井上靖著「北の海」の風景(その2)

道場通い

遠山

この小説での相棒の一人となるのが遠山です。同級の柔道部員ですが留年のため卒業できませんでした。洪作も中学代表の柔道選手だったこともあり一緒に対外試合に出かけた知り合いでした。沼津で受験勉強をしようと決めた洪作ですが八月まではのんびりする予定です。千本浜で偶然出くわした遠山から柔道部で練習しないかとの誘いに応じます。下に引用させていただいたのは旧制青森中学の柔道部員の写真です。小柄な洪作と少し不良がかった大柄な遠山をこの写真のどなたかに重ねてイメージしてみます。

宇田先生

毎日、練習のため卒業した中学(道場)に通う洪作に化学教師の宇田が声をかけてきます。洪作に対し「柔道の練習ばかりしていて、高校に受かったという話を聞いたことがない」と皮肉をいって笑います。中学時代は人を食った表情をくずさず、決して笑わないとの噂のある教師でしたが話しているうちに親しみを感じはじめます。更に宇田は洪作を自分の家で食事をしないかと誘います。すき焼きの食材などの買い出しをした後、自宅に向かって沼津駅の周辺を歩きながら「やはり富士という山は美しいね」と宇田が洪作に語りかけます。「なるほど富士は美しく見えている。富士山まで遮るものがなく、ゆるい傾斜で平原が広がっているので、いかにも富士の裾野に立って、まなかいに富士の山容を仰いでいる感じである」と洪作が思うシーン。下に引用させていただいたような風景が広がっていたかもしれません。

勉強もしないと・・・・

すき焼きを食べながら宇田先生から受験勉強をしなさいときつく言われた洪作。さすがに自分でもそろそろ勉強しないといけないと思うようになります。「午前中は代数と幾何、午後は英語、夜は国語」それぞれを参考書で勉強するというスケジュールをたてます。ただし午後三時には道場に行く必要があったので英語の時間はかなり割愛され、更に夜の国語の時間は眠気ではかどらなかったとあります。下に引用させていただいたのは大正時代の英語の有名な参考書とのこと。洪作もこのような参考書で勉強していたかもしれません。

四高柔道部の蓮実(はすみ)

そんなある日、沼津中学の代数教師から母校の四高(現金沢大学)柔道部の生徒がくるので一緒に練習させてほしいと依頼を受けます。高校に入ってから柔道を始めたというその蓮美という青年は「ひどく貧相な体の持ち主」。ところが洪作が投げ飛ばしたと思った瞬間にひっくり返され抑え込まれてしまいます。下に引用させていただいたのは四高なども参加していた高専柔道の練習(?)の場面です。ここでは投げた方(洪作)がすぐに(蓮実に)寝技で返され一本取られる景色を想像してみます。

トンカツ屋で反省会

篠崎先生から食事代をもらった遠山は洪作、蓮実とともにトンカツ屋に行きます。食事を待つ間、蓮実は寝技について実技を見せながらレクチャー。「袈裟固め」なる抑え込みを洪作にさせておいてそこから抜ける技を実際にやって見せます。下に引用させていただいたイラストがその「袈裟固め」。ドタンバタンやっているとトンカツ屋のお内儀さんが飛び込んできます。

練習量がすべてを決める柔道

さらに洪作は蓮実から四高柔道部のモットーを聞いて感銘を受けます。「学をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え」や「この世に女はないものと思え!」。そして非力な蓮実の目指すのは一高(現東大)や二高(現東北大)などを中心に実施された高専柔道で優勝することだけで、そのためには「練習量がすべてを決定する(寝技の)柔道」を造る必要があるといいます。四高に入って一緒に柔道をしないかと誘われ心を揺さぶられる洪作でした。下に引用させていただいたのは昭和初期の沼津駅のホームの写真(左)です。金沢に戻るためにホームに出る蓮実を見送った洪作は「ひどく颯爽としたものが、ふいに居なくなってしまった感じだった」とあります。風景に加えて夜汽車の汽笛をイメージしてもいいかもしれません。

旅行の情報

井上靖文学館

井上靖氏の御存命中にできた文学館です。三島駅からシャトルバスも出ています。「北の海」をはじめ「しろばんば」や「夏草冬濤」などの生原稿が展示されています。「しろばんば」は井上氏が53歳、「夏草冬濤」は61歳のころの連載作品ですが、感性豊かな少年から青年までの洪作の姿がみずみずしいタッチで描かれています。写真や原稿をみると更に洪作の世界に浸れるかもしれません。
【住所】静岡県駿東郡長泉町東野クレマチスの丘515-57
【電話】055-986-1771
【アクセス】JR三島駅からバスを利用。ビュフェ美術館下車
【参考サイト】http://inoue-yasushi-museum.jp/