内田百閒著「第三阿房列車」の風景(その5)

興津阿房列車

三保の松原観光

前回の松江阿房列車のアップ(10月6日)から2週間ほど間が開いてしまいました。ちなみに百閒先生は松江から 昭和23年の11月9日に戻った後、3週間も経たない11月26日に静岡の興津に1泊の短い列車を走らせています。長崎阿房列車でも利用した急行雲仙に乗りこむと品川・横浜・大船・小田原・沼津などに停車しながらもあっという間に清水駅に到着。鉄道管理局の車で観光しながら宿まで送ってもらいます。立ち寄ったのは今では世界遺産の構成要素としても有名な三保の松原です。下に引用させていただいたのは昭和28年に描かれた三保の松原からの風景となります。先生は「灰色の砂の中から老松が兀立(ごつりつ)して一面の松原を成している・・・足許の砂がざくざくと崩れるばかりでちっともよくない」と述べています。この絵の左側の松林を散策した感想だったかもしれません。

水口屋に宿泊

先生がこのシリーズの中で宿の名前を明かしているのは熊本の松浜軒と興津の水口屋(みなぐちや)のみです。「第二阿房列車」でも宿泊している先生お気に入りのスポットでした。「自動車が水口屋の門を這入ったが、改装した構えが面目を変えていて、何度か来て見おぼえた面影はない」とあります。下に引用させていただいた写真は大正時代の姿とのこと。写真より少しモダンになった水口屋の姿と「馴染みになった模様が変わっているのも好きでない」と少しむっとする先生の表情を想像してみます。

ごうぎなものです

ここで先生は周辺に邸宅を持っていた西園寺公望公(きんもちこう)や伊藤博文公のエピソードを紹介します。駅の高い陸橋を渡るのが嫌だった西園寺公は線路を渡る急ごしらえの橋をつくらせ、伊藤公は本来停車しない大磯駅(自宅のある)に急行列車を臨時で停車させたとのこと。下に引用させていただいた写真はその大磯駅(大磯停車場)の写真です。在りし日の伊藤公の姿を思い浮かべ「非難もあった様だが、しかし、ごうぎなもんじゃありませんか。僕もそうしたい」とつぶやく先生の姿をイメージしてみます。

伊藤公がここにいるよ!

次の日は急行の止まらない興津駅から静岡駅まで少し遠回りをして急行「きりしま」に乗り込み、東京に帰る予定でした。 水口屋に宿泊した夜半から雨・風が強くなり翌日には鉄道信号機が故障し電話もつながりにくい状態が続きます。急行も含めて電車が各駅停車になり先生は興津から「きりしま」に乗れることに! 「おいおい、山系さん、伊藤公がここにいるよ・・・これは類稀なる英雄的行為だ」と得意げに乗り込む先生の姿がありました。下に引用させていただいたのは先生より少し後の時代(昭和36年)の急行きりしまの写真。満足そうに座席に鎮座する先生の表情も思い描いてみます。

由比で一献開始

雨・風のため電車はなかなか先に進まず、しびれを切らした先生は由比駅に停車中に山系君とともにお酒を始めます。ちなみに由比駅は百閒先生のお気に入りの駅だったようで「桜えびの季節になると、この辺の漁師の群がその一つの改札口を押しあって通るような事もある・・・裏道の旧街道には、軒毎に目白を飼っている。そうして道ばたには猫が沢山いる」など駅や駅周辺での思い出の風景を描写し懐かしんでいます。下に引用させていただいたのは現在の由比宿の写真です。昭和初期の時計付き掲示板や当時からの建物が残りここに百閒先生の姿を置いてもあまり違和感がありません。

旅行の情報

三保の松原

三保の松原は百閒先生が清水駅から興津の水口屋に行く途中に観光に立ち寄ったところです。約7kmの海岸に約3万本の松並木がある景勝地。松の緑と手前にある海の青色、季節ごとに色や姿を変える富士山が美しいコラボ風景をつくっています。先生は絶景ポイントまで行かずに戻ったようですが、下に引用させていただいたような景色を見ていたら小説中の表現も違っていたかもしれません。
【住所】静岡県静岡市清水区三保
【連絡先】054-388-9181
【アクセス】東名高速清水ICから約25分
【参考サイト】https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=336

滄浪閣(そうろうかく)

旧伊藤博文邸の滄浪閣は大磯駅から徒歩で15分ほどの海岸沿いにあります。周辺は「明治記念大磯邸園」として整備が始まり、現在は旧大隈重信別邸・旧古河別邸と陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸の庭園が公開されています。滄浪閣周辺の公開はもう少し待つ必要がありますが、明治の元勲たちの旧邸宅が立ち並ぶ歴史を感じられるエリアです。

【住所】大磯町西小磯85
【連絡先】0463-61-4100
【アクセス】大磯駅から徒歩で約15分
【参考サイト】https://www.meijikinen-oiso.jp/