村上春樹「風の歌を聴け」の風景(その3)

ガール・フレンドたちや鼠のこと

「風の歌を聴け」では過去に付き合った3人のガール・フレンドに触れられていますが、ここでは最もページが割かれている「三番目の相手」についてピックアップします。また、「小指のない女の子」から「僕」に連絡があり、ジェイズ・バーで会うことに!相棒の鼠についても性格や趣味がわかる風景を追って行きましょう。

三人目のガール・フレンド

エピソード(その1)

「三人目の相手」は「決して美人ではなかった」とあります。「僕」が持っている彼女の唯一の写真は14歳のときのもので「髪はジーン・セバーグ風に短く刈り込み」「軽くあわされた唇と、繊細な触覚のように小さく上を向いた鼻」などが特徴で「それが彼女の21年の人生の中で一番美しい瞬間だった。そしてそれは突然に消え去ってしまった」とのことです。

下にはジーン・セバーグの主演作品「勝手にしやがれ(1960年公開)」のポスター写真を引用しました。こちらの写真から14歳のころの彼女の姿を想像してみましょう。

出典:映画評論社, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eiga-Hyoron-1960-March-1.png

「三番目の相手」の写真の「裏に日付けがメモしてあり、それは1963年8月となっている。ケネディ大統領が頭を撃ち抜かれた年だ」とあります。

話はそれますが、宮本輝氏の流転の海シリーズ第8部「長流の畔」では、「ケネディ暗殺」が当時の人々に与えた衝撃が描かれています(長流の畔の風景その3・参照)。

エピソード(その2)

彼女は「大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ」ともあります。

下には村上春樹氏の母校・早稲田大学の図書館(現2号館)の写真を引用しました。こちらの中のどこかで、「僕」が彼女に声をかけているところを想像してみます。

出典:ノーベル書房株式会社編集部「写真集 旧制大学の青春」1984年1月20日発行, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%88%E7%8F%BE2%E5%8F%B7%E9%A4%A8%EF%BC%89.png

彼女は「私が大学に入ったのは天の啓示を受けるためよ」と真剣にいいます。「それは朝の4時前で、僕たちは裸でベッドの中にいた。」とあります。

「三番目の相手」は映画「風の歌を聴け」では室井滋さんが演じられていました。下(左側)には2019年の「風の歌を聴け」・映画上映会のポスター写真を引用させていただきました。

僕が天の啓示について訊ねると彼女はこういいます。
「わかるわけないでしょ。・・・・・・でもそれは天使の羽根みたいに空から降りてくるの。」「僕は天使の羽根が大学の中庭に降りてくる光景を想像してみたが、遠くから見るとそれはまるでティッシュペーパーのように見えた」とのこと。

下は1950年ごろの早稲田大学の正門付近の写真です。こちらを利用して天使の羽根(ティッシュペーパー?)が降っているシーンを想像してみましょう。

出典:http://www.waseda.jp/top/news/19145, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Waseda_University_-_main_entrance_-_1950.jpg

エピソード(その3)

彼女が亡くなって半月後、「僕」はミシュレの「魔女」という本を読んでいて、以下のような一節を引用しています。

「ロレーヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この『恐怖政治』について勝ち誇っている。彼は言う、『わたしの正義があまりにもあまねきため、先日捕えられた十六名はひとが手をくだすのを待たず、まずみずからくびれてしまったほどである。』」(篠田浩一郎訳)

出典:村上春樹、風の歌を聴け、講談社文庫

こちらの著作は中世の魔女狩りについて、キリスト教の発展などと関連付けて描かれたものです。ミシュレ(下に写真を引用)は19世紀フランスの歴史家で、他にも「ジャンヌ・ダルク」や「フランス革命史」などが邦訳されています。

出典:Thomas Couture, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jules_Michelet_par_Thomas_Couture.jpg

魔女たちは「わたしの正義があまりにもあまねきため」首を吊って死んだとありますが、三番目の相手の死因については「何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う」といっています。

エピソード(その4)

「去年の秋、僕と僕のガール・フレンドは裸でベッドの中にもぐりこんでいた。そして僕たちはひどく腹をすかせていた」とあります。以下は「三番目の相手」との会話の抜粋です。

僕「何か食べ物はないかな」
彼女「捜してみるわ」
「レタスとソーセージで簡単なサンドイッチを作り、インスタントのコーヒーと一緒にベッドまで運んでくれた」
彼女「芥子はなかったわ。」
僕「上等さ。」

「僕たちは布団にくるまったままサンドイッチを齧りながらテレビで古い映画を見た。『戦場にかける橋』だった。」
彼女「何故あんなに一生懸命になって橋をつくるの?」
僕「誇りを持ち続けるためさ。」

下にはその「戦場にかける橋」の予告編を引用させていただきました。

引き続き抜粋させていただきます。
彼女「ねえ、私を愛してる?」
僕「もちろん」
彼女「結婚したい?」
僕「今、すぐに?」
彼女「いつか・・・・・・もっと先によ。」
僕「もちろん結婚したい」
彼女「・・・・・・子供は何人欲しい?」
僕「3人。」
彼女「男?女?」
僕「女が2人に男が1人。」
彼女「嘘つき!」

「しかし彼女は間違っている。僕は一つしか嘘をつかなかった。」

「一つの嘘」がどれかについては、インターネットや書籍などでさまざまな解釈がされています。謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。

再び「小指のない女の子」

彼女から連絡が!

夕方、レコード店でそっけない態度だった「小指のない女の子」から突然電話がありました。以下に会話を抜粋します。
女の子「私のこと覚えてる?」
僕「レコードの売れ具合はどう?」
女の子「対して良くないわ。・・・・・・不景気なのね。きっと。・・・・・・あなたの電話番号捜すのに随分苦労したわ。・・・・・・『ジェイズ・バー』で訊ねてみたの。店の人があなたのお友達に訪ねてくれたわ。背の高いちょっと変わった人よ。モリエールを読んでたわ。」
女の子「・・・・・・私のこと怒ってる?」
僕「どうして?」
女の子「ひどいことを言ったからよ。それで謝りたかったの。」
僕「ねえ、僕のことなら何も気にしなくていい。それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ。」
「彼女が溜息をついて、煙草に火を点けるのが受話器の向こうから聞こえた。その後ろからはボブ・ディランの『ナッシュビル・スカイライン』が聞こえた」

下にはアルバム「ナッシュビル・スカイライン」の1曲目・Girl from the North Country(邦題:北国の少女)を引用させていただきました。

女の子「今夜会えるかしら?」
僕「いいよ。」
女の子「8時にジェイズ・バーで。いい?」

ジェイズ・バーにて

ジェイズ・バーで「小指のない女の子」と会った「僕」は、彼女の家族のことや小指が無くなったいきさつなどの身の上話に耳を傾けました。以下には、「僕」についての話になったところから会話を抜粋してみます。

女の子「あなたは何しているの?」
僕「大学に通ってる。東京のね。」
女の子「何を勉強しているの?」
僕「生物学。動物が好きなんだ。」
女の子「私も好きよ。」
僕「ねえ・・・・・・。インドのバガルプールに居た有名な豹は3年間に350人ものインド人を食い殺した」
女の子「そう?」
僕「そして豹退治に呼ばれたイギリス人のジム・コルヴェット大佐はその豹も含めて8年間に125匹の豹と虎を撃ち殺した。それでも動物が好き?」
女の子「あなたって確かに少し変わってるわ。」

チャンパーワット(英語版)の町では、Lohaghatの町に向かうChataar橋のたもとに、トラを仕留めた場所を示す記念碑がある。コルベットは、このトラをめぐる一連の物語を『クマーウーンの人喰虎』(Maneaters of Kumaon) として1944年に出版した。

なお、コルベットはこの人食いトラを射殺した後、1910年にも同じくインドのパナールで少なくとも400人の人間を殺したと言われる人食いヒョウを射殺することに成功している

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%A3%9F%E3%81%84%E3%83%88%E3%83%A9

上に引用したように「ジム・コルヴェット」は実在したハンターです。また、彼の名前を冠したジム・コルベット国立公園(インド・ウッタラーカンド州)では、ベンガルトラをはじめ野生の動物たちの姿を観察することができます。

出典:Soumyajit Nandy, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bengal_Tiger_looking_at_us_in_Jim_Corbett_National_Park.jpg

初代・名犬ラッシー

次の日、彼女からビーフシチューを食べに家に来ないかと誘われます。ここからは彼女の家での会話を抜粋しながら風景を追ってみましょう。

彼女「テレビは見ない?」
僕「少しだけ見る。昔はよく見たけどね。一番好きなのは名犬ラッシーだったな。もちろん初代のね。」

日本ではアニメ化もされましたが、「僕」が見たのは下にオープニング動画を引用させていただいたような実写版でした。

原作は1940年に発行された小説「名犬ラッシー/家路」、金持ちの家に売られたラッシーが、元の飼い主の少年を慕い勇気と知恵で逃げ戻る感動的な物語です。

なお、初代・名犬ラッシーは「パル」という名前で、下に引用したようなりりしいコリー犬です。テレビドラマが人気となり、日本ではコリー犬を飼う人が増えたそうです。

出典:Photographer: Dell Mulmey, Quinault, Washington, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pal_as_Lassie_1942.JPG

学生運動の話

学生生活の話になり、「僕」はデモの際、機動隊に叩き折られた前歯を見せます。
女の子「復讐したい?」
僕「まさか。」
女の子「何故?私があなただったら、そのオマワリをみつけだして金槌で歯を何本か叩き折ってやるわ。」

「風の歌を聴け」のころは大学当、局に不満を抱く学生たちによる「全共闘運動」が全国的に行われていた時期です。下には1968年の中央大学周辺の学生運動の写真を引用しました。「僕」もこのような装備でデモに参加していたかもしれません。

出典:Mountainlife, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kanda_Quartier_latin19680621-2.jpg

部屋で流れていた曲

食後にはレコードをかけてコーヒーを飲みながら聴く場面があります。まずはM・J・Q(モダン・ジャズ・カルテット)を聴いたとのこと。レコード店で働いているせいでしょうか?20歳前後でジャズというのは渋い選曲です。

曲名は明記されていませんが、ここでは代表作の一つ「Django(ジャンゴ)」を引用させていただきました。

少し会話を抜粋します。
女の子「おいしかった?」
僕「とてもね。」
女の子「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」
僕「さあね。癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。」
女の子「なおさないと損するわよ。」

次はマービン・ゲイの代表曲「Heard It Through The Grapevine(邦題・悲しいうわさ)」をどうぞ。

女の子は「明日から旅行するの」といいますが行先はまだ決めてないとのこと。「帰ったら電話するわ。」といいました。

相棒・鼠のこと

鼠からの頼み事

「その夜、鼠は一滴もビールを飲まなかった。これは決して良い徴候ではない。そのかわりに、ジム・ビームのロックをたててつづけに5杯飲んだ」とあります。下には鼠が飲んでいたジム・ビームの写真を引用しました。

出典:Felix Stember, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jim_Beam_White_Label.jpg

「鼠」とピンボールで勝負した後、お酒を飲みながらジュークボックスから聴こえてくる音をぼんやりと聴いていると、
鼠「人に会って欲しいんだ」
僕「・・・・・・女?」
(うなづく鼠)
僕「何故僕に頼む?」
鼠「他に誰が居る?」

僕と鼠のストーリーは一旦ストップし、以下では鼠の家の様子や趣向についてみていきましょう。

鼠の実家

「僕」と同じ街にある鼠の家は三階建てで、屋上には温室までついているとのこと。ガレージには3年前「僕」を乗せて公園に突っ込んだフィアット600の代わりに、トライアンフTR3(下に写真を引用)が停まり、隣には父のベンツが並んでいます。

出典:35mmMan, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Triumph_TR3_(51383155280).jpg

ただ「不思議なことに、鼠の家で最も家庭らしい雰囲気を備えているのがこのガレージであった。小型飛行機ならすっぽりと入ってしまいそうなほど広いガレージには型が古くなってしまったり飽きられたりしたテレビや冷蔵庫、ソファー、テーブル・セット、ステレオ装置、サイドボード、そんなものが所狭しと並べられ、僕たちはよくそこでビールを飲みながら気持ちの良い時間を過ごした」とあります。

下には名古屋にある昭和日常博物館の「昭和の部屋」の写真を引用しました。こちらの家具や電化製品をそのままガレージに移動し、ソファーでくつろぐ「鼠」と「僕」の姿をイメージしてみます。

出典:先従隗始, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kitanagoya_City_Museum_of_History_and_Folklore(The_Showa_Era_Lifestyle_Museum)_20230310_37.jpg

鼠が読書家に

スポーツ新聞とダイレクト・メール以外の活字を読まなかった鼠ですが「僕」に感化されて読書をするようになります。ジェイズ・バーで「僕」に会った際、本からのいくつかの引用を披露しました。

「私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する。」フランスの映画監督・ロジェ・ヴァディム(下に写真を引用)の言葉とのことです。

出典:Studio photographer, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Roger_Vadim_-_still.jpg

「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分は発揮していくことができる」。こちらはアメリカの作家スコット・フィッツジェラルド(下に写真を引用)の言葉(出典:The Crack-Up)。

出典:English: Photographer unknown. The publicity photo was distributed by Fitzgerald’s publisher, Scribner’s (source: Curtis, William (April 15, 1922). “Some Recent Books”. Town & Country, Vol. LXXIX, pp. 62, 76; see photo caption)., Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:F_Scott_Fitzgerald_1921.jpg

なお、村上春樹氏はスコット・フィッツジェラルドの代表作・グレート・ギャツビーをはじめ、多数の短編の翻訳もされています。

鼠の好物

今回、最後に引用させていただくのは鼠の好物の写真です。「風の歌を聴け」では以下のように記述されています。「鼠の好物は焼きたてのホットケーキである。彼はそれを深い皿に何枚か重ね、ナイフできちんと4つに切り、その上にコカ・コーラを1瓶注ぎかける」とのこと。

鼠曰く「この料理が優れている点は、・・・・・・食事と飲み物が一体化していることだ。」とあります。一度お試しください。

旅行などの情報

早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)

村上春樹氏の母校でもある早稲田大学に2021年10月に開館されました。世界的な建築家・隈研吾氏の設計で、入口にあるトンネルを抜けると、時空を超えて村上ワールドに迷い込む趣向です。

村上氏の本が並ぶ「階段本棚」では階段に座って静かに読書を楽しむことも可能です。ほかにも下に引用させていただいたような「羊男」のイラストを背景に記念撮影をしたり、オーディオルームでジャズを聴いたりとさまざまな楽しみ方があります。

基本情報

【住所】東京都新宿区西早稲田1丁目6-1
【アクセス】東京メトロまたは東京さくらトラム早稲田駅から徒歩5分
【公式URL】]https://www.waseda.jp/culture/wihl/