内田百閒「第一阿房列車」の風景(その7最終回)
奥羽本線阿房列車(後章)
前回(「第一阿房列車」の風景その6)横手駅に到着した一行は、横黒線(現・北上線)に寄り道をします。横手では小鯛の焼き物をさかなにお酒を堪能した先生が、宿の主人の依頼で筆を揮う場面が印象的です。山形の宿には大きな土産物屋さんがあり、地元ならではの商品を購入。面白山の紅葉を眺め、松島観光を満喫して長旅の帰途につきました。
横黒線の小旅行
横手駅に到着した先生たちは黒沢尻駅(現在の北上駅)との間を走っていた横黒線に乗り込みます。当初は終点までの往復旅の予定でしたが雨がひどいこともあり、途中の「大荒沢駅」で引き返すことにしました。
「紅葉に川は附き物の様である。目についた景色には、必ず清流が、横切って走る汽車に向かって流れてきた。山川だから幅が広くない。しかし水量は多いらしく、それは時雨の所為もあるか知らないが、深そうである。その迫った両岸に絢爛の色が雨に濡れて、濡れた為に却って燃え立つ様であった」
下には近年撮影された北上線周辺の紅葉の写真を引用させていただきました。以下は列車内での先生と山系君の会話です。
先生「いい景色だねえ」
山系「はあ」
先生「貴君はそう思わないか」
山系「僕がですか」
先生「窓の外のあの色の配合を御覧なさい」
山系「見ました」
先生「そこへ時雨が降り灑いでいる」
山系「そうです」
先生「だからどうなのだ」
山系「はあ。別に」
「それで大荒沢駅へ著いた」
出典:掬茶, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、岩手県和賀郡西和賀町にて。北上線の列車が錦秋湖を行く。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_of_Kitakami_Line_photographed_in_Nishiwaga_Town.jpg
大荒沢駅は写真の鉄橋下にある「湯田ダム」建設のために湖底に沈むことになります。下には先生が利用したころの大荒沢駅周辺の写真を引用させていただきました。
出典:国土交通省 東北地方整備局、【湛水前】大荒沢駅周辺(S29.11月撮影)
https://www.thr.mlit.go.jp/
写真中央の左側にあるのが駅舎でしょうか?先生たちは戻りの列車を待つために、こちらの駅長事務室に立ち寄り、火鉢に当たりながら駅員が入れてくれたお茶を飲んでいました。写真の上方にある山も紅葉の盛りでしたが、横手行きの列車が到着したころには「やっと山と空の境目がわかる位で、紅葉の色はもう見えない」とあります。
書の腕前を披露(横手)
横手の大きな旅館に到着した先生一行は「駅長さんが同乗した自動車で・・・・・・駅から大分離れた宿屋へ行った」とあります。下にはこのとき百閒先生が宿泊した旧平源旅館(現・平源)の写真を引用させていただきました。
こちらの写真から以下のような風景をイメージしてみましょう。
「大きな宿屋の奥まった座敷に通された。二間続きの奥の方へ這入ると、せせらぎの音が聞こえる。案内して来た女中に、川が流れているのかと尋ねたら、お座敷のすぐ外が雄物川の上流だと云った。もう戸締りがしてある廊下の硝子戸を開けて、雨戸を開けて見た。・・・・・・」
出典:掬茶, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hotel_Hiragen.jpg
今日のお酒の相手は横手駅の駅長さん。お膳に上がった料理の中で先生の気を引いたのは小鯛の塩焼でした。以下には小鯛の塩焼きについての記述を抜粋しました。
「女中が、東京のお客様には今ごろ珍しいだろうと云う。・・・・・・横手は山の中の盆地だが、魚は日本海からも、太平洋側の仙台松島の方からも来る。お膳の小鯛は日本海から来たのだそうで、だからまだこの位にしか育っていませんと云った。・・・・・・横手の小鯛の鮮鯛はうまい。」
下には小ぶりな鯛の塩焼きの写真を引用いたしました。こちらをつまみながらお酒を飲む先生の姿を想像してみましょう。
出典:写真AC、鯛の塩焼き
https://www.photo-ac.com/main/detail/27703514&title=%E9%AF%9B%E3%81%AE%E5%A1%A9%E7%84%BC%E3%81%8D
すっかりお酒がまわってご機嫌になった先生は旅館の主人の依頼で書の腕も披露します。
「お膳の横に毛氈を敷き、画仙紙をのべ、筆に墨をふくませた。酔っているからそんな事をするので、威張ったわけではないが書家らしく構え、子供の時から覚え込んでいる金峯先生直伝の懸腕直筆で颯颯(さつさつ)の運筆は、皆さんどんなもんだいと云う腹はある。・・・・・・」
とのこと。
ですが、次の日、宿を発つときには以下のようなことももらしています。
「夜が明けて酔いがさめてからもう一度見れば、きっと破りたくなるに違いないが、後からそんな事を云い立てては切りがないから、昨夜書いた物をもう一度見る事は、私の方から避けた。」
山形のお土産
午後二時三十一分、横手駅を出発した先生一行は山形駅に向かいます。
「夕方六時五十九分、意外な程明かるい山形駅に著いた。・・・・・・町中を大分走って、豊臣時代の豪傑の様な名前の大きな宿に著いた。」
先生たちが宿泊したのは「後藤又兵衛旅館」という創業350年にもなる有名な旅館でした。こちらの旅館では以下のようなさまざまなお土産を扱っていました。
「出かける前にお土産を買った。宿屋の玄関の陳列棚に色色の名産が列(なら)べてある。宿屋にいて調うから、買う気になった。しかし抑(そもそ)もお土産なぞを買って帰ると云う気は古来決してなかったのだが、矢っ張り齢(よわい)かたぶきて気が弱くなったのだろう。」
のし梅
先生は先ず「女中」さんからすすめられた「のし梅」を購入します。のし梅とは梅をすり潰し、薄い寒天に練りこんだお菓子で甘酸っぱい上品な味が特徴です。以下には江戸時代に山形市で創業した佐藤屋さんの「乃し梅」の写真を引用させていただきました。先生が購入したのもこちらのお店の商品だったかもしれません。
なめこの缶詰
次に挙げられているのは「なめこの罐詰」です。山形県は当時から全国でも有数の「なめこ」の生産地でした。日持ちのよい缶詰はお土産品としても重宝されたのでしょう。
以下には昭和初期の「山形市商工人名録」から「なめこの缶詰」を扱っているお店のページを抜粋してみました。
出典:『山形市商工人名録』昭和12年版,山形商工会議所,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1053578 (参照 2024-12-25、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1053578/1/86
こけし
一方「山系君はこけしの人形をいじり廻して」いて、「いくつも買い込んだ」とあります。「帰ってからお役所の同僚に分けてやる」とのことです。下には東北地方で作られていた「こけし」の図を引用いたしました。
出典:西沢笛畝 著『日本の人形と玩具』,岩崎書店,1957. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2482620 (参照 2024-12-25、一部抜粋)、こけし
https://dl.ndl.go.jp/pid/2482620/1/50
後日譚となりますが同僚にお土産は受け取ってもらえず、山系君のもとに残ることになりました。先生は「御希望の方はヒマラヤ山まで申し出でられる可し」と募集をかけています。ちなみにこちらの作品は昭和27年3月に小説新潮に掲載されたものです。その後、山系君のこけしをもらった人がいたかどうかについては情報を得られていません。
山寺駅にて
山形を出て仙台方面に向かった一行は山寺駅で長く停車します。当時の仙山線は完全に電化されておらず、山寺駅から作並駅の間のみ電気で運行、その両側の山形駅・山寺駅、作並駅・仙台駅間は蒸気機関車が客車を牽引していました。その付け替え作業のため、山寺駅や作並駅では停車が長かったいうことです。
出典:No machine-readable author provided. Crown of Lenten rose assumed (based on copyright claims)., CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yamadera_2006_Station_Exit.jpg
上には山寺駅の出口からの風景を引用しました。列車の窓からも同様の景色が見えたのではないでしょうか。「窓から山の迫っている景色を眺め、又歩廊の掲示を読んだ。芭蕉の、閑(しずか)さや岩に沁み入る蝉の声のお寺がここだとは知らなかった。掲示板に立石寺、蝉塚などの字が見える。汽車から降りて行って見たい気もするが、それは又今度の事、その今度と云うのは、いつの事か解らない。」
面白山隧道
列車が発射するとすぐに「そそり立つ厳石に岩をあけたらしい面白山の隧道に這入った」。「一番長い上越線の清水隧道、それから東海道線の丹那隧道、その次がこの面白山の隧道だそうである」とのこと。
出典:Mitsuhiro Todo, CC BY-SA 4.0
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%9D%A2%E7%99%BD%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F%E9%A7%85%E3%82%88%E3%82%8A%E4%BB%99%E5%B1%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%8A%97%E5%8F%A3.jpg
乗っている列車が急行でないため「いつ迄たっても暗い所から出て行かない」と退屈していると「岩山に硬い響きを残して、やっと明るい所へ出た」とあります。上には出口側の面白山トンネル(仙山トンネル)の写真を引用いたしました。
面白山の紅葉
「すぐ窓の外には目のさめる様な紅葉の色が流れて行く。・・・・・・汽車が山の筋を横切って向うへ出ると、谷川が流れている。鉄橋でその川を渡り、又先の山の筋を抜けると矢張り谷川がある。向う岸にその次の山が迫って来る。目がくらむ程深い谷底の谷川の岸から、燃え立った紅葉の色が一段の燄(ほのお)になって、その上を走る汽車を追っ掛けてきた。」
上には面白山周辺の紅葉名所に「紅葉川渓谷」の動画を引用いたしました。途中(0:15~)は列車が通るシーンもあり、先生が景色を眺めているところを想像できそうです。
松島に宿泊
仙台駅に到着した一行は山系君の知り合いに案内され松島海岸駅に向かいます。宿泊先は「伊藤博文公の扁額が掲げてある」との記述から、伊藤公が自ら命名した「白鴎楼」という高級旅館だったと思われます(こちらは現在は残っていません)。
ここでは昭和初期に建てられた初代・松島海岸駅の写真(2009年に撮影)を引用させていただき、長旅で少し疲れた先生一行が駅から出るところをイメージしてみましょう。
出典:ろふね, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons、松島海岸駅、Taken on 19 September 2009
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E9%A7%85_-_panoramio_(1).jpg
志おがまを購入
次の日は屋形の付いたモーター船で島巡りの観光をしながら塩釜に向かいます。先生は雨模様の松島は色が美しく綺麗という感想を抱きますが、寝不足のせいもあり今一つテンションが上がりません。
到着した塩釜は土砂降りでしたが、先生は山系君と相合傘をしながらお菓子屋を探します。山形や盛岡のお土産は傘の外に出てびしょ濡れになってしまいました。
「何を買おうとしているかと云えば、白雪糕(はくせつこう)のお菓子である。私は白雪糕が好きで、塩釜では名物だそうだから、買って行こうと思い立った。・・・・・・二人とも川から上がった様な雫を引きながら、やっとそのお菓子屋へ這入って行った。」
「志おがま」というお菓子は一般的な白雪糕(砂糖菓子)に藻塩を加えることで、より甘さが感じられるとのことです。
上には塩釜にある老舗・丹六園の商品「志おが満」の写真を引用させていただきました。ここでは、自宅に戻った百閒先生が「奥羽本線阿房列車」を思い出しながら、こちらのお菓子を食べるところを想像してみましょう。
上野に到着
一行は仙台駅から急行に乗車し上野へ向かいました。当時の仙台・上野間の所要時間は7時間ほどでしたが、出発から2時間半くらいたった郡山から食堂車に陣取ります。
「後片づけは上野に著(つ)いてから致しますから、上野に著くまで御ゆっくり」という食堂車のスタッフに対し「まさかねえ」といいつつ、「お目出度う」といって「奥羽本線阿房列車」の完遂を山系君と乾杯しました。祝宴は続き「白河を過ぎ、黒磯を過ぎ・・・・・・大宮も赤羽も、もうその時分は過ぎたか辷(すべ)ったか、知った事ではない」とあります。
食堂車から戻るとすぐに汽車が動かなくなりました。
「おかしいなと思っていると山系君が物物しく窓をのぞき、先生、上野駅ですと云った」
とあります。
出典:Kōyō Ishikawa, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ueno_Station,_1933.jpg
「第一阿房列車」の風景のラストは昭和初期の上野駅の写真を引用いたします。こちらのどこかに、少し足をふらつかせながら山系君とともに歩く先生の姿を探してみてください。
旅行などの情報
面白山紅葉川渓谷
仙山線の車窓から見えた紅葉スポットです。今でも仙山線が通っていて当時同様の絶景を眺めることができます。先生たちのように列車から見るのもよいですが、ゆっくりと紅葉鑑賞をするなら面白山高原駅で下車をするのがおすすめです。
近くには吊り橋などがある全長約2kmの遊歩道が整備されています。散策をしながら上に引用させていただいたような渓谷や滝の絶景を楽しんでみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】山形市山寺面白山
【アクセス】仙山線・面白山高原駅から徒歩2分
【参考URL】http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=261
松島島めぐり
先生一行が釜石までモーター船に乗った際に観光したところです。海岸周辺には五大堂などの美しい建物を散策できるほか、観光船を使えば下に引用させていただいたような美しい島々を間近で見ることができます。
湾内1周定期遊覧船コースや先生たちと同じ塩釜発着松島周遊コースなども運行されていますので、スケージュールに合わせてお楽しみください。
基本情報
【住所】宮城県宮城郡松島町
【アクセス】JR松島海岸駅から車を利用
【参考URL】https://www.matsushima-kanko.com/
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