宮本輝著「天の夜曲」の風景(その4)

大阪に戻った熊吾は、駄菓子屋の2階を借りて住むことになります。主治医の小谷医師の移転・開業祝いから、ひいきにしていたダンサー(森井博美)の火傷治療に付き添って長崎に向かうところまでの風景を、SNSの力をお借りして追ってみます。

小谷医師の移転祝い

11回目の終戦記念日の前日(昭和31年8月14日)に、熊吾は糖尿病を見てもらっている主治医の小谷医師のもとを訪ねます。目的は「小谷医院」の移転と開業のお祝いです。場所は「大阪市福島区の福島天満宮の近く」で、「仕立て屋やメリヤス問屋が並ぶ界隈」でした。

下に引用させていただいたのは、戦前からある莫大小(めりやす)会館の写真です。ここでは、この建物の周辺を、和歌山・紀ノ川産の天然鮎が入った木桶を土産に歩く、熊吾の姿をイメージしてみます。

水俣病の話題も

医師との雑談では当時、新聞で話題になりはじめた水俣病の話題が上がります。「この奇病にかかった猫は、真っすぐ歩けないどころか、同じところをくるくつと廻りづづけて、悶絶して死ぬそうです」と語る小谷医師。下に引用させていただいた新聞のようにネズミが増えるという2次被害もあったようです。

ここでは、「猫が何か病気の原因を媒介しているのかもしれない・・水俣周辺の猫をすべて殺すべきと主張したり」、水俣の海で獲れる魚介類を分析するよう進言する小谷医師の友人を「町から出ていくように脅したり」する水俣町の一部の人たちに、意義を唱える医師の姿をイメージしてみます。

駄菓子屋の2階に下宿

熊吾の下宿先は駄菓子屋をしている峰山ふきという寡婦の家でした。下に引用させていただいたのは昭和31年の駄菓子屋の風景です。たくさんの子供たちが菓子を食べたり遊んだりと自由に過ごしていますね。

ここでは峰山ふきがお店の子供に「ときちゃん、十円あるんやったら、この飴買うんのは五円だけにして、あとの五円はこっちのアイスキャンディーにしとき・・・ゆきこちゃん、お腹痛いのん、治ったんか?・・うちのスルメが傷んでたんとちゃうやろかって、心配してたんやで」などと声をかける場面を想像してみます。

急行雲仙で

森井博美の火傷の治療について、小谷医師の友人の紹介を受けた熊吾は、付き添いで長崎に向かうことになります。乗車したのは急行雲仙・長崎行き、大阪から十七時間の長旅でした。

下に引用させていただいたのはSLがけん引する、昭和時代の急行雲仙の雄姿です。この中に「自分の背中よりも大きな四角い箱を茶色の風呂敷で包んで、それを背負った小柄な男・・・が(熊吾の席から)一メートルほどしか離れていない向かい側の寝台に入り」といった混雑した風景をイメージしてみます。

熊吾の服装は

列車に乗り込んだ熊吾は、「自分の着替えや洗面具を入れた鞄を真ん中の段の自分の寝台に置き、かぶっていたパナマ帽を取った」とあります。下に引用させていただいたのはパナマ帽をかぶるクラーク・ゲーブルの写真です。

ここでは「帽子かぶっとき。よう似合うのに・・。クラーク・ゲーブルみたいや」という博美に対し、「前にもどこかでそう言われたことがある。アメリカの映画俳優じゃそうじゃが、喜劇役者やあるまいの」と返す熊吾の姿を想像します。

次回は長崎での熊吾たちの行動を追いながら、小説の世界をイメージしてみます。関連する観光情報もご紹介する予定ですので、しばらくお待ちください。

旅行の情報

メリヤス会館

もとは大阪輸出莫大小(メリヤス)工業組合のビルとして使われていました。昭和4年の建築でアーチ窓などが特徴の重厚な建物です。

現在はテナントとしてギャラリーや建築事務所のほか、「SlowCafe」という喫茶店もあります。建物内は見学できるエリアもあり、当時の雰囲気を感じながら探検してみてはいかがでしょう。

【住所】大阪府大阪市福島区福島3-1-39
【アクセス】京阪中之島線・中之島駅より徒歩3分
【関連サイト】https://www.ekiten.jp/shop_5688207/

趣味の店 ホリイケ

熊吾が下宿した駄菓子屋は福島天満宮の裏にあったとのこと。梅田からも徒歩圏内の繁華街になっていますが、周辺には現在も営業を続ける駄菓子屋さんもあります。

趣味の店ホリイケもその一つで、昭和創業の駄菓子店です。下に引用させていただいたように30円や60円などのリーズナブルなお菓子が勢ぞろい、子供だけでなく観光客も入りやすい雰囲気になっています。

【住所】大阪府大阪市北区中崎西1-9-11
【アクセス】梅田駅から徒歩約8分
【関連サイト】https://www.tv-osaka.co.jp/ip4/tabi/onair/1260363_6111.html#spot-1260866