宮本輝著「流転の海」の風景(その6)

それぞれの戦後

戦争で夫を奪われた房江の姪たち

多くの人が犠牲になった第二次大戦。戦争が集結しても夫を失った妻たちの苦しい生活が続きます。房江の姉・あや子の娘である美津子や直子の姉妹も結婚後すぐに夫が出征し戻ってくることがありませんでした。下は出征兵士の見送りの写真。妻や子供と別れるのがつらくても笑顔で出ていくしかありませんでした。

当時の女性の仕事について

昭和初期になると働く女性が多くなり「職業婦人」とよばれることもありました。 人気の職種は華やかなエレベーターガールや専門性が高く給料の良いタイピスト、電話交換手など。現在は機械にとってかわられたためあまり馴染みのない職業です。電話交換手は下のような機械で依頼人からの電話線を相手の電話線へ手動でつなぐ作業をしていました。

妹・直子

昭和19年、直子の2人目の子供がお腹にいる時にサイパンで夫が戦死してしまいます。その後、熊吾・房江夫妻の家に同居。再婚の話をしても応じず自分ひとりで子供たちを育てていくというたくましい女性です。彼女は三宮の料亭で仲居として働いていました。下は昭和28年の三宮駅の写真です。直子もこの立派な駅を利用して仕事に通っていたかもしれません。

姉・美津子

美津子は結婚して2年で夫が戦死。子供がなく辻堂の紹介で大阪・高麗橋にある証券会社の会計課に勤務しています。3年前に急逝した女友達の夫から結婚を申し込まれ熊吾夫妻に相談を持ち掛けます。子供のころの怪我が原因で松葉杖なしでは歩けない体。徴兵はされずに故郷・北海道で二人の子供を育てながら銀行員として働いているとのことでした。辻堂との再婚を臨んでいた熊吾や美津子の父親・鶴松は大反対します。下の写真は昭和4年の女性事務員さんとのこと。時代は少し違いますがまだ着物が主流の時代。美津子もこのような姿で働いていたのでしょうか?

辻堂の結婚観

熊吾に美津子との結婚をすすめられる辻堂ですが、妻子を長崎に避難させて死なせてしまったことを今でも忘れられず、再婚は考えられないといいます。自宅で説き伏せようとする熊吾。房江に酒をもってこさせます。神戸のこのエリアといえば昔から灘の日本酒が有名。戦後数年たったこの時期、老舗の「菊正宗酒造」や「剣菱酒造」なども復活しつつありました。小説には銘柄までは出ていませんが熊吾が辻堂に押し問答をしながら飲んでいたのはこのような美味しい冷酒ではなかったでしょうか?

美津子と直子という性格の違った姪たちの姿が描かれたところで「流転の海」も終盤を迎えます。時代の流れにもまれながら熊吾や辻堂の人生も大きく変わっていくことになります。

旅行の情報

NTT技術史料館

電話交換機などにご興味がある方は「NTT技術史料館」をご訪問ください。電話交換の体験のほか、ダイヤル式黒電話での通話ができるなど昭和の時代へのタイムトリップを楽しむことができます。戦後の時代は電話するだけでも現在に比べて手間がかかったことが実感できるスポットです。
[住所] 東京都武蔵野市緑町3-9-11NTT武蔵野研究開発センタ内
[電話] 0422-59-3311
[アクセス] JR三鷹駅からバスに乗り換え武蔵野市役所前で下車
[参考サイト]http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/index.html

高麗橋ビルディング

美津子が勤めていた証券会社は高麗橋にありました。当時から銀行や証券会社が立ち並んでいましたが今でも当時の建物がいくつか残っています。下はその一つ「高麗橋ビルディング」です。東京駅の設計でも有名な辰野金吾(たつのきんご)氏などが設計した由緒ある建物。美津子のいた時代には大中証券が入っていました(現在はレストランウエディング場)。周辺には旧三井銀行大阪支店など当時の建物が残り当時をイメージすることができます。
[住所] 大阪府大阪市中央区高麗橋2-6-4
[電話] 06-6231-0700
[アクセス]御堂筋線・淀屋橋駅から
[参考サイト]https://operadomaine.com/

菊正宗酒造記念館

山田錦なる有名な酒米やキレで知られる「宮水」を利用した灘の酒は品質が良いことで有名。鎌倉時代から酒造りが行われていたともいわれます。熊吾が辻堂と飲んだ日本酒の候補としてご紹介した「菊正宗酒造」は江戸時代創業の老舗です。ここでは酒蔵見学も可能。昔からの酒造用具や製造過程を見られるほか「きき酒コーナー」にて貴重な「生原酒」のテイスティングをすることができます。ここでしか購入できない限定品が販売されています。
[住所] 兵庫県神戸市東灘区魚崎西町1-9-1
[電話] 078-854-1029
[アクセス] 阪神魚崎駅から徒歩で約7分
[参考サイト]https://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/