村上春樹「1973年のピンボール」の風景(その3)

鼠の物語

「1973年のピンボール」のなかで「僕」と「鼠」の物語は並行で語られる形式になっています。「鼠」の物語は、前作「風の歌を聴け(・・・の風景その4・参照)」の主要な舞台となった「ジェイズ・バー」から始まります。今回は「鼠」の住む芦屋の風景などを引用しながら、新しい彼女とのエピソードやバーテンのジェイとの会話などを追っていきましょう。

秋のジェイズ・バー

「一九七三年の秋には、何かしら底意地の悪いものが秘められているようでもあった。まるで靴の中の小石のように鼠にははっきりとそれを感じ取ることができた。」。
「1973年のピンボール」のなかの「鼠」の物語の冒頭部分です。

「鼠」は「古いTシャツ、カット・オフ・ジーンズ、ビーチサンダル」といった服装でジェイズ・バーに通います。

こちらの小説の舞台である1973年はテレビドラマ「太陽にほえろ」に松田優作さん演ずるジーパン刑事が登場した時代です。若者の間ではジーンズが流行しました。ちなみに、日本でジーンズをはじめて履いたのは実業家の白洲次郎氏とされていて、下に引用させていただいたようなカッコイイ写真が有名です(1950年ごろ)。

出典:旧白洲邸・武相荘公式サイト
https://buaiso.com/about_buaiso/jiro.html

「鼠」にとって「秋はいつも嫌な季節だった。夏のあいだに休暇で街に帰っていた数少ない彼の友人たちは、九月の到来を待たずに短い別れの言葉を残し、遠く離れた彼ら自身の場所に戻っていった。」とのこと。

一方、バーテンダーのジェイにとっても「秋は決して喜ばしい季節ではなかった」とあります。なぜなら「店の客は目に見えて減っていたからだ。・・・・・・店を閉める時間になっても、フライド・ポテト用にむいた芋がバケツ半杯分残っているという有様だった」からです。

このように「大学を放り出されたこの金持ちの青年と孤独な中国人のバーテンは、まるで年老いた夫婦のように肩を寄せ合って過ごした」とあります。

以下に「鼠」とジェイの会話を抜粋してみます。
鼠「今に忙しくなるさ・・・・・・それで今度は忙しすぎるってまた文句を言い出すんだ」
ジェイ「どうかね」
「ジョイはカウンターの中に持ちこんだスツールにどっかりと腰を下ろし、アイスピックの先でトースターに着いたバターの脂を落としながら疑わし気にそう言った。」とあります。

上には1963年に販売を開始した日本初のオーブントースター(タニタ製)の写真を引用させていただきました。

鼠の日常

鼠は大学を辞めた後、定職につかず父のマンションで生活しています。
鼠の父は事業に成功した大金持ちでマンションも豪華、
「実にゆったりと設計された2DKで、エア・コンと電話、17インチのカラー・テレビ、シャワー付きのバス、トライアンフの収まった地下の駐車場、おまけに日光浴には理想的な洒落たベランダまでが付いていた」とあります。

1973年は大阪万博が開催され、カラーテレビの普及が進んだ時期でした。下にはパナソニックカラーテレビの初号機(17インチ)の写真を引用させていただきます。

そして「穏やかな午後の時間を、鼠は籐椅子の上で」送ります。下に引用させていただいたのは座り心地がよさそうな籐椅子の写真です。ここでは「時折、いくつかの感情の波が思い出したように彼の心に打ち寄せた」とあるように、何か満たされない鼠の日常を想像してみましょう。

女性との出会い

そんな鼠の前にある女性が現れます。「僕」のところに双子がやってきたのとほぼ同時期で、
「鼠が初めて彼女に会ったのは空がまだ僅かに夏の輝かしさをとどめている九月の初め」とあります。

出会いのきっかけは「新聞の地方版に毎週掲載される不要物売買コーナーで、ベビー・サークルやリンガフォンや子供用自転車の間に電子タイプライターをみつけた」こと。電話で商談を行い、引き取りに行った先にいたのが彼女でした。

出典:うぃき野郎, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brother_typewriter.jpg

上には1970年代の日本製タイプライター(brother)の写真を引用しました。村上春樹氏は前作「風の歌を聴け」を最初英語で書いてから、日本語に変換していったとのことです。「鼠」にも同様のスタイルで書いていたかもしれません。

鼠の彼女

彼女の特徴については
「ほっそりとした小柄な女で、ノースリーブの小綺麗なワンピースを着ていた。・・・・・・整った顔立ちで、髪は後で束ねている。・・・・・・尖った頬骨と薄い唇は育ちの良さと芯の強さを感じさせたが、全体を揺れ動くちょっとした表情の変化はその奥にある無防備なばかりのナイーヴさを示していた」
とあります。

そして「週に一度プールで泳ぎ、日曜の夜には電車に乗ってヴィオラの練習に通っていた。」とのこと。彼女が習っていたモーツァルトの曲名は不明ですが、下には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を引用させていただきました。彼女が一緒に弾いている様子を想像してみましょう。

タイプライターのインクリボンをおまけでもらった鼠はそのお礼にジェイズ・バーでお酒をご馳走し、その後何度か会っているうちに付き合うことになります。

無人灯台

彼女のアパートは、「鼠」が少年時代に遊び場としていた「無人灯台」の近くにありました。
「何度も折れ曲がった長い突堤の先にぽつんと立っていた。高さは三メートルばかり、さして大きなものではない。」とのこと。

下に引用したのは兵庫県西宮市にある今津灯台の写真です。江戸時代に造られたもので「1973年のピンボール」の「無人灯台」の候補ともいわれています。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/2143277&title=%E4%BB%8A%E6%B4%A5%E7%81%AF%E5%8F%B0

ここでは上の写真を見ながら以下の場面をイメージしてみます。
「日が沈み、薄い残照の中に青みが流れる頃、鐘の取手の部分にオレンジ色のライトが灯り、それがゆっくりとまわり始める。灯台はいつも夕闇の正確なポイントを捉えた。見事な夕焼けの中でも、暗い霧雨の中でも、灯台の捉える瞬間は常に同じだった。光と闇が混じり合い、闇が光を越えようとする一瞬だ。」
「少年時代、鼠は夕暮れの中を、その瞬間を見るためだけに、何度も浜辺に通ったものだった。・・・・・・」

また、「鼠」は彼女の家に向かう途中、こちらの灯台の近くを歩くたびに
「少年の頃の漠然とした思いや、夕暮れの匂いを思い出すことができた」ともあります。下に引用させていただいた今津灯台周辺の写真のなかに、そんな「鼠」の姿を置いてみましょう。

霊園の風景

鼠にはもう一つ思い出の場所がありました。「霊園は山頂に近いゆったりとした台地を利用して広がっている。細かい砂利を敷きつめた歩道が縦横に墓の間をめぐり、刈り込まれたつつじが草をはむ羊のような姿でところどころに散らばっていた。」。鼠が高校生の時は「バイクの背中に女の子を乗せ」デートをした場所です。

以下はこちらの霊園のモデルとされる「芦屋市霊園」の入り口付近のストリートビューです。左側の植え込みは羊のように見えなくもありません。

霊園についてはさらに細かい記述があります。
「そこに収まる予定の人々はまだ生きて」いて、「日曜の午後に家族を連れて自分の眠る場所を確かめにやってきた」とのこと。
「高台から墓地を眺め、うん、これなら見晴らしも良い、季節の花々も揃っている、空気だっていい、芝生もよく手入れされている、スプリンクラーだってある、供え物を狙う野良犬もいない、・・・・・・なにより明るくて健康的なのがいい」といって、満足してベンチで弁当を食べて帰ります。

また、「九時と十二時と六時には園内のスピーカーで『オールド・ブラック・ジョー』のオルゴールを流した。」とあります。下に引用させていただいたのは「オールド・ブラック・ジョー」のオルゴールの動画です。

こちらの曲はアメリカの作曲家フォスターによるもので、妻の実家で働いていた黒人の老撲ジョーがモデルとされています。友人を失い年老いたことを歌った切ない曲です。

また、こちらの霊園で「鼠」が付き合っている女性と一緒に過ごす場面もあります。
「鼠は霊園の南東にある林の中に車を停め、女の肩を抱きながら眼下に広がる街の夜景を見下ろしていた。街はまるで平板な鋳型に流し込まれたどろどろした光のように見える。あるいは巨大な蛾が金粉を撒きちらした後のようにも見える」とのこと。

シーンを想像できる写真として「芦屋市霊園」から2kmほど下った場所にある「ヨドコウ迎賓館」からの風景を引用させていただきました。有名な神戸の夜景と同じく港周辺の灯りがきれいです。

前に進めない?

水曜日の夜中に目を覚ました鼠は「どれだけ思いをめぐらせても、一センチも前に進むことのできぬ自分にうんざりした」とあります。
「女と会い始めてから、鼠の生活は限りない一週間の繰り返しに変わっていた。日にちの感覚がまるでない。・・・・・・土曜日に女と会い、日曜日から火曜日までの三日間その思い出に耽った。木曜と金曜、それに土曜の半日を来たるべき週末の計画にあてた。そして水曜日だけが行き場所を失い、宙に彷徨う。」とあります。

ある水曜日、眠れなくなった彼はジェイズ・バーへと向かいました。閉店後でしたがジェイはビールをグラスに注いでくれて、「音楽がないと寂しいね」といってジュークボックスの鍵を鼠に渡しました。

鼠「よかったら一緒に飲まないか?」
ジェイ「ありがとう。でも一滴も飲めないんだよ」
鼠「知らなかったな」

ジュークボックスの「スピーカーからウェイン・ニュートンの古いメロディーが流れだす」とあります。曲名は不明ですが、上には「ダンケ・シェーン」という初期の曲を引用させていただきました。こちらの曲が流れるなかでの鼠とジェイの会話を抜粋してみましょう。

鼠「一人暮らし?」
ジェイ「ああ・・・・・・猫が一匹だけいるよ・・・・・・年とった猫でね、でもまあ話し相手にはなる」
鼠「話すのかい?」
ジェイ「ああ、もう長いつきあいだから気心は知れているんだ。・・・・・・」

旅行の情報

今津(いまづ)灯台

鼠の少年時代の思い出が残る「無人灯台」のモデルとして登場してもらった建築物です。有名な蔵元・大関酒造の5代目当主が江戸時代に建てたもので、現役の木造灯台としては日本最古とされています。暗くなると緑色に点灯し、特に夕暮れ時の景色が美しいと評判です。

なお、下に引用させていただいた投稿のように2023年から2024年にかけて移築工事が行われ、従来の今津西浜町から対岸の今津真砂町に場所が移っているのでご注意を。移設後の点灯開始時期については公式サイトなどでご確認ください。

基本情報

【住所】兵庫県西宮市今津真砂町1-13
【アクセス】阪神久寿川駅から徒歩15分
【参考URL】https://nishimag.com/trip/spot/5268/