宮本輝「地の星」の風景(その4)

選挙活動を本格化

井手との結婚までの間、麻衣子を金沢から退避させるために(地の星の風景その3・参照)、熊吾はかつての仕事仲間・丸尾千代麿を訪ねます。彼は麻衣子を事務員として雇うことを約束してくれますが、彼からは子供ができたと打ち明けられ・・・・・・。愛媛に戻った熊吾は妹の情夫・政夫の裏切りや伊佐男のいやがらせなどにあいながらも、和田茂十の選挙参謀としての仕事を続けます。

ドテ焼き

金沢から愛媛に戻る途中、熊吾は大阪に立ち寄ります。仕事の取引をきっかけに友人となった丸尾運送店の店主・千代麿(ちよまろ)のところで麻衣子を働かせてもらうためでした。

その日の夜、熊吾は千代麿の家に泊めてもらうことになり、丼鉢に入れた料理をふるまいます。
千代麿「大将、このドテ焼き、大阪で一番うまいドテ焼きでっせ」

出典:家政研究会 編『最新割烹指導書』後篇,家政研究会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1028414 (参照 2024-06-06、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1028414/1/91

昭和初期の料理本「最新割烹指導書」によると(上に引用)、ドテ焼き(土手焼き)とはすき焼きの材料に白味噌やだしで味を加えながら煮る料理とのこと。例として農林水産省公式サイトからドテ焼きの写真を引用させていただきます。

千代麿が運んで来たのもこちらのような食べ物だったかもしれません。

出典:農林水産省公式サイト、うちの料理、どて焼き
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/39_23_osaka.html


熊吾「お前んとこに、若い女の事務員はいらんか」
千代麿「歳は幾つでっか?」
熊吾「十七じゃ」
千代麿「そらまた若いなァ・・・・・・。ソロバンは出来まっしゃろか・・・・・・雇うとなると、やっぱりソロバンの出来る子でないと・・・・・・」
と渋ります。

ですが、熊吾が親友である周栄文の忘れ形見であることや、彼から親代わりを任されているが、妻のある男性と恋仲になり金沢には居づらくなっていることなどを話すと

千代麿「事務員なんかしてくれんでもよろしおまんがな。電話の番をしててくれたら、それで結構。どうせ、その男が京都へ出てくるまでのあいだですやろ。あと二ヵ月か三ヵ月のことや」
と快く引き受けてくれました。

千代麿の告白

麻衣子の件が片付くと、今度は千代麿が相談事を持ちかけてきます。
千代麿「大将、じつは内緒の相談事がおまんねや」
熊吾「また、厄介なことやありゃせんじゃろのお。わしは金沢で麻衣子の問題に頭を悩ませて、やっといま一安心したところなんじゃ」
千代麿「福島の天神さんの近くに、うまいおでん屋がおまんねん。小さい屋台でっけど」

おでん屋に行く途中で千代麿は女房以外の女との子供が出来たことを告白し、女性は産みたいといっているが、女房には知られたくないといいます。

出典:Fukuoka
https://www.flickr.com/photos/nori_n/3637889350/in/photolist-7s22DK-sPJWhK-rSJB6S-rSJAKS-sPJSgx-sPJVwr-rSJgwS-rSVGHa-sxh87P-sMpZiQ-gDfLAY-dF4ysu-6xt8Lb-oeC1uA-NRxVNj-s9STxw-izHSri-eEj6s5-hpDSH9-hpEZsr-eEiYP9-eEiYXm-eEj68m-izHaWT-izHRNz-eEcZX8-apB3uo-6AbxWY-x5b8r-bbHWeg-2g6YJG-28PLr-2g2wNk-cAVRCG-5aUug8-2g2wXg-cAVRP5-GgztDY-8s5U1G-KaMRsV-5aYMau-7XPn2G-7XPn6f-3whw2H-7XL6nD-JY4HjL-9EpCTi-3eQ8p1

上に引用させていただいた屋台の写真を見ながら、おでん屋さんでのシーンを想像してみましょう。千代麿が連れて行ったおでん屋は実はその女性(米村喜代)が一人で切り盛りしているお店でした。彼女は以下のように描写されています。
「女にしては骨組みの太い、血色のいい、そのくせ、どことなく寂しそうな顔つきで、眉間に小さな黒子がある・・・・・・ある瞬間には美人に見えるのだが、別の瞬間には千代麿の妻よりも不器量に見えた」
とのこと。会話の内容から推測すると、上の写真の女性のような明るい表情はしていなかったと思われます。

出典:flickr、DSC00523 おでん
https://www.flickr.com/photos/29817201@N02/3317406089/in/photolist-649zfH-bjJW7r-vptst-aX7eVk-q7yTLY-axG2RP-boVdv-zC9b2J-7rr5gu-7rn3hv-7rr5h1-DHzSa-9mHJxk-7rn3hB-7rn3hP-jrn7dj-gXtnR6-DHzT3-6Hm4Nj-7rn3hn-4uNUTz-bH7yo-FGW79d-CjsbN-7rr5gS-2aBRuEL-7rr5gj-iGZ8Qf-fPGdoi-25tRno6-kfgWpi-hGAw6Q-7rn3hV-6PPz2C-m8W8w6-7rr5gE-DHzUw-5LYfjB-xrbMU-4BpQ9B-8S6pHG-UTCZvP-BrSrGx-9PMid7-7msMnn-2ak1zpF-2bDaNEb-DHzTR-28XegZu-2iZuBsb

関西のおでんには上に引用させていただいたようにタコが入っていることは珍しくありません。
熊吾「豆腐とタコでえももらおうか。それに、焼酎じゃ」
と注文。

二人の話を聞いたあと、千代麿に向かって
熊吾「もし、子を産んで、そのことで女房を不幸にさせたら、わしはお前と縁を切るぞ」
といいます。
また、喜代は丹波に八十六歳になる祖母がいて、ひとり暮らしをしているとのこと。
熊吾「もうあしたにでも店をたたんで、この大阪から姿を消せ。あんたと子供が生きていく金は、千代麿がどんな苦労をしても、こしらえよるやろ」
と丹波で祖母と暮らすように指図しました。

潮(うしお)会

愛媛に戻った熊吾は和田茂十の選挙参謀としての活動を再開します。熊吾の作戦は<潮会>という親睦団体を作り、その団体を基盤にして支持者を増やすというものでした。

熊吾は選挙の出陣式で応援演説をすることになり、深浦漁港近くにある茂十の蒲鉾工場(会場)に向かいます。下には今でも港町の風情が残る近年の深浦湾周辺のストリートビューを引用しました。

深浦に向かう途中、村の長老から妹の情夫・野沢政夫が熊吾と敵対する増田伊佐男の仕事を手伝っていることを聞いた熊吾は、深浦漁港の周辺で彼の裏切りを問い詰めます。

下には上の写真から海辺に下った深浦漁協周辺のストリートビューを引用しました。

この周辺での熊吾と政夫の会話を抜粋してみます。
熊吾「のお、政夫よ。わしはさっき喜助のじいさまの口から、お前が最近、増田伊佐男とつきおうちょるっちゅう噂を聞いたが、それはほんまか」
政夫「増田の親分さんは、松坂のおじさんに恨みを持っちょる。たぶん、増田の親分さんは、松坂のおじさんに勝てる人やけん。・・・・・・わしは、増田の親分さんの命令どおりに動くことにしたんじゃ・・・・・・わしは、どれほど、おじさんに人前で叱られつづけてきたか・・・・・・。人前だけなら、まだ我慢もできる。おじさんは、わしの子供の前でも、わしをアホ扱いしなさった。・・・・・・」

過去に弟分としてかわいがっていた海老原太一に人前で恥をかかせて、恨みをかったことを思い出した熊吾は、彼にこう言います。
熊吾「お前が怒るのは、もっともな話じゃ。・・・・・・わしを許してくれ。まことにすまんかった。わしを殴るなと蹴るなと、好きなようにすりゃあええ・・・・・・」
熊吾が初めて自分に謝ったことに感銘を受けた政夫は、伊佐男との付き合いをやめると約束しました。

政夫「おじさんが、そんなにいつまでもわしに頭を下げんでもええんじゃ。わしは、おじさんを好きなんじゃ。わしは、もうあの連中には近づかんけん、どうか頭を上げてやんなはれ・・・・・・」

伊佐男の乱入

この日のスケジュールは2部制となっていて、一部は蒲鉾工場での<潮会>の集会、夜の二部は一本松小学校講堂において一般の人も含めた演説会が行われる予定でした。

下にはある会社の式典の写真を引用させていただきました。こちらの写真の中央に背広姿の熊吾が演説をする姿を置き、近くの椅子には紋付き羽織袴姿の茂十などが座っているとします。

しばらくすると写真の手前にある(?)窓から大声でさけぶ伊佐男の声が聞こえてきました。以下に抜粋してみましょう。

熊吾「・・・・・・我々は、いつも、<初めにひもじさありき>でありました。生きていくために、人類は知恵を絞って戦ってきた。敗戦から六年。日本という国は・・・・・・」
伊佐男「敗戦やありゃせんぞ・・・・・・終戦じゃ。言葉は、もっと慎重に使うてもらわにゃいけんのお・・・・・・」
熊吾「あんたは、潮会の人間やあらせん。ここは潮会の会場じゃ。やじをとばすなら、夜の演説会でやってもらおう」
伊佐男「敗戦ちゅう言い方は聞きとうないんじゃ」

和田茂十君を励ます会

伊佐男の乱入はありましたが潮会の集会はなんとかスケジュール通りに終了します。その流れで熊吾たちは「和田茂十君を励ます会」と題した決起大会に出席するため一本松小学校の講堂へ移動しました。

下に引用させていただいたのは昭和3年に建てられた旧宇和町小学校の講堂の写真です。ここでは、歴史のある小学校の講堂を一本松小学校の講堂に見立ててみましょう。

こちらには伊佐男は現れませんでしたが、式典の途中で井草が死去という電報がとどいたり、房江の浮気の噂話を聞いたりとショックなことが起きました。このあと、熊吾は房江を問い詰めるため家路をいそぎますが・・・・・・。

旅行などの情報

てんぐ

千代麿が熊吾にふるまったのは鍋に入ったドテ焼きでしたが、串に刺したドテ焼きを名物にしているお店も数多くあります。

ここでは新世界のじゃんじゃん横丁にあり、串かつの人気店としても有名な「てんぐ」を紹介しましょう。こちらのドテ焼きは上に引用させていただいたように、トロトロに煮込まれた牛すじ肉に白味噌タレがたっぷりとかけられているのが特徴です。他にも魚介や野菜の串揚げのメニューもあり、お酒がすすみます。

基本情報

【住所】大阪市浪速区恵美須東3-4-12
【アクセス】御堂筋線・動物園前駅から徒歩で約2分
【参考URL】https://tabelog.com/osaka/A2701/A270206/27000442/

宇和米博物館

「和田茂十君を励ます会」の一本松小学校をイメージするために登場してもらった旧宇和町小学校を利用した博物館です。一本松からも比較的近い愛媛県内の旧校舎を移築した施設で、米どころらしく「米の博物館」としての機能もあります。

館内には上に引用させていただいた日本最長・109mの木造廊下が残り、「ぞうきんがけレース」というイベントにも参加できます。ほかにも「花と絵と珈琲」というかわいいカフェを備え、不定期でフリーマーケットの開催もあるので「地の星」めぐりの途中に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】愛媛県西予市宇和町卯之町二丁目24番地
【アクセス】JR卯之町駅から徒歩12分
【参考URL】https://komehaku.localinfo.jp/