお、岩崎谷荘は指宿潟口温泉に別館(写真上)も所有していましたが、残念ながらどちらも現在は残っていません。

肥薩線のスイッチバック

先生は岩崎谷荘には二泊し、島津公別邸(磯公園)や城山展望台につれて行ってもらったり、平山氏の知り合いの時任・倉地両君(阿房列車では垂逸君と何樫君)の取り次ぎで鉄道管理局のお偉方と宴会をしたりしました。

下には仙巌園(一般公開名は昭和32年に磯公園から磯庭園へ変更)の写真を引用いたしました。先生や山系君もこちらのような景色を満喫したと思われます。

出典:写真AC、仙巌園と桜島
https://www.photo-ac.com/main/detail/26223824&title=%E4%BB%99%E5%B7%8C%E5%9C%92%E3%81%A8%E6%A1%9C%E5%B3%B6

「翌日、鹿児島支店長と垂逸何樫両君に見送られて、肥薩線経由で八代へ出る。・・・・・・スイッチバックやルウプ線がたくさんあるので、先生は興がつきない。」

以下には肥薩線のスイッチバック・ループ線の様子が分かる動画を引用させていただきます。なお、令和2年7月豪雨の被害により八代・吉松間は不通になっていますのでご注意ください(2024年12月現在)。

「矢嶽という小さな山間の駅のホームに唐金の大きな水盤があって清水が溢れ出ている。先生もホームへ降りてその冷たい清水を飲んだ。こういう駅の駅長になって、暢(の)んびりと山の空気を吸って暮したい、とわたしが云ったら、貴君はたとえあんな小さな駅でも、駅長になれるくらいにえらいのかね、と一寸おどろいた顔をしたので返答に弱った。」
とのこと。

下には矢嶽駅の隣駅・大畑(おこば)駅にある水盤(湧水盆)の写真を引用いたしました。

出典:akasunrise0921 at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、ホームに設けられた洗顔用の湧水盆
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Okoba_Station_4.JPG

同じ場面が「鹿児島阿房列車(後章)」では以下のように記されています。
「スウィッチ・バックがあって、又登って矢嶽という山駅に著いた。歩廊に大きな唐金の水盤がある。その縁から冷たそうな清水が滾滾(こんこん)と溢れている。山系があわてた様に起ち上がり、その方へ馳け出したから、私もついて行って飲んだが、じかに水面につけた脣(くちびる)がしびれる様であった。」

上の写真の水盤の上にかがみこむ先生の姿をイメージしてみましょう。

八代・松浜軒

「八代には四時過ぎに著いた。駅長室を訪ねて、宿を紹介して貰う。八代の殿様で松井候の下屋敷、松濱軒が旅館になっている。巡行の時行在所になった立派な屋敷だそうである。前は田圃で、長い塀に囲まれて、乳鋲を打った大きな門がある。女中が三人玄関に出迎えた。―――この時が初めてで、松濱軒には前後十幾囘か来ることになる。」
とあります。

出典:写真AC、松浜軒
https://www.photo-ac.com/main/detail/5038509&title=%E6%9D%BE%E6%B5%9C%E8%BB%92

一方、百閒先生は「鹿児島阿房列車(後章)」のなかで以下のように記しています。上には近年の松浜軒の写真を引用いたしました。
「鹿児島の宿とは又趣の違ふ立派な座敷で、庭の豪奢なのに一驚を喫する。昨日見た島津公別邸の磯公園を小さくした様だが、磯公園よりは水の配置が纏まっている。大きな池が座敷の前に広がり、折れて座敷の廻り廊下に沿ひ、向こうの出島の裾を洗って、まだ続いた先が一番広い。・・・・・・」

以下には再び「実歴阿房列車先生」から引用してみます。
「このお庭の眺めが、半日ぼんやり眺めていたも先生を飽かせないのである。それでわざわざ汽車に乗って、お庭を眺めて、のんびり欠伸をするだけの目的で、前後十囘以上も八代へ行った。・・・・・・古風な違い棚のある床の間には、掛け軸は何時も取代えてある。その前に、小さな椅子くらいある脇息に凭(もた)れて、先生は一日じゅうでもいいから、じいっとして坐っていたいのである。―――どうして、こんなに気に入ってしまったのか。説明することはむずかしい。日常坐臥、箸の上げ下げにも気むずかしい先生が、である。」
とあります。

出典:写真AC、後楽園 池と日本家屋
https://www.photo-ac.com/main/detail/30270487&title=%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92%E3%80%80%E6%B1%A0%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E5%B1%8B

なお、鹿児島の仙巌園(磯公園)についての記述には「郷里岡山の昔の後楽園を思い出した」ともあります。松浜軒(→磯公園)→岡山後楽園と連想した先生は、故郷に戻ったような気分でくつろいでいたのかもしれません。
上には岡山後楽園の写真を引用いたしました。

旅行などの情報

仙巌園

江戸時代初期に薩摩藩二代目藩主の島津光久によって築かれた庭園です。に紹介したように錦江湾沿いの庭は桜島が借景となるように設計されています。

上には近年の「猫神社」の写真を引用させていただきました。こちらには秀吉の朝鮮出兵のときに島津家第17代当主・島津義弘が連れて行った猫を祀られています。猫の瞳孔の開き方で時刻を推測し、戦に活用したそうです。

仙巌園にはほかにも、島津家歴代が実際に暮らした「御殿」や島津家についての歴史や文化を紹介する博物館「尚古集成館」など見どころが満載です。食事処や茶寮もありますので、休憩をしながらゆっくりと巡ってみてください。

基本情報

【住所】鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【アクセス】鹿児島中央駅からバスで約30分
【参考URL】https://www.senganen.jp/