柳田国男「遠野物語」の風景(その2)
遠野物語の主役たち
馬に荷物を積んで夜の峠を歩いていると人気のない谷の底から叫び声が!また、「オシラサマ」や「オクナイサマ」といった地元でなじみの神様たちはいたずら好きで、たまには農作業の手伝いもします。家に幸運をもたらすといわれる「ザシキワラシ」も登場。彼(彼女)が立ち去ったあとには悲しい結末が待っていました。
九話(不思議な声)
「菊池弥之助という老人は若きころ駄賃(だちん)を業とせり。笛の名人にて夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。」
「駄賃」とは馬で荷物を輸送して収入を得る、現在の宅急便のような仕事です。下には遠野市立博物館に展示されている「駄賃(付け)」の姿を引用させていただました。
一行は夜の峠を越えていきます。
「ある薄月夜に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、大谷地(おおやち)というところの上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、その下は葦(あし)など生じ湿りたる沢なり。この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼ばわる者あり。一同ことごとく色を失い遁(に)げ走りたりといえり。」
「面白いぞー」という呼びかけは人を誘っているようにも聞こえます。なにか悪さを仕掛けようと考えた盗賊や山男の仕業だったのでしょうか?
なお、水木しげる氏はコミック「遠野物語」にて、これは「うわん」という妖怪の仕業かもしれないとコメントしています。
「うわん」という妖怪がいるが、それに近いものだろうナ。ただ驚かすだけかもしれん
出典:水木しげるの遠野物語、第4回、九話
下にはその「うわん」の図を引用いたしました。
出典:Sawaki Sūshi (佐脇嵩之, Japanase, *1707, †1772), Public domain, via Wikimedia Commons、Uwan (うわん, a spirit named for the sound it shouts when surprising people) from the Hyakkai-Zukan (百怪図巻)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Suushi_Uwan.jpg
他に以下のような想像もできます。遠野物語一〇話には同じ弥之助が深夜の奥山において、里にいる自分の妹が叫ぶ声を聞いたエピソードが語られています。そして後日、同時刻に妹が刺されて亡くなったことが判明しました。このことから菊池弥之助は超人的な聴力あるいはテレパシーを備えていると思われます。「面白いぞー」は神様からの何らかのメッセージだったのかもしれません。
一四話(オクナイサマ・オシラサマ)
「部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を祀(まつ)る。その家をば大同(だいどう)という。この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布の真中に穴を明け、これを上より通して衣裳とす。正月の十五日には小字中(こあざじゅう)の人々この家に集まり来たりてこれを祭る。」
下にはオクナイサマの写真を引用させていただきます。
「またオシラサマという神あり。この神の像もまた同じようにして造り設(もう)け、これも正月の十五日に里人集まりてこれを祭る。その式には白粉(おしろい)を神像の顔に塗ることあり。」
以下に引用させていただいたように遠野のオシラサマはさまざまな姿をしています。
「大同の家には必ず畳一帖の室あり。この部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭う。枕を反(かえ)すなどは常のことなり。或いは誰かに抱き起こされ、または室より突き出(いだ)さるることもあり。およそ静かに眠ることを許さぬなり。」
これは妖怪「枕返し」の仕業かとも思うが、この部屋にはオシラサマが祀られているから、やはりカミサマのいたずらかもしれない。
出典:水木しげるの遠野物語、第5回、14話
上に引用させていただいたように、水木しげる氏はこれらの出来事を神さまのいたずらと推測しています。写真のなかにも、このようないたずらに心当たりのあるオシラサマがいらっしゃるのではないでしょうか。
十五話(オクナイサマのお手伝い)
「オクナイサマを祭れば幸多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家という。この家にて或る年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方(いずち)よりともなく丈低き小僧一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食わせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代を掻きよく働きてくれしかば、その日に植えはてたり。」
以下には土淵村(現・土淵町)柏崎地区のストリートビューを引用いたしました。こちらの水田で「丈低き小僧」が一生懸命に働いているところを想像してみましょう。
「どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食いたまえと誘いしが、日暮れてまたその影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの神棚のところに止まりてありしかば、さてはと思いてその扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。」
上には土淵町に伝わる「オクナイサマ」の写真を引用させていただきました。こちらの「オクナイサマ」も農作業のお手伝いをされていたかもしれません。「オクナイサマ」は腰から下が泥だらけでしたが、こちらの写真と同様、一仕事を終えてほっとしたお顔をされていたことでしょう。
一七話(幸運をもたらすザシキワラシ)
「旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊(いいで)の今淵勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。これは正しく男の児なりき。」
「ザシキワラシ」は名前のとおり座敷に住み着く神様(精霊)で普段は目に見えないが、時として子どもの姿であらわれるとのこと。上のお話では帰省した娘が物珍しくて姿を現したのでしょうか。下には鳥取県境港市「水木しげるロード」に設置されている男の子のザシキワラシ像の写真を引用させていただきました。
出典:美術著作物の題号:「座敷童子」・著作者:水木しげる、CC BY-SA 3.0、水木しげるロードに設立されている座敷童子ブロンズ像(鳥取県境港市)、京浜にけ(ファイルの作成者)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sakaiminato_Mizuki_Shigeru_Road_Zashikiwarashi_Statue_1.JPG
「同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物(ぬいもの)しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間坐りて居ればやがてまた頻りに鼻を鳴らす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰(さた)なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり。」
このようにザシキワラシの多くは姿を見せず、村人たちは音や気配でその存在を感じていました。
一八・一九話(ザシキワラシが去った家)
「ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。」
以下には遠野市立博物館で上映されているアニメ「ザシキワラシ」のワンシーンを引用させていただきました。二人の童女(ザシキワラシ)が山口孫左衛門邸をあとにするシーンでしょうか。
なお、「注釈遠野物語」には「留場の橋」の場所が詳細に記されているので、以下に引用させていただきます)。
小鳥瀬川の中程、土淵町本宿への農業用水路にかかる小さな橋を、留場の橋と呼び、その付近の小字を留場という。山口から隣村の本宿へと通ずる境界となっている。
出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P104
ストリートビューでみると下の橋のようです。ここでは山口孫左衛門邸のある画面上方から二人の童女がやってくるところを想像してみましょう。
「物思わしき様子にて此方へ来たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中(あた)りて一日のうちに死に絶たえ、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり。」
土淵町には現在も山口孫左衛門の家の跡が残されています。下にはお墓などの写真を引用させていただきました。こちらのお墓の向こう側に、当時建っていたと思われる大きな屋敷をイメージしてみましょう。
さらに一九話では山口家の茸中毒事件のいきさつが詳しく述べられています。
「孫左衛門が家にては、或る日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸(きのこ)のあまた生えたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶の中に入れて苧殻(おがら)をもってよくかき廻してのち食えば決して中(あた)ることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。七歳の女の児はその日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。」
「不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸しありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌の類までも取り去りしかば、この村草分(くさわけ)の長者なりしかども、一朝にして跡方もなくなりたり。」
上には山口孫左衛門が所有していた神仏像の写真を引用させていただきました。このような貴重な財産も親類の人々などに引き取られ、保管されてきたのかもしれません。
二〇話(大蛇のたたり?)
「この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。男ども苅置きたる秣(まぐさ)を出すとて三ツ歯の鍬(くわ)にて掻きまわせしに、大なる蛇を見出したり。これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の外に穴を掘りてこれを埋うめ、蛇塚を作る。その蛇は簣(あじか)に何荷(なんが)ともなくありたりといえり。」
(注)簣は土を運ぶためのかご
下には山口孫左衛門邸跡付近のストリートビューを引用いたしました。上で引用したお墓は写真右側の奥の方にあります。ここでは、その奥の森の近くに蛇塚を作る下男たちの姿を想像してみます。なお、写真左側の大きな木の下には井戸の跡が残っているとのこと。こちらでは下女たちがにぎやかに世間話をしていたことでしょう。
なお、毒キノコのときもそうでしたが、下男たちはあまり主人のいうことをきかなくなっていたようです。主人(孫左衛門)の権威が衰えていたとも考えられます。
二一(孫左衛門の人となり)
「右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽りたり。少し変人という方なりき。狐と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に稲荷の祠を建て、自身京に上りて正一位の神階を請けて帰り、それよりは日々一枚の油揚を欠かすことなく、手ずから社頭に供えて拝をなせしに、のちには狐馴れて近づけども遁(に)げず。手を延ばしてその首を抑えなどしたりという。」
以下には遠野の「稲荷の祠」の例を引用させていただきます。孫左衛門がこちらに油揚を供えているところをイメージしてみましょう。「少し変人」とあるように孫左衛門の行動は他の人には理解できないこともあったと思われます。そしてそのことが孫左衛門と下男たちとの壁をつくり、家の衰退につながっていったのかもしれません。
「村にありし薬師の堂守(どうもり)は、わが仏様は何ものをも供えざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。」
山口孫左衛門邸の家の向かい側には、今でも山口薬師堂の鳥居があります。上にはそのストリートビューを引用しました。ここでは山口薬師堂(写真左の森の中)で堂守の話を聞いてきた村人たちが、没落していく孫左衛門邸(写真右側)を見ながらうわさ話をしているところを想像してみましょう。
旅行などの情報
遠野めぐり(土淵町山口)
山口集落の周辺には「面白いぞー」という声を聞いたという界木峠やザシキワラシが去って衰退した山口孫左衛門邸跡など、今回のストーリーの舞台となった場所が点在しています。また、河童のエピソード(58話)のある「姥子淵」や姥捨て伝説のある「蓮台野(111話)」など、次回以降に登場する舞台も多いエリアです。
これらのスポットには駐車場がないことも多いため、駅前の「旅の蔵・遠野」で自転車をレンタルするのがおすすめです。なお、上に引用させていただいたように冬期間や悪天候の場合は貸し出し停止となりますので公式Xなどで営業情報をチェックしておきましょう。
基本情報
【住所】岩手県遠野市新穀町5番8号(旅の蔵・遠野)
【アクセス】JR遠野駅から徒歩すぐ
【参考URL】https://www.tonojikan.jp/toiawase/tabinokura.php
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