内田百閒著「第三阿房列車」の風景(その4)
松江阿房列車
大津で宿泊
今度の旅行は先生お気に入りの「特急はと」で出発します。途中、大津に一泊して松江まで行く算段。当時の急行は大津には停まらず「大津駅の長いホームにかすかな砂埃を巻き起こして走り抜けた」とあります。そして「すぐに逢坂山の隧道に這入り、一旦出て東山の隧道に這入り、今度出たら鴨川の水波が岸の明かりできらきら光った」という風景。下に引用させていただいたのは昭和時代の大津駅の写真です。ここでは夜にこの駅に降り立った先生の姿をイメージしてみます。
滋賀観光へ
大津の宿で山系君やその友人たちと痛飲した先生は次の日、タクシーを呼んで観光に出かけます。どこに行くかを決めていない先生たちに対し運転手は「三井寺、石山寺、瀬田の唐橋」の3か所を候補として挙げます。先生は「それじゃ、その中で一番遠い所にしよう」と提案。タクシーは瀬田の唐橋に向かいます。下に引用させていただいたのは先生も見たと思われる昭和初期の橋の姿(左上)です。「(自動車のまま)瀬田の唐橋をこっちから向こうは渡り、向こうからこっちへ引き返してそれでお仕舞にした」とあります。また「こういう所を訪ねたりお詣りしたりした感懐は、それから何年も経った後にならなければ熟するものではない」とも述べられています。
見つけられなかった桜井駅跡
大津から汽車に乗り込んだ先生は京都・大阪間で一本の棒杙(ぼうくい)を探し「頸の筋が痛くなる程、線路に近い田圃(たんぼ)を見つめた」とあります。探していたのは楠木正成が息子・正行と別れた桜井駅跡。下に引用させていただいたのは現在の桜井駅跡の写真です。ここでは周辺を通過しても杙(くい)が見当たらないのを不審に思い、敗戦騒ぎの時に撤去されたかもしれないと推測する先生の姿を想像してみます。
余部の絶景?
福知山から山陰線に入った後「(30年ほど前に通った時の)余部(あまるべ)の鉄橋の恐ろしさが後々まで悪夢のように忘れられない」と述べる鉄橋を通過します。下に引用させていただいたのがその写真です。高さ40m全長300mほどの橋で左側にあるのが明治45に完成した旧鉄橋です(右下は平成22年に架けられた現在の橋梁)。ここでは左の鉄橋から下を見ながら「お天気が良くて、真っ昼間で、四辺が明るい所為か、それ程こわくない」という先生の姿を想像してみます。
松江のごちそう
松江についた先生たちは芸妓(げいぎ)の安来節などを聴きながら食事を楽しみます。仲居さんから「宍道湖の名物は鱸(すずき)です。奉書焼きと言いまして、奉書の紙で巻いて焼くのです」と説明された先生は「山系さん。それじゃ我々は鱸を食わなければいかん様だ。松江の鱸をネグレクトして帰ると、出雲の神様から文句がでるかも知れない」といいます。先生が旅行していたのは旧暦の10月。出雲には神様がたくさん集まり気が立っているとのことでした。仲居さん曰く「夕方暗くなってから、ぼんやり町の角を曲がると、神様と出合頭にぶつかります」とも。先生も後程、怖い目に合うことになりますが・・・
念願の動物園へ
松江から東京に戻る途中大阪で一泊。四国阿房列車の際に行けなかった天王寺動物園に行こうと山系君を誘います。動物園については前回もご紹介してので下には動物園に向かう途中に通った松屋町筋の写真を引用させていただきました。昭和11年と先生の旅行時より10年以上前ですが「これからの道の両側、どこまで行ってもおもちゃ屋と駄菓子屋ばかりでっせ」と運転手が言ったとおりの商店街が続いています。ここでは「大阪のこんな所を通るのは初めてで・・・」と興味深そうに眺める先生の姿をイメージしてみます。
旅行の情報
瀬田の唐橋
百閒先生がタクシーで往復した観光地です。旅館に呼んだタクシー運転手がこの場所のほか石山寺、三井寺の3つを挙げたほど当時から有名なスポット。近江八景の一つにも数えられています。現在の橋は昭和54年にリニューアルしたものですが擬宝珠(ぎぼし)という美しい装飾が欄干に施され昔の様子が想像できます。
【住所】滋賀県大津市瀬田から唐橋町
【電話】077-534-0706(石山駅観光案内所)
【アクセス】京阪唐橋前駅から徒歩約5分
【参考サイト】 https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/23046
桜井駅跡
百閒先生が汽車から見つけられなかった史跡です。小説中に出て来る「標木」の存在は不明ですが陸軍大将・乃木希典や海軍大将・東郷平八郎の揮毫による石碑は明治から昭和初期にかけての建立。小説の時代には既に存在していました。南北朝時代、足利尊氏軍との決戦に向かった楠木正成がここで息子・正行と別れたとされるところです。下に引用させていただいた写真のように別れをイメージした石像が残されています。
【住所】大阪府三島郡島本町桜井一丁目
【電話】075-961-3411(島本町立歴史文化資料館)
【アクセス】JR島本駅からすぐ
【参考サイト】 http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/bunkazai/sakuraiekiatokouen.html
松屋町筋商店街
百閒先生が大阪のホテルから天王寺動物園に行く途中に通ったおもちゃ街です。江戸時代からお菓子問屋が集中したエリアで明治からはおもちゃやひな人形・五月人形、花火などの問屋が増加。今では、スキーやゴルフ用品のほかプラモデルなどのお店も加わり100軒以上のお店が軒を並べています。下に引用させていただいた写真のように小説の時代とは大分外観は変わっていますがユニークなお店が多数あり散策しながら楽しめるスポットです。
【住所】大阪府大阪市中央区
【アクセス】大阪市営地下鉄・松屋町駅から
【参考サイト】http://www.matuyamati.com/