宮本輝「血脈の火」の風景(その1)

大阪での生活を開始

「血脈の火」は熊吾が故郷の南宇和から大阪に戻って1年弱が経った昭和28年の春から始まります。大阪の街は大部復興してきましたが、まだ戦地からの引揚者も多く、大戦の影響が残っていました。戦後生まれの伸仁も小学生になり外の世界に出ていくことに!熊吾は彼を連れてバス通学の練習にいきます。

人物紹介

「血脈の火」は「流転の海(流転の海の風景その1・参照)」シリーズの3作目で「地の星(地の星の風景その1・参照)」の続編になります。下に登場人物を簡単に記します。
松坂熊吾・・・この物語の主人公。愛媛県南宇和郡から大阪に戻り、新しい事業を興していく
松坂房江・・熊吾の妻
松坂伸仁・・熊吾と房江の子。大阪の曾根崎小学校に入学する
杉野信哉・・警察に勤務。熊吾の最初の妻(内縁)の兄
丸尾千代麿 ・・熊吾と旧知の運送屋

近江丸

「血脈の火」の書き出しは以下の通りです。
「家の裏側の真下を流れる土佐堀川を、朝の七時きっかりに上って行き、夕方の六時過ぎに下って行く近江丸というポンポン船と、それに引かれた一艘の大きな茶色い木の船に、あと一ヵ月ほどで小学生になる松坂伸仁は必ず窓辺から身を乗り出して手を振った。」

伸仁によるとその船にだけ手を振る理由は
「船のなかから、おっちゃんもおばちゃんも、僕に手を振ってくれはんねや」
からでした。

また、その様子は
「蟻が自分の体の何倍もある餌を懸命に運んでいる姿に似ていた」
とあります。

下に引用したのは昭和初期の中之島周辺の写真です。川の右側に見える蒸気船は三連の船を牽引しているところでしょうか。ここでは蒸気船をポンポン船、三連の船を黄色い木の船に見立てて、最初のシーンをイメージしてみましょう。

出典:大阪市立図書館デジタルアーカイブ、(大阪)堂島及土佐堀の大流に浮ぶ中之島公園
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=c1463001

なお、「ポンポン船」とは「焼き玉エンジン」という簡易的な蒸気機関を搭載した船で、明治末から昭和初期頃に流行しました。墨田川の一銭蒸気(太宰治「人間失格の風景その3」参照)のような小型客船や、小型漁船など用途もさまざまでした。

名称は「ポンポン」というエンジン音から名付けられたとのこと。下に引用させていただいた動画などでその音を楽しんでみてください。

水上生活

「近江丸は、端建蔵橋をくぐると、熊吾と伸仁のいる窓の下にゆっくりのぼって来た。小さな操舵室から日に灼けた四十五、六の男が、笑顔で伸仁に手を振り、ロープに引かれている大きな木船の上で、同じような年格好の、健康そうな女も手を振った」
とのこと。

熊吾「きょうは何を積んどるんじゃ」
近江丸の主人「石炭でんねん」
熊吾「どこまで運ぶんじゃ」
近江丸の主人「毛馬まで」
熊吾「淀川の手前までか」

近江丸の家族たちは端建蔵橋から土佐堀川を少し上った常安橋のたもとに木船(艀)を停留させて、水上生活をしていました。

上の会話で名前の挙がった「毛馬」とは土佐堀川より更に上流の大川沿いにありますが、こちらも河川水運などにかかわる水上生活者が多かった場所です。下に引用した毛馬エリアの水上居住者の写真から、近江丸の家族の生活をイメージしてみます。

出典:『[大阪市]社会部報告』第223号 毛馬・都島兩橋間に於ける家舟居住者の生活状況,大阪市社会部庶務課,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1451615 (参照 2024-06-15、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1451615/1/4

松坂家の大阪の新居

「熊吾一家が、愛媛の郷里から大阪市北区中之島七丁目に引っ越して、十ヵ月近くがたっている。」
現在の中之島の住所は六丁目までとなっていますが、「血脈の火」には以下のような詳細な説明があります。
「家の前に堂島川が流れ、船津橋が架かり、それは、端建蔵橋の下をくぐってきた土佐堀川と合流して、安治川と名を変える。その安治川に面した北側に大阪中央卸売市場があるので、近辺には、昆布や鰹節などの海産物を扱う業者が多く、ビルは、それら海産物店の品物を収容する倉庫にうってつけだったのである。」

熊吾たちはそのビルを貸し倉庫にし、隣の空地に建てた木造の家に住んでいました。場所は下の地図の中央部(中之島の西端)付近だったでしょうか。(端建蔵橋は2022年9月~2030年3月末まで架け替え工事中のため地図に掲載されていません)

また、下には昭和初期の「大阪中央卸売市場」や「安治川工業中心区」の写真を引用しました。熊吾たちの家の周辺はこちらのような建物が並ぶ活気のある場所でした。

出典:大阪市 編『大阪』,大阪市,1939.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3459553 (参照 2024-06-15、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3459553/1/10

当時の新聞の内容

熊吾はソ連の指導者・スターリンが死去したことを報じた昭和28年3月の夕刊に目を通します。

下には関連する新聞の写真を引用させていただきました。
ここでは共産主義に反感を持つ熊吾が
「こいつも間違いなしに、地獄に堕ちよったぞ。・・・・・・」
と妻の房江にいうシーンを想像してみます。

他の日の朝刊には中国に抑留されていた日本兵の帰還の記事もありました。
杉野「二十三日に舞鶴に着くそうやな。最初が興安丸。その次が高砂丸。興安丸には二千人が乗って帰ってくるそうや」
熊吾「終戦から八年・・・・・・。八年も抑留しとったんやのお。徹底的に洗脳して共産主義を叩き込んでから帰そうっちゅう腹かのお」

下に引用させていただいたのは昭和30年(1955年)、舞鶴港に到着した興安丸の写真です。引用元(NHKアーカイブス)の動画ではたくさんの人が出迎えるシーンも見ることができます。

出典:NHK公式サイト、NHKアーカイブス、帰国者を乗せて舞鶴港に着く引揚船「興安丸」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0002160758_00000

下に引用させていただいたように「端野いせ」さんは息子の帰還を信じ、旧ソ連からの引き揚げ船が着くたびに舞鶴港まで足を運んだ方です。その姿は「岸壁の母」として歌謡曲や映画に描かれています。

車社会が本格化

復興が進む日本では車が急速に流通します。運転免許証を取ろうと思い立った熊吾は、内縁の妻だった貴子の兄で警察官の杉野信哉に淀川べりの空き地で運転を教えてもらっています。下に引用させていただいたのは1950年(昭和25年)ごろの大阪の風景です。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osaka_Station_-_third_depot_-_1.jpg

「都会の自動車台数は、この二、三年で増加をたどり、フォードやシボレーやクライスラーといった米国車のディーラーも出現していた」
とあるように車がたくさん走っていますが
「まだ多くの荷馬車引きの男たちが、市電や車の運転手に怒鳴られながらも、道を行き来している」
という新旧の交通手段が入り混じった状況でした。

大阪春場所

熊吾は丸尾千代麿の家族と大阪の春場所に行く予定でした。ところが(千代麿との間に娘を設けた)米村喜代が急逝したとの知らせが千代麿の妻のところに入ります。しかも連絡をしてきたのは喜代の母で不安のため
「この乳呑み児はどうなるんじゃ」
と叫んでいたとのこと。
千代麿にとっては修羅場になりそうな状況でしたが、熊吾がある機転を利かせることで切り抜けます。

上には熊吾たちが見ることのできなかった昭和28年の春場所の写真を引用させていただきました。ちなみに日本相撲協会の公式サイトによると
「三月場所の大阪開催が定着したのは昭和二十八年」
とのこと。会場となった大阪府立体育会館はにぎわったことでしょう。

当時の横綱は羽黒山と鏡里、張出横綱(正横綱より下位の横綱、現在は廃止された名称)が千代ノ山と東富士でした。この場所は写真右下の大関・栃錦が優勝します。なお、栃錦の宿敵で「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花の番付は、まだ前頭一枚目でした。

当時の阪神百貨店

体が弱かった伸仁もこの春から小学校に入学することになります。中之島の子供は曾根崎小学校に通うことになっていましたが、遠距離のためバスを利用する必要がありました。家の近くの船津橋停留場から大阪駅前までバスに乗り、そこからは徒歩で数分の道のりです。

上には昭和35年の曾根崎小学校周辺の写真を引用させていただきました。
左端に見えるのが大阪駅の建物でしょうか。大阪駅からは
「大阪駅のバス停から歩いて御堂筋を渡り、曾根崎警察署の南隣にある薄暗い路地を抜け、曾根崎商店街に出ると」
曾根崎小学校の校門が見えてきます。

熊吾「ええか、いま、父さんと一緒に来た道を歩いてくりゃあ、ちゃんと、小学校の前にこれるんじゃ。まことに簡単な道順じゃ・・・・・・お前が気をつけにゃならんのは、御堂筋を渡るときの信号だけじゃ」
伸仁「青になったら、渡ってもええんやろ?」

また、上には曾根崎小学校の近くにある阪急百貨店や阪神百貨店の昭和28年ごろの写真を引用させていただきました。伸仁は毎日、こちらのような繁華街を通って学校に通っていました。

熊吾・伸仁の好物

熊吾は伸仁が子供のころから診てもらっている筒井医師の病院を訪ねます。診察を終えた筒井が伸仁に好きな食べ物を聞くシーンを抜粋してみましょう。

筒井医師「タンシチューに、すじ肉の煮込みに、牛の腎臓か・・・・・・。そんなんが大好物やなんて言う子は、うちの病院には来たことないなァ」
伸仁「まだ他にも、好きな物、あるでェ・・・・・・ナマコと胡瓜の酢の物。それから、トロロ汁。それからフカヒレの姿煮」

出典:写真AC、フカヒレ姿煮
https://www.photo-ac.com/main/detail/23857736&title=%E3%83%95%E3%82%AB%E3%83%92%E3%83%AC%E5%A7%BF%E7%85%AE

上には好物の一つ、フカヒレ姿煮の写真を引用しました。

これらの食べ物は全て熊吾の好物で、
「無理矢理つき合わされているうちに」
伸仁も好きになってしまったとのこと。

ここでは
「とんでもないもんを食べてるんやなァ。みんな、精のつくもんばっかりや。・・・・・・そのうち、鼻血が出るがな」
と筒井がいい、熊吾と顔を見合わせて笑うシーンを想像してみます。

旅行などの情報

ぽんぽん船

「血脈の火」ゆかりの地を巡るなら、近江丸の家族のように川から大阪の街を眺めるのもおすすめです。一本松汽船株式会社では土佐堀川や堂島川などのスポットを貸し切りで遊覧できるプランを準備しています。

出典:水都大阪コンソーシアム公式サイト、水辺に携わる団体リスト、一本松海運株式会社
https://www.suito-osaka.jp/about_suito/group.html

また、上に引用させていただいたように道頓堀周辺のにぎわいが感じられる「とんぼりリバークルーズ」という約20分の定期便などもあるので、予算や時間などにあわせて楽しんでみてはいかがでしょうか?

基本情報

【住所】大阪府大阪市西区土佐堀3丁目5(一本松汽船「川の駅」ぽんぽん船船着場)
【アクセス】地下鉄阿波座駅から徒歩4分
【参考URL】http://www.ipponmatsu-kisen.com/