村上春樹「1973年のピンボール」の風景(その1)
双子の登場
村上春樹氏のデビュー作「風の歌を聴け(・・・の風景その1・参照)」に続く長編で、相棒の「鼠」が登場する三部作の二作目です。「風の歌を聴け」では主人公の「僕」は学生でしたが、こちらでは翻訳事務所の共同経営者になっています。今回は亡くなった恋人の故郷を訪ね、「双子」と出会うまでの導入部分の風景を追って行きましょう。
土星人の話
1969年ごろ、「僕」は「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。」とあります。最初は土星人による故郷の話です。
土星人「あそこは、・・・・ひどく寒い・・・・・・考えるだけで、き、気がおかしくなる」
下には探査機カッシーニから撮影された土星の写真を引用しました。彼の言うとおり、太陽から地球より遠く離れた土星の気温は-185℃前後です(ウィキペディア・土星)。
出典:NASA / JPL / Space Science Institute, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saturn_PIA06077.jpg
また、土星は引力が強いため上の写真のような輪を保つとされています。引力の強さについて土星人は以下のように嘆きました。
「口から吐き出したチューインガムのかすをぶっつけて足の甲を砕いた奴までいる。じ、地獄さ」
学生運動に参加していた彼(土星人)らが占拠した大学の棟内には音楽室があり、
「日が暮れるとみんなで集まってレコードを聴いた」、
そして警察の機動隊が突入した際には
「ヴィヴァルディの『調和の幻想』がフル・ボリュームで流れていたということだが、真偽のほどはわからない。六十九年をめぐる心暖まる伝説のひとつだ。」
とあります。
「調和の幻想」は下に引用させていただいたような穏やかな曲で、激しい衝突の風景を想像することはできません。
金星人の話
「僕」は金星人からも話を聞きます。「金星は雲に被われた暑い星だ。暑さと湿気のために大半の住民は若死にする。三十年も生きれば伝説になるほどだ」とのことです。下に引用したように気温や気圧が高く、人類が住むには適さない場所です。
気圧は非常に高く、地表で約92気圧(atm)ある(地球での水深920メートルに相当)。地表での気温は約730K(約460℃)に達する
出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%98%9F#:~:text=%E9%87%91%E6%98%9F%EF%BC%88%E3%81%8D%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%80%81%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E%3A,%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E6%83%91%E6%98%9F%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%9E%8B%E6%83%91%E6%98%9F%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8A,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
ただ、悪いことばかりではありません。「その分だけ彼らの心は愛に富んでいる。全ての金星人は全ての金星人を愛している。彼らは他人を憎まないし、うらやまないし、軽蔑しない。悪口も言わない。殺人も争いもない。あるのは愛情と思いやりだけだ」とのこと。
「たとえ今日誰が死んだとしても僕たちは悲しまない。・・・・・・僕たちはその分だけ生きているうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね」ともいいます。
下に引用させていただいたのは金星探査機「あかつき」から近赤外線カメラで撮影した金星表面の写真です。硫酸の暑い雲を通して、熱の低い部分(アフロディーテ高地)が黒っぽく写っています。
出典:ISAS/JAXA公式サイト,IR1 (1.01μm)で撮影した金星夜面画像(2016.01.21)
https://www.isas.jaxa.jp/gallery/feature/akatsuki/09.html
僕「本当にそう上手くいくのかい?」
金星人「そうでもしなければ・・・・・・金星は悲しみで埋まってしまう」
故郷を思い、そうつぶやく金星人の姿をイメージしてみます。
直子について
土星人と金星人の話の間には、「僕」の学生時代(1969年)の恋人で、今(1973年)は故人となっている直子の故郷を訪ねるエピソードが挿入されています。故郷についての記述を抜粋してみます。
「十二歳の年に直子はこの土地にやってきた。・・・・・・大抵の農家の庭先には何本かの柿の木が植えられ、庭の隅にはもたれかかった途端にあっさり崩れ落ちてしまいそうな雨ざらしの納屋があり、線路に面した納屋の壁にはちりがみか石鹸の、けばけばしいブリキの広告版が打ちつけられていた」とのこと。
ホーロー看板が貼られた家の写真(下)を引用して、こちらの風景をイメージしてみましょう。
出典:Denis Bocquet, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kawasaki_2013_(11110407394).jpg
また、「直子の一家が引越してきた当時、この土地にはそういった類の酔狂な文化人が集った漠然とした形のコロニーが形成されていた。」とのこと。下に引用した旧藤野町(現・相模原市緑区)のような街だったかもしれません。
戦前以前は炭焼きや養蚕を生業とした里山。
出典:藤野観光協会公式サイト、藤野について
戦中戦後、戦火を逃れた疎開者が多く集まりその中には、藤田嗣治や猪熊弦一郎などの芸術家たちもいました。彼らは相模湖周辺を芸術村にみたてて「大芸術都市構想」を語り合ったそうです。
https://info-fujino.com/date/
旧藤野町にも直子の故郷と同じく住宅化の波がやってきて首都圏へのベッドタウンになります。その後、1980年代の「ふるさと芸術村構想」などにより多数の芸術家たちが移住し、アートの街として知られるようになりました。下に引用させていただいたのは「藤野芸術の家」というアート施設の一つです。
直子の故郷を訪ねる
少し話が脱線しました。以下では、大学で直子が故郷の駅周辺について「僕」に語る言葉を聴いてみましょう。
直子「まっすぐな線路があって、駅があるの。・・・・・・プラットフォームの端から端まで犬がいつも散歩しているのよ。そんな駅。わかるでしょ?」
「僕は肯いた」
直子「駅を出ると小さなロータリーがあって、バスの停留所があるの。そして店が何軒か。・・・・・・そこをまっすぐに行くと公園にぶつかるわ。公園にはすべり台がひとつとブランコが三台」
僕「砂場は?」
直子「砂場?・・・・・・あるわ・・・・・・おそろしく退屈な街よ。」
「僕」は彼女の言っていた往復する犬の姿を見ようと駅を訪れますが、「一時間ばかり待ったが犬は現れなかった。」とあります。それでも、しばらくする駅前にある池の畔に「釣人が連れて来たらしい白い大きな犬」がいるのを見つけ、ホームに呼び寄せました。
下に引用したのはJR中央本線・長坂駅ホームの写真です。ここでは白い犬がホームの柵をくぐり抜けてホームに上がる様子や、「僕」が投げたガムを追ってホームを勢いよく走る姿を想像してみましょう。
出典:Mister0124, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JR_Chuo-Main-Line_Nagasaka_Station_Platform.jpg
直子がいった「プラットフォームの端から端まで犬がいつも散歩している」光景を見て「僕は満足して家に帰った」とのこと。
そして帰りの電車では以下のように自分に言いきかせます。
「全ては終わっちまったんだ、もう忘れろ」
「そのためにここまで来たんじゃないか」
「でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。」とあります。
ピンボールについて
「1973年のピンボール」について、著者の村上春樹氏は作品のなかで以下のように述べています。
「『僕』の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、『僕』たちは七百キロも離れた町に住んでいた。一九七三年九月、この小説はそこから始まる」
また、「これはピンボールについての小説である」とも。
「レイモンド・モロニーなる人物の名に心当たりのある方はまずいるまい。・・・・・・物好きな読者のために書かれた物好きな専門書の第一ページめにその名を留めるのみである。一九三四年、ピンボールの第一号機はレイモンド。モロニー氏により発明された、と。」
ただし、初期のピンボールは下に引用した写真のようにフリッパーなどの仕掛けがないシンプルな構造で「そこには我々の想像力を刺激する要素など何ひとつ無い」ともあります。
出典:Huhu at German Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Flipper1948.jpg
また、ピンボールは進化し
「光がフィールドを照らし出し、電気がマグネットの力でボールをはじき、フリッパーの二本の腕がそれを投げ返した」
ともあります。
下にはフリッパーなどが付いたクラシックなピンボール・マシーンの写真を引用しました。
出典:najunjan, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bally_Circus_Pinball_Machine.jpg
上でいう「物好きな専門書」とはピンボール研究書「ボーナス・ライト」のこと。序文には以下のようなことが書いてありました。
ピンボールの効能については
「あなたがピンボール・マシーンから得るものは殆ど何もない。数値に置き換えられたプライドだけだ。失うものは実にいっぱいある。歴代大統領の銅像が全部建てられるくらいの銅貨と・・・・・・取り返すことのできぬ貴重な時間だ。」
また、ピンボールの目的については
「自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大ではなく、縮小にある・・・・・・もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう」
とのこと。
「良きゲームを祈る(バヴ・ア・ナイス・ゲーム)」と結んでいます。
双子が家に・・・
よく晴れた日曜日、「目を覚ました時、両脇に双子の女の子がいた」とあります。「窓の外のゴルフ場の金網には見知らぬ鳥が腰を下ろし、機銃掃射のように鳴きまくっていた」とのことです。
下に引用させていただいたのは、あるゴルフ場の金網越しの写真です。この景色の手前には「僕」の家があり、そこでは双子がコーヒーをたて、トーストを焼いているシーンをイメージしてみます。
僕「名前は?」
双子(右側)「名乗るほどの名前じゃないわ」
双子(左側)「実際、たいした名前じゃないの」
僕「わかるよ」
双子「名前がないと困る?」
僕「どうかな?」
双子「もしどうしても名前が欲しいなら、適当につけてくれればいいわ」
僕「例えば?」
双子(交互に)「右と左」「縦と横」「上と下」「表と裏」「東と西」
僕「入口と出口」
「双子を見わける方法はたったひとつしかなかった。彼女たちが着ているトレーナー・シャツである。すっかり色のさめたネイビー・ブルーのシャツで胸には白抜きの数字がプリントされていた。ひとつは『208』、もうひとつは『209』である。」とのこと。
双子によると「スーパー・マーケットの開店記念なの。先着何人かに無料で配ったのよ」、「私が209人目のお客で」と一人がいうと「私が208人目のお客」ともう一人が言いました。
僕が「君を208と呼ぶ。君は209。それで区別できる」といいますが、双子は「無駄よ」といいながらシャツを交換、「僕はため息をついた」とあります。
旅行の情報
ザ・シルバーボールプラネット
ピンボールをテーマにした物語ということで、ここではピンボールを楽しめるお店を一軒ご紹介します。「ザ・シルバーボールプラネット」は大阪アメリカ村「心斎橋BIGSTEP」の3Fにあるピンボールを中心にしたゲームセンターです。
1970年代からのピンボールを100台以上装備し、下に引用させていただいた写真のように女性やファミリーでも利用しやすい明るい雰囲気になっています。Tシャツやピンバッジなどのオリジナルグッズも販売しているので、こちらもお見逃しなく。
基本情報
【住所】大阪府大阪市中央区西心斎橋1-6-14
【アクセス】地下鉄御堂筋線・心斎橋駅から徒歩約2分
【参考URL】http://www.silverballplanet.jp/
藤野芸術の家・ふじのアートヴィレッジ
「藤野芸術の家」は直子の故郷をイメージする場面で引用させていただいた施設です。
オカリナの絵付けや木箱製作といった木工体験や、手びねりなどの陶芸体験を実施していて、子どもから大人まで楽しめます。ホテルやレストラン、キャンプ場も併設されているので終日ゆったりと過ごすことができるでしょう。
また、徒歩圏内の「ふじのアートヴィレッジ」は地元で活動するアーティストの工房やギャラリーが集まっていて、実際に制作しているところを見学したり、作品を購入したりできます。
ほかにも、山腹にある「緑のラブレター」という巨大アート(下写真)も見どころの一つ。屋外に約30点のアート作品が点在する「芸術の道」を散策するのもおすすめです。
出典:kcomiida, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E8%97%A4%E9%87%8E%E9%A7%85%E5%89%8D(2007-6-30)_-_panoramio.jpg
基本情報
【住所】神奈川県相模原市緑区牧野(藤野芸術の家)
【アクセス】JR藤野駅からバスに乗りかえ約5分の「藤野芸術の家」で下車
【参考URL】https://fujino-art.jp/