宮本輝著「満月の道」の風景(その2)

板金塗装会社を立ち上げ

「中古車のハゴロモ」が順調に売り上げを伸ばしています。熊吾は仕入れた車を迅速に修理するため板金塗装会社を立ち上げることを決意。高校生になった伸仁は相変わらず勉強をせず、落語や画集に夢中になっています。そんな中、経理の玉木の伝票処理について不可解な情報を得ますが・・・・・・

仮名手本忠臣蔵の舞台

所要で京都方面から大阪に戻る際に走った国道171号線の一部はその昔「山崎街道」とも呼ばれた道と重複していて「仮名手本忠臣蔵」の舞台でもありました。「赤穂浪士断絶のあと、家老の大野九郎兵衛の息子・定九郎が零落して追剥に身をやつし、お軽の父・与一兵衛を切り殺して五十両を奪う。その定九郎をイノシシと間違えて、お軽の夫・早野勘平が鉄砲で撃ち殺す……」というストーリーです。

下には勘平・お軽のブロマイド写真を引用させていただいだきました。昭和37年当時、国道沿いにあった「お軽と早野勘平の旧居跡」なる石碑を見た熊吾は、歌舞伎の場面を頭に浮かべつつ「ここじゃ、ここじゃ。……昔は人斬り強盗やイノシシが徘徊しちょったとこやぞ」と声をあげます。

伸仁の富士登山

高校に入って初めての夏休みを迎えた伸仁は、高校主催の富士登山に参加します。大事な息子を預けることに不安を感じ駅までついてきた熊吾は「富士山をなめちょったらえらい目に遭うぞ。……山は上へ行けば行くほど空気が薄うなるんじゃぞ。……お前は未熟児で生まれたけん、まだ肺がおとなになっとらんのじゃ」と忠告しました。

下に引用させていただいたのは昭和時代の富士山5合目駐車場の写真です。ここでは「小さめのリュックサックに着替えや菓子を入れた」伸仁が不安と期待を抱きながら黙々と登っていく姿を置いてみましょう(バナナは入っていなかったのでしょうか)。

家計簿をつけながら

房江の家計簿には次のような食べ物が並んでいます「玉子五個 六十五円、豆腐二丁 四十円、マヨネーズ 百十五円……食パン 三十二円」。今(2023年)の物価に比べるとはるかに安いことがわかりますね。また、ペン習字のおかげで新しい漢字を書けるようになった房江が嬉しくてノートに見入る場面もあります。

下に引用させていただのは昭和37年の(葛飾区)立石中央通り商店街の写真です。ここでは個人商店を巡りながら会話を楽しむという昭和スタイルの買い物をする房江の姿をイメージしてみます。

あの子は、好きなことをさせといたらいいです

伸仁の通う関西大倉高校(中学校)は生徒数急増のため次年(昭和38年)度に茨木市に移転することになります。その説明会にやってきた房江は偶然、伸仁の担任の先生と会いました。伸仁のことが気になった房江は「勉強をせずにラジオの寄席ばかり聴いていること、それ以外のときは画集を見ているか寝ているかで、このままでは大学入学試験に合格するとは思えない」と愚痴をいいますが、それに対し「あの子は、好きなことをさせといたらいいです」との言葉が返ってきます。

下に引用させていただいたのは伸仁が好きな画家・岸田劉生の代表的な作品(東京国立博物館蔵・麗子微笑)です。ここでは水彩絵の具を使ってこのような絵を模写している伸仁の姿を想像してみましょう。

世の中はゴルフブーム

シンエー・モータープールを運営する柳田元雄社長はある時、(熊吾の代理で訪問した)房江に自分のゴルフ場をつくることを打ち明けます。「ここは川辺郡猪名川っちゅうところや。……ここに自分のゴルフ場を造る。ぼくの最後の仕事や」と。

下に引用させていただいたように、昭和32年のゴルフ世界大会で日本チーム(中村寅吉プロ・小野光一プロ)が優勝したことがゴルフブームのきっかけになりました。数年後からはゴルフ場の数も急増し、徐々に一般の人もプレーができるようになっていきます。ここでは房江からゴルフ場建設の話を伝え聞いた熊吾が「あの小さなゴルフのボールが、なんと一個二百八十円らしい。……とにかく、とんでもなく金のかかる遊びらしい」と言う姿がイメージしてみましょう。

鳥すき店にて

熊吾の中古車会社は一見順調に思えましたが、大学夜間部に通いながら働く従業員・神田三郎から気になる話を聞きます。会社の経理を担当する玉木則之が一つの商品に対し、金額の違う伝票を2枚作っているとのこと。玉木は指の調子が悪いため伝票で字の練習をしているのでは?といってみたものの疑念が残りました。

下に引用させていただいたのは東京神田にある明治時代創業の「鳥すきやきぼたん」の料理です。ここでは、すっきりしない気持ちを抱きながらも「この店のがほんまの鳥すきやとしたら、ぼくの家のは何なんやろ」といいながら料理をほおぼる神田少年の姿をイメージしてみます。

「満月の道」の後半には物語が大きく展開する事件がいくつか起きます。次回は「中古車のハゴロモ」と板金塗装会社の両輪を回しながら忙しく働く熊吾を軸に、小説の風景を追っていく予定です。

旅行などの情報

萱野三平記念館

小説に出てくる「お軽と早野勘平の旧居跡」という石碑の情報は見つけられませんでしたが、国道171号線をさらに大阪に向かうと早野勘平のモデルとなった萱野三平の記念館(実家跡)があります。上で紹介した歌舞伎のストーリーはフィクションで、実際の萱野勘平は赤穂藩主・浅野内匠頭の江戸城・松の廊下での殺傷事件をいち早く赤穂に知らせた人物です。その後、吉良邸討入に加わろうとしますが(三平を浅野藩に推挙してくれた主家に迷惑がかかることを憂慮した)父から反対され、この地で自刃しました。

三平が居住した長屋門には自刃の間が残り、管理棟の涓泉亭(けんせんてい)には三平や西国街道の資料も展示されています。下に引用させていただいたように、歴史を感じられる整備された施設です。

住所:大阪府箕面市萱野3-10-4
アクセス:阪急・箕面駅からバスを利用
参考サイト:https://www.city.minoh.lg.jp/bunkazai/sanpei.html

鳥すきやきぼたん

熊吾が神田三郎とともに行った鳥すき屋の場面で引用させていただいたお店です(小説中の鳥すき屋は梅田の桜橋交差点から細道を南に行ったところにありました)。鳥すきやきぼたんは明治30年創業の老舗で戦災を逃れた建物は風情が感じられます。

名物・鳥すき鍋にはモモ肉やムネ肉、砂肝、レバー、ハツなどの多彩な部位が入っているのが特徴。昔ながらの備長炭と鉄鍋でじっくりと温めるスタイルで、白滝や葱、豆腐といった副菜にはしっかりと味がしみています。下に引用させていただいたような〆めの親子丼も美味しそうですね。

住所:東京都千代田区神田須田町1-15
アクセス:03-3251-0577
参考サイト:https://www.sukiyaki-botan.co.jp/

東京国立博物館

「満月の道」では伸仁が興味を持った画家として岸田劉生以外にも横山大観の名前が挙げられています。岸田劉生作(麗子微笑)を所蔵する東京国立博物館(トーハク)には下に引用させていただいたような横山大観の作品も多いので、常設展や企画展にて鑑賞できるでしょう。

トーハクでは絵画だけでなく甲冑や刀、仏教美術、埴輪といった日本文化を象徴する国宝級の作品が展示されているのも魅力です。メイン施設の平成館のほかガンダーラ美術などにも触れられる東洋館もあるので時間に余裕をもってお出かけください。

住所:東京都台東区上野公園13-9
アクセス:JR上野駅から徒歩約10分
参考サイト:https://www.tnm.jp/