宮本輝著「満月の道」の風景(その1)

熊吾の中古車販売業は好調

流転の海・第七部の「満月の月」は昭和36年の秋から始まります。池田勇人内閣の「国民所得倍増計画」により景気が上昇し、車の売れ行きも好調です。熊吾の立ち上げた中古車販売店も「わずか一年ほどで常時中八台の中古車を右から左へと売る商いにひろげて……当初のもくろみの五倍の収入」が入るようになっています。

駐車場脇にはトヨタ・パブリカの販売店を併設

シンエー・タクシー社長の柳田は、(熊吾が管理人をまかされている)シンエー・モータープールから五分の場所に新しく「トヨタ・パブリカ大阪北」を開業し、それに伴いモータープール内に社員寮と修理工場を併設します。

下にはトヨタ・パブリカのポスターを引用させていただきました。「パブリカ」とはパブリックカーの略語で若い家族にも手の届く価格帯のトヨタ初の大衆車でした。

集団就職で少年が入社

人手が必要となったトヨタ・パブリカ大阪北では何人かの新入社員をとります。水沼徳(トクちゃん)もその一人で「能登の農家から……大阪に出てきた」とのこと。「夢を抱いて列車に乗ったかもしれんが、大阪駅に着いて、あのパブリカ大阪北の修理工場の二階の寮に入った途端に、そんな夢なんか吹っ飛んでいったことじゃろう」と熊吾が伸仁にいう場面があります。

1960年代の離職率は20%以上あり、夢と現実の違いが大きかったようです。実際にトクちゃんも夢を追うため別の職業を選択することになります。下(右上)に引用させていただいたのは集団就職で到着した学生の写真です。こちらの写真から夢と不安が入り混じったトクちゃんの姿をイメージしてみましょう。

手土産はモロゾフのチョコレート

「キマタ製菓」の社長・木俣敬二はある理由で定期的にハゴロモ(鷲津店)を訪ねてきます。手土産として持ってきたのは自社製のチョコレートでなく「モロゾフ」でした。モロゾフは現在でも有名な神戸の菓子ブランドで、同名のロシア人経営者が創業しました(1931年)。


下には昭和初期のモロゾフのチョコレート缶の画像などを引用させていただきました。熊吾は「モロゾフ」というロシア人創業者の名前から、直前に偶然見かけた森井博美(流転の海第三部・天の夜曲に登場)の曽祖父(ロシア人)の名前を連想し、博美に付き添って長崎にいったことを思い出します。

ペン習字の全課程終了を祝う

房江はペン習字の終了証書が届いた日、自分へのお祝いをしようと思い立ちます。そして、伸仁をお供に老舗の鰻屋で鰻重を食べ、映画館に入りました。映画館では「三本立ての洋画のうちの一本が終わりかけていた……どこの国なのかわからない平原のなかのいなか道を、荷車に人間や家財道具を満載して進んでいるシーンがスクリーンに映し出されていた。その荷車の前にも後にも、さまざまな楽器が大きな旗を持った人々が、なんだか楽しそうにあるいている」とあります。

下に引用させていただいたのはロマ族と思われるグループが移動中の写真です。道路を平原に置き換えて「私も、あの行進に入れてもらって、温かそうな日差しの大平原をにぎやかに歩いてみたい」と考える房江の姿をイメージしてみましょう。

旅行などの情報

「ああ上野駅」歌碑

トクちゃんは集団就職で大阪駅にやってきますが、東北方面から東京エリアに就職する人たちの集合場所は上野駅でした。集団就職列車は1975年(昭和50年)まで運行され日本の高度経済成長を支えます。広小路口には下に引用させていただいたような集団就職列車のレリーフが刻まれ、下には歌詞の銘板も設置されています。

また、同じく上野駅15番線のホーム端には石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の……」の歌碑もあり、駅周辺を巡るだけでもノスタルジックな気分を味わえるでしょう。

住所:東京都台東区上野 7-1-1(上野駅)
アクセス:上野広小路口からすぐ
参考サイト:https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14134274-d17287933-Reviews-Aa_Aeno_Station_Monument

モロゾフのお菓子

木俣敬二のお土産にもあった「モロゾフ」は神戸に本店を置く国内有数の洋菓子メーカーです。チョコレートとしては下に引用させていただいた「フェイバリット」というシリーズがメインとなっていて、形・味・香りなどが異なるチョコを少しずつ多種類味わえるのが魅力です。

また、名物のカスタードプリンも優しくなめらかな味わいが評判となっていて、アルカディアやオデットといった伝統のクッキーも手土産として人気があります。