宮本輝「地の星」の風景(その6最終回)

故郷を後に!

故郷に留まろうとする熊吾に対し、房江は親しい人が次々と不幸になるゲンの悪さを憂慮していました。そんな時、繁盛していたダンスホールが伊佐男のいやがらせにより休業に追い込まれます。さらに伊佐男が熊吾の前に猟銃を持って現れ・・・・・・。自分が故郷に戻ったことがトラブルの原因と考えた熊吾は、大阪に戻る決心を固めました。

茂十などのこと

熊吾たちは信仁の5歳の誕生日を祝うため御荘町の写真館に行った後、
「熊吾は御荘の海でも眺めに行こうと房江を誘い、伸仁の手を引いて、農家の点在する曲がりくねった道へと歩を運んだ」
とあります。

上には愛南町の松軒山公園からの御荘湾の写真を引用させていただきました。こちらの風景を眺めながら交わされた熊吾と房江の会話を抜粋してみます。

熊吾「わしは、このまま南宇和の城辺で暮らそうと思うんじゃが」
房江「ここは、私らにとっては、あまりゲンのええところとは違うような気がして・・・・・・私らにゆかりの深い人が、ぎょうさん死んでいきはったような気がしてしょうがないねん」

房江は増田伊佐男のダンスホールへのいやがらせについても触れます。
「おとといもきのうも、人相風態の悪い男が三、四人、ダンスホールに客として訪れ、若い客たちにからむわけでもなく、ダンスをするわけでもなく、ただ入口近くの壁に凭れて、薄気味悪く立ちつづけている」
とのこと
房江「きのうも三十人以上のお客さんが来てくれはったんやけど、そのうちの半分は、三十分もせんうちに帰っていきはった。・・・・・・」

ダンスホールを休業することに

熊吾がダンスホールに行ってみると、房江の言ったとおり、伊佐男の手下がいやがらせに来ていました。

熊吾「お前らがおると、まともな客が不愉快になって楽しめん。入場料は返すけん、帰ってくれんか」
伊佐男の手下「わしらは何もしちょらせん。ダンスっちゅうもんがどんなもんかを、こうやっておとなしいに見ちょるだけよ」
熊吾「とにかく、このダンスホールから出ていってくれんか。こっちにも客を選ぶ権利はあるんじゃ」
そして、タネに入場料を返すようにいいます。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Toho_actresses_1951.jpg

上には昭和26年ころの東宝スターの写真を引用しました。例えば熊吾のダンスホールの客のなかでも垢ぬけていた「大坂の音楽大学出身の女教師」もこちらのようなファッションに身を包んでいたかもしれません。

伊佐男の手下たちはダンスホールを追い出されたあとも近くの道でたむろし、入ってくる客に睨みをきかせる嫌がらせ行為を続けます。しかし彼らは法律を犯しているわけではないため、警察に訴えることもできず、ダンスホールの営業を休止せざるを得なくなりました。

伊佐男との決着

和田茂十の葬式を終えたあと、熊吾は「低い山に丸く囲まれた広大な田園に立ってみたく」なり、生まれ故郷の一本松村に立ち寄ります。下には熊吾が「巨大な土俵」と呼ぶ一本松エリアのストリートビューを引用しました。

熊吾が父・亀造の墓参りに行くと、小学校の同級生で警官をしている宮崎猪吉の母・タツに会います。

タツ「松坂の熊やあらせんのか・・・・・・亀やんのお墓まいりに来なはったかなァし」
熊吾「一年に一遍くらいは、墓の周りの草でも抜こうと思うてのお」
タツ「わうどうの伊佐男に迷惑させられちょるそうやのお」
熊吾「わしと相撲をとって足を怪我したのが因で、いまみたいな体になったそうでなァし。何十年も前のことで、わしにははっきりとした記憶はないんじゃが、それを恨んじょるそうじゃ。あの足を見ると、わしも申し訳なさが先に立って、なんやケンカする気力がのうなりましてなァし」
タツ「おととい、伊佐男が墓まいりに来ちょったんで、お前も人の子かっちゅうてやった」

またタツによると、その昔、伊佐男の母が生活を苦にして我が子を手にかけようとしたとき、熊吾の父・亀造が
「この子が、将来、どんなすばらしい人間になって、自分をどんな幸福な母親にしてくれるじゃろうと考えて、草の根を食うてでも頑張らにゃいけん」
と励ましたとのこと。

自分の親が伊佐男の命を救ったという因縁を知り、
「伊佐男が俺を恨むなら恨め。しかし、俺は伊佐男を恨まん」
と言い聞かせます。

出典:写真AC、里山のレンゲ畑
https://www.photo-ac.com/main/detail/2096288&title=%E9%87%8C%E5%B1%B1%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B2%E7%95%91

お墓の石段を下ると、田んぼにはレンゲソウが咲き乱れています。化学肥料が普及する以前は田んぼの土に栄養を与えるため、レンゲソウが盛んに栽培されていました。上の写真のような里山のレンゲソウのなかに熊吾は
「大の字になって寝転んだ」
とあります。

そこで「遠くの牛の声やひばりのさえずりに耳を澄まし、近くの蜜蜂の羽音」に聞き入っていると
「足音が、ときに速くなったり、ときには注意深く立ち停まったりしながら、熊吾のいる場所に近づいてきた」
とのこと。
足音の主は猟銃を持った伊佐男でした。

熊吾「お前は神出鬼没じゃのお。お袋さんの墓の近くで人殺しをしようっちゅうのか。とうとう、わしを殺しに来たか・・・・・・どうした?子分もおらんし、仕込み杖も持っちょらん」
伊佐男「松坂熊吾にちょっかいを出しちょるあいだに、神戸の殺し屋みたいな組の連中が、わしの舎弟を五人も切り刻んで、海に沈めっしもうた。・・・・・・」

もう逃げられないと観念した伊佐男は、熊吾に以下のように語りかけます。
伊佐男「わしの頼みを聞いてくれたら、わしは、子供のころ、松坂熊吾がわしの足をこわしたことを帳消しにするがのお」
熊吾「どんな頼みじゃ」
伊佐男「わしの骨を、お袋の墓に入れてやんなはれ」

出典:国立印刷局公式サイト、お札の基本情報~過去に発行されたお札~、A百円券
https://www.npb.go.jp/product_service/intro/kako.html


そう言って伊佐男は四千八百円(令和の貨幣価値で20~30万円)の所持金を熊吾に渡そうとします。上には昭和21年に発行(~昭和31年)された百円札の見本を引用させていただきました。

持ち金のすべてを熊吾に託した伊佐男は再び母の墓地の方へ戻って行きました。その後、彼はある行為に及びます。

大阪に戻る決心

伊佐男の事件のあと、熊吾は「地の星」の最初にも登場した(地の星の風景その1・参照)長八じいさんの家に立ち寄りました。熊吾のことを心配した房江や伸仁、音吉も城辺から一本松にやってきて、一緒に食事をすることになります。

房江と長八の義理の娘・リキは「鰯の団子汁」や「筍の煮物」を作り、運んできます。下には美味しそうな鰯の団子汁(つみれ汁)の写真を引用しました。ここでは、長八秘蔵のドブロクとともにこちらをほおばる熊吾たちの姿を想像してみましょう。

出典:写真AC、鰯のつみれ汁
https://www.photo-ac.com/main/detail/28677751&title=%E9%B0%AF%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%BF%E3%82%8C%E6%B1%81

夜も更けてきたころ茶碗に残っていたドブロクを飲み干し、熊吾は自分を奮い立たせるようにこう言いました。
「わしは、大阪へ戻ることを迷いなく決めたぞ。房江、わしは大阪へ戻って、一から出直す」

僧都川にて

病弱だった房江ですが、南宇和での生活のおかげで元気になり、僧都川の鮎を素手で捕えるという噂もありました。その姿を一度見てみたかった熊吾は、ある日、房江とともに僧都川に行きます。

四月の初めのため鮎はいませんでしたが、鮒が何尾か泳いでいます。
熊吾「鮎を手づかみにできるんじゃけん、鮒ぐらいは簡単じゃろう・・・・・・いっぺん、わしの目の前で、魚を手づかみにして見せてくれんかのお」

下には今も鮎が生息する僧都川のストリートビューを引用しました。こちらの岸に熊吾と房江の姿を置いてみましょう。

「房江は左手でスカートの裾をつかみ、右手を川の水にひたして、一尾の鮒に目星をつけると静止した。・・・・・・房江の静止は驚くほど忍耐強かった。房江は自分からは動かず、水中でひろげた掌に鮒が近づくとのを待ち続けた」とのこと。
熊吾が房江のふくらはぎに蛭が付いていることを指摘した瞬間、
「房江の右手が水中で一閃・・・・・・水しぶきが熊吾の顔を濡らした。房江は一尾の鮒をつかんで、その手を高々とあげ、熊吾に微笑んだ」
とあります。

熊吾「お前がこんなにすばしっこい女やとは知らんかった。恐れ入った・・・・・・」

菜の花畑でピクニック

僧都川からの帰りに熊吾はこう言います。
「菜の花を見に行かんか・・・・・・深浦隧道の手前に見事な菜の花畑がある・・・・・・あんあにぎょうさんのきれいな菜の花は、大阪へ帰ったら二度とみられん」

菜の畑の奥には枯れてしまった桜の老木がありそこには
「二本の杙が突きたてられ、一頭の巨大な突き合い牛がつながれて草を食んでいた」
とのこと。

房江が立ちつくしていると、茣蓙(ござ)を持ってきてくれた和田茂十の息子・完二がこう言いました。
「吉田の牛やのお。もう歳を取って、去年、引退した突き合い牛ですけん、怖いこともなんもありませんでなァし」

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/29409843&title=%E5%B1%B1%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E3%81%A8%E8%8F%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1

上にはきれいな菜の花畑の写真を引用しました。こちらの桜の木を吉田牛がつながれた老木に見立て、以下のシーンを想像してみましょう。

熊吾は
「菜の花が、黄色い海みたいに見えるぞ。お天道さまもええ具合じゃ。早ようこっちへ来んか」
といい
「牛は、穏やかな目で熊吾を見つめたり、尻や腰のあたりで飛び交う蜜蜂を尻っ尾で追い払ったりしていた」

こちらの、のどかな風景をラストシーンとさせていただきます。

旅行などの情報

松軒山公園

御荘湾を望む場面で風景を引用させていただいた公園です。松軒山という小高い山にあり、名物のスロープカーからは御荘湾はもちろん、晴れた日にははるか九州までを望めます。ジャンボスライダーや遊具もあるのでお子様も一緒に楽しめるでしょう。

また、8500本もの梅林が植林されているので2~3月の来演もおすすめです。開花情報は上に引用させていただいた愛南町商工観光課のSNSなどでご確認ください。

基本情報

【住所】愛媛県南宇和郡愛南町御荘長洲304
【アクセス】宇和島駅からバスで約50分
【参考URL】いよ観ネット

一本松温泉あけぼの荘

40番札所の観自在寺からも近く、四国88か所のお遍路さんの宿としても人気の温泉旅館です。熊吾の生家や父のお墓があった一本松エリアにあり、日枝神社や法眼寺などの「地の星」ゆかりのスポットも徒歩圏内にあります。

上に引用させていただいたような開放的な浴槽で自慢の硫黄泉に浸ってみてはいかがでしょうか。日帰り入浴も実施しているので休憩場所としてもおすすめ。地元の方の利用も多いアットホームなスポットになっています。

基本情報

【住所】愛媛県南宇和郡愛南町増田5470番地
【アクセス】くろしお鉄道・宿毛駅から車で10分
【参考URL】https://www.town.ainan.ehime.jp/kanko/sightseeing/shukuhaku/akebonoso.html