佐々木喜善「東奥異聞」の風景(その7最終回)

偽汽車の話

明治時代、全国に鉄道網が広がるにつれて「偽汽車」の話題が増えていきます。「偽汽車」とは主に深夜の単線で出会う「時刻表にない汽車」のことです。本物の汽車のような光や音を発しますが、運転士が意を決して進ませると、目の前で消滅してしまいます。周辺に狐狸の死骸が発見されることが多く、彼らの仕業であったともされますが・・・。

後藤野の口碑

「かなり古い時代から船幽霊のほうがわれわれの間に認められていたらしい。ただしこの偽汽車だけはごく新しい最近にできた話である。ずっと古いころで明治十二、三年から二十年前後のものであろう。それにしては分布の範囲は鉄路の延びるにつれて長く広い。克明に資料を集めてみたなら奥は樺太、蝦夷が島の果てから南は阿里、台南の極みまでも走っているかもしれない。自分は資料を多く集める機会をもっておらぬが、誰でもこの話はどっかで一度は聞いたことがあるだろう。そこで自分のほうの話から始めにして、つぎには諸君から聴きたいと思うのである。よくは聞いてみぬが奥州の曠原に汽車のかかったのはなんでも明治二十二、三年ごろのことであろう。当時俚人は陸蒸気(おかじょうき)だといって魂消た。」

以下には明治32年に出版された「全国汽車鉄道旅行案内」から路線図の一部を抜粋いたしました。既に東北・北海道の駅が整備されていることがうかがえる資料です。

出典:田初次郎 作『全国汽車鉄道旅行案内』,福田初次郎,明32.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/901308 (参照 2025-08-22、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/901308/1/2

「岩手県二戸(にのへ)郡大野村などでは、大野中ほどに陸蒸気出来た、おまえ船頭でわし乗るべ、というような俗謡まで、できたほどである。その大野にもあり、それから四十里ばかりも離れていようか、上って陸中和賀郡の小正月の晩、キツネのお作立てや当年の吉凶予報の野外劇で有名な後藤野にもあり(後藤野は小正月の夜にその年の吉凶をキツネどもが動作してみせる。豊年のときには稲刈充穂をつけたウマが倒れたり、また凶作流行病のある年には餓死や病人の、のたれ死にの態などを雪の上にて数多のキツネどもがやって見せるので有名である)。」

柳田国男も「孤猿随筆」のなかで後藤野の「キツネのお作立て」の例を語っているので、以下に引用いたします。

大正三年六月の農業国という雑誌に、この付近の青年が寄稿した後藤野の狐の御作だての記事は、ここに紹介して置く価値があると思ふ。其の場所は野路の十文字のあたり、稲荷の小さな祠があって、そこを中心としてこの話は言ひ伝えられる。時は新暦三月の或日、夜の十一時頃から天明までの間に行われるといふから、此点が又今迄の話ともちがって居る。必ず豊作の年にあって、是が見られぬ年は凶年である。最初は提灯の行列が現はれて、円になり又鍵形になるといふのは、所謂狐の嫁入りも同じである。次には農夫が米俵を担いで運ぶところが見られ、最後に白虎の弓矢合戦がある。東か西か勝った方の村々がよいといふことになって居るが、大抵は勝負の付かぬうちに夜が明けてしまふのでそれは見られぬと謂って居る。

出典:柳田国男 著『孤猿随筆』,創元社,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1685310 (参照 2025-08-22)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685310/1/29

こちらの現象は農耕開始のころに気温が高まって起きる蜃気楼によるものだったようです。上文の「小さな祠」がどちらにあったかは不明ですが、ここでは同エリアにある「古稲荷神社」周辺のストリートビューを引用させていただきます。

「仙台にはいれば小牛田の広里にもあり、栃木の那須野ヶ原にもあったというのはこの偽汽車の話である。この話はみなさんは名を聞いただけですぐにあの話かとうなずかれるだろうが、自分は念のために諸国どこでも同じだろうと思われるその梗概を一つお話しする。例は自分の所から二十里ほどの後藤野の話。なんでもこの野に汽車がかかってからほど近いじぶんのことであろう。」

後藤野の周辺に汽車が開通したのは大正13年ごろの横黒線(現・北上線)のことと思われます。上には後藤野周辺の北上線沿線のストリートビューを引用いたしました。当時は灯りも少なく、真っ暗な広野の中を汽車が走っていたと思われます。なお、昭和に入ってからになりますが、内田百閒が「第一阿房列車(第一阿房列車の風景その7・参照)」の途中で、横黒線に立ち寄っています。ただ、その時は雨のため途中駅(大荒沢駅、現在は廃止)で横手駅に引き返したこともあり、偽汽車についての言及はありませんでした。

出典:Japanese National Railways, Tōkyō Railways Bureau日本語: 日本国有鉄道 東京鉄道局, Public domain, via Wikimedia Commons、鉄道開業80周年記念行事において東京駅一日名誉駅長を務めた内田百閒(当時63歳)。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Uchida_Hyakken_19521015.jpg

「いつも夜行のときで汽車が野原を走っていると、ときでもない列車が向こうからも火を吐き笛を吹いてばっばっやってくる。機関士は狼狽して汽車を止めると向こうも止まる。走ればやっぱり走り出すといったような案配式で、野中に思わぬ時間をとりそのためにとんでもない故障や過ちが出来してしまつにおえなかった。」
下には夜のキツネの写真を引用させていただきました。このように夜行性動物の眼底には「タペタム」と呼ぶ光を反射する器官が備わり、目が光って見えるとのことです。真っ暗な中、キツネの群れが線路を歩いていたら汽車の灯りと見誤るかもしれません。

出典:出典:北海道森林管理局ウェブサイト、野生動物調査 、キタキツネ
https://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/komagatake_fc/animal/03_kitakitune.html

「そんなことがしばしばあるとどうも奇怪な節が多いので、ある夜機関士が思いきっていつものように向こうから非常に勢いこんで驀然と走ってきた汽車に、こちらから乗りこんでゆくと、ちょうど真にあっけなく手ごたえがなさすぎる。それで相手の汽車はたあいなく消滅したので翌朝調べてみると、そこには大きな古ギツネが数頭無惨に轢死しておったというのである。」

潮沢の口碑

「どこもこのすじでいっているようだ。たぶん大差がなかろうと思われる。その好例だと思うのに、大正十年十月二十一日の万朝報につぎのような記事が載ってあった。おもしろい記事であるから、その全文を採録する。」

「いわく、中央線松本と篠の井との間の潮沢の大地辷りの区域は昔から鉄道当局が少なからず悩まされたところで、いまも霖(ながあめ)の後には幾分ずつ地辷りをくり返し、俗に地獄鉄道と呼ばれている。いったい信州の鉄道には大小の地辷り場所がほかにも所々にあるが、潮沢は一方が深い谷一方は粘土の山で、その中腹を這わせてある。線路が一夜の間に谷底に消えたことも、また列車が地辷りに乗ってころがり落ちた例もある。」

下には現在ハイキングコースの一部となっている「篠ノ井線廃線敷・潮沢信号場跡(うしおざわしんごうじょうあと)」付近のストリートビューを引用いたしました。勾配が急なためスイッチバック式が採用された路線で、地滑り崩壊の多発地帯だったとのことです。

「それは別としてこの山中でいまでもよく人々が語るロマンスを紹介する。隣家へ何町、臼の借貸しも山坂が急であぶないというこの山間にお半婆さんというのがいた。ある朝新たに誰かが作った道をたどっていると、遙か向こうから真っ黒な怪物が大きな眼鏡をかけ、太い煙管でもくもくとタバコをふかしながら近づいてきた。婆さんは驚いて腰を抜かした。近づいた怪物は大きな息をして、なにかどえらい声を出したが婆さんは逃げる気力がなかった。これは汽車であった。機関士はしきりに非常汽笛を鳴らしたが婆さんは動かぬので進行を止め、おりていって婆さんを線路から引っ張り出した。その後、婆さんは幾度も汽車を見慣れたが、先頭の機関車だけはどうしても生き物だと主張していた。」
下には大正時代に開発された「C51形蒸気機関車」の写真を引用させていただきました。こちらのお話のように、当時は狐狸だけでなく人も線路に立ち入ることが多かったのではないでしょうか。機関士も相当神経をとがらせて運転していたことでしょう。

「話変わって、雨のそぼ降る六月の朧月夜であった。潮沢山中の白坂トンネル付近に進んだ列車の機関士が、前方からくる一列車を認めた。非常汽笛を鳴らすと同じく向こうでも鳴らした。止まると向こうも止まった。鏡に映すようにこちらの真似をする。機関士は思いきってまっしぐらに進行を始めた。衝突と思う刹那に怪しい列車は影を消した。その後も二、三度あった。いつも月の朧な夜であったが、やがて線路に一頭の古ギツネが轢死した後はその事も絶えた。付近にいまでもそのキツネの祠があるとか、怪しい列車はキツネの化けたものとして土地の人は信じている。月朧の山間には、機関士の錯覚を誘う樹木石角の陰影もあろうが、鉄道開設時代の獣類に関するこれに似た話は各地にもある。」
亀有駅付近を常磐線が走り始めたころの話です。上の話と同じく衝突しそうになった偽汽車が消え去りますが、その際、「ギャッ!」という叫び声が聞こえたとのこと、翌朝調べたところ、汽車に轢かれた狢の死体が見つかりました。供養のために建てられた「狢塚」が、今でも葛飾区・見性寺の境内に残っています。

出典:Tobosha (逃亡者), CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、東京都葛飾区・見性寺の狢塚
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kenshoji_Mujina-duka.jpg

「こういっている。まずおおよそこんな話である。この話がどの辺まで進展してゆくかわからぬが後にはきっと一つのまとまった口碑になろうと思われる。船幽霊の伝説はりっぱな花葉を飾り持っている。そして神秘な海洋という背景が許さぬから、かの話をばいまもっていよいよ不可思議にしている。しかし偽汽車の話ではその結末がいずれもあつらえたように多少のユーモアを交えた狐狸の仕業に帰している。これは広いといったとて高が知れたかぎりの、あの草原の話だからであろう。話者も前話ではどこまでも慎重な表情で話の余韻をばミスチカルにしようとするが、この話ではきっと語り終わってから破顔一笑するのがその型である。これくらいに両話の機縁が違っている。」
下には狐と同様、偽汽車の犯人とされる狸の写真を引用いたしました。

出典:写真AC、たぬき
https://www.photo-ac.com/main/detail/23360006&title=%E3%81%9F%E3%81%AC%E3%81%8D

「しかしこの話はさきにもいったとおりにごく新しい口碑である。それだけまだ十分に完備した強固たる根性と同情とをもっていぬのも致しかたない話である。たとえば自分の最近この話の発生地だと言い伝わっている村にいって聞くと、きまって土地の人はそんなことはあるものですか、知らぬという。いなそんなはずがないがといったって、本場で知らぬものはどうもできぬ。そこで土地の人から反語的にこういう案内を受けるのである。それはおれが所の話ではないが、関東の那須野ヶ原にあった話だそうな。この話をそれでは民間にはぜんぜん不信用のものとして、かりに鉄道当局の記録課(もしそういうところがあったなら)へもちこんだとしたなら、これもかならずいなといわれるであろう。これではこの新しい興味ある口碑は単なる偽(うそ)となって立ち消えねばならぬはかない運命のものであらねばならぬはずである。ところが事実はまったく正反対の結果である。現に北海道で樺太でと日本人のゆく新領地へはどんどん伸びていっている。なにもそんな遠方の話でなくとも十里二十里へゆく山間の軽便鉄道にまでその悪戯がいつあったと噂されるようになっている。しかしそれはどうも朧月夜の出来事である。真偽いかん、樹木石角の幻影やは井上博士の妖怪学講義でも見たらすぐ片がつくことだろうが、ただそれだけでは片づかぬのは、いつもいうところの、それらの流布的信仰の点である。」

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons、井上円了
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Inoue_Enry%C5%8D_en_1903-1905-1200dpi.jpg

「井上博士」とは上に写真を引用した「井上円了」のことです。哲学館(現、東洋大学)の創立者で、妖怪研究を行っていたため「妖怪博士」の異名がありました。なお、佐々木喜善が上京して哲学館に入学したのは井上円了の妖怪学講義を聞くためでした。ですが、井上が妖怪の存在に否定的であることを知った喜善は失望したとされています。

「どうしてそんな話がかく広く多くひろまったであろう。このことについでは諸君にはきっとそれはという、すきなお考えがあるだろうからそれは私は正直に教示していただきたいとして、しからば私はどう考えているかというと、やっぱりいまのところではこれだけのことしかいわれぬように思うのである。それはこうである。『どうも・・・・・・』」

旅行などの情報

線守稲荷神社

「偽列車」とは違いますが、やはり狐の仕業と考えられた怪現象の現場をご紹介しましょう。現在の御殿場線(当時の東海道本線)が開通して間もない明治時代の話です。周辺には一匹のキツネが住んでいましたが開発のために巣穴が破壊されていまいます。鉄道が開通すると、線路上に大きな牛が寝そべっていたり、停止信号を示す赤いカンテラが振られていたりと不思議なことが続いたとのこと。そしてある日、牛と衝突したと考えた運転士が列車を止めてみると、そこには(住み家を奪われた)キツネの死体がありました。その後、村人や鉄道関係者はこのキツネを「線守稲荷」として名づけて、お祀りしているとのことです。

出典:Cassiopeia sweet, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、神奈川県山北町・線守稲荷
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Senmori-Inari-1.jpg

上には線守稲荷神社の鳥居の写真を引用いたしました。境内に赤く塗られたレールが建てられているのもユニークなポイントです。

基本情報

【住所】神奈川県足柄上郡山北町都夫良野97
【アクセス】御殿場線・新松田駅または山北駅からバスに乗りかえ、四軒屋で下車
【参考URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%9A%E5%AE%88%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE