宮本輝著「血脈の火」の風景(その7最終回)

様々な人生模様

街は華やかに

熊吾のきんつば屋は繁盛し立ち食いのカレーうどん屋を併設するほどに成長します。終戦後10年以上過ぎ、家の前にある「船津橋を渡っていく自動車の数が、ことしに入ってから確実に増加していた。市電に乗っている女性の服装の色も柄も形も、2、3年前と比して派手になったのがわかる」とあります。下に引用させていただいたのは昭和30年当時の最新ファッションの写真です。「サブリナパンツ」とは当時流行った映画「麗しのサブリナ」でオードリー・ヘプバーンが着用して人気になったもの。このような女性たちが街を華やかに彩る風景を想像してみます。

ゴジラの出現

国は成長を続けていましたが「熊吾の視界に入ってくる人々の姿は、それに浮かれている気分とは遠いものばかりだった」とあります。「(昼間から酒を飲んだ)港湾労働者は、常時、・・橋のあたりにうずくまっていたし、傷痍(しょうい)軍人たちは、白衣を着てアコーディオンをかなでながら・・・道を歩いていた」という景色。下に引用させていただいたのは昭和29年に公開された初代ゴジラの写真です。ゴジラは放射能で巨大化した生物という設定。同年に起きた第五福竜丸事件(日本の漁船・福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆)へのメッセージを含んだ作品です。ここでは「原爆のうえに水爆か。また、日本人を人体実験に使いやがる」と憤慨する熊吾の姿を想像してみます。

当時のタクシー

熊吾は寝小便が治らない伸仁を針治療に連れて行きます。試しに自分も打ってもらったところ激痛が走り悲鳴を上げそうに。こんな痛みに耐えた伸仁を何度も褒めます。ご褒美に「漫画の本も買うちゃる。昼めしはビフテキで、そのあとタクシーで淀(京都競馬場)へつれてっちゃる」とも。下に引用させていただいたのは昭和20年代の大阪市内のタクシーの写真です。当時はまだ社名表示灯は一般的でなかったことがわかります。ここでは、この車の後部座席ですぐに寝息をたてる伸仁と眠そうな熊吾の姿をイメージします。実はこの後ある事件が起きますがそれは本文にてお楽しみください。

ポンポン船で事件が!

小説の冒頭でも登場するポンポン船・近江丸は以前とは場所を変えて船上生活を続けていました。近江丸は船長の青木照三とその妻・子供3人の家族構成。照三は酒癖が悪く仕事仲間と喧嘩をして以前の場所を追い出されてしまいます。(子供と友達だった)伸仁は近江丸に遊びに行き、療養中の照三に麻雀を教えますがこれが大きな事件に発展します。下に引用させていただいたのは東京・隅田川のポンポン船の写真です。毎日、定刻になると荷物を積んだ大きな木船を曳いて川を移動していった近江丸の姿をイメージしてみます。

玉川町の恵比寿神社

大きな事件が起きた後、心が沈む熊吾や伸仁を元気付けるために房江は恵比寿神社の夏祭りに誘います。「夜店で金魚すくいをしてから、飴細工を見物」というのんびりした時間。「(きんつばの)ふなつ屋の先月の収益は(熊吾の中華料理店)平華楼の5倍」と働き詰めだった家族は久しぶりに穏やかに過ごします。下に引用させていただいたのはその(野田)恵比寿神社の最近の夏祭りの写真です。この中のどこかに楽しそうな熊吾ファミリーの姿を想像してみます。

旅行の情報

野田恵比寿神社

大阪市福島区にある神社です。熊吾がお祭りに訪れた場所として登場。小説内には伸仁が観音寺のケンからおやつを買ってもらった場所としても取り上げられています。こちらの祭神はエビス様。平安時代の創建とされ、当時周辺は海に囲まれ漁民の守り神として信仰されていたとのことです。夏祭りはこの神社の最大のイベントとして有名。熊吾たちは遅い時間に出かけたため見られませんでしたが地車(だんじり)や鯛鉾(たいほこ)、すずめ踊りなどで盛り上がります。
【住所】大阪府大阪市福島区玉川4-1-1
【電話】06-6441-7084
【アクセス】玉川駅から徒歩で約約5分
【参考サイト】https://www.noda-ebisu.com/