宮本輝著「流転の海」の風景(その4)

伸仁が病気に

六甲道駅前の医院

朝起きると妻の房江が息子・伸仁がおかしいと熊吾の部屋に飛び込んできます。伸仁は顔色が悪くぐったりとしています。驚いた熊吾はかかりつけの六甲道駅前の筒井医院に直行。営業時間前ですが無理やり開けてもらいます。下は昭和35年の六甲駅前の風景です。どこかに筒井医院は残っているでしょうか?物語の舞台は昭和23年の1月27日早朝。もっと車通りは少なく戦後の復興も半ばの風景をご想像いただけたらと思います。

発禁本

重篤な病気でないことが分かりほっとした熊吾。世間話をしているうちに筒井医師の本棚に「資本論」を発見します。「共産主義者が過酷な弾圧を受けた戦前や戦後も(中略)かくし持っていた(もの)」との表現もあり発禁書とされていたことがわかります。他にもマルクスやレーニンなどの名前がタイトルになった共産主義の書籍や風俗を乱すとみなされた書物(井原西鶴・好色一代男など)は検閲を通らなかったとのこと。戦中までは「治安維持法」などの厳しい取り締まりがあり思想や言論の自由が限定されていたことがわかります。そのような時代を熊吾たちは過ごしてきました。「資本論」に関連して筒井医師と議論が繰り広げられますが詳細は小説にてお楽しみください。

弱々しいがかわいい伸人の顔を見ながら熊吾は「お前が二十歳になるまでは絶対に死なん」と誓い、それが自分に与えられた使命だと自分に言い聞かせる場面が印象に残ります。

海老原太一との再会

羽振りの良い太一を久々に訪ねる熊吾。実は会社を去った井草の件で問いただしたいことがありました。舞台は有馬温泉に向かう旧街道。連れ出して太一に激しい口調で真偽をただす熊吾の姿があります。街道の横道の裸木の間からは「神戸の海が見えていた。アメリカのタンカーが一隻、港に入ってくるさまが、灰色の風景の中で、妙にはなやいで映った」との表現があります。太一への怒りを覚えながらも「新時代の到来」を感じて少し穏やかさを感じる場面です。下の写真は神戸港の絶景スポットとして有名な「展覧台」からの景色。ここに大きなタンカーをかぶせてみると当時の風景をイメージできるでしょうか?

春菊との再会

有馬温泉に到着

太一を懲らしめた後に熊吾は、偶然出会った若者の荷車に乗せてもらい有馬温泉に向かいます。現在では神戸の奥座敷ともいわれ多数のホテルや旅館が並ぶところ。当時は戦災からたち治りやっと2軒の温泉宿が営業を開始したところでした。下は昭和初期の有馬の温泉宿の貴重な写真です。冬の寒い日に宿泊先を探す熊吾の姿はこのような風景からイメージできるでしょうか?

取引き

久しぶりに温泉宿で羽根を伸ばそうとした熊吾は芸者を呼びます。入ってきた27歳の女性は「春菊」という名前。戦前の羽振りが良かった時期に東京・新橋の料亭で会ったことがあるということでした。春菊の魅力にひかれた熊吾は以後2年の間、愛人として囲う約束をします。下の写真は今も残る新橋料亭・新喜楽の一室です。熊吾は当時、自動車会社の社長の接待で上座に座っていたとの記述があります。芸者を侍らせて上機嫌にお酒を飲む熊吾の姿をイメージしてみてください。

仕事が順調に進み出し昔の派手な生活に戻りつつある熊吾。今後の運命はどうなるでしょうか?次回は少し話を転じて妻・房江に関する風景をご紹介します。

旅行の情報

展覧台

海老原太一を連れ出した場面で引用した神戸港を見渡せる展望台です。実際の場面は「裸木の密集した斜面」という名もない場所ですが熊吾の見た神戸港とアメリカ国籍の立派なタンカー船の雰囲気を思い浮かべられる場所の一つとしてご紹介します。夜になると有名な1000万ドルの夜景が見られるデートスポットになります。
[住所] 神戸市灘区六甲山町一ヶ谷1-32
[電話] 078-861-5288
[アクセス] 六甲ケーブル・六甲山上駅からすぐ
[参考サイト]https://www.rokkosan.com/tenrandai/

兵衛向陽閣(ひょうえこうようかく)

有馬温泉から温泉宿を一つご紹介します。こちらは創業700年という老舗の宿。「兵衛」という名前は有馬温泉を何度も訪れた豊臣秀吉からもらったという由緒のあるものです。下のような鉄分を含んだ「金泉」がこの宿のお風呂の特徴。食事も美味しいと評判です。戦後の時代はこんな立派なお風呂はなかったでしょうが、泉質は今と同様で熊吾の冷えた体を温めてくれたことでしょう。
[住所] 兵庫県神戸市北区有馬町1904
[電話] 078-904-0501
[アクセス] 有馬温泉駅から徒歩5分
[参考サイト]https://www.hyoe.co.jp/