井上靖著「北の海」の風景(その7)

金沢での生活(その3)

金石海岸へ

海を見に行くため洪作と杉戸、大天井と鳶の4人は武蔵ヶ辻周辺にある電車の停留所に向かいます。当時は金石電気鉄道という路線が運行されていて金沢の中心部と海岸近くにある金石駅をむすんでいました。下(左上)に引用させていただいたのは金石電気鉄道の写真です。ここでは、この風景に制服を着た洪作たちや着物と袴姿の大天井の姿を置いてみます。

運送トラックに便乗

停車場の近くまでいった時に鳶が「金石運送」と書かれたトラックを見つけます。「あのトラックは金石に行くんじゃないかな」といいトラックの乗務員に交渉。荷物運搬を手伝う代わりに途中まで乗せてくれることになります。運搬で立ち寄った家ではお駄賃代わりにサイダーや缶詰をもらいます。下に引用させていただいたのは大正時代頃の三ツ矢サイダーのポスターの写真。当時から全国的に人気の飲み物でした。ここでは夏の暑い盛りにもらった冷たいサイダーを海に着くまで飲まないでがまんする大天井たちの姿を想像してみます。

缶詰は重要な栄養源?

もらった缶詰の中身は牛肉でした。牛肉の缶詰といえば下に引用させていただいたような「牛肉大和煮」が有名。特に「矢印牛肉大和煮」は缶のデザインが明治時代から変わっていないそうことです。牛肉を佃煮風に甘露煮したご飯のおかずやお酒のお供にも最適な食べ物です。移動中のトラックの中で食べようとする杉戸に洪作は「缶切りがないでしょう」といいます。その時、鳶が上着の内ポケットから缶切りを取り出し「缶切りという奴は、俺たちにとっては必需品だ。・・・下宿の飯だけでは栄養はつかん。専ら缶詰で育っているところがある」と返します。ここでは海岸に向かうトラックの荷台の上で一つの缶詰を4人で分けて食べる姿を想像してみます。

四高の寮歌・北の都に秋たけて・・・

洪作たちは金石までトラックで運んでもらいましたがそこから海岸までは5km以上の距離がありました。下に引用させていただいたのは四高の南寮々歌。歩きながら鳶が歌い大天井が和した歌です。挿入される画像も歴史を感じられて音楽にマッチしています。「北の都に秋たけて・・・」と歌う鳶の節廻しの上手い太い声をあわせてみます。

四高の寮歌・ああ幽冥の霧はれて・・・

四高には北寮と中寮、南寮がありそれぞれにいくつかの寮歌がありました。鳶の後に杉戸が歌う場面がありますが下に引用させていただいたのがその南寮の寮歌。「ああ幽冥の霧はれて潮騒冴ゆる北の海・・・」で始まります。こちらは女性の綺麗な声で歌われていますが、杉戸は少し変調だったとのこと。「変調であろうとなかろうと、そんなことにお構いなく、杉戸は歌うことに陶酔していた」という杉戸の姿をイメージすることにします。

北の海

そうこうしているうちに「四人は二つ目の砂丘に登った。そこで初めて、洪作は日本海の青い潮のうねりを見た。・・豪快な波の崩れ方だった。沼津の千本浜・・・・とは比べようもないほど、この海岸の方がスケールが大きかった」とあります。これが寮歌のいう「潮騒冴ゆる北の海」だと感激。鳶たちに教えてもらいながら寮歌の練習をします。ここでは下に引用させていただいたような日本海の広さや激しさに驚く洪作の姿をイメージしてみます。

砂丘の風景

砂丘の周辺で日本海を眺めたり遊んだりした後(ネタバレになるので詳細は省略します)、鳶が歌ったのは柔道部の部歌です。SNSでは見つけられませんでしたが金沢大学の公式サイトにアップされているのでリンクします。→「仰げば高し先人の・・・(音声ファイルの歌の2番になります)」

次に変調の低い声で違う寮歌を歌ったのは杉戸です。「ああ北海に風荒れて狂瀾岩にとどろけば」と何度も歌い直しながら続けます。

下に引用させていただいたのは洪作たちがいた内灘砂丘の風景。ここから海を見ながら歌う四人の姿を想像してみます。

海で一日の休暇を単身だ洪作たちには次の日から激しい柔道の練習が待っています。次回をお待ちください。

旅行の情報

内灘砂丘

道場の休暇日を利用して大天井たちとともに遊びにいった場所です。約9kmにも渡って砂丘が続くエリア。丘の上からは美しい日本海の絶景を見ることができます。特に夕日の景色は下に引用させていただいたような美しい写真が多数投稿されています。また、海岸に降りれば石川県でも屈指の大きな海水浴場があり夏には県外からもたくさんの観光客がやってきます。
【住所】石川県河北郡内灘町向粟崎〜宮坂、大根布
【電話】076-286-6708(内灘町地域振興課)
【アクセス】北鉄浅野川線・内灘駅から徒歩で約20分
【参考サイト】https://www.hot-ishikawa.jp/spot/4713