井上靖「しろばんば」の風景(その3)
豊橋で夏休みを満喫
前回(しろばんばの風景その2・参照)、洪作たちは長時間かけて父母や妹が住む豊橋にやっと到着しました。豊橋は湯ヶ島とは規模の異なる大都市で、目にするものは珍しいものばかり。母に連れられて神社や練兵所などを観光し、喫茶部で当時としてはハイカラなゼリーを食べたりします。以下では当時を想像できる写真を引用しながら、洪作と一緒に豊橋での夏休みを楽しんでみましょう。
豊橋駅にて
豊橋駅のホームに降りると「何人かの女の人が近寄って来た。洪作はそのうちの一人が母であること」がすぐに分かりました。ところが「母と言葉を交わすことは恥ずかしくていやだった」洪作は先に「一団の降車客の間に紛れ込んで・・・・・・改札口を抜けた」とあります。
下には明治時代の開業から大正初期まで使用された豊橋駅・初代駅舎の写真を引用しました。ここでは皆と離れて駅前広場に不安そうに立つ洪作を置き、以下の文章を引用してみましょう。
「広場の隅に数軒並んでいる小屋掛けの氷屋の旗が神経質に風にはためいている。洪作は、自分を初めて襲ってきた理由のない孤独な想いの中に立っていた」
出典:豊橋市役所, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Toyohashi_Station_in_1888.jpg
人力車で家まで
豊橋駅では母が人力車を呼んでくれて、母の車と洪作・おぬい婆さんの車との2台に分かれて両親の家へ向かいます。
下には大正時代に撮影された豊橋駅前通りの写真を引用いたしました。この写真の中に2台の人力車を置き、「両側をうしろに走って行く暮方の街の家並みを、不安の入り混じった落ち着かない気持ちで眺めていた」という洪作の姿を想像してみます。
出典:豊橋市役所, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shin-Teishajo_street_in_Taisho_era.jpg
豊橋での数日間
豊橋の生活は「起床は六時で、朝食が七時、七時半に父を玄関に送り出すと、すぐに洪作は机に向った。そして九時半に勉強から解放されると、家の周囲の庭を掃き、それから女中について行って、買い物の籠を持つ役目を仰せつけられた」とあります。
午後は自由時間となっていて、妹と遊んだり、母に連れられて「高師ヶ原(たかしがはら)の練兵所や豊川稲荷」に出かけたりしました。ちなみに大正時代の「学生年鑑」の旅行編(下図)にも、「鳳来寺山」や「長篠古戦場」などと並んで「高師ヶ原」や「豊川稲荷」が記述されています。
出典:帝国教育会 編『学生年鑑』大正7年,富山房,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/937604 (参照 2023-12-20)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/937604/1/304
高師ヶ原練兵場
当時の豊橋は第15師団が置かれる「軍都」となっていて、高師ヶ原練兵場はその象徴的なエリアでした。下には大正7年ごろの軍事演習時の写真を引用させていただきました。
写っているのは皇太子殿下(後の昭和天皇)をお迎えする宮様や高級武官の方々とのことです。出典によると、こちらの写真の奥の方には「坂の上の雲(司馬遼太郎)」の主人公の一人である秋山(好古)陸軍大将の姿もあります。
洪作たちがこちらの練兵場をどこから見たかは不明ですが、父・捷作が軍医だった関係で特別な場所に立ち入れたのかもしれません。写真をみても水平線が見えるほど平坦な地形が続いています。ここでは広大な敷地に驚く洪作とおぬい婆さんをイメージしておきましょう。
出典:『歴史写真』大正7年11月號,歴史写真会,大正2-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/966248 (参照 2023-12-20、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/966248/1/27
豊川稲荷
豊川稲荷は室町時代の創建で日本三大稲荷の一つです。洪作が訪問した大正時代には参拝客用の旅館も立ち並び、門前町の豊川地区商店街は今以上の賑わいがありました。
下に引用させていただいたのは豊川稲荷・総門付近の明治末期の写真です。江戸時代に改装された総門は現在も洪作の頃の姿をとどめています。
豊川稲荷の門前町では当時から「いなりずし」が名物でした。(小説に記述はありませんが)帰る途中でいなりずしをお土産に購入したかもしれません。ここでは総門を出る洪作たちの姿を置き、その相談をしているシーンを想像してみましょう。
出典:田山宗尭, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:NDL-DC_762376_0174_0022crd-ToyokawaInari.jpg
老舗和菓子店・若松園
豊橋での最後の夜、「夕食が終わってから、洪作は、母の七重と小夜子と女中の四人で繁華地区へ買い物へ出掛けた。そして若松園という大きな菓子屋に立ち寄って、その喫茶部で菓子を食べた」とあります。
下には今でも営業を続ける「若松園」のホームページから、当時のものと思われるお店の外観写真を引用いたしました。「こうしたところで、菓子を食べるということは、洪作には初めてのことであった」とのこと。ここでは少しドキドキしながらお店の中に入っていく洪作の姿をイメージしてみましょう。
出典:御菓子司若松園公式サイト
https://www.wakamatsuen.net/history/
若松園の黄色のゼリー
洪作が喫茶部で食べた「黄色いゼリー」については以下のように小説の中でも印象深く語られています。「黄色のゼリーの菓子で、スプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。口に入れると溶けるように美味(うま)かった」
ちなみに「黄色いゼリー」のレシピは戦災により失われますが、平成になってから復刻しています。
平成十九年、静岡県長泉町クレマチスの丘「井上靖文学館」の井上靖生誕百年記念として「黄色いゼリー」を復刻、販売。
出典:御菓子司若松園公式サイト
https://www.wakamatsuen.net/history/
下には公式サイトに掲載されている「黄色いゼリー」の写真を引用させていただきました。ここでは「この美味さを上の家の祖母や、さき子や、幸夫たちに知らせることができないのが残念に思われた」とゼリーを堪能する洪作の姿を想像してみます。
出典:御菓子司若松園公式サイト
https://store.wakamatsuen.net/products/kiiroijerry
お祭りの金魚すくい
「黄色いゼリー」を食べた後、「七重は洋品店や文房具店や菓子屋など、何軒かの店へはいって、おぬい婆さんと洪作のためにいろいろな土産物を買った」とあります。そして、呉服屋に入っていった七重たちを待っている間、道を挟んだ向こう側で行われている金魚すくいの方に気を取られてしまいます。
下には昭和時代の金魚すくいの写真を引用させていただきました。写真のなかでは皆が楽しそうな顔をしていて、洪作でなくても見に行ってしまいそうです。店主から「一匹だけただですくわせてあげる」といわれ夢中で遊ぶ洪作に、この後ちょっとした事件が起きますが・・・・・・。
お土産をたくさん携えて
洪作たちはたくさんの思い出をつくり豊橋を後にすることになります。お土産が多く、帰りの荷物は「信玄袋が一つ、鞄が二つ、風呂敷包みが四つ」の計7つになりますが、駅では赤帽が「沢山の重い荷物を器用に両肩に振り分けにして事もなげに運んで行った」とのこと。
往路では汽車に乗る際、下駄を脱いでしまったりして「乗客の好奇な眼」にさらされた洪作ですが、帰路は赤帽に大荷物を運ばせることで「車内の人が感心したように自分たちの方を見ているように思われた」と感想を述べています。
下には昭和初期の「現代商業写真帖」という書籍から「赤帽」の部分を引用しました。こちらの赤帽さんはたくさんのスーツケースを運んでいますが、ここでは洪作たちの風呂敷包みなどを運んでいるシーンに置き換えてみましょう。そして、その様子をながめる洪作は「自分たちが急に偉くなったような気がした」というように、少し得意気な顔をしていました。
出典:東京開成館編輯所 編『現代商業写真帖』,東京開成館,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1112198 (参照 2023-12-21、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1112198/1/14
旅行の情報
愛知大学記念館
洪作たちが見学した高師ヶ原練兵場は現在「高師緑地」などになっていて、当時を想像する史跡は残っていません。ですが、第15師団の司令部の建物は「愛知大学記念館」として残されています。
明治時代竣工の建物は下に引用させていただいたようなレトロな佇まいです。また、洪作のころには立ち入れなかったと思われる師団長室の見学もできます。愛知大学関連の貴重な資料も展示されているので、音声ガイド(無料)を活用してじっくりと巡ってみましょう。
基本情報
【住所】愛知県豊橋市町畑町1-1
【アクセス】豊橋鉄道渥美線・愛知大学前で下車
【参考URL】http://edu.aichi-u.ac.jp/toa/index.html
門前そば・山彦
豊川稲荷の周辺には稲荷寿司のお店がたくさんありますが、創業100年以上の老舗「門前そば・山彦」も有名店の一つです。豊川稲荷・総門の目の前にあるので、お参りの帰りにも立ち寄りやすいでしょう。
名物「いなほ稲荷寿司」は具材にひじきや人参、しいたけ、くるみ、竹の子が入った五目稲荷で、美味しいだけでなくご利益も入っているとのこと。下に引用させていただいたようにミックスタイプもあります。がっつり食べたい方は、稲荷寿司と麺類(きしめん・そば)のセットも候補にしてみてください。
基本情報
【住所】愛知県豊川市門前町1
【アクセス】JR豊川駅から徒歩7分
【参考URL】https://yamahiko.net/
若松園
洪作が母に連れて行ってもらった若松園は明治27年の創業。人気菓子店として現在も営業を続けています。「黄色いゼリー」は日向夏のさわやかな香りが特徴となっていて、夏のデザートとしてもぴったりです。
ほかにも昭和天皇ご即位のお祝いに献上した「ゆたかおこし(下に引用させていただきました)」も有名で、こちらは2020年の朝ドラ・エールでも登場し話題になっていました。豊橋駅ビルのカルミア豊橋店など支店も展開しているので、お近くのお店をご利用ください。
基本情報
【住所】愛知県豊橋市札木町87番地
【アクセス】JR豊橋駅から徒歩で10分程度
【参考URL】https://www.wakamatsuen.net/
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