内田百閒「第一阿房列車」の風景(その3)

鹿児島阿房列車(前章)

今回は前回前々回よりもさらに遠く鹿児島まで走らせる阿房列車の前半です。「六月晦日、宵の九時、電気機関車が一声嘶いて、汽車が動き出した」とあります。往路は尾道で途中下車し、呉線から瀬戸内の景色を眺めたあと広島で一泊する計画です。ちょうど大型のケイト台風が近づいていましたが「凡てはその場の風まかせ」といって出発しました。

車中で一盞(いっさん)

搭乗した列車は博多行きの急行筑紫号です。品川駅を通過したあたりから、水筒に入れてきたお酒で晩酌を開始します。おかずは有明屋の佃煮と三角の小さいおむすび。有明屋とは現在も営業を続ける佃煮の名店です。

下に引用させていただいたような佃煮をさかなに、魔法瓶に入れた熱燗をちびりちびりとやる満足そうな先生の姿が本記事の最初の風景としましょう。

車内のあかり

当時はまだ車両内では白熱灯が主流でしたが、先生たちが乗り込んだ急行筑紫号には当時最先端の蛍光灯が取り付けられていました。先生は隣を走る桜木町線の電車(白熱灯)に比べて「明るくて美しい」と感じます。

下の写真は現在も白熱灯を使っている岡山電鉄の路面電車の写真です。特急から見えたのはこのようなレトロな雰囲気の光だったでしょうか。

細かなところまで見えるのはいいことばかりとは限りません。山系君は「蛍光ランプのあかりで見ると、貴君は実にむさくるしい」と伸び放題の髪の毛やひげを先生に指摘されます。

ちっとやそっとの

東京駅から魔法瓶に入れた日本酒を飲み始めた先生一行は、横浜周辺で早くも2本目の魔法瓶に取りかかります。とりとめのない話を続けるなかで山系君がふと言った「ちっとやそっとの」という言葉が先生の耳から離れません。そのうちに線路の音が「ちっとやそっとの」と聞こえはじめ、酔いも回ってきます。

熱海を過ぎて大分たったころに宴会を終了し2段の寝台で寝ることになります。ここでは寝台特急はやぶさ・B寝台の写真を引用させていただきました。山系君は二階のベッドにあがりネズミのようにごそごそしています。一階にはうるさいと思いながらもいつの間にか眠りに落ちる先生の姿がありました。

百間川

次の日起きてみると、汽車は京都や大阪を通過して岡山の手前まで進んでいました。岡山は先生の故郷で、百間川という放水路は先生こと「内田百閒」の名前の由来となっています。

先生は子供のころに川の土手で朱色の国文典(国語文法の教科書)を必死で読んだことを思い出し、山系君にも百間川を通過することを伝えようとしますが、いつものようにあいまいな反応しかありません。

そのうちに瓶井(にかい)の塔が山の中腹に見えてきます。ほんとうは「みかい」と読みますが岡山の方言では「み」が「に」になまることが多く、この塔の名前も皆が「にかい」と呼んだとのことです。ここでは、このときの車窓からと同じような風景の写真を利用させていただき、帰郷を懐かしむ先生を想像してみましょう。

見世物小屋

瀬戸内海を呉線から眺めるために尾道駅で下車した先生一行は、電車待ちが1時間ほどあったため外で暇をつぶすことに。駅近にあった見世物小屋に入り、張り子で変装した蛇女や蜘蛛娘などを見て回ります。

下に引用させていただいたような蜘蛛女もいて「肩から先はどこに隠したのだか・・・・・・一寸解らない」とあります。また、山系君は「鏡を使っているのでしょう」といいますがトリックを見破ることはできませんでした。

広島にて

広島で一泊した先生一行は山系君と同じ国鉄に勤める友人の案内で観光に出発。比治(ひじ)山という丘から景色をみたり街中を散策したりした後に、「T字型」が特徴の相生橋にも立ち寄ります。

下には先生が旅行をしていた時期に近い昭和25年の相生橋の写真を引用させていただきました。連絡橋の位置からすると広島平和記念碑(原爆ドーム)は写真の左側にあると思われます。

ここでは川の向かい側にいる先生が「川の向こうに産業物産館の骸骨(原爆ドームのこと)が建っている。てっぺんの円塔の鉄骨が空にささり・・・・」と描写しているところをイメージしてみます。

出典:中国電気通信局, Public domain, via Wikimedia Commonshttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aioi_Bridge_1950s.jpg

九州へ

関門トンネルを渡った一行は博多で一泊したあと久留米や熊本、八代などの景色を車窓を見ながら鹿児島駅に到着します。当時まだ鹿児島駅はバラックの状態との記述があり、東京や大阪に比べて地方はまだ復興が遅れていたことが分かります。

下で引用させていただいた写真は戦後に建てられ、昭和51年まで活躍した3代目の鹿児島駅(左)と2018年(平成30年)に解体された4代目駅舎(右)のものです。ここでは左側の写真のなかに「お互いに顔を知らない」人たちの出迎えを受け、心細く感じる先生や山系君を想像してみましょう。

旅行の情報

有明屋

有明屋は江戸時代創業の老舗佃煮店です。こちらの佃煮は先生一行の電車内でのお酒の友として登場してもらいました。下に引用させていただいたようにあさりや若さぎ、海老など多彩な佃煮を扱い、中には牡蠣やうなぎといった高級食材もあります。素材の味が凝縮されていて、お酒のおつまみやご飯のおかずにもぴったりです。

基本情報

【住所】東京都新宿区四谷1-9有明家ビル1F
【アクセス】JR四ツ谷駅から徒歩約2分
【参考URL】http://www.ariakeya.com/

九州鉄道記念館

旧九州鉄道本社を利用した日本有数の鉄道記念館です。本記事で先生たちが就寝するシーンに登場してもらった「特急はやぶさ」の寝台車として利用された「スハネフ14系11」も展示されています。

ほかにも九州で活躍した電車や汽車などの展示もあり見どころが満載です。パノラマ模型や運転シミュレーターは子供たちにも人気が高く、門司港エリアの名所となっています。

基本情報

【住所】福岡県北九州市門司区清滝2-3-29
【アクセス】JR門司港駅から徒歩3分
【参考URL】http://www.k-rhm.jp/

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