内田百閒著「第一阿房列車」の風景(その5)
東北本線阿房列車
晩秋を迎え、百閒先生は東北に阿房列車を走らせることを思いつきます。同行するのはいつものヒマラヤ山系君。今回も2人の楽しいやり取りが続きます。
火鉢で一休み
先ずは福島で1泊。一行が宿泊したのは駅前の部屋数の多い大きな宿です。先生の部屋は二間続きで「唐木の大きな火鉢」に女中さんが火を入れている場面が描かれています。まだエアコンやストーブなどが普及していなかった時代。下の写真のような道具を暖房に使うのが一般的でした。
会津若松のお酒で・・・
宿では早速お酒を飲み始める一行。先生は女中さんに日本酒の銘柄を質問します。福島の地元言葉が聞き取れず「いねごころ?」や「よめごころ?」など何度聞き返しても正解になりません。最後に山系君が「ゆめごころ」だろうと当てて話が終了します。下の写真は今も福島にある「夢心酒造」の日本酒です。ここではこのお酒でいい気持ちになった先生たちの姿をイメージすることにします。
盛岡へ
福島駅を14時過ぎに出発。仙台には15時44分に到着します。現在の福島ー仙台間は普通列車で1時間20分程度。当時は倍くらいかかっていたことが分かります。車窓には松島の景色を見える場面もあります。下の写真は今の仙石線からの松島の風景。先生の旅行した当時はまだ電化が進んでおらず電線はなかったと思われます。綺麗な景色を見ているうちに時間が過ぎ、暗くなった後に盛岡に到着します。
日用品の調達
盛岡には2泊。教え子と旧交を温めたりして楽しく過ごします。2日目の昼間は特にすることもないので旅で使う日用品の買い出しに出かけます。
ピース缶
先ずは先生愛用のたばこ・ホープを購入。「缶入りピースを3つ」とあるので下の写真のような感じでしょうか?電車に乗り込んだ後は窓枠にピースの空き缶を置いて灰落とし(灰皿)に使うとあります。当時は喫煙人口も多く新幹線に禁煙車ができたのは1976年になってからです。今では全席禁煙が当たり前になりました。隔世の感がありますね。
鶴の卵石鹸
次に先生が購入したのは「鶴の卵石鹸」と石鹸入れ。長旅なので石鹸が切れそうだったのでしょうか?この石鹸は東京浅井なるメーカーが製造していたようです。下の写真は貴重な石鹸の姿が分かるもの。ツイッター投稿から引用させてただきました。字体もレトロでいいですね。箱を空けて(金属の?)石鹸入れにしまう先生の姿を思い描くことにします。
啄木歌碑
先生たちは盛岡泊を終えて更に北に向かいます。次の目的地は青森県・浅虫(あさむし)温泉。 盛岡駅を出てすぐに石川啄木の故郷・渋民村を通過します。電車からも見えるところに啄木の歌を刻んだ大きな石碑が鎮座。「小春の日向に白く浮かんでいた」とあります。下の写真のような風景だったかもしれません。
沼宮内(ぬまくない)駅
沼宮内駅を過ぎたところで山系君が面白いネタを披露します。駅弁売りの後ろで駅員が「ぬ(う)まくない」とアナウンスするので困るらしいとのこと。落語の受け売りとのことですが感心して少し笑みを浮かべる先生の姿が思い浮かびます。下の写真は昭和の沼宮内駅の風景。先生一行が乗っていたのもこのような列車だったかもしれません。
金田一(きんたいち)駅
次に先生の興味を引いたのは金田一駅です。現在は「金田一温泉駅」として残っている場所。当時の三省堂・明解国語辞典の監修者の名前は「金田一京助」氏でした。先生も家では頻繁に辞書を使い、家のものに「書斎のきんだ一をとってくれ」と依頼することが多いとのこと。駅の読み仮名を見て「きんたいち」と読むのか?と不安になります。下の写真は鉄道展で公開された旧金田一駅の本物の駅名標です。先生たちもこれを見ていたかもしれません。
陸奥湾
野辺地(のへじ)を越えると陸奥湾の海の絶景が見えてきます。もうすぐ浅虫温泉というところ。「浮雲の切れ目に夕日が残りほろせ(じんましん)の様なぶつぶつした小さな山がいくつも連なって遠い影を造っている」という表現があります。下の写真は夕暮れ時の陸奥湾の絶景写真。先生が見たのはこのような景色だったでしょうか?
旅行の情報
夢心酒造
明治10年創業の老舗酒造店です。先生一行が福島の宿で飲んだお酒として登場。「よめごころ?」などの女中さんとのやりとりは印象的な場面です。夢心のほか奈良萬(ならまん)なる銘柄も人気。事前予約すれば酒蔵見学も可能です。
[住所]福島県喜多方市字北町2932
[電話番号]0241-22-1266
[アクセス]喜多方駅からタクシー利用
[参考サイト]http://www.yumegokoro.com/index01.html