井上靖著「北の海」の風景(その9最終回)
台北への旅立ち
沼津に戻る
沼津の町に戻ると都会から遊びに来た男女が「大きな麦藁帽子をかぶり、開襟シャッツに短いパンツをはいている」 光景を見ます。「金沢にくらべると沼津の町は軽快でしゃれていたが、北国の城下町の持つしっとりとした重厚さは感じられなかった」とあります。下に引用させていただいたのは明治後期から昭和初期にかけての沼津の写真です。ここにおしゃれな服装をした東京からの海水浴客たちと、それに違和感を感じる洪作の姿を置いてみます。
宇田教師宅にて
洪作は親代わりになっている宇田教師の家を訪ねます。金沢に出かけたきり音沙汰がない洪作に怒っている様子。縁側に浴衣姿で座っていましたがなかなか洪作の方を向いてくれません。さんざん絞られたあげく9月10日に神戸港から台北に向けて出発する旨の誓約書を書かされます。下に引用させていただいたのは明治村にある森鴎外・夏目漱石住宅の写真です。手前の縁側に宇田教師、奥の部屋には洪作とその付き添いの遠山がいて2人で洪作のことを責めている光景をイメージしてみます。
教頭の釜淵
旅立ちの数日前、街を歩いていると教頭の釜淵から声をかけられます。影では生徒から「レイケツ(冷血)」と恐れられていた教師でした。コーヒーを飲もうと誘われた洪作は当時できたばかりの洋菓子店に連れていきます。受験勉強もそっちのけで四高の柔道練習に参加してきたことも知っていて「なかなか人の企て及ばぬところだ。立派だよ。人生の長さを倍に考えているとしか思えぬ」などといいつつ笑顔も見せます。下に引用させていただいたのは静岡市にある昭和20年代に創業した喫茶店の写真です。小説では洋菓子店の「一隅が喫茶部になっていて、二組三組、卓と椅子が配されてあった」とされる場所に見立ててみます。釜淵の学生時代のイメージとは全く違う一面に驚き「いざ沼津を去ろうとすると、どうしてこのように誰もがいい人間に見えてくるのだろう」と思う洪作の姿をここに置いてみます。
神戸港へ
台北行きの日取りが正式に決まった洪作は、この小説の最初のシーンで登場したトンカツ屋「清風荘」にて遠山や藤尾、金枝、木部たちに送別会を開いてもらいます。その数日後、洪作は沼津駅から汽車で神戸に向けて出発。友人以外にも宇田夫妻のほか淡い恋心を抱く「清風荘」のアルバイトの娘も見送りにやってきます。この辺りは小説の見せ場となりますので詳細は本文にてお楽しみください。ここでは昭和5年の沼津駅の写真を引用させていただきました。汽車が動き出すと「別れかや 今宵、千里の 別れかや」という金枝の歌の一節が浮かんできたという情景をイメージしてみます。
出航の風景
神戸港についた洪作はボーイに一等船室に案内されます。当時は台湾までの公共交通では船便が最も早い手段。それでも三泊四日とのんびりした船旅でした。下に引用させていただいたのは昭和初期の大型フェリーの写真です。洪作が出航した時もこのように見送りの人がたくさん来ていたと思われます。ここでは、甲板のどこかに港を眺める洪作を置いてみます。友人たちと別れた寂しさと次の年の受験への焦燥感とが半々ぐらいの気分だったでしょうか。
出航
船は別府港を経由して外洋にでます。台北への引っ越し準備などでしばらく勉強をしていなかった洪作は久しぶりに英語の本を開きます。台風で海が荒れるなか、夜半までの勉強に疲れた洪作はすぐに眠りにつきます。下に引用させていただいたのは昭和時代の一等客室とのこと。洪作は波濤が甲板にぶつかる音で一度目覚めます。「ああ北海に海荒れて、狂瀾岩にとどろけば」という「日本海の砂丘の上で杉戸が歌った寮歌が、そのとき洪作の心をよぎったが、それはその瞬間のことで、すぐまた洪作は深い眠りの中に入って行った」という洪作の姿をこの船室内にイメージしてみます。
旅行の情報
井上靖氏関連の資料などを見られるところとして沼津や金沢などのスポットをご紹介してきました。ここではまだご紹介していないスポットの中から井上氏の生まれ故郷である旭川市と家族を疎開させた米子市の施設をご紹介します。
井上靖記念館(旭川)
井上氏の生誕の地・旭川に1993年にオープンした記念館です。展示室内には「しろばんば」、「夏草冬濤」、「北の海」のモデルともなっている幼少時代から青春時代までの生い立ちや新聞記者・作家としての生活などをわかりやすく展示しています。また、東京都にあった井上氏邸の書斎などを移転・公開しているのもこちらの特徴。ノーベル賞にもノミネートされた作家・井上氏の姿をイメージできるかもしれません。
【住所】北海道旭川市春光5条7丁目5-41
【電話】0166-51-1188
【アクセス】旭川駅からバスで約20分
【参考サイト】 http://inoue.abs-tomonokai.jp/
アジア博物館・井上靖記念館
こちらは井上氏が大戦中に家族を疎開させた米子市にあります。下に引用させていただいた写真のように井上氏の書斎を復元したコーナーもあり小説の世界に浸りながら静かに過ごせます。「敦煌」や「孔子」などの執筆を通しての中国との親善交流の足跡についても知ることができます。隣接してペルシャ錦館やモンゴル博物館もあり長時間観光を楽しめます。
【住所】鳥取県米子市大篠津57
【電話】0859-25-1251
【アクセス】境港駅から車で約15分
【参考サイト】http://www.yonago-navi.jp/yonago/yumigahama/sightseeing/asia-inoue-museum/