宮本輝著「長流の畔」の風景(その4最終回)

東京オリンピックの時代

新幹線の開通や東京オリンピックの開幕を迎え、日本は活気にあふれていました。熊吾は糖尿病や歯槽膿漏の治療のために病院通いが続きますが、伸仁が成人するまで元気でいることがモチベーションになっています。一方で房江はホテルの調理スタッフになり、本来の「強さとたおやかさ」が戻ってきました。

房江はホテルの賄いに応募

元気を取り戻した房江は夕刊の求人欄で就職先を探しますが、「求む。女中。……三十代に限る」など「五十を過ぎた女でも可とする求人先はなかった」とあります。そのなかで、「従業員食堂で社員の食事を作ってください。五十歳までの女性……多幸クラブ」という求人にダメもとで応募します。

下に引用させていただいたのは、昭和43年の求人広告とのこと。女子電話交換手(~22歳)、賄婦さん(50歳迄)と房江が見たのと同様の年齢制限がかかっていますね。ここでは、「賄婦さん」を目にした房江がどきどきしながら電話をする姿をイメージしてみましょう。

アリバイ横丁

糖尿病治療のための1か月ほどの教育入院を終えた熊吾は、キマタ製菓社長の木俣を人気のトンカツ屋に誘います。「梅田の阪急百貨店の下の地下街を西にいったところに喜多八っちゅうトンカツ屋がある」という熊吾に対し「ああ、アリバイ横丁でっか。あそこを西にいくんですな」と返しました。

下に引用させていただいたのはそのアリバイ横丁のありし日の風景です。ここでは各県の土産物を見ながら「九州に出張だと女房に嘘をつき、二、三日出かけたあと、確かにそこに行ってきたことの証として……名産を買って帰るというわけか」という熊吾を想像してみましょう。

木俣が新商品を開発

トンカツ屋にて木俣は「これが大ヒットしましてん。私のアイデアでっせ」と「片面に薄くチョコレートを塗ったビスケット」を自慢気に見せます。「ビスケットにチョコレートを塗ってあるだけじゃが」という熊吾に対し「これはねえ、ビスケットやおまへん。クッキーとも違います。クラッカーっちゅうやつでんねん。……アメリカの乾パンみたいなもんで、小腹がすいたときに、この上にハムとかチーズとかを載せて食べる」とのこと。

下に引用させていただいたのはこの時代に「クラッカー」という名称を広めた「あたり前田のクラッカー」の写真です。熊吾や伸仁たちも「てなもんや三度笠(昭和37年~昭和43年)」を見ていたのではないでしょうか。

危機一髪で

大阪中古車センターでは「長流の畔」でも最大の事件が起こります。佐竹や佐竹の子供たちも居合わせますが、なんとか難を逃れることができました。全身真っ黒になった熊吾たちは千鳥橋の近くにある銭湯に入ります。

下に引用させていただいたのは熊吾の時代にもあった千鳥温泉の写真です。ここでは風呂を上がった熊吾が「(人生は)幸福と不幸のせめぎ合いだ。どっちへ転ぶかは紙一重だ。なんと人間は恐ろしい世界で生きていることであろう」と考えるシーンをイメージしてみます。

東京オリンピックはカラーテレビで

伸仁にオリンピックをカラー放送で見せるため「三日前に聖天通り商店街の電器屋に頼んでアンテナと一緒につけて」もらいます。
開会式が始まると
熊吾「アフリカにはマリなんて国があるんじゃのお」
伸仁「チャドいうのもあったでえ」
熊吾「あの長い脚と逞しい筋肉を見てみい。あんなのに日本人が勝てるはずがあるかや」
と会話をしますが
「いったいいつ終わるのかとうんざりしてきて、熊吾は最後の開催国・日本の選手団の入場を見ると」伸仁に生活費と小遣いを渡して出ていこうとします。

下に引用させていただいたのはその開会式の日本選手の入場シーンです。ここでは入場のあとの聖火点灯までを食い入るように見る伸仁をイメージしてみましょう。

新幹線に体験乗車する人も

キマタ製菓の前を通ると(チョコクラッカーをつくるためのカカオ豆の殻の運搬を依頼されて木俣と親しくなった)丸尾千代麿も来ていました。木俣とともに東京五輪に合わせて開業した新幹線の大阪・京都間に試乗したとのこと「ホームで新幹線を見るだけのつもりやったんやけど、京都までほんまに二十五分かどうか確かめようってことになりまして。大将、ほんまに速いでっせ。大将もいっぺん乗ってみはったらどないです」と千代麿。熊吾は「知り合ってたちまち親友のようになってしまった千代麿と木俣啓二のお人よしコンビ」をほほえましく見ています。

また「千代麿夫婦も苦労の連続で戦後を生きてきた。商売だけでなく家庭内の問題でも苦労を重ねた。木俣も小さな会社とはいえ、何度も倒産の危機をくぐって、やっと日が当たりかけている。……善意の塊のような男ふたりが仲良しになり、子どものようにじゃれあって楽しそうにしている」とも。

下に引用させていただいたのはひかり号の開通時の写真です。ここでは、このような車両に乗って速さにおどろく千代麿と木俣の仲のよい姿を想像してみます。

仕事が決まって忙しくも充実した日々を送る房江。一方、熊吾は「あと三年で伸仁は二十歳になる。俺は三年生きればいいのだ。もう動くな。余計なことに手を出してあくせくするな」とも考えます。また、もうすぐ高校を卒業する伸仁はどのように育っていくのでしょうか。次回からは宮本輝氏の「流転の海」シリーズの最終巻・「野の春」の風景を追っていきます。

旅行の情報

千鳥温泉

ある事故の後、熊吾たちが泥だらけになった体を洗った銭湯として登場してもらいました。昭和27年創業のため、熊吾や伸仁も利用したことがあったかもしれません。現在の建物は昭和42年のもので、壁に描かれた豆タイルの富士山が見事です。

スポーツ自転車や折りたたみ自転車は店内に置かせてもらえるサイクリストにも優しいお店。オリジナルの銭湯グッズやTシャツなども販売しているので観光の途中に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

住所:大阪府大阪市此花区梅香2丁目12-20
アクセス:阪神千鳥橋駅から徒歩約6分
参考サイト:https://jitenshayu.jp/

日本オリンピックミュージアム

東京2020大会直前の2019年にオープンした比較的新しい施設です。オリンピックの理念や歴史を学ぶだけでなく、オリンピアンの身体能力を知ることができる体験コーナーも備えています。伸仁がカラー放送で見た1964年五輪関連のユニフォームやトーチ、メダルなどを展示。2020年大会のコーナーも新設され見どころも多くなっています。

下には歴代五輪のポスターの写真を引用させていただきましたが、他にも1940年に開催予定だった東京大会の幻のポスターの展示もあります。なお、ミュージアムショップもあり、施設限定のボールペンやスポーツタオルなどを販売しています。

住所:東京都新宿区霞ヶ丘町4番2号
アクセス:東京メトロ銀座線・外苑前駅から徒歩約5分
参考サイト:https://japan-olympicmuseum.jp/jp/