内田康夫「遠野殺人事件」の風景(その1)

五百羅漢で殺人事件発生

推理作家・内田康夫さんの初期作品で、民話の里・遠野を舞台にしています。名探偵・浅見光彦や信濃のコロンボ・竹村警部といった内田作品でもおなじみのキャラクターは登場しませんが、巧妙に仕組まれたトリックを根気強く解いていくヒロイン・留理子の姿が印象的です。今回は登場人物を紹介し、殺人事件が発生するまでを追っていきましょう。

主要な登場人物

宮城留理子・・・主人公。二十三歳の会社員、オーディオを主体とする家電メーカー・平安電器の庶務課に所属
河合貴代・・・同じ会社の留理子の先輩。経理課に所属
松永貞子・・・経理課に所属する貴代の同僚
土橋剛・・・留理子のフィアンセ
吉田宗平・・・遠野警察署刑事課の巡査部長

遠野旅行への誘い

「遠野殺人事件」は主人公の宮城留理子を会社の先輩(河合貴代)が遠野旅行に誘うところから始まります。下には遠野市の公式PR動画を引用させていただきました。従来から「民話の里」として人気がありますが、近年では「ビールの里」としても力を入れていて、観光地としても魅力が増しています。

河合貴代と親しくなったのは満員の通勤電車内で痴漢から守ってくれたことがきっかけです。留理子は正義感が強く、勇気のある彼女を尊敬もしていました。容貌や性格については以下のように描かれています。
「河合貴代は男まさりの女性だ。男性社員の中には貴代を『山女』などと呼ぶ者もいる。体つきがゴツく、どう見ても美人タイプではないし、単独行の山歩きや旅行が好きという貴代のイメージに、それはぴったりの表現だった。」

河合貴代「『留理ちゃん、夏休み遠野へ行くんだけど、一緒に行かない?』
「河合貴代に誘われたのは、梅雨明け宣言の出た翌日のことだった」
宮城留理子「いいわねえ・・・・・・ぜひ行きたいんだけど、もう、二、三日待ってもらえないかしら?」
河合貴代「いいわよ。どうせ今年も独りで行くつもりだったんですもの。でも留理ちゃんとなら楽しいかなって思ったものだから」
宮城留理子「ほんと?カンゲキ。遠野っていいところなんでしょう?前から行ってみたいなって思ってたんですよね。」

河合貴代「いいところらしいわよ、いろいろ調べてみたりしたんだけど・・・・・・」
「貴代はテーブルの端に載せておいた茶封筒の中から、旅行案内のパンフレットを取り出した。」

上には近年の遠野のガイドブックについての観光協会の投稿を引用させていただきました。観光地やからグルメの情報、マップなどが掲載された充実した内容になっています(遠野市観光情報サイト「遠野時間」からパンフレットをダウンロードできます)。

「しかし、留理子の遠野行きは結局、実現しなかった。その日の夜、土橋剛から電話があって、八月九日に、尾張一宮の土橋の家へ行くことが決まったのだ。」
とのこと。

宮城留理子「遠野行き、だめになっちゃった。九日、十日、用事ができちゃったの」
河合貴代「そっかあ、それは残念・・・・・・まあ、しゃあないわ。おみやげ買ってきてあげるね・・・・・・留理ちゃん、お見合いでしょう」
河合貴代「えっ?どうして分かるの?」

当時はまだ販売していなかったと思われますが、上にはお土産として人気の「はむかっぱ(ハムスターがかっぱに突然変異した生き物)」の写真を引用させていただきました。ここではこのようなグッズを留理子のために選んでいる貴代の姿を想像してみましょう。

旅行に出かける前日、留理子は貴代からビアホールに誘われます。
貴代「しばしの別れのために乾杯」
留理子「いやだあ、別れなんて・・・・・・」
「『別れ』という言葉を聞いた時、なんだかとても不吉な想いが胸の中をよぎったような気がしたのだ。」
貴代「留理ちゃんは新しい人生の旅に出る。あたしは独り寂しく、みちのくの旅に立つ。へへへ・・・・・・。なんだか、妙におセンチっぽいねえ・・・・・・」

遠野へ

「このところ、遠野はある種のブームである。新幹線ができたことがそれに拍車をかけた。・・・・・・」
「遠野殺人事件」は1983年にカッパ・ノベルス(光文社)から発行されました。使われた交通機関の状況は昭和五十七年(1982年)のものとのこと。1982年6月には東北新幹線の大宮・盛岡間が開通し、東北への移動がスムーズになりました。

河合貴代「北上まで新幹線で行って、あとは遠野までローカル線。片道六時間、いや七時間ぐらいかな・・・・・・」
貴代がこのように言っているように、「遠野殺人事件」のころは遠野への乗り換え駅・新花巻駅はまだ開設されていませんでした(1985年の上野駅への延伸とともに開設されます)。

上には「新幹線リレー列車」の運行も含めた東北新幹線の開業時の動画を引用させていただきました。「新幹線リレー列車」は、まだ始発が大宮だったころ、東北新幹線への乗り継ぎをスムーズにするために上野・大宮間で運行されていました。こちらの動画のような東北新幹線の車窓から、東北ののどかな景色をながめる河合貴代の姿をイメージしてみましょう。

「遠野がこれほどもてはやされるようになったのは、いつにかかって、柳田国男の名著、『遠野物語』のおかげといっていい。柳田国男は明治四十二年、遠野出身の青年、佐々木喜善から遠野に伝わる話をつぎつぎと聴き、これを集大成して世に出した。・・・・・・」

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons、柳田国男、毎日新聞社「毎日グラフ(1951年10月10日号)」より。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kunio_Yanagita_01.jpg

「『遠野物語』が『今昔物語』などと根本的に異なるのは、収集されている『はなし』がすべてこの土地の人々が自ら体験した事柄をもとにしているところだ。山の神、姥神、山男、山女や、狐、狼、馬、河童といった生き物たち。それから、かの有名なオシラサマや座敷ワラシ。山の奥の不思議な家など、登場するあらゆるものが、そこに住んだ人々が語り伝え語り伝えしてきたという存在感に裏打ちされているところに、すぐれた価値がある。」

出典:663highland, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、千葉家の曲り家。所在地は岩手県遠野市。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chiba_house_Tono14s4730.jpg

ちなみに、河合貴代の遠野旅行の予定は以下のようでした。
「一日目は遠野駅の周辺を見物して遠野で一泊、二日目は郊外の曲がり家なんかを見たりオシラサマの話を聞いたりして、のんびり過ごして、この日も遠野泊まりかな。次の日は少し早めに出発して、三陸海岸にでるのよね。・・・・・・」

馬の産地であった遠野周辺には母屋と馬屋が一体になった「南部曲り家」という建物が残っています。上にはなかでも有名な「旧千葉家住宅(南部曲り家千葉家)」の写真を引用しました(2024年12月現在、改修工事中で見学はできません)。

土橋剛

留理子のフィアンセ・土橋剛は以下のような、一見隙のない人物として描かれています。
「土橋は秘書課の主任である。国立大学を出て同期の中では出世頭だ。社長の従兄弟で、取締役第二営業部長の夏目勇二に重用されていると留理子は聞いたことがある。もちろん頭もいいが、女子社員のあいだでは、もっぱらルックスのよさが噂の的になっている。・・・・・・留理子も入社した時からはるかなあこがれとして、ひそかに土橋を眺めていた。もっとも、いくらあこがれてみたところで、自分には縁がないものと最初からあきらめていたから、先輩たちが目引き袖引きして土橋の噂をする仲間に加わる気にはなれなかった。」

その土橋からゴールデンウイークに突然プロ―ポーズを受け、それからつきあいが始まります。また、夏休みには尾張一宮に住む土橋の両親に会うことになり、上でも触れたように河合貴代の誘いがあった後、日程(八月九日)が決まりました。

土橋の両親への挨拶をすませると、土橋の運転で岐阜のホテルにチェックインします。
「『このホテルは岐阜随一なのだそうですよ』と土橋が自慢するだけあって、予約してあった部屋の窓からの眺望は、当の土橋でさえも見惚れるほどすばらしかった。」
とあります。

土橋たちが宿泊したホテルは明記されていませんが、上には皇室の方々や国内外のVIPが利用してきた岐阜グランドホテルからの眺望を引用させていただきました。眼下に長良川、金華山と岐阜城が間近に見える贅沢な立地です。

夕方、ホテルから自宅に電話をかけると母が出ます。
留理子「いま、ホテルに入ったとこなの」
留理子の母「あ、留理子、留理子なのね」
留理子「そうよ、どうしたの?なんか変ね。あたしのことなら心配いらないわよ」
留理子の母「違うのよ、そうじゃないの、大変なのよ。・・・・・・あのね、河合さんがね・・・・・・亡くなったのよ・・・・・・貴代さん、殺されたんだそうですよ。」

吉田巡査部長に事件発生の一報が!

ここで、話を事件現場(遠野)に移しましょう。
吉田宗平巡査部長のもとに事件の一報が飛び込んできました。「五百羅漢さんの中で若い女が死んでいて、それがどうやら殺されたものらしい、というのである」

吉田の年齢やキャリアについては以下のような記述があります。
「遠野に来て二年になる。前任地盛岡から来たばかりのころは、あまりののどかさに身の置きどころがないような思いさえした。しかし、しばらく暮らすうちに、人間らしい暮らしとはこういうものかもしれないと思うようになった。・・・・・・吉田は今年四十七歳になった。若いころはむやみと転任が多いけれど、歳とともにひとつ土地での任期が長くなる。」
また、少し先の箇所(光文社文庫2014年版・P235)に描かれている彼の性格は以下のようです。
「吉田はひらめきのあるタイプではないが、いったんレールに乗ってしまえば、SLのように鈍重に、しゃにむに突っ走る。善悪はともかく、それが吉田の癖だし、それによって生じる『勇み足』は病気のようなものなのだ。」

遠野市民俗博物館の坂道の上にこんもりとした山があるとのこと。
「その山の斜面に分け入ると奇妙な形の岩が無数にころがり、斜面の上へ上へと打ち続いているところがある。岩のひとつひとつをよく見ると、どの岩にも人の顔らしきものが彫り込まれているのが分かる。これが有名な『遠野の五百羅漢』だ。」

上には羅漢などの彫刻を撮影した遠野市観光協会の公式動画を引用させていただきました。「遠野殺人事件」のなかでは、こちらの五百羅漢には以下のような由来があると説明されています。
「天明の大飢饉で死んだ多くの人々を供養するために老僧が五年の歳月をかけて自然石に彫り込んだもので、訪れた者の胸にひそやかにしのびこむような哀しみが漂っている。」

出典:663highland, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tono_500rakan02s3872.jpg

そして
「死体は羅漢石群の中へ少し入ったところに、まるで羅漢さんたちに見守られているような形で横たわっていた。」
とのこと。
こちらの写真のどこかに
「レモンイエローのサマージャケットに揃いのコットンパンツという軽装」
で倒れている河合貴代を置いてみましょう。

旅行などの情報

遠野の五百羅漢

「遠野殺人事件」で最初の現場となったスポットです。江戸時代、天明の大飢饉(ききん)で亡くなった人々を供養するために大慈寺の義山和尚が彫ったものとされています。下の写真のように足許には凹凸があるので、歩きやすい靴でお出かけください。また熊鈴などの熊対策もお忘れなく。

混雑は少ないので静かに過ごせるのもこちらの魅力です。苔が生えて彫像が見えにくいものもありますが、小川のせせらぎや鳥のさえずりなどを聴きながらじっくりと探してみてください。

基本情報

【住所】岩手県遠野市新町
【アクセス】遠野駅から車で約10分
【参考URL】https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,73920,303,656,html

駅前のかっぱオブジェ

カッパは「遠野物語」にたびたび登場する遠野のシンボル的なキャラクターの一つです。そのため、駅の周辺ではさまざまなオブジェを見ることができます。駅を出てすぐ左側には、下に引用したような木彫りのカッパがのったポストがお出迎えしてくれます。

出典:写真AC、遠野駅前の郵便ポスト
https://www.photo-ac.com/main/detail/30777527&title=%E9%81%A0%E9%87%8E%E9%A7%85%E5%89%8D%E3%81%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88

また、駅を出て右側のほうに歩くと交番がありますが、こちらの外観はウィンクをするカッパの顔になっているのが特徴です。道を挟んだ対面には観光協会やお土産屋さんがあるので、最初にチェックしておくのもよいでしょう。なお、こちらにはカッパ淵(遠野殺人事件の風景その2・参照)でカッパ釣りに挑戦できる「カッパ捕獲の許可証」も販売されているので、気になる方は入手してみてください。

また、駅から出てロータリーの左側に行くと下に引用させていただいたストリートビューのような池がつくられ、たくさんのカッパがくつろぐ姿を見ることができます。

基本情報

【住所】岩手県遠野市新穀町5
【アクセス】遠野駅からすぐ
【参考URL】https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1049.html

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