宮本輝著「血脈の火」の風景(その1)
大阪での生活を開始
故郷の南宇和を離れ大阪にやってきた熊吾。時代は昭和27年、大阪の街は大部復興してきましたが戦地からの引き上げ船などもあるなど大戦の影響も色濃く残っています。
人物紹介
この小説は「流転の海」シリーズの3作目で「地の星」の続編になります。下に登場人物を簡単に記します。
松坂熊吾・・・この物語の主人公。愛媛県宇和郡から戻り新しい事業を興していく
松坂房江・・熊吾の妻。
松坂伸仁・・熊吾と房江の子。大阪で曾根崎小学校に入学する
杉野信哉・・警察に勤務。熊吾の最初の妻の兄
丸尾千代麿 ・・熊吾と旧知の運送屋
当時の社会情勢
土佐堀川の見える部屋で熊吾がソ連の指導者・スターリンが死去したという昭和28年3月の夕刊の内容に目を通すところから始まります。下に引用させていただいたのはその当時の新聞の写真です。共産主義に反感を覚える熊吾が「こいつも間違いなしに、地獄に堕ちよったぞ」と妻・房江にいう熊吾の姿を想像してみます。
熊吾が読んだ新聞には中国に拘留されていた日本兵の帰還の記事もありました。興安丸(こうあんまる )なる大型船には2千人もの兵が乗って帰ってくるとのことでした。下に引用させていただいたのは昭和31年の同じ興安丸の写真。この船はシベリアからの最終引揚げ船としても利用されました。ちなみに、右上に掲載されている端野いせさんは有名な歌謡曲「岸壁の母」のモデルとなった人です。この小説の舞台はこの写真の3年前の昭和28年。まだ戦争の傷跡が随所に残る時代でした。
近江丸
この小説で何度となく登場するのが近江丸。水上で生活をする家族が住居としても使っている船です。材木や石炭などを運搬し生活資金を稼いでいました。下に引用させていただいたのは現在の大阪を走る観光用のポンポン船。当時とは動力が異なり快適に水都・大阪を観光できます。
熊吾のころのポンポン船は焼き玉エンジンなる動力を使っていてそのエンジン音から「ポンポン」なる名前が付いたとのこと。下に引用させていただいたのは今でも残る貴重な焼き玉エンジンの映像です。リズミカルな音をお楽しみください。
車社会が本格化
社会には車での交通が盛んになり熊吾も運転免許証を取ろうと決意。元妻の兄で現役警察官の杉野に淀川べりの空き地にて運転を教えてもらいます。下に引用させていただいたのは昭和28年当時の大阪の風景。「フォードやシボレーやクライスラーといった米国車のディーラーも出現していた」とあるように車がたくさん走っていますが「まだ多くの荷馬車引きの男たちが、市電や車の運転手に怒鳴られながらも、道を行き来している」状況でした。
大阪春場所
熊吾は千代麿の家族と大阪の春場所に行く予定でしたが、ある事件が起きて相撲どころではなくなります。下に引用させていただいたのはその昭和28年の春場所の写真です。初代若乃花はまだ20代半ばで番付もまだ前頭でした。ちなみに次の年に関脇に昇進。昭和33年には横綱まで登りつめ土俵の鬼と呼ばれることになります。
当時の阪神百貨店
伸仁はこの春から小学校に入学することになります。学区内の曾根崎小学校は家か少し離れた場所にありバスで通うことに。家の前にある船津橋の停留場からバスに乗り大阪駅前の阪神百貨店の前で降ります。そこからの徒歩での通学となりますが熊吾は伸仁にその道を事前に2往復させます。下に引用させていただいたのは昭和28年の阪神百貨店などの写真。この写真(右側)を利用して伸仁を待つ熊吾の姿と小学校までの歩く練習をする伸仁の姿をイメージしてみます。
熊吾・伸仁の好物
体の弱い伸仁が病院で診察してもらった際に好物をきかれるシーンがあります。伸仁の好物はタンシチューやすじ肉の煮込み、牛の腎臓、ナマコと胡瓜の酢の物など大人が食べる渋い物ばかり。どれも熊吾の好物で一週間に一遍は食卓などに登場していました。下に引用させていただいたのは美味しそうなタンシチューの写真。家やレストランで親子で美味しそうに食べる姿を想像してみます。
旅行の情報
ぽんぽん船
熊吾の生活した当時の焼き玉エンジンを使った船は今の大阪では走っていません。土佐堀川や堂島川などのこの小説でもおなじみの川を遊覧できる「ぽんぽん船」なる観光船があります。一本松汽船株式会社が運営。「とんぼりリバークルーズ」などの大阪の繁華街・道頓堀を川から観光できるコースのほか貸し切りでコースを自由に設定できるサービスもあります。
【電話】06-6946-8343(一本松汽船株式会社)
【アクセス】地下鉄阿波座駅から徒歩4分
【参考サイト】 http://www.ipponmatsu-kisen.com/kuru-zu.html