内田百閒「第一阿房列車」の風景(その2)
区間阿房列車
前回(「第一阿房列車」の風景その1)の東京・大阪往復に比べ、今回は静岡までの少し短めの旅です。御殿場線経由というのが前回との違いで、「スウィッチ・バック」などを体験しながらゆっくりと進みます。国府津駅では乗り遅れのトラブルが発生。さらに「逆戻りの上に更に逆戻りを重ねる」スウィッチ・バック的な旅となります。
夢袋さんの見送り
第三二九列車なる三等車を連結した汽車に乗りこんだ先生と山系君は、東京駅にて(山系君と同じ)国鉄職員の夢袋さんのお見送りを受けます。モデルとなっているのは国鉄職員で作家でもあった中村武志さんです。
平山は『阿房列車』に何度も同行したが、中村はすべて見送りのみで、作中では百閒から「見送亭(けんそうてい)夢袋(むたい)」という名前で呼ばれている[
出典:ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%AD%A6%E5%BF%97_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6%29#cite_note-%E9%98%BF%E6%88%BF%E5%88%97%E8%BB%8A-1
下には中村さんの写真も引用させていただきました。ここでは「(駅長が)先生の見送りに来ないのはおかしい・・・・・・呼んで来ましょうか」といって百閒先生をはらはらさせるシーンをイメージしてみましょう。
出典:投稿者によるスキャン, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nakamura_Takeshi_1956.jpg
当時のお茶の容器
そうこうしているうちに汽車は走り出します。車内には「ヒマラヤ山が買ったお茶の土瓶が二つ、窓枠に並んで乗っている」。当時は下の写真のような温かいお茶を土瓶ごと販売していました。その後「ポリ茶瓶」の時代を経て今は缶やペットボトルになっています。
「汽車が走り出しても、余りぴりぴり振動しない。余程線路がよくなっているのだろう」と考えながらお茶を飲む先生でしたが、少しぬるくなっていたのでしょうか「飲みたくないけれど飲んでみたが、うまくなかった」と少し苦い表情をみせます。
出典:Motokoka, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_tea_pot_of_shigaraki_ware.jpg
沼津での乗り遅れ
国府津(こうず)駅で乗り換え予定だった先生一行ですが東京からの汽車は遅れて到着しました。「列車は遅れて著(つ)いたけど、あっちのは、それを待っていないから、すぐ出ますから早く早く」と駅員にせかされたことに先生はむっとし、「走りましょうか」という山系君の言葉に耳を貸しません。
下は国府津駅の地下道の写真を引用させていただきました。駅舎は昭和45年に新しくなっていますが地下道は百閒先生の時代のままです。ここでは「向こうの歩廊に出る階段を五六歩上がったところで・・・・・・機関車が・・・・・・発車の汽笛を鳴らした」という残念なシーンを思い描いてみましょう。
「区間阿房列車」の概要
御殿場線とは昭和9年以降の名称で、それまでは東海道本線の一部でした(下の地図の赤色)。丹那トンネルの完成とともに熱海駅経由に幹線の役を譲り、こちらは支線となります。
ここで「区間阿房列車」のルートについて確認しておきましょう。国府津駅にて御殿場線に乗りかえ、終点の沼津で東海道線に乗りかえて興津にて宿泊します。次の日は(駅長宛の紹介状を持って)上り方向の由比駅に戻ります。由比で1泊してから静岡駅まで下り、そこから東京まで特急で帰るというものでした。
このように行ったり来たり(上ったり下ったり)の旅路について、先生は「スウィッチ・バックの妙、ここに極まれりと感心」しています。
出典:Lincun at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Route_Map_of_Gotemba_Line.svg
鉄道唱歌を口ずさみながら
箱根第2トンネル
2時間待ちをした先生一行は山系君が調達したサンドイッチで腹ごしらえをして御殿場線に乗り継ぎます。路線内の主要駅「山北駅」の周辺では鉄道唱歌が先生の頭の中で鳴り響きます。「出でてはくぐるトンネルの」なる景色は今でも、下に引用させていただいた箱根第2トンネル周辺で見ることができます。
第二酒匂川(さかわがわ)橋梁
また「今も忘れぬ鉄橋の、下ゆく水の面白さ」なる風景は第二酒匂川(さかわがわ)橋梁などで見ることができます。橋桁は1965年に架け替えられたものですが、下の写真のように橋脚は明治時代のレンガ建築のままです。
酒匂川の透明度も高く、先生の汽車旅当時の面影を感じることができるでしょう。
出典:Cassiopeia sweet, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gotemba-Line-Sakawagawa-Bridge-2.jpg
こんなところにスウィッチ・バックが?
景色の話が続いた後に「阿房列車の乗客なる読者諸彦(しょげん)は、今回もまた区間阿房列車に御乗車下さいまして誠に有難いが、運転時間も大分経過したから、そろそろ先を急ごうと思う」としますが、「あらあら、おい山系君、汽車が逆行し出した」とのこと。次の岩波駅でもスイッチバックが行われ、なかなか話を先に進められません。
下に引用させていただいた画像は2008年の電車内から撮影された富士岡駅の写真です。ホームの右側には今でもスイッチバック跡が残り、富士見台という富士山のビュースポットになっています。ここでは、昔はスイッチバックなどなかったと不審に思いながら「おかしいなあ」という先生を車内に置いてみましょう。
出典:rambler.panoramio, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fujioka_Station,_Gotemba,_Shizuoka,_Japan_-_panoramio.jpg
水口屋に宿泊(1泊目)
一行は興津駅の近くの宿に到着します。宿泊したのは「水口屋」なる立派な老舗宿でした。山系君とともに旅館の仲居さんたちが感心するほど痛飲し、朝起きると「庭先に清見潟(きよみがた)の海が光っている」との記述があります。ちなみに、当時美しい海岸だったところは現在は埋め立てられ清見潟公園として整備されてます。
ここでは水口屋(下に引用させていただいたのは旅館のころの写真)から庭先に出て、眠そうな顔で海を眺める先生と山系君の顔を想像してみます。
由比(ゆい)の街を散策
もう1泊して帰ろうということになった先生一行は由比駅の近くに宿泊することになりました。昼の時間があいた先生たちは「昔風の建て方の家が残っている」旧東海道を散策します。そこには「夏蜜柑がぼんやりした燈火(あかり)をともしたように点点と」なっていたり「桜蝦(さくらえび)を茹でるにおいがする」などといった由比ならではの光景がありました。
今でも由比はさくらえびの街として有名でみかんなどを栽培する果樹園も数多くあります。下には由比宿の近年の写真を引用させていただきました。レトロな建物が多く残り、こちらに先生たちの姿を置いても違和感がありません。
一等でも三等でも・・・・・・
例によって戻りの行程は帰らなければならないという「用事」ができるため意気があがりません。静岡駅から特急に乗り込み、由比あたりからずっと食堂車で宴会を続けます。そして、途中で日が暮れて「よくわからない内に、横浜が近くなった」とあります。
下に引用させていただいた写真は1930年代の横浜駅の写真です。今回のラストシーンは「何の為の一等だか解らない。二等車だって三等車だって、どうせそこにいないのなら・・・・・・同じ事であった」と考えながら横浜駅を通りすぎる先生の姿とさせていただきます。
出典:横浜市震災記念館, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yokohama_Station_1930s.jpg
旅行の情報
水口屋ギャラリー
水口屋はもともと東海道・興津宿の脇本陣でした。明治以降も高級旅館として存続し、皇族や文人、政治家などに利用されます。
昭和60年に閉館しますが一部は下に引用させていただいたような「水口屋ギャラリー」として一般開放され、こちらに宿泊した西園寺公望や岩倉具視などの書・手紙や、興津の歴史に関する資料などを展示しています。入場料が無料でスタッフの方が丁寧に説明してくれるのもうれしいポイントです。
基本情報
【住所】静岡市清水区興津本町36
【アクセス】JR興津駅から徒歩で10分
【参考URL】https://shizuoka.tokaido-guide.jp/location/99
由比本陣公園
江戸時代に栄えた由比本陣の跡にある公園です。敷地内には「東海道由比宿交流館」があり観光の拠点としても人気があります。また「御幸亭(下に引用させていただいた写真)」は明治天皇が休まれた建物を復元したもので、中ではお茶をいただきながら優雅な気分に浸ることができます。
周辺には、ほかにも歴史を感じられる建物が多く残っているので百閒先生のように街歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】静岡市清水区由比297-1
【アクセス】JR由比駅から徒歩約25分
【参考URL】http://yuihonjin.sakura.ne.jp/
ゆい桜えび館
先生たちも堪能したであろう桜えびのお店もご紹介させていただきます。「ゆい桜えび館」は桜えびを中心にしたお店で、生の桜えびはもちろん、桜えびせんべいなどのお土産品まで幅広く扱っています。
また、館内にあるレストランの桜えび茶屋では桜えびのかき揚げや生桜えび、桜えびご飯、そば(うどん)がセットになった「桜えび茶屋定食」が看板メニューです(下に引用させていただきました)。特に3月下旬~6月初旬と10月下旬~12月下旬は桜えび漁が実施される時期なので、より新鮮な状態で食べられるでしょう。
基本情報
【住所】静岡県静岡市清水区由比672-1
【アクセス】 JR蒲原駅から徒歩約20分
【参考URL】https://www.kakusa.co.jp/