夏目漱石「吾輩は猫である」の風景(その9最終回)
寒月君と金田娘との顛末
舞台は主人の家、迷亭と独仙が囲碁する横で、前回の最後に帰省した寒月が主人や東風と会話中です。寒月はヴァイオリンを手に入れるための苦労話を披露したあとに、(噂になっていた金田の娘でなく)地元の娘と結婚したといいます。続いてやってきた多々良が金田の娘との婚約を報告。ストーリーが急展開するなかで最後に吾輩がとった行動は・・・・・・。
迷亭と独仙は囲碁対決
「床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している」ところ。迷亭君のほうが劣勢のようで「ちょっと待った」や「ついでにその隣りのも引き揚げて見てくれたまえ」としきりに差し直しを求めます。
下に引用させていただいたのは1936年の映画「吾輩は猫である」で徳川夢声さんが演じた迷亭の写真です。ここでは「ずうずうしいぜ、おい」という独仙に対し「Do you see the boy (「ずうずうしいぜ、おい」と似た発音のシャレ)か。――なに君と僕の間柄じゃないか。そんな水臭い事を言わずに、引き揚げてくれたまえな」と返す姿をイメージしてみましょう。
寒月君ヴァイオリン購入記1・見つかると制裁の危険も!
ヴァイオリンに興味を持った東風君が「君はヴァイオリンをいつ頃から始めたのかい」と聞くと寒月は「ヴァイオリンを習い出した顛末」を語り始めます。五高時代、「私のおった学校は田舎の田舎で麻裏草履さえないと云うくらいな質朴な所でしたから、学校の生徒でヴァイオリンなどを弾くものはもちろん一人もありません」と寒月君。
また、当時としてはヴァイオリンを弾く男性は軟弱とされ、「少しでも柔弱なものがおっては、他県の生徒に外聞がわるいと云って、むやみに制裁を厳重にしましたから、ずいぶん厄介でした」とのことです。ちなみに寒月君の下宿は下に引用させていただいた写真の奥・立田山のふもとにありました。
迷亭は当時の熊本市について「あすこには灰吹はいふきがないそうだ。僕の友人があすこへ奉職をしている頃吐月峰の印のある灰吹きを買いに出たところが、吐月峰どころか、灰吹と名づくべきものが一個もない。不思議に思って、聞いて見たら、灰吹きなどは裏の藪へ行って切って来れば誰にでも出来るから、売る必要はないと澄まして答えたそうだ」といいます。
下には吐月峰の印が入った灰吹きの写真を引用させていただきました。ちなみに、灰吹きとは煙草の灰を落とす竹筒で現在の灰皿のようなもの。新潮文庫版の注解によると灰吹のエピソードは「五高教授時代の漱石の体験」とのことです。ここでは熊本市内のお店で灰吹を求めようとする漱石先生の姿を想像してみます。
寒月君ヴァイオリン購入記2・ようやく入手するも!
他の生徒に見つからないように日が暮れてから楽器店に向かいますが、周辺にはまだ学生たちがうろうろしています。仕方なく「県庁の前で枯柳の数を勘定して病院の横で窓の灯を計算して」時間をつぶし、店が閉まる深夜十時ごろに「思い切って飛び込んで、頭巾を被ったままヴァイオリンをくれ」といってやっとの思いで購入できました。
寅彦がこの時購入したのは鈴木バイオリン製と考えられています。明治20年に鈴木政吉氏が創業した会社で現在も国内で高いシェアを誇っています。明治期にはまで高価だった海外製に対し、高品質で安価なバイオリンを製造し売り上げを伸ばしました。下には明治末期の広告を引用させていただきます。
出典:田耕治 編『稲取美談 : 新教育活模範』,富田耕治,明40.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/784536 (参照 2023-11-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/784536/1/69
また、寺田寅彦氏が晩年まで愛用したヴァイオリンの画像については以下の熊本県立図書館・オンライン展示館をご参照ください。
明治31年に寅彦が熊本で購入した「八円八拾銭」のヴァイオリンは鈴木製の楽器だったのではないかと思われる。
出典:熊本県立図書館・オンライン展示館
姥子温泉での「音がしないのにバレた」エピソード
寒月君のヴァイオリン購入記のテンポがのんびりとしていたため、周囲のメンバーからはさまざまなチャチャが入ります。こちらはヴァイオリンを弾くことで持っているのがバレるという寒月君に対し、音がしなくてもバレた迷亭君のエピソードです。
舞台は箱根七湯の一つ姥子温泉。迷亭君は「東京の呉服屋の隠居」と相部屋になります。連泊するうちに「煙草を切らしてしまった」迷亭君、隠居が煙草を「呑みびらかす」のに我慢ができず、つい拝借してしまったとのこと。ですが「煙りがむっとするほど室のなかに籠ってる」ことであっけなく露見してしまいます。
下に引用させていただいたのは今も続く姥子温泉の写真です。こちらの部屋の中に煙草の拝借がバレて恐縮する迷亭の姿を置いてみましょう。
萬朝報の記事タイトルは結婚でなく破局!
迷亭が寒月と金田娘の結婚のうわさについて「鼻事件かい。あの事件なら、君と僕が知ってるばかりじゃない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってる。現に万朝なぞでは花聟花嫁と云う表題で両君の写真を紙上に掲ぐるの栄はいつだろう、いつだろうって、うるさく僕のところへ聞きにくるくらいだ。」といいます。それに対して他人事のようにふるまう寒月君。「なぜって、私にはもう歴然とした女房があるんです」といってのけます。
下に引用させていただいたのはゴシップ記事で人気を博した「万(萬)朝報」の写真です。ここでは「角の生えた老女」のかわりに、寒月君と金田娘の似顔絵を印刷し、「破局」の文字をわきに添えてみましょう。
太陽に婚約の記事を掲載
後からやってきた多々良三平君は「あなたが寒月さんですか。博士にゃ、とうとうならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰う事にしました」と突然、金田の娘と婚約したことを報告。また「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作ってくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらいます」などといって、この場にいる全員に結婚式への参加を依頼します。
下にはその博文館・太陽の創刊号の写真を引用させていただいただきました。ちなみに「太陽」は明治28年創刊の日本で初めての総合雑誌で、漱石の友人の大町桂月が「吾輩は猫である」の批評文を掲載しています。ここでは目次に「〇〇会社社長金田氏の娘・富子嬢、前途有望なる○○会社○○の多々良三平氏と婚約」というタイトルを置いてみましょう。
出典:Bungo Sakuma, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Taiy%C5%8D_(Hakubunkan).jpg
吾輩の猫踊り
多々良君を中心に祝杯ムードとなりますが「さすが呑気の連中も少しく興が尽きたと見えて、『大分だいぶ遅くなった。もう帰ろうか』とまず独仙君が立ち上がる。つづいて『僕も帰る』と口々に玄関に出る。寄席がはねたあとのように座敷は淋しくなった」とあります。
下に引用させていただいたのは1975年の映画「吾輩は猫である」の一場面です。こちらの投稿にもあるように「吾輩」が独仙や迷亭などを頭に浮かべて「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」と考えるところをイメージしてみます。
酒を飲んだ「吾輩」は・・・・・・
「何だか気がくさくさして来た」吾輩は「三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう」と考えます。「何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとし」「猫とビールは性が合わない」としていた「吾輩」ですが飲んでいるうちに「次第にからだが暖かになる」「歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる」とあります。
下に引用させていただいたのはその「猫じゃ猫じゃ踊り」の歌です。江戸・明治の流行歌で別名は「おっちょこちょい節」。
「吾輩は猫である」の風景は景気のよいこちらの歌をもって、終了とさせていただきます。この後の話は本文にてお楽しみください。
旅行などの情報
夏目漱石内坪井旧居
漱石は五高での教師時代に6回も転居をしていますが、こちらは5番目に住んだ家です。夫人が最も気に入っていた家とされ、熊本滞在中で最も長い1年8か月を過ごしました。内部は記念館として公開され、漱石の原稿や写真なども多数展示されています。
また、こちらには寒月君のモデルとされる寺田寅彦が週に数回も訪れていました。下に引用させていただいたように漱石先生もいらっしゃるようなので、寒月君になった気分でヴァイオリン入手の顛末を話しかけてみてはいかがでしょうか。
基本情報
住所:熊本県熊本市中央区内坪井町4-22
アクセス:熊本駅からバスで約15分
参考サイト:https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/79
立田山
小説では寒月君が庚申山(=立田山)に上ってヴァイオリンを弾こうとすると「突然後ろの古沼の奥でギャーと云う声がした」ため「一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ帰って布団へくるまって寝てしまった」とあります。実際の寺田寅彦氏は、毎日のようにここでヴァイオリンの練習をしていたようです。
立田山は標高152mの低山のため徒歩20分ほどで気軽に登ることができます。下に引用させていただいたような桜や、紅葉の景色もきれいでヴァイオリンを持っていなくても楽しめるスポットです。
基本情報
住所:熊本県熊本市北区龍田陳内2-43−23
アクセス:立田山駐車場から徒歩約20分
参考サイト:https://kumamoto.guide/spots/detail/12373