2020年3月26日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その12最終回) 兜率天(とそつてん)へ 高野山 空海はインドの霊鷲山(釈迦が説法をした所)や中国の五台山などの例を挙げ日本にも仏教の道場が欲しいと朝廷に上奏します。その山の候補としては当時まだ人跡の絶えた場所だった現在の高野山でした。若 […]
2020年3月24日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その11) 最澄との出会いと決裂 乙訓(おとくに)寺へ 空海は嵯峨天皇からの命令を受けて京都にある乙訓寺の管理を任されることになります。書の友人でもある空海に近くにいてほしいとの理由が大きかったと司馬氏はいいます。また、桓武天皇の実 […]
2020年3月12日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その10) 不空に倣う 不空三蔵 不空三蔵は直接の師・恵果の師匠だった人です。北インドの身分の高い家に生まれ長安でインド僧から密教を学んだとされます。さらに「大師(空海)は不空のうまれかわりである」といる思想が弟子たちの間で伝承され […]
2020年3月9日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その9) 密教の論理化 最澄の「将来目録」 空海よりも1年も前に帰国した最澄は持ち帰った経典の目録を朝廷に提出します(将来目録)。渡唐の目的だった天台宗の経典の他、密教の経典も少しだけ交じっていました。実は日本への船待ちが発生した […]
2020年3月6日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その8) 密教の伝授 長安での生活 密教の伝法を受けるために入唐した空海。唐の第一人者は恵果(えか)和尚でした。すぐに門をたたくかと思いきや長安に入って5か月間連絡をとった形跡がありません。何をしていたのかということについては「わ […]
2020年2月28日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その7) 唐の旅 漂着する 日本を出発して1日目は順風。2日目から逆風になりしばらくすると他の船との連絡が取れなくなります。通常では10日程度で到着する大陸が一か月たっても見えず食糧も尽きてきます。皆が不安そうな顔を浮かべている時 […]
2020年2月20日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その6) 遣唐使船 日本は推古天皇の時代から隋へ2回、唐へ16回の公式使節を送りますが困難な航海でした。大きな原因の一つが造船技術の低さ。中国や朝鮮などと比べて100年以上も遅れていたともいわれます。たらいのように底が平たく箱が海 […]
2020年2月19日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その5) 最澄も渡唐を決意 最澄の思想 最澄が比叡山にこもった理由として当時の仏教への不信感がありました。「奈良仏教は宗教でなくて論なのではないか」というもの。インドを起源とする論理学や認識論について研究するのみで釈迦のように解脱 […]
2020年2月14日 / 最終更新日時 : 2023年4月12日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その4) 華厳経から密教へ 空海の師・勤操(ごんぞう) 空海が長年師事した勤操は大安寺の別当(長官)でした。学生時代から寺に出入りしていた空海は勤操に魅かれ、勤操も空海の才能を認めていました。空海は勤操のそばで世話をする「近事(ご […]
2020年2月12日 / 最終更新日時 : 2023年4月4日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その3) 四国での修行 大滝嶽にて 修行場所を近畿エリア以外に求めた空海は故郷のある四国を目指します。そのころ都では富山県の立山や山形県の羽黒山など霊山として有名な場所があり多くの修験者が修行に励んでいました。空海はそのような「北 […]