平山三郎「実歴阿房列車先生」の風景(その2)

特別阿房列車・区間阿房列車

今回からは「ヒマラヤ山系」こと平山三郎氏からみた「阿房列車」を追いましょう。「特別阿房列車」では山系君の貧相なカバンや車内販売のバナナのシーンを取り上げます。また「区間阿房列車」での先生との会話の背景や宿泊先の情報を公表しているのも「実歴」ならでは。「実歴」を参照することで「阿房列車」のストーリーの奥行が広がります。

山系君のカバン(特別阿房列車)

「特別阿房列車」には東京と大阪を特急「はと」で往復する旅が描かれています。(第一阿房列車の風景その1・参照)。早速「実歴阿房列車先生」から引用してみましょう。

「二十五年十二月二十日 日曜日。―――いつも出張旅行で持ってあるく皮の鞄を持ってゆくつもりでいたが、ちょう度、取手の部分がほぐれてしまって修理に出してあった。先生の旅行の話は、はじめはあいまいだったが、決まったとなると急に足元から鳥が立つようにあわただしくなる。それで、皮の鞄の修理の予定もそれに間に合わない。いくら大阪まで行ってすぐ帰ってくるといっても、まさか風呂敷包みでは恰好がわるいだろうから、これも取手が少少傷んではいるがズックのボストンバッグがあったから、それに石けんにタオルを入れて、約束の十時に先生の家へ行った。」
とのこと。
「玄関に立って、ズックのカバンを上り框に置いたら、先生が大きな眼でじろりと見た。―――それが貴君のいう、旅行カバンかね。」
下には中公文庫の表紙の写真を引用いたしました。カバンはお持ちではありませんが、左側にいらっしゃるのが平山三郎氏です。

出典:実歴阿房列車先生、中公文庫、内田百閒と著者(左)、名古屋駅で停車中の「はと」で記念撮影(1958年6月5日 撮影・林忠彦提供・岡山県郷土文化財団)、中央公論社デザイン室

一方、特別阿房列車(第一阿房列車)では先生からみた山系君(平山三郎氏)が以下のように描かれています。

「大体もう出かけられる様に支度が出来た。昨夜の残雨がまだ横降りに降っている。そこへ山系がやって来た。泥棒の様な顔をしている。きれのボストンバッグの手の所がしゃくれて、千切れそうになったのをさげている。」

先生「貴君は革の鞄を持って来ると云ったじゃないか」
山系「はあ」
先生「それは随分きたならしいね」
山系「あれはですね、皮の鞄は手の所が千切れかけているのです」
先生「それで」
山系「鞄屋へ持って行って直させると間に合わないから、これにしました」

丹那トンネルのこうもり(特別阿房列車)

「丹那トンネルに這入ったら、先生がわたしを促すので起ち上がって従いていくと、トンネルの天井の壁にコーモリが『痒くなる程』ぶら下がっている筈だから、それを見ようと云われるのである。展望車の最後部の、ドアーは開けなかったが、じっと目を凝らして見詰めたけれど、それらしい姿は見えなかったから、あきらめて席へ戻った。年配のボイが不審な顔でわたし達の挙動を見ていたが、まさか、トンネルの中にこびりついているコーモリを見ようとしたなどとは云えたものではない。」

下には「はと」の姉妹列車「つばめ」などの特急列車の展望車につかわれたマイテ49形2号車の写真を引用させていただきました。

出典:京都鉄道博物館公式FACEBOOK、【マイテ49形2号車が準鉄道記念物に指定されました】
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=875786384699885&id=100068055947812&set=a.583637267248133

一方、特別阿房列車で百閒先生は、デッキまで出たと記述していて、よりアクティブなシーンになっています。
「丹那隧道に這入る時、山系を促して展望車のデッキに出て見た。・・・・・・まだいてもいい時候なのにどう云うわけか、一匹もいなかった。車室の外にいても電気機関車だから煙は来ないけれど、隧道の中の風は冷たいし、何となく物騒だから中に這入った。中に這入る迄ボイが傍に起っていて、蝙蝠を見に出たとは知らないだろうから、どうするつもりかと少し心配していたのではないかと思う。」

ここでは先生たちがデッキ手前側の手すりをつかんでコウモリを探す姿をイメージしてみましょう。入口を入ってすぐのところには心配そうに見守るボイの姿がありました。

車内販売や車内食堂の風景(特別阿房列車)

「車内販売の売り子の女の子が手車を押して、色色食べる物を売りに来る。」
手押し車ではありませんが下に引用させていただいた動画の1:35の辺りに売り子さんの姿が写っています。なお、その直前(1:30)に映っているトンネルは上で登場した「丹那トンネル」でしょうか。
「四谷見附の床屋へ行く途中に果物屋があって、―――と先生が云われる。うまそうなバナナが並んでいるから、欲しいと思うのだけれど、それを欲しいと思う時はいつも床屋へ行くだけのお金しか持っていないから、諦めて、また今度と思う。・・・・・・目の前を車内販売の手押車が過ぎて、それにきれいな色のバナナがあって、先生はそれを見送りながら話すのであるが、それを欲しいと先生が云わないのだから、気を利かして、買いましょうか、と訊ねることもない。平生、仕馴れないことは、しない方がいい。」

このシーンは「特別阿房列車」では以下のように表現されます。
「今汽車の中で用もなくぼんやりしている目の前を、バナナが頻りに行ったり来たりする。一寸一言そう云えば、すぐに食べられる。・・・・・・腹の中が退屈していない事もないし、うまいだろうと想像する。しかし、ここは我慢の仕所だと思う。なぜと云うにバナナに限らない。何によらず食べるという事はお行儀が悪い。・・・・・・だから買うのをよして、バナナの載った手さげ籠が丁度椅子に掛けている目の高さの所を、すうと通って行くのを眺めている。お隣の山系君も退屈してやしないかと思わない事もないが、彼の意向をそう云う事に関して聞いて見たところで、要領を得たためしがないから省略してほっておく。
『いつもバナナを持っているね』
私がそう云うと
『そうですね』
と答えて、それでお仕舞である」

「阿房列車」の頃のバナナは輸入制限がされており、高級品として扱われていました。下には当時主流だった台湾バナナの写真を引用させていただきます。他の種類のバナナより価格はやや高めですが甘く濃厚な味わいとのことです。

なお、「実歴阿房列車先生」では、「特別阿房列車」の帰り(大阪→東京)の列車内でのバナナのエピソードを補足しています。
「車中。―――先生が、バナナが食べたいと云いだしたけれど、往きの列車のように女の子が手押車を押して来ない。来ないとなると余計に気になるらしい。濱松が五分停車だから、それまで我慢して貰って、濱松駅でホームに降りたら、駅売りのはいやだと云われるから、食堂車の窓の下にいって、バナナを二本買った。停車中の食堂車は窓外へ果物を売ってはいけないという規則があるのかどうか。食堂車の女の子が怪訝な顔をした。」
上の動画(3:33~)は先生たちが旅をしたころの濱松駅の風景で終了しています。

また、上記動画の終盤(3:13~)には食堂車の様子が収録されています。「実歴阿房列車先生」では、先生たちは日本酒を飲んでいたように描かれていますが、こちらの動画のお客さんの多くはビール党のようです。

懐かしの御殿場線へ(区間阿房列車)

「第一囘の大阪行阿房列車―――「特別阿房列車」が雑誌小説新潮に掲載されてのは二十六年一月号だが、それからしばらくして、或る晩、―――どうも平山が来ると用事がいろいろ溜まっていて、一つ一つ片づけるのにいそがしくッて敵わない。いったい貴君は用事のかたまりみたいなひとだね、とこぼしこぼし、メモに書きこんだ用事のひとつのような調子で、また、どこかへ、汽車に乗って出掛けよう、と云われるのである。」

小説新潮は昭和22年9月から続く小説専門雑誌で、下に引用した創刊号には山本有三や谷崎潤一郎などの作家が名を連ねています。

出典:English: Shinchōsha日本語: 新潮社, Public domain, via Wikimedia Commons、『小説新潮』創刊号の表紙、新潮社
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sh%C5%8Dsetsu_Shinch%C5%8D_first_issue.jpg

「座談の合間に―――
出てはくぐるトンネルの
前後は山北小山駅
今も忘れぬ鉄橋の
下行く水の面白さ
と、鉄道唱歌の御殿場線のあたりがでた。そっち方面に先生の関心は向いている様子である。―――貴君は何時ひまかね、と先生が云われるから、わたしは何時だっていいですとこたえた。」
とのことです。

なお、「区間阿房列車」では行先を御殿場線周辺にした理由について、百閒先生の以下のようなコメントが挿入されています。
「随分長い間、御殿場線を通らない。・・・・・・昔から、学生時分の帰省の行き帰り、その後も昭和九年の暮に丹那隧道が竣工する迄は、何度通ったか数も知れない程馴染みの深かった御殿場線である。」

そして
「三月十日、十一時、米原行の列車に乗るために、こんどは先生の家へ迎えに行かないで、国鉄本社から東京駅のホームへ駆けあがった。」

出典:鉄道記念刊行会, Public domain, via Wikimedia Commons、日本国有鉄道本庁、日本の鉄道 (1952), p.1 
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JNR_Head_Office_(1935_constructed).webp

上には東京駅とは目と鼻の先にあった国鉄本社の写真を引用しました。人のサイズと比べると巨大な建物であることがわかります。道路を歩く人のどなたかを東京駅に向かう山系君の姿に重ねてみましょう。

列車内での会話(区間阿房列車)

夢袋さんの見送りを後にして(第一阿房列車の風景その2・参照)、東海道線米原行が出発しました。
「大船、大磯を過ぎたころ、山系君の曖昧な呟きから会話がはじまる」
以下、その内容を抜粋してみます。
山系「それで女房をつれまして、しかし僕は湯河原に用事があるのです。」
先生「じれったいね、それでどうしたと云ふのだ」
山系「だから途中で女房を二ノ宮に降ろして、僕は湯河原へ行くのです。」
先生「それならそれで、いいではないか」
山系「そのつもりで女房をつれまして、汽車に乗ってそのつもりでゐたら、走り続けて二ノ宮には止まらなかったのです」

結局、山系君(平山三郎氏)は妻と湯河原駅で一旦別れ、用件の相手先に向かったとのこと。
先生「何の用なの」
用件は百閒先生の新著「実説艸平(そうへい)記」の装丁を安井曽太郎画伯に依頼するためでした。
山系「それがです、有名な画家なのです。僕は初めてお会ひしたのですが、その先生が大分疲れて居られた様でして、だまってゐるのです」

下にはその安井曽太郎画伯の写真を引用しました。撮影された場所は安井画伯が間借りしていた湯河原・天野屋別館でしょうか。ここでは安井画伯の視線の先に平山氏の姿を置いてみましょう。

出典:朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons、安井曾太郎、『アサヒグラフ』 1952年11月12日号
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yasui_Sotaro.jpg

帰ろうとすると雨が降っていて、安井画伯は山系君に傘をすすめます。ですが、返却にくるのを億劫に感じた山系君はなかなか帰ろうとしません。
先生「貴君はもういい加減で、おいとましたらいいだろう」
山系「しかし、雨が降ってゐるものですから、そこのお宅は高台になってゐるので、向こうが見えるのです。・・・・・・」
先生「兎に角傘を借りて行ったらどうだ」
山系「はあ」
先生「ちっとも埒があかない・・・・・・」
話の結末があいまいなまま、国府津駅に到着します。

興津・水口屋と由比・西山温泉に宿泊(区間阿房列車)

「第一阿房列車」には宿泊した旅館はほとんど明記されていませんが、「実歴阿房列車先生」ではいくつかの旅館名が公表されていて、より具体的に旅の風景を思い描くことができます。
御殿場線の終点・沼津駅に到着。雨が土砂降りだったため観光をあきらめ、宿に向かいます。
「沼津駅で紹介された旅館は水口屋。古風で立派な部屋に落着いてから、道道相談してきた興津駅長をお招きして御同席ねがうことを駅へ連絡したけれども、駅長さんは宿直なので都合がつかない。」

下には在りし日の水口屋の写真を引用させていただきました。

続いて次の日は、由比の駅長をお酒の席に誘います。
「夕方は由比駅長に一緒に来ていただいて、西山温泉の一軒しかない宿へ行った。温泉といってもわかし湯だが、簡易旅館の趣きで、少しお酒がまわりだしたら、土屋駅長が汽笛一声の鉄道唱歌を歌い出した。先生、大いに喜び、続いて下関あたりまで大きな声で歌い出した。へんな宴会だと宿の者が思ったかもしれない。」

「区間阿房列車」の復路は御殿場線を経由せず「鹿児島仕立ての三四列車の一等」に乗りました。

以下には例として「特急つばめ」などに使用された一等車の写真を引用します。

出典:Muyo, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、JR西日本 マイテ49形客車(マイテ492)車内、30 August 2008
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JRWest_PC_maite492_inside.jpg

ただし、一等車にいる時間はごくわずかだったようで、平山氏は以下のようにこぼしています。
「どうも先生は、一等車に乗り込むという気分が好きらしい。乗るとすぐに、昨日一昨日すごした興津、由比を通過するのを待ち兼ねて、おなかが空いたから食堂車へ行こうと云われる。それで、それから横浜をすぎるあたりまで食堂車に腰を据えてお酒をのんだ。なんのために、二倍の運賃と料金を払って、一等車で一服しただけで、食堂車に腰を据えて東京近くまでお酒を飲んでいたのか、わたしにはよくわからない。」

旅行などの情報

トレインレストラン日本食堂

「阿房列車」に登場する食堂車のような雰囲気を味わいたいなら、埼玉の鉄道博物館内にある「トレインレストラン日本食堂」がおすすめです。店内は公式SNSの投稿(下の2枚目・3枚目)のように往時の食堂車をイメージした高級感のある落ち着いた雰囲気になっています。

メニューも昔ながらのハヤシライスやビーフカレーといった定番からサーローインステーキのような贅沢な料理が揃い、デザートやドリンクをつけてセットにすることもできます。なお、入場には鉄道博物館の入館料が必要となります。特急富士の一等展望車・マイテ39なども展示していますので、ランチタイムをはさんでじっくりと巡ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47番
【アクセス】JR大宮駅からニューシャトルに乗りかえ、鉄道博物館駅で下車
【参考URL】https://www.railway-museum.jp/

町立湯河原美術館

「区間阿房列車」で山系君が訪問した安井曽太郎画伯にゆかりのある、「天野屋」の跡地に建てられた美術館です。安井曽太郎画伯はもちろん、横山大観と並び称される近代日本画の巨匠・竹内栖鳳やプロレタリア美術の代表的な画家・矢部友衛などの作品を展示しています。

また、夏には上に引用させていただいたように、モネ財団から譲られたモネの睡蓮が可憐な花を咲かせ、秋になると紅葉のライトアップが見られるなど、庭園の景色も見どころです。湯河原温泉の日帰り入浴施設「こごめの湯」も近くにあるので、散策とセットするのもよいでしょう。

基本情報

【住所】神奈川県足柄下郡湯河原町宮上623-1
【アクセス】JR湯河原駅からバスに乗りかえ「美術館前」で下車
【参考URL】https://www.town.yugawara.kanagawa.jp/site/museum/20600.html