内田百閒「第一阿房列車」の風景(その7最終回)

奥羽本線阿房列車(後章)

前回(「第一阿房列車」の風景その6)横手駅に到着した一行は、横黒線(現・北上線)に寄り道をします。横手では小鯛の焼き物をさかなにお酒を堪能した先生が、宿の主人の依頼で筆を揮う場面が印象的です。山形の宿には大きな土産物屋さんがあり、地元ならではの商品を購入。面白山の紅葉を眺め、松島観光を満喫して長旅の帰途につきました。

横黒線の小旅行

横手駅に到着した先生たちは黒沢尻駅(現在の北上駅)との間を走っていた横黒線に乗り込みます。当初は終点までの往復旅の予定でしたが雨がひどいこともあり、途中の「大荒沢駅」で引き返すことにしました。雨模様ではありますが車窓からの景色は「その迫った両岸に絢爛の色が雨に濡れて、濡れた為に却って燃え立つ様であった」とあります。

下には近年撮影された北上線と紅葉の写真を引用させていただきました。ここでは、電車の中に「いい景色だねえ」という先生と、「はあ」とはっきりしない回答をする山系君を置いてみましょう。

出典:掬茶, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_of_Kitakami_Line_photographed_in_Nishiwaga_Town.jpg

大荒沢駅は上の写真にもある湯田ダムの建設のために湖底に沈むことになります。下には先生が利用したころの大荒沢駅周辺の貴重な写真を引用させていただきました。

写真中央の左側にあるのが駅舎でしょうか?先生たちは戻りの列車を待つために、こちらの駅長事務室に立ち寄り、火鉢に当たりながら駅員が入れてくれたお茶を飲んでいました。写真の上方にある山も紅葉の盛りでしたが、横手行きの列車が到着したころには「やっと山と空の境目がわかる位で、紅葉の色はもう見えない」とあります。

横手に宿泊

小鯛の塩焼き

横手の大きな旅館に到着した先生一行は「駅長さんが同乗した自動車で・・・・・・駅から大分離れた宿屋へ行った」とあります。下にはその時、百閒先生が宿泊した旧平源旅館(現・平源)の写真を引用させていただきました。

「大きな宿やの奥まった座敷に通された。二間続きの奥の方へ這入ると、せせらぎの音が聞こえる」とあります。ここでは、こちらの裏手にある雄物川を見るために「もう戸締りがしてある廊下の障子戸を開けて、雨戸を開け」る先生の姿をイメージしてみましょう。

出典:掬茶, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hotel_Hiragen.jpg

今日のお酒の相手は横手駅の駅長さんです。先生は日本海で揚がる小鯛の塩焼きが気に入りお酒も進みます。先生が食べていたのは下に引用させていただいた写真のような肉厚な小鯛だったでしょうか。

すっかりお酒がまわってご機嫌になった先生は旅館の主人の依頼で書の腕も披露しますが・・・。ここでは「翌(あ)くる日、立つ前に」、「夜が明けて酔いがさめてからもう一度見れば、きっと破りたくなるに違いない」と少し後悔する先生の姿も想像してみます。

山形で宿泊

横手から山形に移動した一行は「豊臣時代の豪傑の様な名前の大きな宿」につきます。宿泊したのは「後藤又兵衛旅館」という創業350年にもなる有名な旅館でした。残念ながら1990年代に閉館してしまいますが、こちらの旅館では以下のようなさまざまなお土産を扱っていました。

のし梅

先生は先ず「女中」さんからすすめられた「のし梅」を購入します。のし梅とは梅をすり潰し、薄い寒天に練りこんだお菓子で甘酸っぱい上品な味が特徴です。下に引用させていただいたような琥珀色のきれいな外観はティータイムを華やかにしてくれるでしょう。

なめこの缶詰

次に挙げられているのは「なめこの缶詰」です。山形県は当時から全国でも有数の「なめこ」の生産地でした。日持ちのよい缶詰はお土産品としても重宝されたのでしょう。

なめこの缶詰は今でも多くのメーカーから販売されています。ここでは下に引用させていただいたようなかわいいデザインの缶詰を、いくつかかごに入れる先生の姿を想像してみます。

こけし

一方「山系君はこけしの人形をいじり廻して」いて、「いくつも買い込んだ」とあります。「帰ってからお役所の同僚に分けてやる」とのことです。下には生産地別のこけしの写真を引用させていただきました。山系君の購入したのは「山形」だったでしょうか。

後日譚となりますが同僚にお土産は受け取ってもらえず、山系君のもとに残ることになりました。先生は「御希望の方はヒマラヤ山まで申し出でられる可し」と募集をかけています。ちなみにこちらの作品は昭和27年3月に小説新潮に掲載されたものです。その時、山系君のこけしをもらった人がいたかどうかについては情報を得られていません。

出典:Wafuu Honpo, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Voorbeelden_van_elk_van_de_11_Via_Wafuu_Honpo_van_de_kokeshi-poppen.jpg

山寺駅にて

山形を出て仙台方面に向かった一行は山寺駅で長く停車します。当時の仙山線は完全に電化されておらず、山寺駅から作並駅の間のみ電気で運行、その両側の山形駅ー山寺駅、作並駅ー仙台駅間は蒸気機関車が客車を牽引していました。その付け替え作業のため、山寺駅や作並駅では停車が長かったいうことです。

下の写真は昭和の雰囲気が残る山寺駅のホームです。左の列車のなかに「窓から山の迫っている景色を眺め、又歩廊の掲示を呼んだ。芭蕉の、閑(しずか)さや岩に沁み入る蝉の声のお寺がここだとは知らなかった」という百閒先生を置いています。

面白山隧道

列車が発射するとすぐに「そそり立つ厳石に岩をあけたらしい面白山の隧道に這入った」とあります。当時は「一番長い上越線の清水隧道、それから東海道線の丹那隧道、その次がこの面白山の隧道だそうである」と先生がいうように日本で3番目に長いトンネルでした。

乗っている列車が急行でないため「いつ迄たっても暗い所から出て行かない」と退屈していると「岩山に硬い響きを残して、やっと明るい所へ出た」とあります。下には出口側の面白山トンネル(仙山トンネル)の写真を引用させていただきました。

出典:Mitsuhiro Todo, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%9D%A2%E7%99%BD%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F%E9%A7%85%E3%82%88%E3%82%8A%E4%BB%99%E5%B1%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%8A%97%E5%8F%A3.jpg

面白山の紅葉

隧道を出ると山寺の周辺と同様「目のさめる様な紅葉の色が流れて」いきます。そして「目がくらむ程深い谷底の谷川の岸から、燃え立った紅葉の色が一団の炎になって、その上を渡る汽車を追っ掛けて来た」という絶景を楽しみました。

下に引用させていただいたのは面白山の「紅葉川渓谷」という紅葉名所付近の写真です。ここでは列車の窓から満足そうに景色を眺める先生たちの姿を想像してみます。

松島に宿泊

仙台駅に到着した一行は山系君の知り合いに案内され松島海岸駅に向かいます。宿泊先は「伊藤博文公の扁額が掲げてある」との記述から、伊藤公が自ら命名した「白鴎楼」なる高級旅館だったと思われます(現在は残っていません)。

ここでは昭和初期に建てられた初代・松島海岸駅の写真(撮影は2009年)を引用させていただき、長旅で少し疲れた先生一行が駅から出るところをイメージしてみましょう。

出典:ろふね, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E9%A7%85_-_panoramio_(1).jpg

志おがまを購入

次の日は屋形の付いたモーター船で島巡りの観光をしながら釜石に向かいます。雨模様の松島は色が美しく綺麗との感想を抱く先生ですが、寝不足のせいもあり今一つテンションが上がりません。

観光よりも積極的だったのはお土産のお菓子を買う場面です。雨に濡れながらも釜石名物の白雪糕(はくせつこう)のお店に向かいます。下に引用させていただいた写真は釜石発祥の「志おがま」です。一般的な白雪糕(砂糖菓子)に藻塩を加えることにより甘さを引き立て、より深い味わいが楽しめます。

ここでは、自宅に戻った百閒先生が奥羽本線阿房列車を思い出しながら、こちらのお菓子を食べる姿をイメージしてみましょう。

上野に到着

一行は仙台駅から急行に乗車し上野へ向かいました。当時の仙台・上野間の所要時間は7時間ほどでしたが、出発から2時間半くらいたった郡山から食堂車に陣取ります。

「後片づけは上野に著(つ)いてから致しますから、上野に著くまで御ゆっくり」という食堂車のスタッフに対し「まさかねえ」といいつつ、「お目出度う」といって「奥羽本線阿房列車」の完遂を山系君と乾杯しました。祝宴は続き「白河を過ぎ、黒磯を過ぎ・・・・・・大宮も赤羽も、もうその時分は過ぎたか辷(すべ)ったか、知った事ではない」とあります。

食堂車から戻ってすぐに「先生、上野駅です」と云っているように、2人は「上野に著くまで御ゆっくり」過ごしました。「第一阿房列車」の風景のラストは昭和初期の上野駅の写真を引用させていただきます。こちらのどこかに、少し足をふらつかせながら山系君とともに歩く先生の姿を探してみてください。

出典:Kōyō Ishikawa, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ueno_Station,_1933.jpg

旅行などの情報

面白山紅葉川渓谷

仙山線の車窓から見えた紅葉スポットです。今でも仙山線が通っていて当時同様の絶景を眺めることができます。先生たちのように列車から見るのもよいですが、ゆっくりと紅葉鑑賞をするなら面白山高原駅で下車をするのがおすすめです。

近くには吊り橋などがある全長約2kmの遊歩道が整備されているので、散策をしながら下に引用させていただいたような渓谷や滝の絶景をお楽しみください。

基本情報


【住所】山形市山寺面白山
【アクセス】仙山線・面白山高原駅から徒歩2分
【参考URL】http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=261

松島

先生一行が釜石までモーター船に乗った際に観光したところです。海岸周辺には五大堂などの美しい建物を散策できるほか、観光船を使えば下に引用させていただいたような美しい島々を間近で見ることができます。

湾内1周定期遊覧船コースや先生たちと同じ塩釜発着松島周遊コースなども運行されていますので、スケージュールに合わせてお楽しみください。

基本情報

【住所】宮城県宮城郡松島町
【アクセス】JR松島海岸駅から車を利用
【参考URL】https://www.matsushima-kanko.com/

内田百閒「第一阿房列車」の風景(その7最終回)” に対して3件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。