井上靖「夏草冬濤」の風景(その1)
魅力的な上級生たち
「夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)」は井上靖氏の自伝的小説で、尋常小学校時代を描いた「しろばんば」の続編です。洪作は浜松で親とともに一年の中学校生活を送りますが、中学二年になって沼津中学に転校し、再び親元を離れることに。中学三年生の夏休みに自分とは違ったタイプの上級生と出会うところから物語が展開していきます。
「しろばんば」からの経緯
「しろばんば」では小学校の最終学年を浜松の父母のもとで過ごすために故郷の湯ヶ島から旅立つところで終了しています(しろばんばの風景その7最終回・参照)。その後、浜松中学に合格した洪作は親とともに浜松で暮らしました。
そして、「軍医だった父が、浜松の連隊から台北の師団に転任することに」なると、「母や弟妹は父と一緒に台北に行ったが、洪作だけは同じ静岡県でも郷里に近い沼津の中学へと転校し、三島の叔母の家からそこへ通うことになった」とあります。
下には沼津中学校の校舎と思われる写真を引用させていただきました(右下)。少し時代は違いますが、洪作(井上靖氏)もこちらと同じ様な場所で写真撮影をしていたかもしれません。
水泳の講習会
「夏草冬濤」は洪作が沼津中学の三年生の夏休み、夏季休暇中に行われた「泳ぎのできない低学年の生徒のため」の水泳講習会のシーンから始まります。洪作は「(湯ヶ島では)夏は毎日のように川にはいっていたので、川なら、どんな急流でもそれに体を投げ込むことができたが、海となると、からきし意気地がなかった」とあります。
以下は水泳講習会の会場となった静浦の海水浴場(牛臥海岸)付近の大正時代の写真です。海岸沿いには三島館などの高級旅館(写真中央)や別荘地が軒を連ねる風光明媚な場所として知られていました。もっとも泳ぐのに必死な洪作には、周辺の景色は目に入らなかったかもしれません。
出典:静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607 (参照 2024-01-25、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1915607/1/12
静浦の海では複数の学校が水泳の練習をしていて「他校の生徒がはいれないように、水泳場に区切りがしてあって、そこに白い旗が何本も海風にはためいていた。・・・・・・それぞれの区域の中に、少年や少女たちが、色紙のかけらでも振り撒いたような賑やかさで散らばっていた。・・・・・・どの水泳場も一つか二つの飛込台を持っており、いつそこへ目をやっても夥しい数の河童たちがそこにたかっていた」というような風景がありました。
下に引用させていただいたのは愛媛県の昭和初期の海水浴場の写真です。ここでは岸の方に、海を恐れて飛込台まで泳ぐことができない洪作の姿を探してみましょう。
出典:不明, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%B8%AF%E5%B1%B1%E3%81%AE%E8%83%8C%E9%9D%A2%E3%81%A8%E6%A2%85%E6%B4%A5%E5%AF%BA%E6%B5%B7%E6%B0%B4%E6%B5%B4%E5%A0%B4.jpg
海を怖がって泳ぎが上達しない「洪作のことは、すぐ上級生の間では問題に」なりました。そしてある日、五年生にボードで飛込台に連れていかれて、一緒に岸まで泳ぐことを強要されます。ところが、洪作が恐怖のため飛込台にしがみつくと、五年生は岸に戻ってしまいます。難を逃れたとほっとした洪作ですが、突然夕立が起こり海岸には誰もいなくなりました。
ここでは、上の写真からはボートや人を避難させ、飛込台の上に立っている人を洪作と見立ててみましょう。そして、飛込台の上の人物(洪作)が誰もいない岸に向かって「おおい!」と大きな声で助けを呼ぶ姿をイメージしてみます。
少年たちに助けられる
雨が小降りになってくると「そのうちに水泳場の浜に三つの小さい人影が現われ」、ボートで飛込台までやってきます。一人は「『若サマハ、ココニイラシッタ』と、そんなことを奇妙な口調でいった」、そしてもう一人は「ドウレ、デハ、オ救ケ申ソウカ」などといって飛込台に上がってきて、「『ケッ、ケッ、ケッ』と猿の泣き声の真似をすると、いきなり飛込台の上で体を跳躍させた。瞬間、少年の体はみごとなフォームで宙を切っていた」とあります。
「一人が飛び込むと、もう一人も飛び込んだ。この方もみごとなフォームである。二人の少年たちは潮の中で、それぞれ思い思いの方角へクロールで泳いでいったが、途中からまた飛込台の方へ引き返してきた」とのこと。
一説によるとクロールの確立は初代ターザンとしても知られるジョニー・ワイズミュラーさんが、1922年(大正11年)に100m自由形で1分の壁を破った時とされます。井上靖氏の沼津中学三年生の時期は大正12年に当たるので、この少年たちは当時の最新の泳ぎを取り入れていたことになります。
下には400m自由形でのワイズミュラーさん(1レーン)がトップでゴールする写真を引用しました。ここでは、このような華麗な泳ぎをする上級生にあこがれを抱く洪作を想像してみましょう。
出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Finale_Men_400_meters_finish.jpg
ボートに乗っていたもう一人は洪作も見たことのある金枝(かなえ)というクラスの級長をしている四年生でした。頭髪と目の色が金色に光りハーフのような目立つ顔とあります。
下には翌日、洪作が事情通の山根という同級生にこの三人のことを尋ねたときの会話を引用しておきましょう。
山根「金枝と一緒にいたのなら、一人は木部で、一人は藤尾だ。一人で居ると、五年生に殴られちゃうんだ。それで用心して、いつも固まってるんだ」
洪作「なぜ殴られるんだ」
山根「そりゃ、殴られるよ。生意気だものな。金枝は級長をするくらいだからおとなしいんだが、木部と藤尾がいけないんだ。凄えぞ、あいつら。英語の歌を唄うし、煙草はのむし、上級性に睨まれるなんて平気なんだ」
このような「自分などの知らないきらきらとしたものをいっぱい体につけている少年たち」との出会うところからストーリーが展開し始めます。
伯母の家
洪作が下宿させてもらっている伯母の家(真門家)は三島大社の門前にありました。家から沼津中学までは約五キロの距離があり、毎朝六時に起きて、一時間から一時間半ほど歩いて登校します。表通りに面した銀行の前で同級性と待ち合わせするのが習慣でした。
また、周辺の様子については「細い路地から往来へ飛び出す。右手の茶碗屋に良ちゃんと呼ぶ同じ中学の二年生が居るが、この方は自転車通学なので、家を出るのは三十分ほど後でいい」「左隣は大里屋という旅館である。いつも肥った女中が家の前を掃いている」と描かれています。
上に掲載したのは真門家(モデルとなったのは井上靖氏の親戚・間宮家)周辺のストリートビューです。現在、間宮家の建物はありませんが、下に引用させていただいた三島市観光協会の資料によると、「良ちゃん」のお店は引き継がれているようです。ここではその「すぎうら(小説では吉浦)」さんの右手から往来に飛び出してくる洪作少年の姿をイメージしておきましょう。
現在でも三嶋大社の向かいには、「すぎうら」さんという陶器店が営業しています。(先ほど、杉浦陶器店の社長さんに確認したところ「父が、井上さんと同じ中学に通っていたよ」との情報もありました)
出典:三島市観光協会
https://www.mishima-kankou.com/course/4250/
その往来を数m東に歩いて、家の反対側を見たストリートビューが以下となります。このように「すじ向いに三島大社の大きな石の鳥居がある」というのは現在も同じです。「毎朝、往来へ出ると、神社の方へちょっとだけ頭を下げて行くように伯母に言われているが、いつもこれは省略させて貰うことにしている」とのこと。
ここでは眠そうに目をこすりながら、表通り(旧東海道)を歩く洪作を想像すればよいでしょうか。
「長い夏休みも終わって、これから二学期が始まるという九月の最初の登校日」は「長い間ごぶさたした古ぼけた校舎が、ひどく懐かしく、新鮮に見える」ともあります。
下には旧制沼津中学を前身とする沼津東高校に移築されている正門の写真を引用させていただきました。久しぶりに友人たちに会うことに「少し気恥しい思いで校門をはいって行く」生徒たちをこちらの写真に置いてみましょう。
旅行の情報
三嶋大社
洪作の伯母の家の近くにある神社として登場しました。鎌倉幕府を開いた源頼朝が源氏再興を祈願し、その願いがかなったことから、ご利益のあるパワースポットとして有名です。下に引用したような重要文化財の拝殿には神話などを描いた彫刻も施されていて、見どころの一つになっています。
境内の「神鹿園」では鹿が飼育されているので、エサやりをしてみてはいかがでしょうか。また、草餅をこしあんで包んだ縁起餅が名物の「福太郎本舗」にはイートインスペースも設けられています。
出典:Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mishima-taisha_haiden-1.JPG
基本情報
【住所】静岡県三島市大宮町2-1-5
【アクセス】三島駅から徒歩約15分
【参考サイト】http://www.mishimataisha.or.jp/
島郷(とうごう)海水浴場
沼津御用邸記念公園前の海水浴場です。実際に沼津中学校が水泳訓練をしたのは少し北側の「牛臥海岸」付近だったとのことですが、島郷海水浴場も遠浅の地形で子供でも安心して泳がせられます。
長さ300mほどのビーチが広がり、穴場のためゆっくりと過ごせるのもおすすめポイントです。下に引用させていただいたような美しい富士山の景色は洪作のころと変わっていないのではないでしょうか?
基本情報
【住所】静岡県沼津市下香貫島郷
【アクセス】沼津駅南口からバスで15分
【参考URL】https://numazukanko.jp/