宮本輝著「天の夜曲」の風景(その1)

富山での新生活

熊吾が運営する平華楼に、食中毒事件があったことなどをきっかけに、事業を終息させることにします。高瀬という人物から、富山での中古車部品販売の共同経営の相談を受けた熊吾たちが、列車で富山へ移動する場面からこの巻が始まります。

富山駅に到着!

「大阪から富山にへと向かう立山1号」の中で大阪での様々な出来事を思い出しながら、雪のために大分遅れて到着します。富山駅には「プラットフォームには、高瀬勇次と妻の桃子が迎えに来てくれていた」とあります。下に引用させていただいたのは昭和30年代の富山駅の写真です。熊吾が到着したのは昭和31年の雪の降る夜、ここでは、高瀬から「あと五、六分で最終の市電が出てしまうと急がされ、改札口へと向かった」熊吾たちの姿をイメージしてみます。

富山の雪にびっくり

到着後の熊吾たちが、初めて見る富山の豪雪に驚く場面が描かれています。「雪見橋というところで降り・・・歩き出したが・・・・熊吾の膝あたりまで埋めさせた。十歩も行かないうちに、足先の感覚がなくなり」とあります。下に引用させていただいたのは、昭和38年に北陸地方を襲った豪雪時の写真です。電車が雪に埋もれて立ち往生していますが、熊吾もこれと似たような雪景色を見ていたかもしれません。

伸仁が落語を熱演

熊吾たち家族は富山での最初の夜を、小さな商人宿で過ごすことになります。家族3人で久しぶりにお風呂に入ると、熊吾と房江は息子・伸仁に覚えたての「鴻池の犬」という落語をリクエストします。「テケテンテンと出囃子の曲までつけて・・・えー、お寒い中のお運び誠にありがとうございます・・・」と続ける 伸仁。下に引用させていただいたのは、国民的落語家として有名だった2代目桂枝雀さんの「鴻池の犬」です。最後まで聴きたかった熊吾ですが「終わるまで湯につかっちょったら・・・石川五右衛門になっしまう」といって、風呂から出る場面をイメージしてみます。

総曲輪へ買い物

高瀬家の人たちにハンバーグをふるまおうとした房江は、つなぎに使うパンを探し「総曲輪っていうとこまで行ってしもた・・・」といいます。当時は空襲からも復興し、シンボルであるアーケードも1953年に設置されました。下に引用させていただいたのは昭和初期の総曲輪の写真です。モダンな姿をした女性たちが印象的、ここでは中央部の買い物かごを持った女性に、房江の姿を重ねてみます。

家を探しに・・

諸事情があって高瀬との共同事業をあきらめた熊吾は、間借りしていてた高瀬の家を出て「田圃があって、きれいな川が流れちょって、トンボや蝶々がとんどって、鎮守の森でもあるとこで、伸仁が自転車で通えるところ」に引っ越そうとします。下に引用させていただいたのは、富山市内からの立山連峰の写真です。熊吾が伸仁と自転車で巡り「南側の窓からの立山連峰の景観が気に入ったし、北側の窓からの田園風景にも心がなごんだ」とある、嶋田家の一室(借家)からの景色をイメージしてみます。

熊吾は房江と伸仁を富山の貸家に残し、一人大阪に戻ります。次回からは再び大阪に舞台を移して小説の風景を追っていきます。更新がゆっくりで恐縮ですが、次回もお楽しみいただけますと幸いです。

旅行の情報

富山県庁舎本館

こちらは昭和10年築の鉄筋コンクリートのモダンな建物です。昭和20年の富山大空襲から逃れた貴重なもの。熊吾たちが総曲輪周辺の喫茶店に入る場面がありますが、この建物の近くも通っていたかもしれません。2015年に有形文化財に登録された建物で内部見学はできませんが、下に引用させていただいたような重厚な外観は一見の価値があります。
【住所】富山県富山市新総曲輪1-7
【アクセス】富山駅前で市電に乗り換え、県庁前で下車
【関連サイト】 https://www.pref.toyama.jp/1021/kensei/kenseiunei/kensei/0/index.html

呉羽山展望台

熊吾と伸仁が借家を探しながら、川のほとりを自転車で走る場面は印象的です。記事でもご紹介したように、立山連峰の景色は小説中でもたびたび登場します。下に引用させていただいたのは、立山連峰の眺望スポットとして人気の呉羽山展望台からの景色です。売薬資料館などがある「民俗民芸村」も併設する観光名所で、「天の夜曲」巡りの立ち寄りにもおすすめの場所になります。
【住所】富山市安養坊他
【アクセス】北陸道・富山ICから車で20分ほど
【関連サイト】https://www.toyamashi-kankoukyoukai.jp/?tid=100443