内田百閒「第一阿房列車」の風景(その5)

東北本線阿房列車

「先ず初めに盛岡へ行こうと思う」と、次回次々回の「奥羽本線阿房列車」まで続く東北の旅がはじまります。「阿房列車の立て前ではどこへ行っても、だれも待っていない筈」ですが、今回は盛岡で昔の学生が待っているレアなケースです。夕方に盛岡に到着したい先生ですが、早起きが苦手なため福島で一泊する作戦をとります。

福島駅前の大きな旅館で一泊

時期は10月末、車窓から田圃の刈り入れなどを眺めていると福島に到着。「駅長室に顔を出して、きめて置いて貰った宿屋の案内を頼もうと思ったら、すぐそこだからと云うので助役さんが連れて行ってくれた」とあります。

百閒先生が宿泊したのは下に引用させていただいた辰巳屋旅館(右下)とのことです。ここではチンチン電車の右側に先生一行を配し、助役さんと話をしながら中に入っていく光景を想像してみます。

火鉢で一休み

先生たちは「長い廊下を伝って、曲がって、又曲がって・・・・・・その廊下の突き当りから這入った座敷」に通されました。二間続きの部屋の奥では「大きな唐木の角火鉢」に女中さんが火を入れている場面が描かれています。

出典:サフィル, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JapaneseLongWoodenBrasier_NagaHibachi.jpg

まだエアコンやストーブなどが普及していなかった当時は、上に引用したような火鉢を暖房に使っていました。先生は火鉢について「赤い火の色は美しから賑やかで、くつろいだ座のまわりの色取りになる」とも付け加えています。

会津若松のお酒で・・・

宿で早速お酒を飲み始めた先生が「女中」に日本酒の銘柄を尋ねる場面があります。福島弁の発音が聞き取れない先生は「いねごころ?」や「よめごころ?」など何度も聞き返しますが正解できません。最後に山系君が「ゆめ心なんでしょう。そうだろう君」と会話に割ってはいって話が落ち着きます。

上には明治10年に福島県喜多方で創業し、現在も営業を続ける「夢心酒造」の純米大吟醸の写真を引用させていただきました。
百閒先生「おい、山系君、今からこの始末じゃ、行く先が思いやられるね・・・・・・福島はまだ入り口なんだろう。鹿児島まで行っても、こう云う目には会わなかった」

盛岡へ

福島駅を14時13分に出発した急行は仙台に15時44分に到着します。ちなみに現在の福島ー仙台間は普通列車で1時間20分程度、新幹線では25分程度です。現在の普通列車は昭和26年当時の急行レベルの所要時間で運行していることになります。

車窓には松島の景色をながめる場面もあります。下には戦前の松島の写真を引用させてただきました。ここでは「そんな所を通ると思っていなかったから、大きな池だと思い、どこだろう」と山系君に尋ねるシーンを想像してみます。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Matsushima_(Matsushima_Bay)_with_steamboats.jpg

盛岡駅では懸念仏がお出迎え

盛岡には「暗い中を大分走って」から到着、「大きな駅である。昔学校の教師の時分に来た事があるけれど、駅に何の記憶も残っていない」といいます。

下には先生が到着した時代の駅舎(二代目盛岡駅)の写真を引用しました。ここでは昔、先生の学生であった矢中懸念仏(やなかけねんぶつ)がこちらの駅のホームで「仁王様の様に立ちはだかって」出迎えてくれる思い浮かべてみます。

出典:岩手日報社 輯『大元帥陛下御統監陸軍特別大演習記念写真帖』,岩手日報社,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1458420 (参照 2023-11-22、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1458420/1/19

日用品を調達(ピース缶)

盛岡には2泊し、夜は懸念仏君などと旧交を温めたりして過ごします。そして特にすることもない昼間は旅で使う日用品の買い出しをします。先生は先ず、愛用のたばこ・ピースを購入、下には「缶入りピース」の写真を引用させていただきました。ちなみに、盛岡から電車に乗り込んだ後は窓枠にピースの空き缶を置いて灰落とし(灰皿)に使うとあります。

出典:Horaizon2018, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%BC%B6Peace.jpg

当時は喫煙人口も多く新幹線に禁煙車ができたのは1976年(昭和51年)になってからです。今では全席禁煙が当たり前になり隔世の感があります。

日用品を調達(鶴の卵石鹸)

次に先生が購入したのは「鶴の卵石鹸」と石鹸入れです。長旅なので石鹸が切れそうだったのでしょうか?こちらの石鹸は東京浅井というメーカーが製造していたようです。石鹸の姿が分かる貴重な写真をツイッター投稿から引用させていただきました。字体もレトロでいいですね。

ここでは、箱から取り出して(セルロイド製の?)石鹸入れにしまう先生の姿を思い描くことにします。

啄木歌碑

先生たちは盛岡滞在を終えて、次の目的地・青森県・浅虫(あさむし)温泉に向かいます。 盛岡駅を出てすぐのところに石川啄木の故郷・渋民村があり、「駅を出てから景色が広くなった所の右手の小高い丘の上に」、啄木の歌を刻んだ大きな石碑が「小春の日向に白く浮かんでいた」とあります。電車から見えたのは下に引用させていただいたような光景だったかもしれません。

このとき先生は、石碑に彫られた
「やはらかに柳青める北上の
岸べ目に見ゆ泣けと如くに」
という歌を頭のなかに思い浮かべていました。

沼宮内駅のシャレ

沼宮内駅を過ぎたところで山系君が面白いネタを披露します。沼宮内(ぬまくない)駅では「駅弁売りが駅弁だけ名物だかを売って行くと、うしろから駅員が駅の名を云って歩くのです」とのこと。「うまくない、うまくない」といわれて駅弁屋は困るという落ちでした。落語の受け売りとのことですが感心して少し笑みを浮かべる先生の顔が思い浮かびます。

上には貴重な昭和時代の沼宮内駅の写真を引用させていただきました。先生一行が乗っていたのもこのような列車だったかもしれません。

金田一駅の読み方

次に先生の興味を引いたのは金田一駅、昭和62年に「金田一温泉駅」と改称されています。金田一駅に停車したときに、頭に浮かんだのは当時の三省堂・明解国語辞典の監修者「金田一京助」氏の名前でした。

先生は明解国語辞典を「すっかり信頼し」、「茶の間にいる時、一寸見る事があると、家のものに『書斎のきんだ一をとってくれ』と云う」とのこと。駅の読み仮名を見て「きんた一」と読むのか?と不安になります。

上に引用させていただいたのは鉄道展で公開された旧金田一駅の本物の駅名標の写真です。先生たちも同じものを見ていたかもしれません。

陸奥湾

野辺地(のへじ)を越えると陸奥湾の海の絶景が見えてきます。
「野辺地から先はもう陸奥湾の水光の中を走る。暮れかけた水明かりで、空の色を下から明るくしている。反対側の西空は、浮雲の切れ目に夕日が残り、ほろせの様なぶつぶつとした小さい山が、いくつも連なって、遠い蔭を造っている。」

出典:663highland, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、青森湾夕景。青森県青森市の浅虫温泉にて
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aomori_Bay_Asamushi_Onsen_Japan01n.jpg

上には浅虫温泉周辺の夕暮れ時の写真を引用いたしました。先生が見ていたのはこちらのような美しい風景だったでしょうか。
「午後五時二十五分、まだ足許の明かるい内に浅虫駅へ著いた。」
とあります。

旅行などの情報

夢心酒造

明治10年創業の老舗酒造店です。先生一行が福島の宿で飲んだお酒として登場してもらいました。福島弁はうまく聞き取れませんでしたがお酒は堪能したようで、以下のように記しています。
「稲心か夢心か嫁心か、よく解らないがそのお蔭で、大体いい心持ちになった様である。」

夢心のほか奈良萬(ならまん)という銘柄も人気があり、事前予約すれば酒蔵見学も可能です。 上には夢心酒蔵の写真を引用させていただきました。

基本情報

【住所】福島県喜多方市字北町2932
【アクセス】喜多方駅からタクシーを利用
【参考URL】http://www.yumegokoro.com/index01.html