井上靖「夏草冬濤」の風景(その3)

破天荒な上級生&堅実な同級生

図画の時間に写生に出かけた洪作は、藤井や木部といった上級生たちと再会し、彼らの行動や言動に同級生たちにはない魅力を感じました。また、彼らに比べて平凡と思っていた増田や小林が将来について夢を語る姿をみて、見直すところもあります。今回は大正時代の沼津の街を想像しながら、ストーリーを追っていきましょう。

藤尾たちと再会

眉田先生

鞄紛失事件も一段落ついたある日、洪作は図画の時間に外に出て写生をすることになります。図画担当の眉田さんは「小柄で、いつも眠たそうな顔をして」いますが「日本画の展覧会に出品して、ある程度名前も売れている画家」ということや「柔道初段」でもあることにより「この初老の教師を他の教師たちと区別しているところがあった」とあります。

下(左下)に眉田さんのモデルとなっている前田千寸(ゆきちか)氏の写真を引用させていただきました。ここでは眉田さんが黒瀬橋の上手で「どこか、この辺から、川の上流の方を描いてごらん。それが難しかったら、向う岸の方を描いてもいい」と洪作たちにアドバイスをするところを想像してみましょう。

黒瀬橋周辺の風景

黒瀬橋周辺の景色については「ゆるやかにカーブを描いている狩野川の流れ、白い磧(かわら)、その向こうの堤、堤に沿って走っている東海道の松並木。―――素晴らしい眺め」と表現されています。

下には明治・大正期の黒瀬橋(左)周辺の写真を引用させていただきました。上の文に加えて背景になっている富士山も綺麗です。黒瀬橋周辺は通学路にもなっている見慣れた場所でしたが「洪作の手には負えなかった。どこから描き出していいか見当がつかなかった」ともあります。

出典:沼津市公式サイト、沼津市歴史民俗資料館・資料館だよりVOL46No.1
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/

不敵な上級生

偶然、黒瀬橋の畔では藤尾たち上級性が授業をさぼって昼寝をしていましたが、眉田さんにばれてしまいます。その時の会話の一部を聴いてみましょう。
眉田さん「君たちはここで何してた?」
藤尾「寝ていました」
眉田さん「餅󠄀田君、君も眠ってたのか」
餅󠄀田「木部も藤尾も眠っちゃったので、僕もつい眠っちゃいました」
眉田さん「君たちのやったことは、僕は余り好きじゃないな。・・・・・・ずぼらとか、怠惰とかいったものに、君たちは惹かれているかもしれない。・・・・・・しかし、僕は余り好きじゃないな。・・・・・・どこか甘ったれているよ。どこかいい気になっている」

下に引用させていただいたのは中学校時代の洪作(=井上靖氏)と藤尾(=藤井寿雄氏)の写真です。ここでは、学校に戻る際、「君たちのやったことは、僕は余り好きじゃない」と眉田さんの口調をまねる藤尾の姿を想像してみましょう。

また、餅󠄀田は眉田さんと仲間の会話を最初から最後まで正確に再現するという記憶力を披露し、眉田さんに無様な姿を見せたことに自己嫌悪を感じた木部は、狂ったように「うわあっ!」と叫びます。強烈なキャラクターの三人ですが、洪作は増田や小林といった同級性にはない頭の良さや感受性に、洪作は魅力を感じていました。

千本浜で同級生たちと語る

御成橋

沼津中学校から海岸はすぐですが、1時間以上もかけて通学しているので通常は遊びにいけません。ある土曜日の午後、授業が休みになると、増田は洪作たちを千本浜に誘います。中学校のあった市民文化センター(沼津中学跡地)から千本浜へは、下のマップのように御成橋を通過し沼津の繁華街を通過していく約2kmの道のりです。

下には明治45年に竣工した初代御成橋写真を引用させていただきました。ここでは、こちらの橋のどこかに土曜日の授業が終って開放的に気分になっている、学生服の洪作たちを置いてみましょう。

出典:土木学会・戦前土木絵葉書ライブラリー
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/01_image_thum22.html

大正時代の沼津の街

御成橋を渡り、沼津駅から続いている繁華街に出ると「街角にある二階建ての大きな家で、階下が店になっていた」家を指さし「これが四年の藤尾の家なんだ」といいます。洪作は「あの傍若無人に遊び呆けている感じの少年が、ここに住んでいるのか」と興味深く眺めました。

藤尾の家は沼津でも有名な紐問屋「浪速屋」となっていますが、モデルは藤井氏(=藤尾)の実家で紙問屋の「大坂屋本店」だったとのことです。現在では大坂屋本店の建物はありませんが、近くで「文具のフヂイ」さんが現在も営業を続けられています。

観光スポットではありませんが、丁寧な接客で地元の方から長く愛されているお店とのこと。下には周辺のストリートビューを掲載しておきますので買い物をしてみてはいかがでしょうか。ちなみにストリートビューの手前側が沼津駅方面で、進行方向の魚町には「かみき」の家がありました。

なお、(少し沼津駅方面に移動して)振り返ると、下に引用した写真のような風景がありました。こちらは昭和初期の駅前通りで、奥に見えるのが沼津駅です。

出典:ee page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Numazu_in_Pre-war_Showa_era.jpg

藤尾の家を通り過ぎると本屋があり、「奥に深い店の内部を覗くと、中学の生徒たちが十人程、書棚の本を覗いたり、雑誌を立ち読みしたりしているのが見えた」とあります。下にはこちらの本屋のモデルとなったのは以下の引用によると「蘭契社」とのことです。

創業140年以上という老舗書店というのが、長泉町竹原にある蘭契社(現・BOOKSランケイ社)です。沼津市で創業し、井上靖が中学時代、友人たちと通った本屋です。『しろばんば』に続く自伝的小説『夏草冬濤』では、友人・藤尾君のそばの本屋として登場します。

出典:ながいずみ観光交流協会
ながいずみ観光交流協会ホームページ

以下にはその蘭契社の書籍部内部の写真を引用させていただきました。ここでは洪作が「沼津から通学していると、こういうしゃれたことができるのだ」とうらやましがるところを想像してみましょう。

出典:平山岩太郎 編『沼津の栞 : 附・三島近傍案内』,蘭契社,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/946182 (参照 2024-01-19、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/946182/1/32

大正5年発行の「沼津の栞」というガイドブックには沼津の娯楽場について下に引用したような記述があります。

一部を拾ってみると「別荘の一室に暑さ寒さを避くる都会の人等は、終日の欝(うつ)を散ずる為めに時折それぞれ嗜(たしな)みの道に走るを常とする。囲碁、将棋、謡、玉突、さては義太夫、大弓など、人様々な道楽も其道に入らなくては味わひの知れぬもの・・・・・・近来スケート、リングなどが、稍やハイカラめいた娯楽場も出来て、体育に風雅に将(は)た粋に、娯楽界は益す盛んである」とあるように、大弓からスケートまで新旧の娯楽施設が集まっていたようです。

洪作たちも「矢場の前の通った」とあるように「髪が少し白くなり出している男の人が、片肌を脱いで、弓をひいていた」という場面を目にしています。

出典:平山岩太郎 編『沼津の栞 : 附・三島近傍案内』,蘭契社,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/946182 (参照 2024-01-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/946182/1/47

友人たちの夢とは

千本浜について洪作たちは「石のごろごろしている地帯までいくと、そこに腰を降ろした」とあります。以下に増田や小林が夢を語るシーンを抜粋してみましょう。
小林「・・・・・・俺も学校を出たら、伯父さんのサンフランシスコの農園で働くんだ。伯父さんは俺に財産を譲ってくれることになってるんだ。洋館の家もくれる。そこにはコックが雇ってあって、朝から洋食を食うんだ」
増田「・・・・・・俺は弁護士になるんだ・・・・・・兄ちゃんも弁護士になるんだ。兄弟で弁護士になって、東京の神田で事務所を持つんだ・・・・・・無罪の罪の人のために味方になってやる。食うためにやむなく人のものを盗んだ哀れな罪人をかばってやる」

「洪作は小林も増田も、将来自分たちが何になろうということにはっきりした考えを持っていることに驚いた。」とあります。しろばんば(・・・の風景その6・参照)」で祖父・林太郎の椎茸伝習所を訪問したとき、将来の夢を語った従兄・唐平に感じたように、2人に尊敬の念を覚える洪作でした。

また、「何になったらいいか、全然見当がつかなかった」洪作は、対抗して「学者になる」といいますが、
増田「成績が下がって、小母さんが呼び出されたじゃないか。そんなでいて学者になんかなれるものか」
小林「俺、お前、坊主になればいいと思うな」
増田「小林が言うように、俺も前から洪作は坊さんがいいと思ってたんだ。・・・・・・心掛け次第で大僧正になれる」

下には千本浜からみた海の写真を引用させていただきました。ここでは「『何言ってやがるんだ!』冗談だとは知っていながら、洪作は腹を立てた・・・・・・野球のモーションで石を海に投げた」というシーンをイメージしてみましょう。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/23501455&title=%E5%8D%83%E6%9C%AC%E6%B5%9C%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%81%AE%E6%B5%9C%E8%BE%BA

旅行の情報

千本浜公園

洪作が増田や小林と海を見に行く場面で登場しました。公園からは志下海岸までの約6kmの散策路が整備され、ジョギングの方にも人気です。園内には井上靖氏や若山牧水氏の文学碑や記念碑が立ち、周辺には若山牧水記念館や芹沢文学館などが点在するので、ゆったりと散策してみてはいかがでしょうか。

春には花見の名所となり、夏は千本浜に海水浴場が開設されます。児童公園も隣接しているので子供連れでのお出かけにもおすすめです。

下に引用させていただいたように井上靖氏の文学碑には以下の詩が刻まれています。
「千個の海のかけらが千本の松の間に挟まっていた。少年の日、私はそれを、一つずつ食べて育った。」

基本情報

【住所】静岡県沼津市千本1910-1
【アクセス】JR沼津駅からバスを利用。千本浜公園で下車
【参考URL】https://www.city.numazu.shizuoka.jp/

沼津市民文化センター

井上靖氏が大正15年まで通った沼津中学校があった場所です。沼津中学校は昭和42(1967)年に沼津市岡宮に移転し、現在は沼津東高校と名称を変更しました。沼津市民文化センターの一階には沼津中学の卒業生である芹沢光治良氏と井上靖氏の碑文が設置されていて、見学ができます。

以下に井上靖氏の碑文の一部を抜粋しました。
「“ふるさと”という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、そして故園、郷関 ―― 故園は軽やかで、颯々と風が渡り、郷関は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、どちらもいい。・・・・・・」

センターの近隣にある香貫山は当時中学生の遊び場でした。時間があればこちらにハイキングをするのもよいでしょう。展望台からは狩野川や御成橋、千本浜公園といった小説の舞台が一望できるほか、天気がよければ下に引用させていただいたように富士山までの眺望が見事です。

出典:利用者:Batholith, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mount_Kanuki,_Panorama,_20110918_cut_up_version.jpg

基本情報

【住所】静岡県沼津市御幸町15番1号
【アクセス】JR沼津駅から徒歩約20分
【参考URL】https://www.city.numazu.shizuoka.jp/