村上春樹「風の歌を聴け」の風景(その2)
「小指のない女の子」との出会い
前回(風の歌を聴けの風景その1・参照)は主に登場人物や舞台についての紹介をしました。ジェイズ・バーで鼠と他愛もない話をして平凡な日々を過ごす「僕」でしたが、バーのトイレで倒れていた女性を介抱したところからストーリーが動き始めます。学生時代に同級生から借り、紛失してしまったレコードを買って返そうとお店に立ち寄りますが・・・・・・。
酔いつぶれた女性を介抱したが
ある朝目覚めるとそれは他人の家でした。「僕」の隣には「20歳よりいくつか若く、どちらかというと痩せて」いる女(小指のない女の子)が隣に裸で寝ています。前日ジェイズ・バーのトイレで、酔って倒れていた女性を車で送り介抱しましたが、そのまま寝てしまったことを思い出しました。
下は映画「風の歌を聴け」でジェイズ・バーのロケをした「ハーフタイム」周辺のストリートビューです。ここでは中央の扉から女を支えながらで出てくる「僕」の姿をイメージしてみましょう。
以下に(小指のない)女の子の家での僕との会話を抜粋します。
女の子「何故私を送り届けた後ですぐに消えてくれなかったの?」
僕「僕の友だちに急性アルコール中毒で死んだのがいるんだ。・・・・・・朝起きた時も帰ろうと思った。でもね、やめた。・・・・・・少なくとも何があったか君に説明しなくちゃいけないと思ったんだ。」
女の子「確かに私は飲みすぎたし、酔払ったわ。だから何か嫌なことがあったとしても、それは私の責任よ。・・・・・・でもね、意識を失なった女の子と寝るような奴は・・・・・・最低よ。」
僕「でも何にもしてないぜ」
女の子「信じられないわ。」
「僕」は彼女の仕事場まで送りますが、彼女は礼も言わず、千円札をバックミラーの後ろにねじ込んでいきました。
上に引用させていただいたのは、映画版「風の歌を聴け」のなかで「僕」の車から「小指のない女の子」役の真行寺君枝さんが降りるシーンです。こちらの写真から千円札をねじこむところを想像してみましょう。
再びジェイズ・バーの風景
「半熟卵ができるほどの」「ひどく暑い夜」、「僕」はジェイズ・バーの「重い扉をいつものように背中で押し開けてから、エア・コンのひんやりとした空気を吸いこんだ」とあります。店にいるのは「見慣れないフランスの水兵が三人、連れの女性二人、20歳ばかりのカップルが一組」だけで、鼠は見当たりませんでした。
僕は「ビールとコンビーフのサンドウィッチを注文してから、本を取り出し、ゆっくりと鼠を待つことにした」とのこと。ここでは下のように美味しそうなコンビーフサンドをビールで流し込んでいる「僕」をイメージしてみます。
出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/951093&title=%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81
周りがさわがしくなると「僕は本を読むのをあきらめ、ジェイに頼んでポータブル・テレビをカウンターに出してもらい、ビールを飲みながら野球中継を眺めることに」しました。「4回の表だけで二人の投手が2本のホームランを含めて6本のヒットを打たれ、外野手の一人はたまりかねて貧血を起こして倒れ、投手交代の間に6本のコマーシャルが入った」とあります。
流れていたのは「ビールと生命保険とビタミン剤と航空会社とポテト・チップと生理用ナプキンのコマーシャル」とのこと。三船敏郎さんが黙ってビールを飲んでいたかもしれません(男は黙ってサッポロビールのCM)し、下のホーロー看板のようにオロナミンCを片手に「おいしいですよ」という大村昆さんの姿があったかもしれません。
出典:赤猫法師, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oronaminc_kyojin.jpg
「僕」が飲んでいると「女にあぶれたらしいフランス人の水兵の一人」がやってきて、「何故ジュークボックスに『ジョニー・アリディー』のレコードが無いのか」と訊ねました。
「レコード」も「ジュークボックス」も現在のバーやカフェではあまりみかけない品々です。以下に引用させていただいたジュークボックスの写真から「僕」とフランス人水兵が会話をするシーンを想像してみましょう。
また、下には「ジョニー・アリディー」のレコードカバーの写真も引用させていただきました。フランスではナンバーワンのロックシンガーとして知られていましたが、僕が「人気がないからさ」というように、まだ日本での知名度は低かったと思われます。
「僕」は家に帰る途中、無意識に「ミッキー・マウス・クラブの歌」の口笛を吹きます。
「みんなの楽しい合言葉、
MIC・KEY・MOUSE(エムアイシー・ケーイーワイ・エムオーユーエスイー)」
そして、ジェイズ・バーのカウンターに座っていた年上の女性が「私も昔は学生だったわ。60年ごろね。良い時代よ」と言っていたのを思い出し、「確かに良い時代だったのかもしれない」とつぶやきます。
下にはディズニーランドの公式チャンネルからミッキーマウス・マーチのサウンドトラックを引用させていただきました。
テレフォンリクエスト
土曜日の夜、あるラジオ番組が始まります。
「やあ、みんな今晩は、元気かい?僕は最高に御機嫌に元気だよ。みんなにも半分わけてやりたいくらいだ。こちらはラジオN・E・B、おなじみ『ポップス・テレフォン・リクエスト』の時間だよ。これから9時までの素晴らしい土曜の夜の二時間、イカしたホット・チューンをガンガンかける」
最近はメールの普及などでめっきり減った「電リク」番組ですが、こちらの番組は「局の10台の電話は休む暇もなく鳴りっぱなし」という盛況ぶりです。下にはラジオ関西の1964年ごろの電話オペレーターの様子を引用させていただきました。
ちなみに、ラジオ関西公式サイトの過去の番組表には「ウイークエンド電話リクエスト」という番組があり、「ポップス・テレフォン・リクエスト」と同じく夜の7時からの放送でした。
最初のリクエストはブルック・ベントンの「雨のジョージア」という曲でした。「これをただ黙って聴いてくれ。本当に良い曲だ。暑さなんて忘れちまう・・・・・・」とDJはいいます。
下に引用させていただいたような渋い曲です。
テレフォンリクエストから電話が!
「7時15分に電話のベルが鳴った」とのこと。受話器をとってみると「電リク」番組のDJからでした。
DJ「やあ、こんばんは。こちらラジオN・E・Bのポップス・テレフォン・リクエスト。ラジオ聴いてくれたかい?」
僕「本を読んでました」
DJ「チッチッチ、駄目だよ、そりゃ。ラジオを聴かなきゃ駄目さ。本を読んだって孤独になるなるだけさ。・・・・・・本なんてものはスパゲッティーをゆでる間の時間つぶしにでも片手で読むもんさ。わかったかい?」
僕「ええ。」
(DJは曲の間にコーラを一気飲みしたためか、しゃっくりが停まりません)
DJ「実はね、君にリクエスト曲をプレゼントした女の子が・・・・・・ムッ・・・・・・いるわけなんだ。誰だかわかるかい」
僕「いいえ。」
DJ「リクエスト曲はビーチ・ボーイズの<カリフォルニア・ガールズ>、なつかしい曲だね。どうだい、これで見当はついた?」
僕「そういえば5年ばかり前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな。・・・・・・修学旅行の時に落としたコンタクト・レンズを捜してあげて、そのお礼にレコードを貸してくれたんだ。」
(レコードは失くしたが、買って返すとDJに約束し、彼女の名前を告げると)
DJ「ねえ、彼がレコードを買って返してくれるそうだ。よかったね。・・・・・・」
そして、「僕」が大学で生物学を専攻しているというと、DJは更に聞いてきました。
DJ「動物は好き?」
僕「ええ。」
僕「どんなところが?」
DJ「・・・・・・笑わないところかな。」
僕「ほう、動物は笑わない?」
僕「犬や馬は少しは笑います」
下には笑っているように見える犬の写真を引用しました。
出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/472707&title=%E6%9F%B4%E7%8A%AC%E3%81%AE%E7%AC%91%E9%A1%94
話は続き
DJ「ほほう、どんな時に?」
僕「楽しい時。」
DJ「じゃあ・・・・・・ムッ・・・・・・犬の漫才師なんてのがいてもいいわけだ。」
僕「あなたがそうかもしれない。」
上にはそのあとラジオから流れてきた「カリフォルニア・ガールズ」の動画を引用させていただきました。
「イースト・コーストの娘はイカしてる。
ファッションだってご機嫌さ。
南部の女の子の歩き方、しゃべり方
うん、ノックダウンだね
中西部のやさしい田舎娘、
ハートにグッときちゃうのさ
北部のかわいい女の子
君をうっとり暖めてくれる。
素敵な女の子がみんな、
カリフォルニア・ガールならね」
レコード店へ
「僕」は「カリフォルニア・ガールズ」の入ったビーチ・ボーイズのレコードを買うために「目についた小さなレコード店のドアを開けた」とのこと。レコード店では偶然にも「小指のない女の子」が働いていました。以下に会話を引用してみます。
女の子「何故ここで働いているってわかったの?」
僕「偶然さ。レコードを買いにきたんだ。」
女の子「どんな?」
僕「<カリフォルニア・ガールズ>の入ったビーチ・ボーイズのLP」
女の子「これでいいのね。」
以下にはカリフォルニア・ガールズが入った「サマーデイズ」というビーチ・ボーイズのレコードジャケットを引用させていただきました。
僕「それからベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。」
女の子「グレン・グールドとバックハウス、どっちがいいの?」
僕「グレン・グールド」
「彼女は1枚をカウンターに置き、1枚をもとに戻した」とあります。
彼女「他には?」
僕「<ギャル・イン・キャリコ>の入ったマイルス・デイビス。」
「今度は少し余分に時間がかかったが、彼女はやはりレコードを抱えて戻ってきた」とのことです。
下に引用させていただいたのは、僕が購入したと思われる「ザ・ミュージング・オブ・マイルス」の写真です。「風の歌を聴け」の文庫本とセットで撮影されています。
レコードを購入したあと、「僕」は彼女を食事に誘いますが「もう私に構わないで。」「前にも言ったと思うけど、あなたって最低よ」などときっぱり拒否されます。
本を読む鼠
前回(風の歌を聴けの風景その1・参照)、「何故本なんて読む?」などと読書に興味がなかった「鼠」ですが、「僕がジェイズ・バーに入った時、鼠はカウンターに肘をついて顔をしかめながら、電話帳ほどもあるヘンリー・ジェームズのおそろしく長い小説を読んでいた」とのことです。
「レコードの包みを取り出して鼠に渡した」のはレコード店で購入したベートーベンのレコードでした。下には鼠に渡したのと同じ「グレン・グールド、レナード・バーンスティン」の名前があるレコードジャケットの写真を引用させていただきました。
鼠「なんだい、これは?」
僕「誕生日のプレゼントさ。」
鼠「でも来月だぜ」
僕「来月にはもう居ないからね」
鼠「そうか、寂しいね、あんたが居なくなると。」
レコードを借りた同級生の行方は?
ビーチ・ボーイズのレコードを返却するために「三日間、僕は彼女の電話番号を捜しつづけた。」とあります。「高校の事務所に行って卒業生名簿を調べあげ、それをみつけ」ますが既に解約されていました。また、友人たちに電話をかけて訊ねますが、彼女についての情報は得られませんでした。更に彼女が進学した女子大にもあたってみますが・・・・・・
下には村上春樹氏が通ったころの面影を残す神戸高等学校の写真を引用しました。こちらの事務所で一生懸命、彼女の行方を調べる「僕」の姿を想像してみましょう。
出典:ossy2379, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobe_High_School.jpg
旅行などの情報
神戸高校
村上春樹氏の母校で「僕」がレコードを借りた女の子と連絡を取るために訪れた場所として登場してもらいました。特に玄関の周辺は昭和13年竣工時の雰囲気を残していて、「ロンドン塔」と呼ばれた西洋の城郭のような姿や、観音開きのレトロな窓などが見どころとなっています。
周辺には王子公園や王子動物園があり、展望スポット「摩耶山掬星台」への拠点・摩耶ケーブル駅なども近いので、あわせて巡るのもよいでしょう。
基本情報
【住所】神戸市灘区城の下通1丁目5番1号
【アクセス】阪急王子公園駅から徒歩約20分
【参考URL】http://www.hyogo-c.ed.jp/~kobe-hs/